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scene:9 双角鎧熊の奇襲

 兵士たちに取り囲まれた妖樹は激しく抵抗する。大きな枝を鞭のように使い兵士たちに打ち付ける。兵士たちは槍の柄を盾代わりにして身を守るが、立っていられず弾き飛ばされる。

 必死に喰らいつく兵士たちは役目を果たした。時間稼ぎが終わり、魔術士と見習いの準備が調ったのだ。

 フラヴィオが兵士たちに下がるように指示を出す。慌てて兵士たちが後退すると。

「見習い共、お前たちから攻撃しろ!」

 その声を聞いたリカルドは妖樹の瘤を目掛け【飛槍】を放った。同時にマルチェロとベニートが【風斬】、イヴァンが【流水刃】、そしてパトリックが【飛槍】を放った。パトリックが得意の【流水刃】ではなく【飛槍】を選択したのは、先程の攻撃で【飛槍】が妖樹にダメージを与えるのを見たからである。


 【風斬】と【流水刃】は太い枝で防がれ幹にダメージを与えられなかった。二本の【飛槍】は枝の防御を掻い潜り樹肝の瘤ではなかったが幹に突き立った。

 幹にダメージを受けた妖樹は激しく枝を振り回す。

 そこにフラヴィオが【嵐牙陣】を放つ。嵐で吹き飛ばされた木の葉のように風の刃が妖樹の幹を切り刻む。その中の一つが樹肝の瘤を切り裂いた。

 瘤から樹肝油が溢れ出すと妖樹が半狂乱となり暴れ始める。それを見たリカルドたちは少し距離を取ってから観察する。


 各自が準備でき次第、魔術を放つようフラヴィオが指示を出す。

 リカルドは暴れる妖樹に二回魔術を放った。防御を忘れたかのように暴れ回る妖樹にダメージを与え、二回目は樹肝の瘤に命中し樹肝油が溢れ出す量を増やす。

 他の見習いや魔術士も同じ数だけ魔術を放ち妖樹にダメージを与える。


 樹肝の瘤は硬く【飛槍】で開けられる穴は釘で突いたような小さなものだった。それでも穴からは樹肝油が零れ落ち着実にダメージを蓄積していく。

 そして、フラヴィオがもう一度【嵐牙陣】を放ち、瘤に深い傷を付ける。これが決定的なダメージとなった。


 暴れている妖樹の動きが段々緩慢となり動かなくなった。

 ヤコボが慎重に近付き剣を妖樹に突き刺した。それでも妖樹は動かない。

 兵士たちが一斉に勝利の雄叫びを上げた。


 皆の興奮が収まり負傷者の手当が始まった。兵士たちの中には骨折したり、裂傷を負っている者が数人居た。

 兵士の中には少しだけ治療の知識を持つ者が居たらしく折れた骨を元の位置に戻し添え木を当てて固定する。裂傷は傷口を洗い止血薬を塗った後、包帯のようなものを巻く、これが応急処置のようだ。

 ヤコボは応急処置をしてから治癒促進薬を取り出して負傷者に飲ませた。骨折だとすぐには治らないが完治までの時間が半分ほどに短縮される。


 負傷者は休み、他は妖樹の解体を始める。持ち運びできる大きさに切り、背負子しょいこに積んで運ぶようだ。運ぶ準備が終わると休憩する。

 一様に皆の顔が明るく、負傷者も例外では無かった。兵士たちはボーナス的な報酬が貰えるようで帰ったら祝杯を上げようと話し合っている。

 パトリックに話を聞くと参加した見習い魔術士も貰えるようなので嬉しくなった。リカルドはパトリックたちと一緒に車座になって報酬を貰った後、何に使うかを話していた。


 その時、全員の気が緩み周囲の警戒が甘くなっていた。

 樹々の奥から枝葉を掻き分けて近付く音が聞こえた時、致命的なほど対応が遅れた。


 突然、姿を現したのは巨大な熊だった。しかも全身を縮れた剛毛に覆われ、額に二本の短角がある双角鎧熊である。体長は三メートルほど、体重は五〇〇キロを超えているだろう。

