有村渚の長い夜~仔犬を拾ったはずなのに~
Twitterでお題を募集して書いた短編です。
お題をくださったお三方はありがとうございます。
お題:【生まれたての仔犬】【栃尾の油揚げ】【氷菓】
初めに言っておくが、私、有村 渚は一人暮らしである。
ついでに会社員である。
もう一つついでに、住んでいるアパートはペット禁止である。
そんな私の膝の上に。
毛も生え揃っていない小さな仔犬が鎮座しているのだった。
「かわいい……」
事の起こりは数十分前に遡る。
いつものように仕事を終えて、馴染みの居酒屋で一杯ひっかけた私は、家までの道のりを上機嫌に歩いていた。
居酒屋に行ったら普段は見かけない珍しい銘柄が入荷しており、それがまた随分と美味かったのだ。
こういう時、ついつい料理を頼んで居ついてしまうのだが、今日はぐっと我慢。ささっとお店を出つつ、るんたったと足取り軽く家路についていた私は、公園沿いの道であるものを見つけた。
仔犬である。大きさを見るに、生まれてそれほど時間は経っていない。
親犬は?と辺りを見回すが、近くに犬の気配はしない。野良犬が産み落としてそのままどこかに行ってしまったのだろうか。
どうしよう。私は迷った。とても迷った。
産まれたての仔犬の世話をしたことなど、私にはない。しかしこんな小さな命を見捨てていくなど、私の良心が咎めて仕方ない。
それにこんなところに放置して行ったら、きっと早晩カラスにでも襲われて一巻の終わりだ。
でもでも、果たしてこのまま連れ帰ってもいいものかどうか。
そんな思考がぐるぐると頭の中を巡る。
だが最後は酒が入った勢い、まぁどうにかなるという楽観的思考が味方して、私は手持ちのタオルハンカチで仔犬を包むと、手に持って立ち上がった。
そして帰宅して今に至る。というわけなのである。
本当はペットショップに寄りたかったのだが、道中に無かったので仕方がない。明日どこかで寄り道しよう。
しかし明るいところで改めて見てみると、本当に小さく弱弱しい。目もまだ開いておらず、ぷるぷると震えるばかり。この様子ではきっと、カラスに襲われる前に低体温で命を落としていただろう。
体温。そうだ。仔犬のために温かい空間を用意しなくては。私はハンカチをそっとちゃぶ台の上に置き、慌てて立ち上がる。
手近な段ボールを箱に戻し、捨てられずにいたブランケットを敷き、冬に使って以来の湯たんぽに湯を注ぎ段ボールの中に設置。そうして仔犬をそっとブランケットの上に下ろす。
仔犬がもぞもぞと動き出したのを確認して、ようやく私は安堵の息をついた。その途端。
ぐぐぅぅぅ~。
腹の虫が主張してくる。そうそう、夕飯がまだだった。私は冷蔵庫を開けて、今日の楽しみを取り出す。
じゃじゃーん。栃尾名物の油揚げである。
何を隠そう、私は立派な酒飲みだ。会社帰りに一人で居酒屋で飲んじゃうくらいには。そんな私に栃尾の油揚げなんて、そそられないわけがない。
ちなみにこれは通販で取り寄せました。インターネット万歳。
私は油揚げを火にかけたフライパンに乗せると、じっくりと焼き目を付けていく。程よく表面がパリッとしたら、裏返して反対側も。
そうしていい色合いになり、香ばしい香りがしてきた油揚げを、包丁でカットし醤油をたらり、小ねぎとおろししょうがを乗せる。
「あぁ~、美味しそう……」
思わず声が漏れる。はやく食べつつ日本酒をキュッとやりたい。そんなおじさんみたいな思考が脳内を支配した。
しかしそこは女の子、しっかり野菜も取らねばなりません。冷蔵庫の中から酢漬けにしておいたキュウリとナスを取り出し、皿に盛り付ける。一切れつまんだが、いい漬かり具合だ。
さらに冷凍庫を開けて、タッパーを取り出す。中にはトマトジュースを調味して凍らせたものが、一杯に入っていた。フォークで表面を削ってガラスの器に盛る。フランス料理で、グラニテというらしい。
あとはご飯を……と言いたいところだが、炊いていないので今日は我慢。それに加えて。
「これこれ。やっぱりこれよねー」
