scene:83 新たな魔術
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リカルドたちが従業員の増員を考えている頃、スラム街の外縁部にあるボロボロの小屋では、八人の子供たちが生活していた。
「ゴホッゴホ……ミコル兄ちゃん、腹減った」
力のない声で六歳になったばかりのパヴァンが訴えた。風邪でも引いたのか咳をしている。
最近、農園の仕事に呼ばれなくなった子供たちは飢えていた。以前までは、雑草取りなどの農園の仕事を手伝い、食料を分けてもらっていたのだが、最近は新しくスラムに流れてきた大人たちが農園の仕事を引き受けるので、ミコルたち子供には声が掛からなくなっている。
その日も農園から雑草取りと畑を耕す日雇い仕事の募集があり、スラムで生活する大勢の人間が、その仕事に群がった。もちろん、ミコルたちも手を挙げた。
ミコルたちは群がる人の隙間を縫うようにして前に出て、仕事を取ろうとする。その時、スラムに流れてきたばかりの男が、後から来てミコルたちを押し退けた。
「どけ、ガキ共が邪魔なんだよ」
パヴァンが押されて尻餅をついた。ミコルはパヴァンを助け起こし、押し倒した男を睨む。
「何だ、その眼は。生意気な」
男はミコルを突き飛ばした。
結局、ミコルたちは仕事を貰えなかった。
「仕方ない。海に行くぞ」
他の子供たちが嫌な顔をする。
「海なの……寒くなってるのに」
ミコルより一歳下の少女クリスタが愚痴るように言う。季節は秋、風が冷たくなる季節だ。
ミコルたちは海に向かってとぼとぼと歩いていく。まばらに灌木が生えている荒れ地を、ちょっと冷たくなった風に吹かれながら歩くと、心の中まで冷えてくるような気がする。
大きな建物が見えてきた。ユニウス飼育場だ。ミコルの先輩であるダリオたちが働いている場所である。
少し前まではバカラ漁と塩干しバカラ作りで賑わっていた海岸も、バカラの群れが去り元の寂しい海岸へと戻っている。
ミコルたちも塩干しバカラ作りを手伝いをして食料を貰ったが、その食料も無くなっていた。
砂浜に行ったミコルたちは貝採りを始めた。釣り道具も持っていないので、貝などを採るしかないのだ。
潮が満ち引きする砂浜を掘り、しばらく貝採りを続けた。パヴァンも咳をしながら貝採りに参加している。
パヴァンが立ち上がろうとして、立ちくらみを起こしたようにバタンと倒れた。
「おい、パヴァン。どうしたんだ」
ミコルが駆け寄り抱き起こす。パヴァンの身体が異常に熱かった。
「どうしたの。病気?」
クリスタが心配そうに声を上げる。
「……ど、どうしたら……」
ミコルはぐったりしたパヴァンの身体を抱えて、どうすればいいのか分からずオロオロとしている。
「アントニオ様に助けてもらおう」
クリスタが提案した。塩干しバカラ作りを手伝った時に、アントニオから優しく声を掛けてもらったことがあったのを思い出したのだ。
ミコルたちはパヴァンを抱えて飼育場へ走った。
飼育場の門には小さな鐘が吊るされており、用が有る者は鐘を鳴らすことになっている。
クリスタは思いっ切り鐘を鳴らした。
しばらくすると門の覗き穴から眼が見え。
「何だ、ミコルじゃないか。どうしたんだ?」
ダリオがミコルの姿を見て尋ねた。
「パヴァンが倒れたんです。助けてください」
ダリオは門を開け、子供たちを中に入れた。
「エリク、アントニオ様を呼んできてくれ」
頼まれたエリクは、第四区画の飼育場の方へ走って行った。
ダリオは作業小屋へミコルたちを連れていく。ここにはミケーラが居る。
「ミケーラさん、子供の具合が悪いんです」
タオル生地を織っていたミケーラは、ぐったりしたパヴァンを見て。
「濡れているじゃないか。服を脱がせなさい」
ダリオはパヴァンの服を脱がし、濡れている身体をタオルで拭く。このタオルはタオル生地の生産が始まった時に、一人一枚ずつリカルドが配ったものだ。
皆大切に使っている。
「毛布を持ってきて温めるんだ」
「予備の毛布を持ってくる」
ジェシカが走って毛布を持ってきた。ミケーラはパヴァンを毛布で包み床に横たえる。その時、アントニオが来てパヴァンの容体を確認した。
「ここでは容体が悪くなる。雑用小屋の寝台を使え」
雑用小屋は、元々リカルドの仕事部屋として建てられたのだが、今はアントニオの仕事部屋になっていた。寝台も一つ用意され、飼育場に泊まる時はその寝台で寝ている。
アントニオはパヴァンを布団の上に寝かせ、掌で熱を測った。
「熱が高いな。風邪か、リカルドは風邪の時には、解熱剤を飲ませ頭を冷やせと言っていたな」
パヴァンは苦しそうに呼吸をしている。
アントニオはリカルドが用意しておいた解熱剤をパヴァンに飲ませ、濡れた手拭いを頭に乗せた。
