レックスマン家の仕来り
『世界信仰化』の成功により、フラミンゴス教会によって世界が統括され、信仰だけではなく、言語、文化、習慣までもが統一された世界に、突如として、神の啓示が降ってきた。
『終わりの日』と称されたそれを、フラミンゴス教会の四人の教皇と、それに続く枢機卿達の判断により、人々は神の啓示をそのまま受け入れることとなった。
「『神』からの啓示は従順に受け入れること。ましてや、それに逆らうことは不道理」
つまりは、
「『神』によって『終わりの日』を定められた人類は、その日が訪れるまで、慎ましく穏やかに過ごしましょう」
と言うことだ。
その日から、人々は眠ることが出来なくなった。
世界の終末への不安からなのか、不眠症の症状が世界中の人々に広まっていき、あっという間に、全人類から睡眠という本能が失われていった。
「――眠れなくなっても、身体に不調はないな」
かれこれ、半年程眠りに就いていない。
僕、ヴァン・サリー・レックスマンは、弟のウォーズと二人で、屋敷の裏の森へと続く道を歩いている。僕もウォーズも、他の人々も、目の下には大きなクマがあった。
「そーお? オレは結構疲れてるけど……」
ウォーズが大きな欠伸と背筋を伸ばして、そのまま僕の背中にもたれ掛かってきた。
「うぉ! ちょ、重いって! ウォーズ!」
「えぇー? ちょっとくれー、いーじゃんよ!」
「ムリだって! オマエ、僕より重いだろっ!」
「ヴァンがヒョロヒョロ過ぎなんだよ~。ちーっとは肉食え! レバーにほうれん草、それから何と言ってもシジミ! 食えないなら、エドワード特製の造血剤大量に送ってもらうか?」
ウォーズの手にパープル瓶に入れられた毒薬……いや、医学生エドワード兄さんのクソまずい造血剤が握られている。その背景に「AHAHA~」と悠長に笑う兄さんが見えた。
「いや、……ちゃんと食うから大丈夫だよ」
気休めに笑ったのが分かったのか、突如としてウォーズの足が止まった。それにつられ、ぐぐっ……と僕の足も止まる。
「ウォーズ?」
振り返った背中に、不貞腐れたウォーズがいた。その瞳はエメラルド色で、日の光に透ける緋色の髪が綺麗だ。
「……ただでさえ、ウチは『血』を必要としているんだぞ?」
「ああ、そうだな」
ウォーズが言わんとしていることを理解して、僕は体重を掛ける弟を引きずったまま、森の奥へと進んでいった。
僕は、
僕達は、
自分が生まれた家に、
縛られている。
『西の教皇』が統治するこのジェノレープ地方で、名門とされるレックスマン家。先祖代々領主として広大な土地を有し、領民達に借用させた金で、財を築き上げてきた。
そのレックスマン家の、最大の秘密――。
遥か大昔に受けた、先祖の忌まわしい呪い。その詳細は時代の流れと共に、代々当主だけが受け継いできた。父、リオネス・ミルヴァ・レックスマンには、四人の息子がいる。長男、エドワードは、世界首脳都市のリオ大学で医者を目指している。次男、ケルヴィンは現在、スモック鉄道の機関士をしている。三男の僕、ヴァン・サリーは、神学校に在学中。そうして四男、ウォーズは、弱冠13歳にして、フラミンゴス教会の司祭試験に受かった、超エリートだ。
「――今日は僕がする」
森の奥を真っ直ぐに進んで、日の光を浴びる場所に、一本の大木がある。その木に同化しつつある、一つの物体。クシャクシャの老婆が眠ったまま、一寸も動かない。
“寓話の婦人”と呼ばれるそれが、生きているのか、死んでいるのか、それはレックスマン家の当主にしか知らされていない。僕達は末の息子で、次の当主はエドワード兄さんと決められているから、この風習の詳細も意味も知らない。
だが、これは呪いだ。
レックスマン家が代々苦しめられ続けた、呪縛。僕は左手のレザーを外した。
「ヴァン……」
