scene:51 王都の魔獣
アントニオたちが小鬼族と遭遇した同じ頃、商店街で宝石商を営むガウディーニは、お得意様であるジュリアット子爵夫人にルビーの首飾りを勧めていた。
「ちょっと派手じゃないかしら」
子爵夫人は三〇代後半で魅力的な女性である。
「いえいえ、お似合いですよ」
その時、店の外が騒がしくなった。いきなり数人の男女が店に飛び込んできた。
「魔獣だ。魔獣が出た」
飛び込んできた男が大声で叫ぶ。
ガウディーニは何を言っているんだと本気にしなかった。次の瞬間、扉に何かが衝突した音がして、赤い皮膚の小人が転がり込んできたのが目に入る。
「アウッ」
間抜けな声を上げたガウディーニは、それが魔獣だと認識した瞬間、顔を青褪めさせた。
「どうしました?」
普段は店の奥で待機している警備員が騒ぎを聞き付け出てきた。
「魔獣だ。何とかしろ!」
ガウディーニが警備員に命じた。
警備員は短杖を構え、小鬼族と向き合った。
小鬼族の醜悪な顔は人間に嫌悪感を抱かせると同時に恐怖も湧き起こさせる。
警備員は、魔獣相手に戦った経験がほとんどないらしく、少し腰が引けていた。
逃げ込んできた人々とガウディーニ、ジュリアット子爵夫人は奥の部屋に逃げ込み、入り口から警備員と小鬼族が戦うのを見守る。
最初は警備員が優勢に戦いを進めた。短杖で小鬼族を叩きのめし何度も床に這いつくばらせる。
突然、血だらけとなった小鬼族が叫び声を上げた。
「何を叫んでいる。そろそろ止めを……」
その時、店の入口に別の小鬼族が姿を現した。それも二匹である。
叫び声は仲間を呼ぶ声だったらしい。
戦いは三対一となり、警備員は劣勢に追い込まれた。短杖を奪われ床に転がされると短杖で滅多打ちに遭う。
ジュリアット子爵夫人は気絶しそうなほど怯えていた。
「ど、どうしましょう?」
ガウディーニが部屋の中を見回す。
「何か武器になるものはないのか」
武器という言葉を聞いて、ジュリアット子爵夫人がハッとした。
「そうですわ。主人から護身用の武器を預かっていたわ」
「小さな懐剣では役に立ちませんぞ」
ガウディーニがあまり期待していないような声で答えた。だが、婦人のポーチから出てきたのは、魔功銃だった。新しいもの好きのジュリアット子爵がオークションで競り落としたものである。
「そ、それは?」
ガウディーニは魔功銃を見たことがなかったらしく尋ねた。
「ガイウス王太子が愛用されている魔功銃ですわ」
婦人は銃口を小鬼族に向け引き金を引こうとしたが、指先が震え狙いが定まらない。
「私が代わって撃ちましょう」
ガウディーニが申し出でると青褪めた顔の夫人は頷いた。
魔功銃を受け取ったガウディーニは、小鬼族に狙いを定め引き金を引いた。魔功銃から衝撃波が発射され、小鬼族の頭に命中した。その途端、小鬼族が貧血でも起こしたかのようにドタッと倒れた。
小鬼族は仲間が急に倒れたので驚き、周囲を見回した。武器らしいものをこちらに向けているガウディーニに気付き、威嚇するような唸り声を発しながら歩み寄る。
「何しているの。早く撃って」
婦人の声がする。ガウディーニはもう一度引き金を引く。
もう一匹の小鬼族が倒れた。それを見た最後の小鬼族が咆哮を上げて襲ってきた。
「ウワッ」
ガウディーニは慌てて引き金を引くが命中しなかった。小鬼族は警備員から奪った短杖でガウディーニの腕を払った。魔功銃が吹き飛ばされる。
小鬼族はガウディーニに体当たりをして床に押し倒し、馬乗りになってガウディーニの頭を叩こうと短杖を振り上げる。ガウディーニは身体を揺すって小鬼族の攻撃を避けようとした。
短杖がガウディーニの頭ではなく床を叩いた。小鬼族はもう一度短杖を振り上げる。
「だ、誰か助け……」
その時、小鬼族の身体から力が抜け、床に倒れた。
ガウディーニは急いで起き上がり横を見ると、ジュリアット子爵夫人が青褪めた顔で魔功銃を握っていた。どうやら夫人に助けられたのだと判り礼を言う。
「ありがとうございます」
ジュリアット子爵夫人は腰が抜けたように、床にペタッと座り込んだ。そして、魔功銃を見ながら、この武器を護身用にと渡してくれた夫に感謝する。
ガウディーニも魔功銃を見ながら、何とか自分も手に入れようと決めた。
この日、同じように魔功銃の御陰で命拾いした人々が何人かおり、後日、魔功銃を求める人が増えた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
同時刻、王都に魔獣が現れたという知らせは、すぐにバイゼル城の宰相へ知らされた。宰相は急いで国王の下へ行き、状況を伝える。
「サムエレとヴィットリオを呼べ」
アルチバルド王は近衛軍のサムエレ将軍と宮廷魔術士長のヴィットリオを呼んだ。
サムエレ将軍が国王の下へ参じると、ヴィットリオと宰相のマルシリオが難しい顔をして話していた。
