scene:5 雑木林の魔獣
翌日朝の作業を済ませ、昼食を食べた後。
屋根裏部屋に戻って寝台に腰掛け、リカルドは悩んでいた。銀貨一枚貰っても、それで買える触媒は安物の炭ぐらいしかない。それに火系統の触媒だけでなく、他の系統の触媒も欲しい。
触媒を手に入れる方法がないわけではなかった。近くの山に行けば魔獣が居る。それを狩って触媒を得ればいいのだ。それに魔獣の素材を売れば金になる。
問題は魔獣が危険だということだ。強い魔獣に遭えば逆に倒されて死ぬ。領都デルブ周辺の山に住む魔獣は様々で獣系の魔獣が多い。
その中で弱い魔獣の代表が鬼面ネズミである。羅刹のような怖い顔をした大きなネズミで猫並みの体格と刃物のような牙を持っている。その牙は地系統の触媒となる。
地系統の魔術は習得していないが、小石を飛ばす【飛礫】、石槍を飛ばす【飛槍】が初級の魔術としてある。
他に頭突きウサギがいる。頭から体当りしてくる黒いウサギで、後ろ足の筋肉がパンパンに発達しており、その脚力を使い強烈な頭突きをするらしい。
その額には白い鱗のような物があり、それが地系統の触媒となる。
今の自分が倒せるとしたら、これくらいだろうか。風系統の触媒となる夜鳴鳥もよく見かけるらしいが仕留めるのが難しいだろう。弓の得意な者でも命中させるのが困難だと聞いている。
魔獣を専門に狩っている魔獣ハンターという職業も存在する。魔獣ハンターは仕留めた魔獣の肉を肉屋に、触媒になる素材は触媒屋に売って生活している。
特に組合やギルドのようなものはないが、魔獣ハンターが十数人から数十人集まって互助会みたいなものを運営していることもあるらしい。将来的には互助会が発展しギルドとかになるかもしれない。
そういえば魔術士協会というものがあるそうだ。これは学会のような組織で魔術士が研究した成果を発表し、その出来により称号を贈る活動をしている。
魔術士協会の一番重要な仕事は魔術士の認定である。協会に認められて初めて正式に魔術士と名乗れるのだ。
認定されなければ、どんなに凄い魔術を使えても野良の魔術士である。
マッシモは王都の魔術士協会本部で二度試験を受けているが、合格しておらず正式な魔術士になっていない。筆記試験と実技試験を受け両方の平均が七〇点以上を取るか、魔術の研究が認められると認定されるらしい。
話が逸れたようだ。
触媒を手に入れるには魔獣を倒さなければならない。手持ちの魔術は【炎翔弾】と自分で開発した【溶炎弾】である。鬼面ネズミや頭突きウサギならば【炎翔弾】でも倒せるだろう。
だが、魔術を使うには触媒が必要だ。
……クッ、堂々巡りじゃないか。魔術に頼らずに魔獣を倒すか。高価な素材を残す魔獣を魔術で倒すしかない。
高価な素材を残すと言うと妖樹エルビルや鎧熊が居るが、自分に倒せるとは思えない。
仕方なく魔術に頼らずに魔獣を倒す方法を考える。罠は地形を知らない自分には難しい。残るは防具と武器を用意し倒すしかない。
子供の頃遊んだゲームを思い出した。檜の棒と鍋の蓋を装備しモンスターを退治に行く勇者のゲームである。
何をするにも情報が足りない。知っていそうな人物の所へ向かった。
街に出たリカルドは触媒屋を尋ねた。ここのマルタ婆さんが物知りで町一番のおしゃべりだからだ。
「マルタ婆さん……居る?」
触媒屋の扉を開け声を掛ける。
「ん……誰。……何だ、リカルドか」
マルタ婆さんの姿はなく、息子のディエゴが店番をしていた。中肉中背のあまり特徴の無いおじさんで左手が少し不自由なようだ。
「マルタ婆さんは?」
「さあな。街のどこかをふらふらしてるんだろ。何の用だ?」
「ディエゴさんは魔獣について詳しいですか?」
カウンターの後ろで椅子に座っていたディエゴが苦笑いし頷いた。
「これでも魔獣ハンターだったんだぞ」
その言葉に驚いた。ディエゴを根っからの商人だと思っていたからだ。
リカルドは思い切って尋ねる。
「鬼面ネズミや頭突きウサギを倒す方法を知ってますか?」
「魔獣ハンターにでもなるつもりか」
「いえ、触媒が欲しいだけです」
「やっぱりな、アレッサンドロの弟子になったんだろ。噂は聞いたぞ」
狭い街なので情報はすぐに広まるようだ。商売柄、魔術士関係の情報は入り易いのかもしれない。
「ええ、弟子にされて妖樹狩りに行くことになりました」
「運がいいのか悪いのか」
「同情してくれるなら教えてください」
「分かった。鬼面ネズミと頭突きウサギだったな」