再び冷蔵庫を開けて、取り出したるは日本酒の四合瓶。炭水化物分はこちらでカバーです。
もうすっかり呑兵衛の食卓だが、いいのです、自覚しています。
料理を盛った皿と箸、日本酒の瓶、愛用のぐい飲みをちゃぶ台に置いて、ニコニコ笑顔で手を合わせる。
「いっただっきまーす!」
箸でまず最初につまむのは、やっぱり栃尾の油揚げ。肉厚でふわっとしたそれを、ゆっくり口元に近づけて、はむっと頬張る。
「ん~~~っ!!」
感動のあまり、目が閉じられ顎が天を向いた。美味い。美味すぎる。
そのまま流れるようにぐい飲みに手を伸ばす。日本酒で満たしたそれを手に取り、ぐっと呷った。さすが、相性抜群です。
次いでトマトのグラニテに箸をつけた。口に含むと冷たさと共に、じんわりトマトの旨味が広がる。アルコールでぽうっと身体が火照るのを、冷たいグラニテが中和してくれた。
グラニテって初めて作ってみたけど、日本酒にも合うんだなぁ、と、変なところで感動した私である。
そうしてもう一度、日本酒に口を付けようか、とした矢先に。
ふと私は膝に重みを感じた。何かと思い下を向くと。
「!?えっちょっ、なんで!?」
驚愕した。何故か私の右膝の上に、あの仔犬がいるではないか。段ボールに入っていたはずなのに!
驚きながらも私は、段ボールへと仔犬を戻そうと仔犬に手を伸ばす。しかし焦ったせいか手元が狂ったか、ぐい飲みを持つ右手に左手がぶつかった。
揺れるぐい飲み。こぼれる日本酒。そして日本酒がこぼれた先は私の膝。つまりだ。
「あーっ!!」
私の必死の叫びもむなしく、仔犬はアルコールのシャワーを浴びる形となってしまった。
どうしよう。本当にどうしよう。動物にアルコールは毒である。生まれたての仔犬なら猶更よくない。
このまま死んでしまうのだろうか、私の不注意で?私が酒をぶっかけたせいで?
そんな恐怖で頭がいっぱいになった次の瞬間。目の前をもわわっと煙が覆った。同時に、膝の上がずしんと重たくなる。
「おっ」
そしてどこからか、明らかに私の出したものではない、低い声が聞こえた。
そして煙が晴れた時、私の視界に飛び込んできたのは。
「おう少女、すまんなこんな場所で」
作務衣を着込んで頭に手ぬぐいを巻いた、どう見ても犬神とかお稲荷様とかそういう類の、犬耳を生やした子供サイズのおっちゃんが、私の膝の上で胡坐をかいていたのだ。
「ヴぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁ!!??」
女子にあるまじき声が私の喉からほとばしった。いやもう、ほんと、ご近所さんすみません。
ぐい飲みを取り落とした私の手は、反射的におっちゃんの頭を払う形で動く。突き出された手をおっちゃんは膝から飛び降りる形でよけると、落とされたぐい飲みを拾って口を開いた。
「少女、落ち着け落ち着け……って、無理な話か。水でも持ってくるか?」
水。そうだ、水を一杯飲んでリセットしよう。きっと酔いが回ったんだ、そうに違いない。
私はおっちゃんを片手で制止すると、立ち上がってキッチンに向かった。グラスに水道から水を満たし、一気に飲む。目をつぶったままゴクリ、ゴクリ。
飲み終わり、グラスを置いた私がちゃぶ台の方に向き直ると。やはりおっちゃんはそこにいた。
駄目か、もう一杯。もう一度グラスを握った私に、おっちゃんが声をかけた。
「少女、ぐい飲みがもう一つあるなら、持ってきてくれるか」
ぐい飲み。ってまさかあのおっちゃん、飲む気なのか。いやまぁぐい飲みなら何個かあるんでいいんだけれど。
私は戸棚から適当なぐい飲みを取ると、ちゃぶ台のところで待つおっちゃんに渡した。にこりと笑ったおっちゃん、おもむろに四合瓶に手をかけると手酌で注いで、ぐいっと呷った。
「っぷはー!久しぶりの酒はやっぱ美味ェな!」
もうこれでもかってくらいに幸せそうな表情で、おっちゃんは言った。それを見て、私は何だかおかしく思ってしまった。居酒屋で一人飲みするどこかのサラリーマンを見ているようだ。
