scene:46 魔術駆動フライホイール
冬が終わり春が来た。
リカルドが書いた論文は大勢の魔術士に衝撃を与え、賢者マヌエルの魔術大系を読み返す魔術士が大量に増えた。これは王都だけに留まらず、全国の貴族領にも波及した。
一つの論文がここまで影響を与えるのは初めてのことである。魔術士たちは論文の著者であるアースリング・マトウを探したが、当然ながら発見できなかった。
その頃、近衛軍のサムエレ将軍は国王に呼ばれ不愉快な時間を過ごしていた。
「サムエレ将軍、いつまで地下道を封鎖しているおつもりですか?」
国王の側近であるアルフレード男爵が責めるように尋ねた。
「当分の間は、間諜が入り込まないように封鎖する必要があると思っています」
国王が不機嫌な顔をしてアルフレード男爵の方へ目で合図した。アルフレード男爵は頷き。
「陛下は、封鎖の必要がなくなっていると考えておられます」
「ですが、封鎖を解けば地下からの侵入に無防備になってしまいます」
「バイゼル城への侵入経路であった穴は埋め戻し塞いだと聞いています。違うのですか?」
「確かに塞ぎましたが、再び穴を掘ることは可能です」
その言葉を聞いた国王が溜息を吐くと声を上げる。
「将軍、地下道を封鎖するために多くの兵士を投入していると聞いておる。アルフレード男爵は封鎖するより、定期的に見回りを実施した方が効率的だと教えてくれた。そうではないのか?」
「そうでございますが、バイゼル城の安全を確保するためには労力を惜しむべきではないと考えております」
「将軍の忠誠心は分かるが……ここはアルフレード男爵の意見を採用しようと思う。地下道の封鎖は解き、見回りを実施せよ」
国王に命令されては仕方がなかった。サムエレ将軍は地下道の封鎖を解き、見回りを実施する兵士の編成を開始した。
サムエレ将軍との話し合いを終えた国王が側室の待つ離宮へ行ったのを見届けたアルフレード男爵は、人目を忍びながらメルビス公爵の屋敷に向かった。
メルビス公爵の部屋に通された男爵は、大柄で鋭い目を持つ四〇代後半の女性に頭を下げた。
「メルビス公爵様、ご指示通りに地下道の封鎖は解除させました」
「よくやったわ。これで計画が進められる」
メルビス公爵家は先代の娘であるジョヴァンナ・メルビスが当主となっている。世間からは冷酷な女帝と呼ばれる人物であり、数多くの貴族を影響下に組み込み王国最大の勢力となっている組織アマティデラクアの党首でもあった。
ちなみにアマティデラクアとは『高貴なる血』という意味だ。
「しかし、見回りを実施することになっておりますが、大丈夫なのですか?」
「地下道には隠し部屋が幾つかあります。それを利用すれば何とでもなるのです」
完全に封鎖されているのでなければ、見回りを回避しながら人を送り込み、もう一度バイゼル城へと続く穴を掘ることが可能だった。
「ところで王太子の様子はどうですか?」
アルフレード男爵がニヤッと笑い。
「ヨグル領で魔獣を相手に活躍しております」
「ほほほ……そうなの。私たちは幸運なようね」
「はい、魔獣の活動が活発な間は王都へ帰れないでしょう」
「チャンスだわ。急いでバイゼル城へ通じる穴を用意させるのよ」
「承知しました」
アルフレード男爵が去り、一人残った部屋の中でメルビス公爵は薄笑いを浮かべながら壁に貼られた王国の地図を見詰めていた。
同じ頃、ベルナルドから頼まれた収納紫晶をリカルドは作っていた。紫玉樹実晶を四〇個ほど渡され、一〇個の収納紫晶を作り上げる。
冷蔵収納紫晶ではなく、ただの収納紫晶なのはベルナルドに商人らしい考えがあったからだ。冷蔵収納紫晶は季節が夏になってから販売を開始すると決めているようだ。
冷蔵収納紫晶と収納紫晶を比べた時、収納紫晶の方が少し収納容量が大きい。その代わり冷蔵収納紫晶には温度調節機能が付いている。冷蔵収納紫晶の販売を開始した時、購入者はどちらにするか悩むだろう。
「ハア、やっと終わった」
一〇個の収納紫晶を作り上げたリカルドは、ホッとして肩の力を抜いた。
作業小屋の中を見回すとダリオたちが寝ている寝台と私物を入れている木製のロッカーが目に入った。何だか寒々とした光景である。
冬の間は寒い夜を過ごしたことだろう。一応小さな暖炉を寝台の近くに設置したのだが、作業小屋の広さと比べると小さすぎたようだ。
「今年の冬も、ここで過ごさせるのは可哀想だな。ちゃんとした宿舎を建てるか」
作業小屋を出て妖樹たちの様子を見た。冬の間は枯れ草色だった飼育場に緑が戻っていた。冬の間も十分な飼料を与えたので、妖樹たちは順調に成長し後少しでシュラム樹の実が収穫できる状態にまでなっていた。
「仕事は終わったのか?」
アントニオの声が聞こえた。杏妖樹を第五区画から第六区画へ移動させる作業は終わり戻ってきたようだ。
「ええ、兄さんの方も終わったようですね」
「ああ、妖樹たちも青々とした区画に移したら元気になったようで良かったよ」
冬の間、特に雪の降った日には本物の樹木のようにジッとしていた妖樹たちも元気になり、一安心である。
