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Ep.01 影の差す街

十数年ぶりくらいに小説を投稿します。

遅筆で陰気臭い感じになると思いますが、お付き合いくださると幸いです。

 

 ━━━何か来る。

 反応できた、という訳ではなかった。ただ直感めいたものがあって、ドアを開けた直後に半歩その場から跳ぶように後退した。その瞬間、ナイフにも似た鋭い何かが勢いよく立っていた場所に刺さったのを見て、白髪の青年は戦慄した。


「何者だ」


 腹の奥にまで響くような、冷たい声が聞こえる。部屋の中は暗く、声の主の姿はよく見えない。それでも青年は、まともな話し合いができる相手ではなさそうだ、ということだけは悟った。


「アンタこそ何者だ。何のためにそこにいる?」

「知る必要はない」


 またアレが飛んでくる。刹那の中でそう考えた青年は咄嗟に右にステップを踏むと、案の定、同じ物が飛んできて後ろの壁に突き刺さる。何の予備動作もなく、どのようにしてあんな飛び道具を放っているのか。謎は多いが細かな分析をしている暇はなかった。

 青年は締まりかけたドアを蹴り開け、右手を握るようにして横に構え、勢いよく突っ込んでいく。

 

「炎弾!」


 青年は握りしめた右手から赤い炎を生じさせ、石のように放り投げる。魔法としては最も基礎的なもので、ただの一撃で人を焼き尽くすような大きな炎ではない。それ故に、長ったらしい詠唱も必要ではない。

 この程度の下級魔法では陽動にもならないだろう。しかしその目的は攻撃ではなかった。火の光に照らされ、一瞬だけ暗闇に佇む者の姿が見える。姿形は単なる体格の大きい男だったが、青年は見逃さなかった。その男の目は、まるで猫の目のように縦長の瞳孔を持ち、そして怪しげな魔力を帯びていた。


「……チッ」


 男は不愉快そうに飛んでくる炎を払いのけ━━━白髪の青年に背を向け、後ろに向かって走り出し、そして窓を破りながら飛び出した。


(逃げるつもりか……!?)


 青年はすぐさま窓に駆け寄るが、男は既に跡も形もなく、気配もしなかった。追いかけることは難しいだろう。闇夜からの不意打ちを目論んでいないのであれば、これ以上の戦闘を望んではいないようだった。

 青年は付近を警戒しながらも、男の残した痕跡である、あの飛び道具を確認する。地面と壁に深々と突き刺さっていた物はナイフではない。その事実が、却って青年を戦慄させた。


「爪、か……」


 それは20cm余りもある爪であった。そして、人の爪とは似ても似つかないような、虎狼の爪の如き硬さと鋭さを備えている。

 間違いなく、先程まで相対していたあの男は、「人」ならざる化け物である。これは青年の予想の中で、最も望ましくないものだった。嫌な勘ほど良く当たるものだが、今回ばかりは外れてほしかった。本来ならあんな化け物と関わらず、さっさと街から去るものだが、そうもいかない。

 化け物め、と青年は毒付いて、その場にもたれるように座り込み、こんな不幸に陥った経緯を振り返るのであった━━━

 

 



◇◆◇◆◇





  ふと見上げると、空は一面の白銀に包まれていた。


 黒ずんだ雲から、なぜあのような白い花が降るのか、幼い頃は疑問で仕方なかったことを思い出す。手に取った玩具も絵本も投げ捨てて裸足で外に飛び出し、霜焼けしてしまうのにも構わず、いつまでもぼうっと突っ立って空を眺めていた。あの時、何を思っていたのだろうか。何を知りたかったのだろうか。

 いつの間にか、そんな幼い日の記憶も無くしてしまっていた自分に気づいて、青年は自嘲するようにため息をついた。白い息が目の前に広がり、消えていく。

 雪を目の当たりにすると一段と寒く感じられて、青年は出発前に買った外套を荷物から取り出して羽織った。投げ売りされていた残り物ではあるが、それでも布一枚増えるだけで多少心は安らぐ。