 この熊が鎧熊と呼ばれているのは、縮れた剛毛が原因だった。この剛毛は鋼鉄の刃も跳ね返すほど強靭で鎧を纏っているかのようだと評価を得ている。


「戦闘準備!」

 ヤコボが大声を上げる。

 リカルドは慌てて立ち上がり、荷物から触媒が入っている木筒を取り出す。慌てていたせいか【溶炎弾】用の触媒を選んでしまった。

 双角鎧熊は四足で近付き兵士達を睨み付けながら大きく口を開けて威嚇する。全長は妖樹の方があるけれども分厚い筋肉と鎧のような剛毛を纏った巨大熊の方が迫力がある。

 兵士の一人が槍を突き出す。これを双角鎧熊が片手で払うと槍の柄が折れ弾き飛んだ。


「ガアアア───!」

 魂が凍りつくような熊の唸り声が耳を叩く。

 リカルドが周りの様子を見ると見習いたちは身体が麻痺したように動きを止めている。

 魔術士フラヴィオだけが反撃しようとロッドを構え魔術の準備をしていた。フラヴィオが【嵐牙陣】を放つ。妖樹を切り刻んだ風の刃が巨大熊の鎧のような毛皮に当たり十数本の毛を刈り浅い傷を負わせる。

 妖樹には絶大な威力を発揮した魔術だったが、双角鎧熊には通用しないようだ。


 それでも痛みを感じた巨大熊はフラヴィオに目を向け後ろ足だけで立ち上がり怒りの咆哮を上げた。

 巨大熊が掲げた前足には鋭い爪が伸びており、それで一撃されれば人間など一溜まりもない。

 今にも巨大熊がフラヴィオを襲おうとしている。

 リカルドは焦りながらも魔力を放出し【溶炎弾】の触媒を撒く。魔力の周りに触媒が渦を巻くのを確認してから、呪文を詠唱する。

 リカルドが河原で試した【溶炎弾】の魔術である。震え出しそうになるのを必死で堪え呪文を唱える。


ファナ(火よ)ガヌバドル(マグマとなって)スペロゴーマ(弾け飛べ)


 オレンジ色に輝くマグマの玉が生まれ、巨大熊を目掛け弾け飛んだ。溶炎弾は巨大熊の胸に命中し毛皮を焼き尽くし爆発した。

 爆風はリカルドが立っている場所まで達し、リカルドの服をはためかせる。

 巨大熊の口から血が吐き出された。かなりのダメージを与えたようだ。


「グォオオオ───ッ」

 苦しげな声で吠える巨大熊が血走った目でリカルドを睨む。死を意識したリカルドはかえって冷静になった。残っている【溶炎弾】の触媒を取り出し魔術を準備する。

 巨大熊が地を蹴るとリカルドに襲い掛かり、太い腕で薙ぎ払う。リカルドは地面に身を投げ出し辛うじて避けた。少しでも離れようとゴロゴロと転がり必死で立ち上がる。


 その時、兵士の誰かが矢を放った。矢は巨大熊の頬に当たり、一瞬だがリカルドから巨大熊の視線が外れる。

 巨大熊は弓を持つ兵士に向かって吠えた。

 その間にリカルドは魔術を準備する。巨大熊の注意がリカルドに戻った時、もう一度フラヴィオが魔術を放った。風の刃は溶炎弾が焼いた胸に命中しダメージを与える。

 またも巨大熊が苦しげな声で吠える。


 リカルドが【溶炎弾】を巨大熊の胸目掛けて放った。巨大熊は意外な行動を取る。胸を攻撃されるのを嫌い、背中を見せ逃げ出したのだ。

 溶炎弾は背中に命中しダメージを与えた。だが、双角鎧熊は振り返らず山の奥へと消えた。


 フラヴィオは恐怖で痺れた筋肉をほぐそうと身震いしてから、リカルドの方へ視線を向けた。

 アレッサンドロの弟子である少年が放った魔術は、【炎翔弾】に似ていたが違うものだと気付いた。新しい魔術かもしれないと考えるとアレッサンドロの顔が脳裏に浮かぶ。子爵の息子たちの教育と言いながら、のんびり過ごしているだけの男だと思っていたのに……騙されたという感情が心に広がった。

