scene:69 夏の始まり
王太子が去った王都では、初夏から本格的な夏になろうとしていた。
道を行き交う王都民は薄着になり、顔に汗を浮かべて歩いている。
王都のあちこちで、家の修理や建て直しを行っている槌音が響き、魔獣により破壊された家々が徐々に元の姿を取り戻そうとしている。
マカードの木工工房が在った場所では、近所の主婦たちにより中華まんの販売が続けられていた。だが、季節は夏になり中華まんの売れ行きも落ちている。
販売店の手伝いをしている主婦たちは、一人だけ店に残しユニウス家に集まっていた。
ジュリアがダイニングルームに集まっている商売仲間の主婦たちを見回し。
「やはり、リカルドの言う通りチューカマンだけじゃ夏は駄目なようね」
他の主婦たちが頷く。
「そこで夏に売る商品を考えようと思うんだけど、誰かアイデアのある人はいるかしら」
ベアータが口を開き。
「冷蔵収納碧晶で冷やした水を売ったら、どうかなと思うんだけど」
「いいわね……でも、水だから高くは売れないよ」
主婦の一人が賛成しながらも問題点を指摘する。
「そういえば、リカルドが氷を作る収納紫晶を作ったのよ。何かに利用できない?」
ジュリアが冷凍収納紫晶のことを説明した。
「氷か、水に氷を浮かべて売るのはどう?」
ベアータが提案し、主婦たちは賛成した。
「水が売れるんだったら、この時期に採れる果物を絞ってジュースにしたものも売れるんじゃない」
「いいわね」
「ねえ、リカルド君に意見を訊いた方がいいんじゃない」
主婦の一人が言い出した。
ジュリアは、セルジュたちと外で遊んでいるリカルドを呼んだ。今日は魔術士協会へは行かず、部屋で冷蔵収納紫晶を作製していたのだが、セルジュたちに一緒に外で遊ぼうと連れ出されたのだ。
リカルドがダイニングルームに入ってくると、主婦たちが期待するような視線を送る。
「リカルドは、暑い夏に何が食べたい?」
「そうですね……冷やし中華かな」
「何なの、それ?」
この世界には、小麦粉を使ったパスタと同じものは存在したが、中華麺は存在しなかった。かん水を麺作りに利用することに気付いた者がいなかったようだ。
リカルドが冷やし中華について説明すると、主婦たちがふむふむと頷いている。
「要するに、冷たい麺に冷たいタレを掛け、その上にいろんなものを乗せた料理なのね」
主婦たちがガヤガヤと話し始め。
「チューカメンの作り方は分からないから、パスタを使って作ってみましょうよ」
「いや、それだと冷製パスタになるんだけど……」
「……冷製パスタ……それでもいいんじゃない」
リカルドとしては、冷やし中華がいいんだが、そう思っていると中華麺なら作れるかもしれないとアイデアが閃いた。
中華麺に使われるかん水は、ガラス作りに使われるソーダ灰と同じものだったはずだ。この辺の記憶はうろ覚えで正確には思い出せない。
しかし、かん水の成分とソーダ灰が同じだと聞いて、へえーと感心した記憶がある。
後でソーダ灰を探し出し、中華麺を作ってみようと決意した。
「ねえねえ、他に食べたいものとかないの?」
ベアータが訊く。
「そうですね。この季節だと……かき氷かな」
「それは、どんなもの?」
「氷を雪のように削って、それに甘いシロップを掛けて食べるんです」
「氷はどうやって削るの?」
「専用の機械が必要なんです」
主婦達の中には、旦那が金属製の道具を作る職人がいたので、その旦那に手動かき氷器の製作を頼んだらどうだという話にまで発展した。
手動かき氷器が完成した後、かき氷を作って試食。
「冷たくて、美味しい」
「このジュクレの実を使ったシロップは、絶品よ」
主婦たちが盛り上がっている。
因みに冷製パスタと冷やし中華も試作し味見した。主婦たちは商売になると絶賛したが、中華まん販売店の設備では販売することが難しいと判った。
建設中の店が完成するのを待たなければならないようだ。
結局、氷を浮かべた水や冷たいジュース、それにかき氷を販売することとなり、これが王都民の間で大評判となった。
特にかき氷は、貴族たちも食べに来るほどである。更には王家の馬車が店の近くに停められ、注文が来るようになると通行の邪魔になった。
邪魔なのだが、王家の馬車である。文句を言えるような者はおらず、困ったジュリアたちと守備隊の人たちとが話し合い、近くの広場に馬車を停めてもらい、かき氷をそこまで出前することになった。
ちなみに王家の馬車に乗っているのが、誰なのか部外者には知らされず、ガイウス王太子の弟王子たちではないかと噂が流れた。その噂は半分だけ正解だった。時折、アルチバルド王と側室たちが来ていた時もあったからだ。
グレタもかき氷を気に入り、リカルドを誘って行くようになる。
