虹川秀一と不穏な気配
虹川秀一は今日もパトロールに勤しむ。
警察学校を成績トップで卒業後、養海町に配属された彼は順調に業績を重ね、28歳で警部補に昇進し、最前線で活躍している。30代にしては若々しい見た目をしており、署内でも町でも人気を集めている。爽やかな笑顔を絶やさないプロ意識も持ち合わせていた。
表の顔は、前途洋々なキャリア警察官だ。
6月20日20時13分。虹川は警察署のオフィス内にある自動販売機で缶コーヒーを買う。彼は今にも疲労で倒れそうになっていた。眠気覚ましのブラックコーヒーだった。
先日19日「スーパーに不審者がいる」という通報を受け、近くにいた虹川が駆けつけた。犯人は長身痩せ型、黄緑色という奇抜な髪色をした、30代と思われる男性だという。
現場に着くと、その犯人と思わしき男はすでに、警官によって取り押さえられていた。うつ伏せにされ、手足の自由が奪われている。だるそうな半開きの目とポカンと開いた口。抵抗する素振りも見せず生気を感じないその男は、虹川を見ると血色が良くなり、骸骨のように白い歯を見せて笑った。
「虹川〜! 久しぶり〜」
この窃盗犯と虹川は知り合いだった。この男は同僚である。と言っても、警察の同僚、というわけではない。
「お前、何してるんだ?」
「それがさ〜聞いておくれよ〜。このスーパーにふらっと立ち寄った時にさ〜。妖気が……」
「コホン!」
虹川は咳払いをする。
「おっと、失礼失礼〜」
男は目線を、自身を押さえつけている警官に向けて笑った。警官は怪訝な顔をする。
この男は、妖怪狩りの同志なのだ。
男はスーパー店内を徘徊していたようだった。男は業務妨害罪で起訴されることもなく、厳重注意と罰金を支払った。
その日の夕方、虹川と男は近所の公園に向かった。6月の空は明るい。周りには住民も何人か見かけた。
二人は屋根付きのベンチに腰掛ける。男はぐったりと座り込んで肩を回していた。
「で、どうしてこの町にお前がいるんだ?」
「そんなの、この町に妖気を感じたからに決まっているじゃないか」
男は妖怪から漏れ出す力、いわゆる『妖気』を辿るプロである。しかし、周りが見えなくなって不審者になる時が多々ある。見た目も相まって、とにかく目立つのだ。
虹川は首を振った。ポツポツと雨が降り始めていた。
「連絡ぐらいしろ」
「ここが養海町だって分かってたら挨拶くらいするつもりだったよ。警察署の場所は知ってたけどさ〜。追跡をつい優先しちゃったというかさ」
「……はぁ。お前の実力を考慮してもまぁ、正しい判断だとは思うがな。俺を呼べと何回も言っているだろう?」
「やだよ。ジメジメするし」
「そこは我慢してくれ。俺が現場にいたら上手く立ち回れたんだ。そういえば、携帯電話はどうしたんだ?」
「あ〜、あのハイテクな機械? ありゃ僕には使いこなせない代物だね」
「今の御時世それは厳しいと言わざるを得ない」
「まぁいいよ。無くしたし」
「金返せ!」
「あ、さっきはありがとね。罰金払えるお金持ってなかったけど、共通口座があって助かった! 感謝! この借りは必ず返すと神に誓う!」
「……」
虹川は黙った。そして願った。この男と縁を切りたいと、切に。
「まさかとは思うが、ほかの場所でも警察にお世話になっているんじゃないのか!? そのたびに俺の口座から……」
「その心配はしなくても大丈夫! 普段は猫とかに変化してるから」
「ふざけんな……」
補足すると、男は変化の術を使うことができる。
「今回はどうして変化してないんだよ。事情があったのか?」
男は急に真剣な顔つきになった。
「それが、今回はちょっと、本気でマズいかもしれないんだ」
「……本気でマズい?」
「あぁ。この町に、かなり強力な妖怪がやって来ている。しかも半日前くらいに、あのスーパーに居た。確実にだ」
「そんなに強力な妖怪なのか?」
「虹川の戦力が最低限必要だ。金森の協力も必要かもしれない。とにかく、パトロールは強化した方が良い。俺も全力で調査するから、虹川も気をつけてけれ」
「ん? なんで俺の心配を?」
「その妖怪は、この町の住人に紛れ込んでいると睨んでいる。虹川の正体にも気が付いているかもしれない。陰陽師を殺せば、妖怪としての格が上がって、今よりも強力になるだろうからな。そしたらいよいよ、誰にも手がつけられなくなる」
男の忠告に虹川は顔をしかめた。
虹川秀一の裏の顔。それは業界でも有名な陰陽師である。
雨が降り続いている。