隣から聞こえた弟の声には答えずに、僕はそれの前に立った。ベルトに挟んでいたナイフを取り出し、左の掌に、すぅっと切れ目を入れた。
「……っ」
「ヴァン!」
「大丈夫だ。……ほら、レックスマン家の『血』だ。これが欲しいんだろ?」
滴る鮮血をそれに注ぎ、搾り取るように掌を握り締める。大分深く切れ目を入れたせいで、滴る『血』はいつもより多かった。
「ヴァン、もう十分だろ」
顔を顰めながら、ウォーズは根本のそれを見下ろした。
「けど、コレ、最近乾き気味だろ? 乾燥させるのは良くないって、じいちゃんも言ってたし……」
僕はありのままの状況を告げた。
『血』を捧げても、何の変化も見られない。いつもそうだった。まるで砂漠に水を撒くような無意味な仕来りが、いつだって一族の心を蝕んできた。
「……コイツが乾いているのは元からだろ? コイツが生きてんのか死んでんのか分かんねーけど、世界が終わりを迎えようとしている今も尚、コイツに養分をやり続ける意味が分かんねーよ」
ウォーズのブツクサな物言いは昔からで、だけどそれが大方的を射ている。兄弟で一番賢明なのはエドワード兄さんだが、兄弟で一番聡明なのは、末弟のウォーズだ。
この世の不条理も、
レックスマン家の呪縛も、
本当は誰よりも真実が見えているに違いない。
そのくせ、彼のレザーの下には、僕以上の傷がある。
「それがレックスマン家の仕来りだろ……?」
僕はポケットから取り出したハンカチで止血しながら、それをじっと見つめた。
「ヴァンは親父や兄貴達から、コイツを押し付けられたんだぞ?」
「ウォーズ?」
その横顔に翳が落ちた。
「……それからオレも、結果としてヴァンに、何もかも押し付けることになっちまった」
ああ、と僕は目を細めた。
ウォーズは僕よりも先に神学校を卒業し、フラミンゴス教会の最年少司祭として、ミーフ地方の教会に勤めることが決定した。生まれ育った地を離れ、ジェノレープより遥か北の地で、この世界の上位である聖職者の地位を高めていく、一族の誇りだ。 僕は俯いたまま微笑んだ。
「父さんはずっとレックスマン家の仕来りを守ってきたし、エドワード兄さんやケルヴィン兄さんも、小さい頃からこの役目を担ってきた。お前だって、僕の分を補う為に、血管切れるまでコレに『血』を注いできただろ? 大丈夫だよ。これからは僕がレックスマン家の仕来りを守っていくから」
「仕来りじゃなくて、呪いだろ」
「……そうだな、呪いだな」
そう言ったところで、ぐらっと目の前が眩んだ。
「ヴァン! ほら、言わんこっちゃねーな」
ウォーズに支えられ、「大丈夫だ」と笑った。
「大丈夫じゃねーだろ! 結局、兄弟で一番ひ弱で、造血機能が著しく低いアンタが、その呪いを一身に受け継いじまった。……ヴァン、オレ、やっぱり――」
「ダメだ。お前は司祭にならないとダメだよ、ウォーズ。神学校で一番の成績はお前だ。信仰心だって、他の聖職者よりもずっと厚いだろう? それを認められて、晴れて最年少司祭になれるんだ。胸張ってくれよ、そうでないと、僕が惨めだろう?」
僕達は、同じロザリオを首から下げている。
三日月に、逆さ剣が刺さったロザリオ。
それが、フラミンゴス教会の信仰心の表れ。
「ヴァン、オレ……、オレな……」
何かを言いたそうにして、ウォーズが押し黙った。
「大丈夫だ。血ぃ増やす為に、エドワード兄さんのクソまずい造血剤飲むからさ。それから、レバーもほうれん草も、ちゃんと食べるよ」
僕は、ニッと笑った。それに安堵したのか、2歳下の弟ウォーズが、まだ幼さの残る微笑みを浮かべた。
「それからシジミもな!」
「お、おう……!」
シジミ好きだな、コイツ……。
僕は止血した左手を広げた。その瞬間、みるみる内に傷が塞がれていった。
これはレックスマン家特有の体質で、傷跡は残るものの、一滴たりとも『血』を無駄にしたくないと言う、“寓話の婦人”の呪いの代償でもあるように思えた。