第4話
「はあ、今日も何も言えなかった……」
店を出た陽介は、少し歩いたところで立ち止まり、今日も溜息をついていた。
本来の彼は、むしろ口数の多いタイプだ。小学校時代には、同じクラスの女の子――名前は確か遠木さん――から、何度も「ようすけ君、うるさい! 男のくせに、おしゃべり!」と注意されたほどだ。
その遠木さんは、一年生か二年生の途中くらいに転校して、いなくなってしまった。最初は「小言いうやつが消えて、せいせいする」と考えていたが……。
そう感じたのは最初だけ。逆に彼女の注意がないのを、寂しく思うようになった。胸にぽっかり穴が空いたような気持ちにもなり、ついつい遠木さんのことを考えてしまう。
そして中学に上がった頃、彼は自覚した。一人の女の子のことがずっと気になるのであれば、それは恋なのではないか、と。自分にとって遠木さんは初恋相手だったのではないか、と。
なまじ二度と会う機会もないからこそ、彼の心の中で遠木さんに対する気持ちは大きくなり……。
高校の英語の授業で「Absence makes the heart grow fonder」という英文を教わり、教師がつけた訳「会わねばなお増す恋心」を耳にした時も、陽介は「遠木さんのことだ!」と実感するくらいだった。
そんな陽介が、親元を離れて京都の大学へ進学。新生活の忙しさで、ようやく遠木さんへの想いも薄れてきた頃……。
同郷の――中学時代の――友人が、旅行で京都へ来るという。陽介と会うのがメインではないが、ついでに久しぶりに会おうという。
陽介としても異存はなく、その約束の日。
予定の時間までまだ少しあるので、ちょっとした暇つぶしのつもりで喫茶店に立ち寄った。
これから昔の友人と遊ぶ。そう思うと少し気が大きくなって、いつもは一人で入らないような、いかにも「街の喫茶店」という雰囲気の店に入ってみた。
しかし、そこで驚くべき事態に遭遇する。
注文を取りに来た女性店員の顔に、なんとなく見覚えがあり……。ふと胸の名札を見れば、そこに書かれていた名前は「遠木」。
ずっと会いたかった、あの遠木さんだったのだ!
しかし「ずっと会いたかった」は、あくまでも陽介個人の気持ちに過ぎない。遠木さんの方では違うだろうし、ならば慎重に声をかけるべき。いきなり「僕のこと、覚えていますか?」みたいなのは悪手……。
ついつい色々と考えてしまったせいで「ご注文は?」に対しても言葉が出ず、無言でメニューの一つを指さすだけ。
会計の際、レジで対応してくれたのも遠木さんだったけれど、やはり彼女の顔を見ると何も言えずじまいだった。
それでも「彼女も大学生だとしたら、喫茶店はバイトのはず。バイトならば、毎週決まった曜日だろうか」と考えて……。
水曜日の夕方になるたびに、陽介は彼女が働く喫茶店へ。そして「思った通り! 今日も遠木さんがいた!」と心の中で喝采をあげながらも、緊張で話しかけられずに店を出て「今日も何も言えなかった」と落胆。
そんな喫茶店通いを続けるのだった。
(「隅の沈黙」完)