「陛下、守備隊だけでは兵力不足です。犠牲者を少しでも減らすために、城の警備をしている近衛軍の一部を派遣し魔獣を討伐するよう王命を出すべきです」
ヴィットリオが国王に訴えた。それを聞いた宰相が、渋い顔をして反論した。
「それでは城の守りが疎かになるではないか?」
意外にも王都に配備されている常備兵力は少なかった。王領の主力兵力は四つの要塞に分散配備されており、王都の守りは守備隊と近衛軍が担っていた。
「その点に問題はございません。城には我々宮廷魔術士が居ます」
「……」
ヴィットリオの言葉に嘘はないのだが、ヴィットリオ自身を信用していない宰相は素直に納得できなかった。
少し考えた宰相が別の提案をする。
「近衛兵の代わりに宮廷魔術士を街に派遣してはいかがでしょうか」
その意見にヴィットリオが反発した。
「小鬼族程度に魔術が必要だとは思えません。それに魔術を放てば民家にも被害が出ます」
「民家に被害が出る……被害を出すのは宮廷魔術士が未熟だからではないのかね」
嫌な雰囲気になったので、アルチバルド王が止める。
「いがみ合うのは止すのだ。……将軍はどう思う?」
国王に意見を求められた将軍は、報告にあった魔獣が小鬼族・ウルファル・ホーン狼だというのを考慮し、魔術士より兵士の方が討伐に相応しいと判断した。それを国王に伝える。
その後、議論が続いたが、ヴィットリオの意見以上の案は出てこなかった。
アルチバルド王はヴィットリオの意見を受け入れ、サムエレ将軍に最重要部署を警備している近衛兵を残し、部下の半分を街に送り出すよう命じた。
しかし、国王の決断は遅かった。王都に現れた魔獣たちは王都全域に広がり、全てを討伐するには時間が掛かる状況になっていた。
とは言え、これは国王だけに責任があるとは言えなかった。
通信手段や交通網が未発達の王国では、正確な状況を把握することが困難であり、不正確な情報を基に判断するには時間が必要だったからだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
魔獣たちが王都に現れた直後、リカルドは家で子供たちの相手をしていた。
究錬局には午後から行くつもりだったので、午前中は部屋で読書でもしようかと思っていたのだが、セルジュとパメラに奇襲を喰らい、近所の子供たちが遊んでいるリビングに連行されてきたのだ。
ちなみにモンタは一旦起きたが、相手がセルジュとパメラだと気付くと二度寝してしまう。
セルジュと歳が近いラウラが、リカルドの傍に来て。
「ねえ、リカルドお兄ちゃん。本を読んでぇ」
本というのはセルジュとパメラのために買ってきた絵本である。
絵本は昔話の『三枚のお札』に似ていると思い買ったものだった。
「むかしむかし、ある所に大賢者の下で修行をしているマルコという少年がいました」
絵本を読み始めると、子供たち全員が寄ってきて聞き始めた。
「ある時、マルコは大賢者からお使いを頼まれました。近くの山にある神殿に食料を届けるお使いです」
ラウラが質問する。
「山は危険じゃないの……お母さんは街の外は危険だから出ちゃダメって、いつも言ってるよ」
その質問に、リカルドは苦笑いする。
「そうだよ。外は危険だから出ちゃ駄目だよ」
リカルドは絵本の続きを読んだ。
「大賢者は危険な外へ送り出す弟子のために、三つの魔術道具を用意しマルコに与えました。行きは順調で、無事に食料を神殿に届けたマルコは、帰り道で妖鬼族に遭遇してしまいます」
子供たちに妖鬼族というのはどんな魔獣なのかと聞かれたので、身長が二メートルほどもある緑色の皮膚を持つ大鬼だと答えた。絵本なので妖鬼族の絵も描かれているのだが、あまり怖そうな絵姿ではなかった。
「それで、続きは」
子供たちの催促で絵本の読みを再開する。
「マルコは逃げましたが、追い付かれそうになり、大賢者から預かった魔術道具を使うことにします。一つ目の魔術道具は幻影のマルコを作り出し、妖鬼族を別の方向へと誘い出すのに成功しました」
「すごーい、私も欲しい。リカルドお兄ちゃん、作って」
ラウラが無理なお願いを言う。作れないと答えると、何でと尋ねてくる。……子供の相手は疲れるものだ。
「続き読んでよ」
セルジュから催促の声が上がった。
「妖鬼族が幻影に追い付き襲い掛かると、幻影が消えてしまいます。騙されたと気付いた妖鬼族は元に戻って追跡を再開します。また追い付かれそうになったマルコは二つ目の魔術道具を使うことにしました」
その時、外から悲鳴が聞こえた。
反射的に魔力察知を発動する。外に魔獣の反応を捉えた。
「皆、二階に上がって」
子供たちと昼食を作っていたラウラの母親を二階に避難させる。
「リカルド君、どうかしたの?」
ラウラの母親が尋ねた。
「よく判らないのですが、外に魔獣が居ます」
「魔獣ですって!」
ラウラの母親が驚きの声を上げた。
その声で寝ていたモンタが起きたようで、リカルドの部屋から出てきてキョロキョロと周りを見回し。
「キュキュキャ」(何かあったの?)
