愛すべき偏屈頑固おばあちゃんへ
私が初めてあなたに会ったのは、たしか5歳の頃だったと思います。世間一般では目に入れても痛くないといって溺愛されがちな初孫に対するあなたの第一声は、たった二文字の「フン」でした。
私は衝撃を受けました。ここまで大人げない大人が実在しているという事実に愕然としたのです。自分で言うのもなんですが、私は誰にでも愛想よく振る舞うことに長けている八方美人でしたので、他人から可愛がられ、褒められることに慣れきっていました。たとえ子どもが苦手な大人でも、世間体を気にしてそれなりに取り繕った対応をするものでしょう。
両親とも私をあなたに会わせたがらなかった理由がよく分かりました。その後どういった会話をしたのか全く覚えていません。とにかく次にあなたに会ったのは、10年後。私が不登校になった15歳の時でした。きっかけは些細な、取るに足らない、ありふれたことでしたので、もうすっかり忘れてしまいました。
「フン。とりあえず田舎でのんびり過ごせばどうにかなるなんて本気で思っているのかねえ、馬鹿らしい」
あなたが「フン」以外の語彙を持ち合わせていることに安堵しました。そして何より、気を遣って腫れ物のように扱われないことにほっとしました。「居候なんだから飯くらい作りな」と言われて、料理をするのは私の仕事でした。口に出しはしませんでしたが、私はとても嬉しかったのです。あなたにとって、私は問題を抱えた可哀想な不登校児ではなく、ただの面倒な居候だったのですから。
あなたはしょっちゅう誰かと喧嘩をしていましたね。ゲートボールのお誘いにきた老人会の方や、地域をパトロールしている警察官、そして様子を見に来た両親と。私とは味付けについて何度も言い争いをしましたが「自分はまともに料理できないくせに」と今でも根に持っています。私が風邪をひいて寝込んだときに食べたあなたのお粥は……それはもう……酷い味で……。
あなたは、たったの一言も私に優しい言葉を掛けたりしませんでした。ドラマにありがちな感動的なやり取りなんて、あなたとは無縁ですからね。ただ、大人げなくて偏屈で頑固なあなたを見ていたら、こんなに無茶苦茶でも生きていけるんだと、急に気が楽になったのです。
社会人になり、一人暮らしを始めて三年目。両親から電話で、あなたが倒れたと聞いたときは、きっと何かの冗談だと思いました。毎年可愛い孫がわざわざ顔を見せに行っても、「フン」とそっけない態度をみせるあなたは、きっと何十年経ってもしぶとくピンピンしていると本気で信じていました。
「フン。こんなマズい病院食なんか食べられたもんじゃない。さっさと退院してやる」
この前お見舞いに行ったときだって、あなたは、そう憎まれ口を叩いていたじゃないですか……。
きっと向こうでも喧嘩ばかりしているのでしょうね。あなたの「フン」が聞けなくて、寂しく感じる日が訪れるなんて思いませんでした。きっとまだまだ先のことになりますが、またあなたに会えるのを楽しみに待っています。
あなたの可愛い初孫より、大好きなおばあちゃんへ。