 青年は今、眼前の城塞都市アキュールに入るための長蛇の列に並んでいた。城門は閉ざされており、小さな出入り口のみが開かれた状態で兵士がその前で検問を行なっていて、さながら戦時に籠城しているような有り様である。青年は先程から都市に入ることを認められずに立ち去る流浪者らしき人物などを数人見かけている。

 悴んだ手に息を吹きかけて何度かゴシゴシと擦り、青年はぼうっとしながら何かをするでもなくただ待っていた。長蛇の列の先頭から一人ずつ、荷物が検められ、城内に消えていく。そうしてゆっくりと前に移動し、自分の番が近づくにつれて、徐々に検問担当の兵士の検問の内容が聞こえるようになる。


 尋ねられるのは職業、住居地、目的……そして名前だった。


 名前とは、何なのだろう。


 それは己を他者から識別する記号として以外に、どんな意味を持つのだろう。ただの記号なら、親は子の為にあれこれ悩んで命名することはないし、子もわざわざその名前を後生大事に名乗る必要もない。名前を間違えられると憤然として訂正しようと思ってしまうのは何故なのだろうか。青年には、それがさっぱり分からなかった。

 だから兵士に名前を尋ねられても、


「クロア・シャルフェンベルク」


 その名はいつも通り、ただ自らを表す記号でしかなかった。






◇◆◇◆◇






 街には陰気な雰囲気が漂っていた。幾分か強く降り始めた雪の為に、雲を貫いてくる陽の光が更に鈍い鉛色に染まって街がモノクロに見えているせいもあろう。

 されども、それを差し置いても行き交う人々の間の会話は少なく、誰も彼も目を伏せているのも青年━━━クロアにとっては印象的であった。

 クロアがこのような雰囲気の街を訪れるのは、実のところこれが初めてではない。しかし、今まで見てきた「陰気」な街は、いずれも破壊され、略奪され、街たる中核が損なわれた結果、そうなってしまっていた。大切なものを蹂躙され尽くし、ただ生きているだけ、否、死に損ねた者の寄り集まる場所には活気があるはずもない。

 すなわち、この国━━━ナザム帝国の「征服地」にのみ見られる光景である。しかし、このアキュールという都市は古くから帝国の領土であり、戦役のために侵略されたということはない。それにもかかわらず、征服された《二等都市》と同じ有様であるのは随分と奇妙なことである。

 恐らくは、()()()()が関係していると見るべきだ。ここに来たのも、それが目的である。先の検問で取り締まろうとしている対象とも、恐らく何らかの関係があると見ていいだろう。

間違いなく、何かがこの街で起きている。


 凍てつくような風が吹き、クロアは思わずぶるっと身震いする。気付けば身体がかなり冷えてきている。革袋に入れていた火酒はここまでの道中でとうに尽きた。

 それでも外套を纏って気持ちが落ち着いたと思ったが、所詮は気休めに過ぎなかったのだろうか。安物買いの銭失いとはまさにこのことだ、とクロアは舌打ちをした。仕方ない。情報収集も兼ねて、まずは少し暖を取ろう。そう考えたクロアは目についた酒場に駆け込むように入っていった。


 酒場は広くはないが、陰気くさい外の街路よりは多分に賑やかであり、酒癖の悪い酔っ払いが大声で喚き散らしているのが耳障りなこと以外は悪くはない。暖炉の火が今はただただ有り難く感じる。古びた木製のテーブルや椅子が乱雑に並べられているのは、恐らく綺麗に整頓したところでこの酔っ払い達が散らかしてしまうからであろう。


「適当に座りな」


 エプロンを着た店主と思しき中年の男にそう声をかけられ、クロアはカウンターに腰を下ろす。


「酒と、適当に肴を」

「あいよ」


 店主は木の樽から笏で酒を注いでクロアに渡し、続いて大鍋から煮込んだ豆を一杯よそった。クロアはスプーンで豆を掬って食べるが、塩気もないもので美食からは程遠い。だが、こんな味にはこの十年程度で随分と慣れたものだ。