少ししてパヴァンの呼吸が穏やかになり、交代で看病することにしてダリオだけを残し、作業小屋に戻った。
アントニオはミコルたちを見て眉をひそめる。痩けた頬や細い手足が痛々しい。
「ミケーラさん、この子たちに何か食べ物を用意してくれないか」
「はいよ、誰か手伝っておくれ」
女の子たちがミケーラと一緒に炊事場に向かう。
「エリク、この子たちはスラム街の孤児なのか?」
「そうです」
アントニオはスラムの子供たちから事情を聞き、子供たちの現状を知った。知ったからには見過ごすことができないのがアントニオの性格だった。
スラム街には数百人の人間が住んでいる。ここに居る八人だけを助けても、スラムの現状はほとんど変わらない。だが、この子供たちを助けることが無駄だと、アントニオは思わなかった。
「女の子が三人、男の子が五人か……ミコルがリーダーなのか?」
ミコルはアントニオを見て。
「一番歳上だってだけだよ」
「お前ら、ここで働く気があるか?」
ミコルがびっくりしたような顔をする。
「ここで雇ってくれるの……俺たち、難しいことはできないし、あんまり力もないよ」
「知っている。真面目に働くなら、少しずつ仕事を教えてやる」
「お、お願いします」
ミコルが礼を言うと、他の子供たちも仕事を貰えるのだと理解したらしく、口々に礼を言う。
ミケーラたちが食事を持ってくる。子供たちの視線がミケーラの方へ集中した。
「さあ、食事を用意したから、食べなさい」
アントニオが言うと、ミケーラたちが用意した麦雑炊に群がった。子供たちが涙を流しながら、麦雑炊を食べている姿を見て、アントニオはユニウス村で生活していた頃の自分たち一家を思い出す。
あの頃の家族は貧しかったが、餓死するほどではなかった。
その夜、家に帰ったアントニオは、ミコルたちのことをリカルドに伝える。
「飼育場のことは兄さんの判断に任せるよ。でも、かえって仕事が増えたんじゃない。子供たちの世話をする人間が必要になるだろ」
「そうかもしれない。誰か信用できる人が居ないかな」
「そうだね。ベルナルドさんにお願いしてみるよ」
翌日、魔術士協会へ行く途中にベルナルドの店に寄り、信用できる人材は居ないか尋ねた。
「そうですなあ……私も飼育場に新しい労働力が欲しいと思っていたところなのですよ」
「そうですか。ベルナルドさんの所も飼育する妖樹を増やしていますから、ユニウス飼育場と一緒なんですね」
「ええ、そこで近隣の村を回って若者を集めようかと思っていたのです」
「王都で募集はしないんですか?」
「王都の若者は、農園や飼育場の仕事などを嫌う傾向がありまして、優秀な人材が集まらないと思います」
「だから近隣の村を廻るんですね。ユニウス飼育場でもそうするかな」
「ならば、一緒に近隣の村を廻りましょうか?」
リカルドにとって嬉しい申し出だった。リカルドは参加したいとベルナルドに言ったが、正式な返事はアントニオと相談してからにしたいと伝えた。
「ええ、構いませんよ。募集の旅に出るのは、五日後ですから」
リカルドはベルナルドに礼を言って店を出ると、魔術士協会へ向かう。
魔術士協会の研究室に入り椅子に座ったリカルドは、何をしようかと考える。
論文については、この前発表したばかりなので次の論文を急いで仕上げる必要はなくなっていた。魔力炉の開発もガロファロ工房が試作品を完成するまでストップしている。
ちなみにストーブ型の魔力炉は、北海道に行った時に見た薪ストーブを参考にして設計している。外見は長方形の鉄板を組み合わせた箱型で、前面に扉があるものだ。
「こういう時は、ぽやぽやしながらゆったりとした時間を過ごすのもいいかもしれないな」
リカルドは椅子に座り窓から外を眺めながら、三時間ほどぽやぽやしていた。こういう時、リカルドは幸せだと感じる。
「秋の日差しが気持ちいいな」
その幸せな時間は、不意に魔境で発見した魔術単語を思い出し途切れた。一旦思い出すと魔術単語のことが頭から離れなくなる。
魔境の円柱に刻まれていた魔術単語は、オプトル文字で書かれていた。その横には因子文字で説明文のようなものが刻まれていて、それさえ解読できれば使えるようになる。
それを書き写した魔術ノートをペンダント型収納紫晶から取り出し、賢者マヌエルの『魔術大系』に載っていなかった二〇の魔術単語を調べ始めた。
調べる方法は、因子文字を解読するしかない。説明文に使われている因子文字がブラックプレートに記載されていないか調べることから始める。
二〇の魔術単語の中の十三は、有用だが平凡なものだと判明。残り七つの内、判明したのは三つ。その三つは特別なものだった。
