鄙山賢輔と歓談
小出をカウンター席に座らせる。
店内にお客さんは少なく、テレビの音がいつもより大きい気がする。
「それで? どうなの? 私のこと覚えてるのって。ねぇ。ほら、私よ私。隣の客はよく……」
「前回と同じセリフを繰り返さなくてもいいから! 覚えてるに決まってるって」
おしゃべりな人だから、このように食い気味に大声を出さないと会話に入り込むことさえできないのである。
「ふぅん。本当にそうかな? 怪しいなぁ。それではさっそく始めましょう」
「なにを?」
テレビの天気予報が終わり、午後5時になるとともに軽快なBGMに切り替わる。
「私のこと、どれだけ覚えているか、理解度チェックの時間でーす。司会は私、小出円佳。今回のゲストというか主役は鄙山賢輔君。さて、では練習問題から。私の好物は?」
「中華あん定食のデザートの柿。というか柿そのもの」
思わずサラッと答えてしまった。というかこの程度なら、前回の会話を聞いていれば正答率100パーセントだろう。
「さすがと言ったところね。この程度では秒殺ですか。じゃあここから本番。テーマは『美少女幼馴染との甘い思い出』よ」
「そんな恥ずかしいセリフを店内で言うな!」
「え? なになに? 聞こえなかったかな? そっかー。じゃあもう一度だけ、特別に、幼馴染特典その3を行使して繰り返します。今回のお題は『美少女幼馴染……」
「さっきより大きめの声を出すな! 聞こえてるよ! ちゃんと受け答えしてるから、できてるから! それに甘い思い出なんてない!」
というか幼馴染特典とは? しかも3って。
あと、自分で『美少女』とか言ってる……。
「司会に逆らうなんて見損なったよ、鄙山賢輔君。司会に逆らったのでイエローカード。あと1枚集まればこの店から退場してもらうから」
「お前にどんな権限があるんだよ!?」
「それはもう、司会者の権限だけど?」
「え? どういうこと? これって何かの特番なのか!?」
「そう言っても差し支えないくらいにはお客さんもいるようだけれど……」
僕は小出から店内へと視線を移す。お客さんの視線が集まっている。しかも小出にではなく、僕に。まずい。この店の落ち着いた雰囲気が崩れている気がする。
それもこれも、今、目の前にいるこの人が原因だ。
小出はお構い無しに言葉を並べる。
「第1問。ででん。私たちはほぼ毎日のようにキスをしていたわけですが」
いきなりとんでもないことを言っている!?
「ファーストキスはいつ、どこでしたしょう?」
「ファーストどころか1回もしたことない! でたらめを言ってこの店の空気を悪くするな!」
「な……。あんなに強烈で情熱的で、ねっとりした、ディープなキスを覚えていらっしゃらない、と? 私、普通にショックなんだけど」
「捏造するな! 10歳でそんなキスしてるなんて、本当だったらヤバい奴になってしまうだろ! 絶対にありえない!」
「ふ。御名答。やるじゃない。正解は『まだキスすらしていませんでした』でしたー。……そう、私たちはまだ、まともに、キスすらできていないんだよ!? こんなこと! 許されていいのでしょうか!? ねぇ皆さん!」
小出は振り向いて叫ぶ。急にヒステリックになってしまった。本当によくない。この人酒でも飲んでるんじゃないか? やばい、今入店したばかりのおじさんが意味不明な状況に硬直している。あ、あのおじさんは常連の秀一さんだ。ホントにごめんなさい、僕の幼馴染が。
というか、逆に、他のお客さんは小出の演説(?)に耳を傾けている。なんだこれ、みんな僕の敵なのか? 頷いている人はなんなの? 秀一さん、あなたに言ってるんだけど。さっき入店してきていきなり小出の味方をするの? 裏切られた気分だよ。
このままでは事態は悪化する一方だ。
「そもそも僕ら、10年ぶりに再会しただけで、付き合ってるわけじゃないだろ」
「……」
「なぜ黙る!?」
小出は不満そうな顔をして僕をじっと見ている。恨みがこもった鋭い眼差しだ。さっきの大声が嘘のようにか細い声が聞こえてきた。
「忘れたとは言わせないわよ。ええ、絶対に言わせないから」
「な、なにがだよ……」
「私を幸せにしてくれる、って……」
「え」
僕の後頭部に電流のようなものが流れた気がした。
小出の口が開こうとしたその時、思わず彼女の手を掴んで、控室まで引っ張った。
不思議とこのとき、小出は沈黙していた。