「アレッ、モンタも起きたのか。魔獣が現れたんだ」
モンタが自分も戦うと言ってくれたが、丁重に断った。
リカルドは皆を自分の部屋に入れ、窓の鎧戸を開け外を見下ろした。
下に見える道路で三匹の小鬼族が通行人を襲っているのが目に入った。
「小鬼族か」
リカルドが呟くと子供たちも窓に集まってきて下を見る。
「お兄ちゃん」
パメラが泣きそうな声でリカルドにすがり付いた。周りの子供たちも不安そうな顔をしている。
「ベアータおばさん、下の人を助けてきます。子供たちをお願いします」
すがり付いているパメラをベアータに預けた。
「あ、ああ、任しといて」
魔功銃と魔成ロッドを取り出すと下に駆け下り、玄関から外に飛び出した。
悲鳴が聞こえ、そちらに向かう。男性が小鬼族に襲われ、汚れて真っ黒になっている爪で顔を引っ掻かれていた。駆け寄って小鬼族の腹を思いっきり蹴る。
アントニオと一緒に蹴りの練習もしていたからだろうか、かなり鋭い蹴りが小鬼族の腹に決まった。小鬼族は吹き飛び地面を転がる。
起き上がろうとする小鬼族の頭に魔功銃の狙いを付け引き金を引いた。その一撃で小鬼族は息の根を止める。
リカルドが仲間を倒したのを見て、別の小鬼族が襲ってきた。こいつは手に棒を持っている。そして、威嚇するように棒を振り上げた。
魔功銃の引き金を引いた。魔功銃は小鬼族と戦った経験を基に作り上げた武器である。二匹目も確実に倒し、間もなく三匹目も倒した。
襲われていた人たちは怪我をしていたが、歩けないほどの怪我ではないようだ。
一応、【治癒】を使って治療すると打ち身や切り傷は回復した。
助けた人たちは礼を言うと急いで家に向かって去った。家族が心配なのだろう。
リカルドは家の周りを一巡し、他に小鬼族が居ないのを確かめると家に戻り戸締まりをした。
二階に上がると興奮した子供たちが待ち構えていた。
「お兄ちゃん、カッコ良かった」
「ねえねえ、変な形の武器を見せて」
リカルドが小鬼族を倒すのを見て、素直に感心しているらしい。
もう一度魔力察知で調べてみる。察知範囲のぎりぎりに魔獣の魔力を感じた。
「まだ居るのか。どうなってるんだ」
リカルドは独り言を呟いた。
これほど多くの魔獣が王都に侵入しているという事実に頭を悩ませた。高い街壁を越えて侵入したとは思えないので、誰かがわざと魔獣を持ち込んだか、召喚したとしか思えない。
何の為に魔獣を街に放ったのか。王家や王都に恨みのある人物が仕組んだことなのか。
「さっぱり、判らない」
「ねえ、何が分からないの?」
独り言をセルジュに聞かれたらしい。
「アッ、お母さんたちが戻ってきた」
窓から外を見ていた子供の一人が声を上げた。
リカルドは一階の玄関へ行き、ドアを開けた。
中に入った主婦たちは子供の姿を探しているような仕草をする。
「子供達は二階に居ます」
リカルドが教えると階段を駆け上がっていった。
一階に残ったアントニオとリカルドは情報交換をしたが、二人とも大した情報を持っていないのが、判っただけだった。
「今のうちに魔功銃の魔力を補充するから貸して」
アントニオから魔功銃を受取り、魔力を充填した。念のために自分の魔功銃も魔力を充填する。
「これからどうする?」
アントニオが不安そうな顔で尋ねた。
「騒ぎが収まるまで、家でジッとしているしかないよ」
「魔術士協会へは行かないのか?」
「必要ないよ。魔術士協会には優秀な魔術士が大勢居るんだから」
そう答えたが、それがフラグとなったようで、リカルドを迎えにパトリックとタニアが訪ねてきた。
「こんな時にどうしたんです?」
リカルドが尋ねると。
「こんな時だから迎えに来たんだがね」
「イサルコ理事が呼んでおられるのよ」
タニアの情報によれば、魔術士協会に避難してくる人々が大勢いて大変なことになっているらしい。