だが、そんな感情を脇に置いて、私は努めて冷静に口を開いた。
「それはそれとして、貴方、何者?なんですか?」
おっちゃんは私の問いかけを受けて、手酌するその手を止めた。ぐい飲みをちゃぶ台に置き、私の正面に向き直る。
「有り体に言えば、稲荷神ってやつだな。少女が通りがかって、俺を拾った公園の中に神社があるだろう。あそこのだ」
おっちゃんに言われて私は得心が行った。確かにあの公園には、小さいながらも鳥居と祠があって、お稲荷様が祀られている。つまりおっちゃんは、そこの神様ということなのか。
「近頃は神社に詣でてくる人間もとんと少なくてなぁ。あんまり腹が減ったもんで、賽銭片手に人間に化けて飯でも食いに行くかと思ったら、賽銭は入ってないし力は足りなくて変化が出来ないしでな。
生まれたての犬っころの姿になるのが精いっぱいで、さてどうしたもんかと道端でうずくまっていたら、少女がやって来たというわけだ」
膝をパンと叩いて、おっちゃんはからからと笑う。図らずも私は、お稲荷さんのピンチを救う形になったらしい。
しかしお稲荷さんもお腹がすくのか。人々から信仰されないと、神様ってそんなものなのかもしれないが、とにかくお腹が空いているなら食べなくてはならない。
「ちょっと待って、ください。箸を持ってきます」
私はおっちゃんに割り箸を渡すと、ちゃぶ台の上の料理をおっちゃんに勧めた。キッチンではお湯を沸かし、カップラーメンがスタンバイしている。
神様相手にカップラーメンを食べさせるのもあれな話だが、他に腹にたまりそうなものがストックしてなかったのだ。
「おっ、この分厚いの、厚揚げかと思ったら油揚げじゃねぇか!美味ェなー!」
栃尾の油揚げを食みながら、おっちゃん満面の笑みである。稲荷神であるゆえにか、油揚げはやはり好みらしい。
それにしても日本酒をグイッと飲みながら油揚げやら浅漬けやらをつまむその姿、ちっちゃくてケモ耳が生えていることを除けば、普通にそこらにいるサラリーマンと大差がない。
私はグラニテをちびちび食べてクールダウンしながら、疑問に思ったことを問いかけてみた。
「なんで、日本酒がかかったら、仔犬から変身したんですか?」
「ん?そりゃあれだ、神様ってやつは酒をもらうと力が満ちるからな。清めの酒ってやつよ」
なんとなく予想はしていた通りの答えだった。お神酒とかあるから、神様がお酒を好きなのは想像に難くない。持ち出したのが日本酒でよかった。
それからおっちゃんは、私にいろんな話をしてくれた。本当はもっと背が高いこと、たまに酒場にお賽銭片手に酒を飲みに行っていたこと、公園のカラスのつがいが話す噂話、などなど。
さっきも言っていたが、近頃は参拝する人も少なく、お賽銭の入りも少ないため、力を得るのに苦労しているらしい。「生きるか死ぬか」とも言っていたが、あながち誇張でもないのだろう。
「最近の人間は生き急いでいていけねぇ。少女も仕事をするのはいいが、たまには公園に顔でも出せよ。
りふれっしゅってやつは、人間やっていかねぇとな」
グラニテの器を持ったままの私に、軽く説教をしてきながら、おっちゃんは再び日本酒を呷った。
そうか、そういえば最近は仕事と家事と飲酒の連続で、ちゃんとリフレッシュできていなかったかもしれない。飲酒にしてもじっくり腰を据えて飲むことは出来なかったし。
これはチャンスかもしれない。私はぐっと身を乗り出した。
「それじゃお稲荷様、私、リフレッシュしたいので、飲むのに付き合ってもらえますか?」
「おっし、飲むか!日本酒の貯蔵は十分だろうな?」
おっちゃんも乗り気だ。これは飲みがいがある。ちなみに日本酒のボトルはまだまだあるので大丈夫だ。
私とおっちゃんのそれぞれのぐい飲みに日本酒を注ぐと、勢いよく宙に掲げた。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
私と稲荷神のおっちゃんの夜は、まだ始まったばかりだ。
~終~