一つは【火】と【地】の複合魔術の系統詞『アムヴァル』で、【雷渦鋼弾】の系統詞を『アムヴァル』に変えれば威力が上がりそうである。
もう一つは全く新しい系統詞で『ヴァゼフィシュ』である。どうやら空間を司る【空】の系統詞らしく、使い方次第では大きな力になると思えるのだが、触媒に何を使えばいいのか分からない。
そして、最後の一つは『セリヴァトール』である。おそらく【空】専用の魔術単語らしい。
不明のまま残った四つの魔術単語は、ブラックプレートにも解読のヒントが無かったものだ。正確に言うとリカルドが探し当てたデータの中には無かったというべきだろう。
ブラックプレートは電子書籍リーダーのような機能を持っており、中のファイルというかデータは階層構造になっている。
上の階層にあるデータは読めるのだが、下の階層になるほど読めないデータが出てくる。どうやら何かの資格が必要で、リカルドには必要な資格がないらしい。
リカルドは判明した魔術単語を使い、新しい魔術を考案した。
一つ目は【雷渦鋼弾】の改良版である【真雷渦鋼弾】だ。系統詞を『アムリル』から『アムヴァル』に変え試してみた。
だが、単に系統詞を変えただけでは完成したとは言えない。投入する魔力量はどれくらいが適切か調べ上げ、使う触媒の割合はどうするかという研究が必要だった。
【雷渦鋼弾】では【地】の触媒格六級が七割、【火】の触媒格五級が三割の混合触媒がベストだったのだが、【真雷渦鋼弾】は違うようである。
リカルドは大量の触媒を買い込み、地道に調べ上げた。
完成した【真雷渦鋼弾】は、【雷渦鋼弾】とは別物と言っていいほどの威力を持つ魔術となる。
「【雷渦鋼弾】はパトリックとタニアに教えたけど、今度の魔術はどうするかな」
ぽやぽや派の仲間なので教えてもいいとリカルドは思ったのだが、【真雷渦鋼弾】が上級魔術に相当する魔術なので躊躇した。
教えるのが惜しくなったというわけではない。上級魔術を使うには高価な触媒や高級な魔成ロッドが必要であり、パトリックとタニアが用意できるか心配になったのだ。
リカルドが今回開発したのは【真雷渦鋼弾】だけではなかった。
新しい魔術を開発しようと考えたのは、炎滅タートルから逃げ帰った経験から、熱に耐性があり防御力の高い魔獣を倒せる魔術が必要だと思ったからで、【火】と【地】の複合魔術である【真雷渦鋼弾】では倒せない可能性がある。
そこで【空】の系統詞『ヴァゼフィシュ』を使った魔術を開発できないかと研究した。
呪文は『ヴァゼフィシュ』と『セリヴァトール』を組み合わせようと考えている。問題は触媒だ。どんな触媒を使えばいいのか全く分からなかった。
そこで手に入れられる全種類の触媒を集め試す。
デスオプロッドに魔力を流し込み【火】の触媒を撒き、呪文を唱える。
「ヴァゼフィシュ・セリヴァトール」
赤く属性励起した魔力は呪文に何の反応も示さなかった。
次に【地】の触媒で試したが駄目。【水】【風】【命】の触媒で励起した魔力も何の反応も示さず、リカルドはがっくりと肩を落とす。
残る触媒は【召喚】の触媒だが、この触媒は規制されていて手に入らなかった。確かめる方法は一つしかない。
触媒無しで属性励起を起こし、その魔力を使い魔術を実行するのだ。
【召喚】は黄色に属性励起された魔力を使う。
属性色ロッドや魔彩功銃を作る過程で、触媒なしに属性励起する機会が多くなり、リカルドの魔力制御は進歩していた。
何回か失敗したが、次の挑戦で黄色く属性励起した魔力を作り出すことに成功した。その魔力を使い呪文を試してみた。
「駄目か。全然反応しない。残っているのは黒く属性励起した魔力か」
触媒の正体である玄子を遠ざける作用を持つ黒い魔力は、正体が判っていなかった。リカルドは黒く属性励起した魔力を作り出し、呪文を唱える。
「ヴァゼフィシュ・セリヴァトール」
黒い魔力がロッドの先端から飛び出し、黒い塊となり空中で唸るような音を発し始めた。試しに行っているだけなので、リカルドが放出した黒い魔力は少量である。
不完全な魔術は途中で力を失い、研究室の床にポトリと落ちた。板張りの床に落ちた黒い塊は床に当たった瞬間、ヴォンという爆発音を発し床を破壊して消えた。
「しまった!」
破壊した床は小麦粉のような粉となり、空中に舞い上がる。目を凝らして見ると床に一〇センチほどの穴が空いていた。
リカルドは背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
リカルドが放出した魔力は、初級下位魔術に相当する少ない魔力量だったはずだ。それに加え不完全な魔術詠唱だったのに、床に穴を開ける威力。
【空】の魔術は、他の魔術系統とは掛け離れた威力があるようだ。