木製の深皿に削られた氷が山盛りとなり、黄色のシロップが掛けられたかき氷を木製のスプーンで掬って口に運ぶグレタは、幸せそうだった。
「リカルド様は、教えることがお上手ですよね」
元教師であるリカルドとしては、そう言ってもらえるのは嬉しい。だけど、比べる相手が魔術士だとどうなんだろうと思ってしまう。
同僚や伯父であるアレッサンドロを思い出すと、本当に教える気があるのかと疑いたくなるような者たちばかりだったからだ。
魔術士たちは秘密主義に陥り、後継者を育てることに努力を払っていない。そのせいで、賢者マヌエルの時代から魔術が発展していないように思える。
「グレタは、初級魔術のほとんどを使えるようになったんだろ。自分がどの系統の魔術が得意か判ったんじゃない」
「私は【風】と【水】の魔術が得意なようです」
「そうか……だったら、【風】の魔術はタニア、【水】の魔術はイサルコ理事に習った方がいいかな」
【火】と【地】の魔術を得意とするリカルドがそう言うと、グレタが悲しそうな顔をして。
「だ、駄目です。私はリカルド様に教えてもらわないと駄目なんです」
その必死な様子を見て、リカルドが言い訳するように。
「【風】と【水】の魔術は、得意じゃないんですけど」
「それでも、リカルド様がいいんです」
変なことを言ってしまったと気付いたのか、グレタが赤い顔をしている。
リカルドはお世辞にもイケメンではない。何故、グレタが好意を持つのか、リカルドには理解できなかったが、それなりに嬉しかった。
王都には貴族の家族が数多く住んでいる。
貴族の子弟や奥方が王都に住んでいるのは、王権が強い時代からの風習という面が強い。それに加え、王都には最も優秀な学校である王立バイゼル学院があり、そこで人脈を作るのが伝統となっているというのも一因だ。
グレタも王立バイゼル学院初等科の生徒である。但し、卒業に必要な単位をすでに取得しているので、学院に行く必要はなくなっている。
貴族でも女子は初等科のみで、後は花嫁修業を始める者が多い。一方、貴族の男子は初等科を卒業すると、十五歳まで領地で勉強し、十五歳になると王都に戻り各専門科で学ぶものらしい。
ちなみにグレタの兄であるシルヴァーノは、領地から王都に戻り、王立バイゼル学院の経営学科で領地経営について本格的に学ぶらしい。
リカルドとグレタが魔術士協会へ向かって歩いていると、グレタと同年代の少女と少し年上の少年の二人組から声を掛けられた。
「グレタじゃない。お久しぶりね」
グレタは一瞬嫌そうな顔をしてから普段の顔に戻り。
「カティヤ、学院からの帰りですか?」
「ふん、馬鹿にしないで頂戴。初等科の単位は取得済みよ。サルヴァートと一緒にかき氷というものを食べに行くところよ」
カティヤは王都の四大商の一つナスペッティ財閥の令嬢で、グレタと同じ初等科の生徒である。もう一人のサルヴァートは、宮廷魔術士長ヴィットリオの息子だった。
サルヴァートは百年に一人の逸材と言われる少年で、この歳で上級魔術を習得していた。
「そちらの方はどなた?」
カティヤがリカルドの方を見て尋ねた。
「こちらは、私の魔術の先生でリカルド様です」
「リカルド……聞かない名前ね」
サルヴァートが鋭い視線をリカルドに向け。
「僕は聞いたことがあるよ。魔術士協会のイサルコ理事と一緒に冥界ウルフを倒した魔術士だろ。こんなに若かったんだ」
魔術士の間では、リカルドの名前も広まっているらしい。但し、イサルコの弟子だと思われているようで、イサルコのついでとして名前が出るようだ。
「こちらは宮廷魔術士長ヴィットリオ様の長男サルヴァートよ」
カティヤがサルヴァートを紹介した。
リカルドも彼の名前を知っていた。同年代の少年の中で、抜きん出た才能の持ち主らしい。
「ところで、何故、魔術を習っているの?」
「高等魔術教育学舎を目指しているからよ」
それを聞いたカティヤが眉をひそめる。
「なんですって、冗談はよしてよ。グレタに魔術の才能があったなんて、聞いたことがない」
初等科では魔術の基礎を教わる。その時、魔力制御の訓練方法を学び、初級下位魔術の実践訓練をするのだが、グレタは一般的な生徒と変わらなかった。
特別な才能など無かったはずなのだ。
「ねえ、あなた。本当にグレタに魔術の才能が有るの?」
カティヤがリカルドに確認した。
「才能の有無は分かりませんが、高等魔術教育学舎に入る頃には、上級魔術も使えるようになると思いますよ」
グレタに魔術の才能があるかは分からないが、努力する才能はあるとリカルドは思っていた。
「本当かしら」
カティヤとグレタは、あまり仲が良くないようだ。
リカルドはサルヴァートの存在が気になった。