ディエゴの話では、その二種は駆け出しの魔獣ハンターが狙う魔獣らしい。倒し方はそれぞれだが、剣か槍の修行をしていれば問題なく狩れるそうだ。
「魔術士なら、魔術で倒せばいいだろ」
「魔術を使うと触媒を消費します。触媒が必要で狩りをしてるのに、その触媒を消費したら意味がありません」
「なるほど……ちなみに魔術はできるようになったのか?」
弟子になったばかりだから心配してくれているのだろう。
「【炎翔弾】くらいならできるようになりました。あれは安物の炭でも発動するので」
「ほう……魔術の才能だけは有りそうだな」
ディエゴは長年の貧乏生活でやせ細った体付きを見て武術の鍛錬などしたことがないのを察してくれた。
「ちょっと待ってろ」
奥へ引っ込んだディエゴが、何かゴソゴソと探している気配を感じた。
「オッ、あった」
奥から戻ってきたディエゴの手にはピッケルのような物と丸い盾があった。
「俺が魔獣ハンターになったばかりの時に使っていた武器と盾だ。安物だが役に立つ、お前にやる」
「エッ、頂いていいんですか」
リカルドは礼を言い、バックラーらしい盾とピッケルに似た武器ウォーピックを受け取った。
「妖樹狩りに行くんなら、少しでも魔獣に慣れといた方がいい」
リカルドはちょっと首を傾げ。
「危ないことは止めろと言われるんじゃないかと思いました」
ディエゴはククッと笑う。
「俺もリカルドより少し歳上になった頃、魔獣ハンターになったんだよ。そんな俺に止める資格はない」
それから鬼面ネズミと頭突きウサギが出没する場所や危険な魔獣が出る場所、注意事項などを聞いた。
最後にディエゴが奇妙なことを言った。
「初めて魔獣を倒すと神の言葉を頂く。知っているか?」
「えっ……神様ですか」
ディエゴの言葉に驚き、自分が間抜け面をしていると分かった。
「その顔だと知らないな。人間は一生に一度だけ神の言葉を聞く機会があるんだ」
真剣な顔をして話すディエゴに、これが冗談でないとだけは感じ取った。
「神様は人間が魔獣を倒すと恩恵を与えてくださるんだ」
「恩恵?」
「ああ、恩恵には幾つか種類があり、初めて魔獣を倒した時にどの恩恵にするかを尋ねられる」
意外な話に頭が付いていかない。
「恩恵の種類は五つあると言われている。一つ目は力を強くする恩恵だ」
ディエゴの話を総合すると【筋力増強】【俊敏性強化】【五感制御】【記憶力向上】【魔力量増強】の五つがあるそうだ。但し最後の【魔力量増強】は魔術の才能の無い者には選択肢として出てこないらしい。
これらの中から一つ選ぶと魔獣を倒す度に少しずつ選んだ力が増大するのだそうだ。
「今言った恩恵の順番を覚えておけ、神様は神の言葉で選択肢を挙げられるので人間には理解できん」
「……そうなんですか。ディエゴさんは何を選んだんです?」
「俺は魔獣ハンターだから一番目を選んだ」
魔獣を倒す度に筋力が増強するなら、魔獣ハンターとしては好都合だろう。一般的に神様の呼び掛けを『恩恵選び』と呼び重要視されている。
神という存在がリアルではなくなった現代社会から来たリカルドにとって胡散臭い話だったが、恩恵の順番だけは覚えた。
鬼面ネズミの狩場は領都デルブの東門近くの雑木林。ここは駆け出しの魔獣ハンターの狩場として知られていた。
クスや栗の木に似た樹木が生い茂る林である。獣道より少し幅の広い道が網の目のように広がっていた。魔獣ハンターたちが踏み固めた道なのかもしれない。
バックラーを左手、ウォーピックを右手に持って慎重に進む。頭上からは鳥の鳴き声が聞こえ、遠くでは猿の鳴き声みたいなものも聞こえる。
風は無く蒸し暑い陽気にうんざりする。少し歩くと樹木の枝葉で太陽が隠れ気温が下がったように感じた。
下草は少なく歩き易い。カリカリッと何かを齧る音が聞こえた。
次の瞬間、初めて魔獣を見た。頭の片隅に実家のある村で魔獣を見た記憶があるのだが、それは実体験に基づく記憶でないので現実感が薄く、今回が初体験だと感じる。
姿を現したのは鬼面ネズミ。猫ほどの大きさの化け物ネズミである。
生で初めて見る魔獣に正直ビビった。バックラーを鬼面ネズミに向け対峙しているが、腰が引けている。それを感じたのか鬼面ネズミが恐ろしい顔で飛び掛かってきた。
「オワッ!」
バックラーで鬼面ネズミを受け止める。ドシッと重い衝撃が左腕に掛かり仰け反りそうになる。必死で力を掻き集め鬼面ネズミを弾き返す。
宙で一回転した鬼面ネズミが着地するなり再度飛び掛ってきた。鬼面ネズミが長く鋭い牙を剥き出しにして迫る。急いでバックラーを引き寄せガードする。