 カウンター越しにクロアの様子を見ていた店主は、彼が酒に手を付けたのを見て口を開いた。


「兄ちゃん、この辺の人間じゃあねぇな。その訛りからするに、北の方の出身か?」

「……ああ」

「この街は何をしに来たんだ?お遊びって訳じゃねえだろう。見ての通り、観光するところはほとんどねえぜ」


 そう言うと店主はけらけらと笑った。事実、数十年前に城塞が築かれてから、アキュールは血腥い前線基地のような都市と化している。帝国の侵略が進み、アキュールと前線が遥か彼方に離れた後も、その街の造りには変化がない。むしろ、征服地管理の拠点として、より一層軍が強く根差すようになったと言える。

 よくよく酒場を見渡してみれば、傭兵風の男ばかりいるのに、他の都市の酒場に居そうな飲んだくれた中年や賭け事に興じているような堕落した浮浪者などは見当たらない。店に入ってきたときに喚いていた男も良く見れば腰に剣を提げている。彼も傭兵で間違いない。


 実際、アキュールは遊びに来るような場所ではないのだろう。戦端が開かれれば重要根拠地として兵家必争の戦地となるこの都市では、軍需用の物品を扱う商人ぐらいしか用がないのかもしれない。それに軍が街中に根を張っているのなら、四六時中監視される住民も息苦しいはずだ。陰鬱な街並みにはそれなりの理由がある。しかし、それを差し置いても先程の街の様子は尋常でなかった。


 酒を一口飲み、クロアは切れ味の鋭い目つきで店主を見上げる。情報通の酒場の店主ならば、「例の事件」について何か知っているだろうか。しかし己の素性をあまり明かしたくないクロアは、当たり障りのない会話をしつつ、何も知らない振りをして情報を得ることにした。


「傭兵稼業だ。前の傭兵団が全滅したせいで職場の探し直しさ。外の検問で朝からこの時間まで待たされてクタクタだ」

「そいつは気の毒に。ここ最近急に入出城に厳しくなっちまったんだ、入れただけ幸運かもな」

「何かあったのか?」

「詳しいことはよくわからん。最近妙な殺人事件が多いからその犯人探しかもな」

「殺人?」


 殺人事件。そう聞いてクロアは例の事件に関連しているのではないかと訝しんだ。思った以上に情報が出回っているのかもしれない、との期待があった。


「いや、まあそう大した話ではない……訳でもないが、実はここ数ヶ月間変死事件が相次いでるらしいんだ」

「変死?」

「俺もこの店にいる飲んだくれ共からの又聞きだから詳しくはねえがな、干からびて死んでるらしいんだ、どいつもこいつも。最初に死んだのはそこらのスラムのガキだったから薄気味が悪いって噂になったぐらいで誰も大して気にしなかったんだが、立て続けに商人だの傭兵だの、最近じゃ貴族と将軍まで死んでる。誰がやってるのか、なんでそうなってるのか皆目見当もつかないらしい」


 そう言って店主はため息をつき、新たに店に入ってきた傭兵風の客にいらっしゃいと声をかける。酒場に荒くれ者が集うのはごく自然なことだが、今の話を聞いたあとでは彼らは嫌なことから逃れるために酒を飲んでいるのかのように見えた。


 干からびて、死ぬ。クロアはこの街で奇怪な変死事件があることこそは知っていたものの、その内容についてはほとんど知ってはいなかった。だが貴族が死んでいるというのなら、「例の事件」で間違いないだろう。

 殺人かどうかはわからないが、人為的なものならこの事件は間違いなく常人の仕業ではない。一般市民はともかく、私兵や憲兵、傭兵などに保護されているはずの貴族や将軍ですらその毒牙に掛かっているのだから、その厳重な警備をすり抜けるか蹴散らせるだけの力を持った存在であることには間違いない。


 しかし、だとすると狙いがわからない。仮に誰か人を殺しているとして、対象が無差別的なのはなぜか。意図的なカモフラージュだとしても、死者が増えればその分手掛かりも増えて足がつきやすくなるはずで、上策だとは思えない。殺したい対象だけ殺してさっさと街から去った方がいい。そう考えれば、ただただ人を殺したいから殺しているようにも感じられる。

 気の狂った魔術師か、はたまた特異な能力を持った暗殺者か、それとも邪な魔物の仕業だろうか。痕跡、被害者達の共通点のように、何か手掛かりがどこかにあればいいのだが、街の地理も知らず知人もいないクロアでは、容易くは見つけられないだろうと、考えてクロアは酒を呷り、次の質問を問いかける。