身長はリカルドより少し高く、動きに切れがあるので鍛えているのだろう。そして、その眼には知性が輝いていた。噂通りの逸材らしいと感じる。
一〇年後には、王国魔術士の双璧と呼ばれるようになる二人なのだが、この時は少し名前が知られ始めた二人の少年魔術士に過ぎなかった。
それから十数日をグレタの勉強と、【雷渦鋼弾】の修業に費やす。
王太子と約束した日が明日に迫り、魔境探索に行く準備をしたリカルドは王都を旅立った。
乗合馬車でヨグル領の領都ヤロまで行き、後は徒歩でヨグル城砦へ向う。
リカルドの格好は、腰に魔功銃が入っているヒップホルスターを提げ、背中にモンタが入っている背負袋を背負っているというもので、これから魔境へ行くような姿ではなかった。
これは必要なものを収納碧晶に入れてきたからなのだが、軽装の少年が魔境の方へ行く姿は奇異に見えたようだ。
モンタが魔境にどうしても行きたいと言うので連れてきていた。いつものショルダーバッグは、戦闘になった時に邪魔になりそうだったので、背負袋に変えている。
「なあ、モンタ。どうして魔境に行きたいんだ?」
「魔境ニ スゴク美味シイ 木ノ実ガアル気ガスル」
モンタの話し方がまた上手くなっている。だが、内容はどうしようもなかった。
「はい~っ、そんな理由なの」
「木ノ実ハ 重要」
得意顔でモンタが言った。リカルドは溜息を吐く。
モンタは首輪を付けていた。近所の猫が首輪を付けているのを見て欲しいと言い出したのだ。赤い革でできた首輪には収納紫晶が付いている。
モンタの食料を入れている収納紫晶である。万が一、魔境でハグレた時が心配だったのだ。
ヨグル城砦に到着し、王太子の下に案内された。
「よく来た、リカルド」
凶悪な顔で出迎える王太子。初対面なら絶対にギョッとしていただろう。
それから魔境に一緒に行く者たちを紹介された。
魔境門衛隊の精鋭五人と魔獣ハンターたち。その中には顔見知りの銀嶺団が居た。リカルドと一緒に妖樹タミエルの群れを倒したメンバーである。
他に魔術士二人、剣士二人の『風斬ハンター』というパーティが参加していた。
王太子としてはもう少し戦力を集めたかった。しかし、国王が数人の監視役を送ってきていると気付き諦めたのだ。
「殿下、魔術士の数が少ないのでは」
リカルドが心配になった点を確認する。
「心配するな。門衛隊兵士の腰を見ろ」
門衛隊兵士の腰には【風】の魔彩功銃があった。リカルドが王太子から頼まれて製作した五丁の魔彩功銃だ。
「魔術士が少ないのを、魔彩功銃で補う作戦なのですか」
「ああ、苦肉の策だ。本当なら、優秀な魔術士をもう少し欲しかったのだが、仕方ない」
リカルドと王太子が親しそうに話しているのを見て、リカルドを知らない『風斬ハンター』のメンバーが、『あの小僧は何者だ?』という顔で見ている。
その日はヨグル城砦で一泊し、銀嶺団と旧交を温めた。彼らはベルナルドの依頼が終了した後、地方に出没する魔獣を駆除していたらしい。
「楽な仕事だったんだが、あまり金にはならなかった」
そうリーダーのアメディオが告げた。
翌朝、リカルドたちは出発した。王太子の監視役である者たちは行き先が魔境だと聞いて、尾行を諦めたようだ。
第一魔境門から中に入った。リカルドは第一魔境門から入った経験はないので、興味深そうに様子を観察する。この門から入る魔境は獣型の魔獣が多い。
比較的に倒しやすい魔獣も多いので、魔獣ハンターには人気の場所だ。
門の周りには木樹がない。魔境門衛隊が伐採したからである。草原となっている場所に、鬼面ネズミや頭突きウサギの姿が見え隠れしている。
もう少し奥へと進むと、灌木が見え始め段々と緑が濃くなっていく。
そこへ牙猪が現れた。魔獣ハンターたちが散開し、武器を構える。
「待て、門衛隊に任せろ」
王太子の指示で、門衛隊の兵士が前に出る。彼らの装備は背中に担いだ盾と魔彩功銃、それに槍だった。
兵士たちは、槍の石突きを地面に突き立て手放すと、背中の盾を左手に持ち魔彩功銃を抜いた。
牙猪が突進してくる。兵士の一人が魔彩功銃の引き金を引く。衝撃波が牙猪の後ろ足に命中し、足の血管を破裂させ麻痺を起こさせる。
牙猪は転倒し地面を転がる。停止した牙猪に別の兵士が引き金を引いた。今度は頭に命中し脳震盪を起こした牙猪は目を回す。
兵士が地面に突き立てた槍を取り上げ、牙猪の喉に突き立てた。もう一人の兵士も槍を取り、牙猪の胸に槍を突き立てる。
牙猪は藻掻き苦しんだ後、心臓の鼓動を止めた。
「おいおい、何だ、その魔功銃は?」
「威力が聞いていたものと違うぞ」
魔獣ハンターの中から、声が上がった。
リカルドは厳しい訓練を受けたらしい兵士たちの様子に、なるほどと頷いた。これなら魔術士の数が少なくても行けそうだ。