リカルドは何度目かの攻撃を躱した時、鬼面ネズミを攻撃しようとした。ウォーピックを振り上げた瞬間、鬼面ネズミが素早く跳び下がった。
幾度も攻撃しようとしたが、その度に逃げられ攻撃のチャンスを逃していた。素早く動き回る鬼面ネズミの攻撃を盾で防ぎ、或いは避けるだけで精一杯の状態だった。
「ハアハア……どうやって攻撃すればいいんだ」
平和な日本でのんびりと暮らしていた男にとって、猫ほどの大きさとは言え、魔獣との戦いはハード過ぎた。
魔獣を攻撃するタイミングが掴めない。
……どうすれば……そうだ、チャンスを自分で作ればいい。
鬼面ネズミが動きを止める瞬間があった。バックラーで攻撃を受け止めた瞬間、敵は必ず武器の届く範囲に居て相対位置も決まっている。
リカルドは敵が襲い掛かるのを待った。鬼面ネズミはリカルドの側面に回り込んでから首を目掛けて飛び掛かる。その攻撃をバックラーで受け、透かさずウォーピックを振る。鉄製の細く尖った刃が鬼面ネズミの背中に突き立ち心臓を貫いた。
鬼面ネズミが血を吐き地面に落ちる。
「ハアハアハア……やっと一匹か。魔獣ハンターは大変だ」
その時、頭の中で声がした。
『要注意知性体リカルド・マトウ ノ 戦闘ガ終了シマシタ。 報酬ポイント2 ヲ ドノ能力ニ加算シマスカ?』
頭にチクリと痛みが走り、解読不明な文字で書かれた変なリストが六個ほどズラッと脳裏に浮かんだ。
【#$&&#¥$】【※$%&!】【&&!¥#$】……
……何だ……これが神様の声か。それにしてはリストの文字が意味不明ですけど。それに何で『リカルド・マトウ』なのでしょう。
『ドノ能力ニ加算シマスカ?』
変な声が繰り返す。どうしても選ばせたいようだ。
「文字が読めないので説明して欲しいのですが……」
変な声に要求を言ってみた。
『ドノ能力ニ加算シマスカ?』
聞く耳を持たないようである。ディエゴの話では選択肢は最大五つのはずなのだが、六つ有る。魔術士として生きて行くのなら五番目の【魔力量増強】を選ぶべきだと思ったが、どうしても六番目が気になり。
「六番目でお願いします」
選択した後、すぐに後悔するが遅い。
『選択ヲ確認シタ』
次の瞬間、リカルドの頭の奥でズキリと痛みが走った。そして、その精神の奥底に小さな漆黒の円盤が生まれた。そのことにリカルドは気付かなかった。
「何だったんだろ」
リカルドの記憶を探った時点で、この世界が地球ではない別の世界だと気付いた。別の星なのか、平行世界の一つなのかは知らないが、音声案内付きの世界というのはユニークである。
変な声に尋ねても答えてくれないようだ。
気を取り直し、リカルドは倒した鬼面ネズミから触媒となる牙を剥ぎ取った。剥ぎ取り用の道具は触媒屋で売っていたので買った。解体ナイフ・ペンチ・金槌・ノミなどのセットである。
追加で背負袋も買い、その中に入れている。触媒購入用として渡された銀貨一枚のほとんどが消えた。
二匹目は二〇分ほど歩いた時に遭遇した。仕留める方法は判ったので、慎重に戦いながらチャンスを待って確実に仕留めた。
仕留めた時、また頭の中に謎の声がするかと思ったが、何もなかった。但し本人は気付いていないが、精神の奥底にある小さな漆黒の円盤が微かに大きくなる。
三匹目となると鬼面ネズミの攻撃パターンが判ってきた。わざと隙を見せ攻撃を誘って素早く仕留めた。
鬼面ネズミの死体からは触媒となる歯を回収した。死体から歯を引っこ抜く作業はグロく大変だった。
その日、六匹の鬼面ネズミを仕留めた。ネズミの爪で引っ掻かれ掠り傷を受けるも無事である。
日が傾き始めたので帰途に就く。東門で魔術士の弟子になった時に作ってもらった身分証を見せて入った。その身分証はアレッサンドロが保証人となって領都の役所で発行したものだ。
街に戻り、触媒屋に寄った。触媒が牙や角などの硬い物の場合、粉にするのが難しい。そこで触媒屋に頼んで粉にしてもらうのだ。
大抵の触媒屋には専用の粉砕機が有り、所定の料金を払えば粉末にしてくれる。
店番をしていたディエゴにネズミの牙を渡し粉にしてくれるように頼んだ。
「上手くいったようだな」
「ディエゴさんのお陰です」
ネズミの牙を持ったディエゴが奥に行きゴリゴリという音をさせていた。戻ったディエゴから白い粉末を渡された。量は初級下位の魔術なら十二回分、初級上位なら六回分の魔術を起動できるだけの分量があった。
2017/4/30 鳥型魔獣の名称を『夜鳴鳥』に変更