 フラヴィオはアレッサンドロが新しい魔術を開発し弟子に教えたと勘違いした。


 リカルドは巨大熊が逃げた辺りを見詰めていたが、戻って来ないと確信すると安堵しペタッと地面に座り込んだ。

「ふうっ、助かった」

 兵士たちを含め全員がホッとした。パトリックがリカルドの傍らに歩み寄り肩を叩いた。

「ありがとう。助かった」

 フラヴィオも近付いて来た。鋭い目でリカルドを見詰め。

「今使った魔術は……いや、いい」

 魔術士はプライドが高い。魔術士が見習いが使った魔術について詮索するのは沽券に関わると思い、尋ねるのを躊躇い止めたようだ。


 【溶炎弾】の魔術を使ったので、山のあちこちで煙が上がっている。マグマが巨大熊に命中し飛び散ったものが落ち葉を焼き煙を出しているのだ。

 見習いたちがフラヴィオの指示で水を出し火種を消して回っている。やはり山中で【火】の魔術を使うのはリスクがあるようだ。


 妖樹狩りの一行は急いで山を下りた。双角鎧熊が戻ってくるのを恐れ、ヤコボが急がせた。

 途中一泊し、街に戻った頃には夕方になったいた。

 城でも妖樹狩りの結果を心配していたようで、リカルドたちが妖樹の素材を持って帰ると歓迎してくれた。

 城の食堂で夕食が用意され、大人にはワインが出された。メニューは小麦から作った白いパンとスープ、それに猪肉のステーキである。

 スープからはブイヨンの味がし、ステーキには胡椒のようなもので味付けがされていた。この世界に来て初めてちゃんとした料理を食べた気がする。

 

 アレッサンドロの屋敷で食事を用意してくれるオルタさんには悪いが、調味料が塩だけというのは飽きてくる。そんな食事で太れるマッシモはある意味凄いと思う。

 食事が終わり子爵家の執事らしい男性から、子爵が感謝していると伝えられ、用意してあった報奨金が配られた。リカルドも銀貨八枚を受け取った。

 命懸けの仕事にしては安いような気がするが、見習い魔術士としては相場通りなのだろう。

 前衛で頑張ってくれた兵士たちが金貨一枚で喜んでいるのを見ると仕方ないと思えてくる。


 暗い夜道を歩き屋敷に戻ると珍しくアレッサンドロが帰っていた。

「只今、戻りました」

 アレッサンドロはリカルドの顔を見るなり。

「妖樹エルビルを無事に狩れたんだろうな?」

 弟子の無事を確かめるより先に狩りが成功したかどうかを尋ねた。

「はい、フラヴィオ殿が最後に仕留めてくれました」

 それを聞いたアレッサンドロが渋い顔をする。フラヴィオが活躍すれば相対的に自分の評価が下がるからだろう。

「奴はどんな魔術で仕留めたんだ?」

「【嵐牙陣】です」

「奴の得意技だな。中級下位の魔術だが威力がある」

 アレッサンドロの顔を覗くと悔しさが滲み出ている。そんな顔をするのなら自分も参加すれば良かったのだ。


 静かな夜だった。マッシモは既に寝ており、居間にはアレッサンドロとリカルドの二人だけ。アレッサンドロは真面目な顔でリカルドを見ると。

「リカルド、お前は妖樹狩りのために実戦を中心に勉強してきたはずだ。だが、お前は魔術を習い始めたばかり、この時期は魔術の基礎をじっくりと勉強すべきだ」

 もっともな意見である。

「何を勉強すればいいでしょう?」

「三冊の教本『魔術の基本概念』『魔術における触媒論』『魔術言語の基礎』を理解するまで何度も読むのだ。分かったな」

 そう言われてリカルドは頷いた。だが、三冊の教本については十分に理解しているので、どうしたものかと悩んでしまう。

「それから、お前が居ない間に下男を一人雇った。掃除や雑用はしなくていいぞ」

 話を聞くと近くに住む十二歳の少年を雇い、働き始めているそうだ。名前はピエトロで家が近いので毎日通うらしい。


 屋根裏部屋に行き寝台に横になると疲れていたのか、すぐに寝てしまった。

 翌朝、朝起きると身支度を終え、今日からどうするかを考えた。

「教本以外の本も読んでみたいな」

 書斎の主のようなマッシモが居なければ勝手に本を持ち出して読むのだが、アレッサンドロから教本三冊を勉強させろと言われているらしく、朝一番で書斎に行ったら他の本の持ち出しを禁じられた。


 仕方なく教本三冊を持ち出し最初から読み始める。読み返してみて二つだけ気付いた点があった。

 一つは触媒の役割が最初の認識と違っていた。

 最初、触媒の役割とは系統別の力を加えているのだと考えていた。だが、力が加わるのではなく魔力に方向性を与えるだけなのだ。この触媒の効果を『属性励起』と呼ぶ。


 極論を言うと触媒がなくとも魔術は使えるようなのだ。但し、それには強力で繊細な魔力制御が必要である。何故、魔術士が触媒を使うのかというと、属性励起を起こすだけの強力で繊細な魔力制御を持たない魔術士が、属性励起を成功させるのに必要だからである。