「現場……いや、死体を見たことはないのか?」

「俺はないな。何せ事件はいつも深夜に起きてるらしくてな、そんでもって死体が大体路上で放ったらかしにされてると聞いた。死体が見つかりゃ朝イチで軍が持っていっちまう。別に変死体なんか見たって面白いもんじゃねえし、早起きして見に行くこともないだろう」


 それはそうだろう、とクロアは神妙そうな顔をして頷く。内心、彼は今の話を聞いてやや引っかかるものを感じたものの、顔色も声色も変えずに次の質問をする。


「なるほど、確かに奇妙な話だな。だが、そんなのを城外への検問で取り締まるのは無理なんじゃないか?むしろ城内に潜伏していそうなものだ。深夜の巡回を増やすとか、別の方法を取るべきだと思うが」

「さあな、俺にもわからん。そういうのもやってるのかもしれん。ただ、お上はお手上げって感じで、取り締まってるポーズをしてるだけだって噂もある。もしそうだったらこの街は終わりかもな」

「なるほどな」

「まあ、あんまりここには居着かない方がいいだろう。ないとは思うが、アンタが狙われない保証はないからな。逆にそいつを退治でもしてくれたら名は売れるだろうが」


 もっともだ、というような表情をして頷いたクロアは、酒を飲み干すとやおら荷物を持って立ち上がる。気づけば、冷えた身体は暖まるを通り越して火照るほどだった。店主はクロアが帰ろうとしている様子に気付き、また口を開く。


「銅貨1枚だ」


 クロアはポケットから銅貨を1枚取り出して店主に渡し、出口まで向かってから、思い出したように振り返った。


「そういえば、この辺に宿屋はあるか?」

「ん?ああ……そうだな、この辺なら北にまっすぐ行った辺りに一軒ある。最近ちょっと噂になっててな、新しく入った女中がなかなかの美人だとかどうとか。ある意味、そこが一番の観光名所かもな」


 店主はニヤリと笑いながら言ったが、クロアはそれに殆ど反応することなく、無愛想に「どうも」と言って店の扉を開いた。


 急激な気温の変化にやや顔を顰めながら、店主の言葉を思い返す。被害者は無差別的で、死体は干からびている。死因については聞かなかったが、事件の奇怪さからすれば解っていないかもしれない。

 これは難しい事件だろう、とクロアは考えて歩き出す。ふと、彼は自分が入ったのとは別の城門を見かけるが、検問担当の兵士は如何にもやる気がなさそうな様子で城壁にもたれかかり、商人らしき者に尋問していた。軍紀、という言葉からおそよかけ離れた姿である。荷物検査をしている訳でもなく、その割には尋問する口調だけは威圧的で、遠回しに袖の下を要求しているようにも聞こえる。あれでは、何の役にも立たないどころか、徒らに民を圧迫するだけだろう。

 何がこの街をこんな風にしているかは、皆目検討もつかない。奇怪な殺人事件のせいか、はたまた昔からこんなものだったのか。

 ()()との約束がなければ、こんなところには来たくなかったが、今更そう言ってもどうにもならない。一刻は早く事件を解決して去りたいところだが、一つでもとっかかりが見つからなければ、この事件は調査できない。聞き込みから始めていきたいところだが、この事件は何か引っかかるものがある。あまり迂闊に動くべきではないという直感めいたものを、クロアは抱いていた。


「……面倒だな」


 遠路遥々、こんなところまで来て探偵業をやる羽目になるとは、とクロアは自嘲するように笑い、そして俯きながら歩き続ける。風に乗った雪が強く顔を叩きつけ、痛みやら冷たさやらで、クロアは益々憂鬱な気分になる。ひょっとしたら、この街の陰鬱さに早くも毒され始めたのかもしれない。ここで長く暮らせば、あのモノクロな景色の一部になれるのだろう。そうはなりたくない。


「何はともあれ、一度死体を見なくてはな……」


 小さく呟いて、クロアはため息をついた。相変わらず、息は真っ白なままだった。

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