 触媒は高価である。多額の金銭を使い触媒を使うより、魔力制御の訓練をして触媒無しで魔術を使えるようになった方が得なはずだ。

 リカルドは何故魔術士は魔力制御を極めようとしないのかと疑問に思った。

 魔力制御を極めようとする魔術士は存在するはずである。不勉強なので、その存在を知らずにいるけれど、そういう魔術士は一流の術者として有名になっているに違いない。

 実際は魔力制御を極めようとする魔術士は少なかった。触媒を使わずに魔力制御だけで魔力を属性励起させるには強力な精神力と集中力が必要で、触媒を使った場合より何倍も時間が掛る。

 魔力制御だけによる魔術は実戦向きではないと言われていた。


 実戦向きでないことに気付かず、魔力制御による魔術に挑戦してみようと決意した。ある意味、愚かな決断だった。

「少しだけ挑戦してみるか。どうせ基本となる魔力制御については訓練しなければと考えていたのだから」


 もう一つ気付いた点は、呪文の詠唱についてである。声を出し呪文を唱えなければ駄目だと思っていたが、声を出さずに心の中で唱えても大丈夫らしい。

 ただ、『無声詠唱』は慣れが必要で一つの魔術を習得するのに二倍の時間が掛かると言われている。

 それに魔術士は兵士などと組んで仕事をする機会が多く、兵士達から『無声詠唱』は嫌われるらしい。いきなり魔術を放たれると退避する時間が取れず、巻き添えを食うのが怖いそうだ。


 リカルドは魔力制御の訓練を一番に始めた。訓練方法は右の掌から左の掌に魔力を移動させる訓練法を改良しいろいろな場所から魔力を放出し吸収する訓練を始める。

 最初は左の掌から右の掌へ魔力を移動させる。これは簡単に成功した。次は右の肘から左の肘に魔力を移動させようとしてみた。

 これは少し梃子摺ったが、半日ほどで成功する。このような修業を続け二ヶ月ほどで、身体のあらゆる部分から魔力を放出し吸収できるようになった。


 この訓練を始めて、すぐに魔力不足で悩まされることになった。魔力の放出ができても吸収が駄目という場合が多かったからだ。

 そんな時は、プローブ瞑想をすると魔力が回復するので、日に何度も瞑想した。意識を精神構造体の奥へと進め、力の源らしい存在に近付こうとする。

 その力の源を『源泉門』と名付けた。何故『門』としたのかは自分でも判らない。ポンと頭に浮かんだのだ。

 この『源泉門』は『恩恵選び』において六番目を選んだ際に生まれたものだった。

 とにかく、意識を源泉門に近付けると体力が回復し魔力が溢れ出すのを感じたリカルドは、瞑想をした状態で魔力制御ができないか試行錯誤する。


 二ヶ月後、源泉門から七歩ほど離れた位置からなら、瞑想を続けた状態で魔力制御を行えるようになった。もちろん『源泉門から七歩』というのは精神内部でのことなので七歩ほど離れているような感じがするという程度の印象である。

 瞑想状態の時は源泉門から力が流れ込んでくるので無限に魔力を使えるのではと思ったが、流れ込む力の量は源泉門からの距離に反比例するようで、七歩ほど離れた位置だと初級の魔術が連続で使える程度のようだ。

 源泉門から流れ込む力は魔力とは少し違うようだ。身体を通過する過程で魔力に変換されるようで、リカルドの内部に変換機能が備わっているように感じた。


 魔力制御の技術は大幅に進歩し、身体のどこからでも魔力を放出したり吸収したりできるようになった。それだけではなく、一旦放出した魔力を空中で円や三角、四角などを描かせてから身体に戻すことも可能になっていた。

 普通の魔術士なら一日一回、多くても二回しか魔力制御の訓練は行えない。尽きた魔力が回復するまで相当な時間が必要だからだ。

 その点、リカルドは時間がある限り無制限に行える。普通なら何年、何十年も訓練しなければ身に付かない高度な魔力制御を短期間に身に付けられた。


 リカルドは触媒無しで魔術が使えるかどうかを試すことにした。

 街の東側を流れる川へ行き河原で最も初歩的な魔術【着火】を触媒なしで発動しようと試みる。魔力を放出し呪文を唱える。

 だが、的にした枯れ枝には火が着かなかった。よく考えてみると触媒が魔力にどういう作用を及ぼしているかを知らない。

 リカルドは安い炭を使って【着火】を発動し、魔力がどう変化するか観察しようと考えた。神経を研ぎすませた状態で魔力を放出し触媒を振り撒く。

 最初、僅かな変化を捉えたがよく判らなかった。それでも何回か試す間に、魔力が規則正しい振動数と波長で振動し始め赤みを帯びたように感じた。


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