「兄さん、第八区画で何の栽培を始める?」
第八区画で何か作物を栽培しようと話し合っていた二人は、具体的に何を栽培するか相談した。アントニオは荒れ地でも育つジャガイモに酷似したモル芋がいいんじゃないかと提案した。
リカルドは大豆や野菜なども栽培したかったので、小量ずつ栽培しようと言う。
「じゃあ、三割の土地にモル芋、二割の土地に大豆を植え、残りでいろんな作物を栽培しようか」
リカルドが考えた末に提案するとアントニオも同意する。
「そうだな。初めから上手くいくとは限らないからいろいろ試すか」
この土地に合った作物が何かも分からないので、いろいろ試すことにした。
「さて、今日は帰るか」
「ハア、家までが遠いんだよな」
「第二南門から乗合馬車に乗るか」
疲れている様子を見せたリカルドを心配してアントニオが言った。
「そうしようか」
第二南門まで歩いた二人は、商店街へ行く乗合馬車に乗った。
「商店街の近くに家を借りたのは失敗だったかな」
リカルドが呟くように言う。
「でも、魔術士協会は近いぞ」
「そうだけど、毎日のように往復する兄さんが大変です」
「まあな……小型馬でも買って小型簡易馬車でも牽かせるか」
「馬か……馬の世話も大変だって聞いたけど」
馬車に乗って楽をしても、その後に馬の世話をしなければならないなら意味が無いように思えた。
「魔術道具の乗り物でも作るか」
「エッ、そんなものがあるのか?」
アントニオが驚いて声を上げた。
「今研究しているものが完成すれば、それを応用してできそうな気がする」
【魔旋盤】の魔術を因子文字で再現しようとしている研究である。数日前に因子文字を刻んだ魔術回路により物体を回転させることに成功し、それをどう応用するか考え始めたばかりだった。
商店街で乗合馬車を降りた二人は、ベルナルドの店に寄った。先程作成した収納紫晶を納める為である。
ベルナルドが店に居るか店員に尋ねると『奥に居ます』と返事が返ってきた。幸いにも居残っていたようだ。
「ベルナルドさん、収納紫晶ができましたよ」
「オッ、仕事が早いですな」
収納紫晶とハズレだった紫玉樹実晶を渡すとベルナルドは喜んだ。
その日は時間も遅いので、加工代を受け取ったリカルドたちは帰った。
数日後、魔術道具を扱う商人マンフレードがベルナルドの店の前を通り掛かった。
マンフレードの店は収納碧晶や魔砲杖などを扱う最高クラスの魔術道具販売店であり、そのことをマンフレードは誇りに思っている。
「オヤッ、これは何だ?」
知り合いであるベルナルドの店に新商品の張り紙があった。どうやら『収納紫晶』という魔術道具の販売を始めたらしい。
最近、商人たちの間でベルナルドの名前が口にされるようになり注目を集めていた。昨年から販売を始めたユナボルタの魔成ロッドは入荷するとすぐに売り切れているようで、大変な人気商品となっている。
また、ガイウス王太子に献上した魔功銃は、作製に必要な素材が中々手に入らないという理由で、オークションで売りに出され大変な高値となった。
そこに新しい商品となれば、商人の気を惹かないはずがなかった。
「収納紫晶だと……収納碧晶の間違いではないのか。しかし、ベルナルドさんが収納碧晶を作製できる職人を手に入れたとは聞いていないが」
店に入りベルナルドの姿を探した。カウンターの奥で帳面に何かを書き込んでいる。
「ベルナルドさん、新しい商品の販売を始めたみたいだね」
ベルナルドはマンフレードを見るとニコリと笑った。
「張り紙を見られましたか。この歳になって、初めて手掛ける魔術道具です。魔術道具の専門家であるマンフレードさんには助言を頂きたいところです」
「ベルナルドさんほどの商人に、助言など必要ありませんよ。それより収納紫晶とは何ですか?」
ベルナルドは収納紫晶について説明した。その説明を聞いていたマンフレードは途中から顔色を変えた。役立たずだと思われていた紫玉樹実晶に収納の機能を与えたことにも驚いたが、同じ機能を持つ収納碧晶と比べ驚くほど安かったからだ。
もちろん、収納容量を比べれば圧倒的に収納碧晶が大きいのだが、元となる紫玉樹実晶が安いので商品となった時の価格は収納紫晶の方が圧倒的に安かった。
「や、安すぎるのではないですか」
「いや、紫玉樹実晶は金貨一枚ほどで集められますからね。この価格でも十分に利益が出るのですよ」
「そうですか……でも、売れるでしょうか?」
「売れると思っていますよ。商人はお金や貴重品を仕舞うものとして使い、魔術士や魔獣ハンターは触媒や武器を持ち運ぶものとして使うのじゃないかと思うのです」
マンフレードは他にも使い道を思い付いた。壊れ易い品物を運ぶために使うのだ。装飾品や魔術道具の中には高価で壊れ易いものもあり、収納紫晶を使えば安心して運べる。
もちろん、そういう用途に収納碧晶を使うことも可能だが、大きな収納容量を持つ収納碧晶は大量の商品を運ぶために使用するのがベストである。
マンフレードは収納紫晶を一つ買おうと決めた。
「マンフレードさんは魔力制御はどうです。魔術の勉強をされた経験はありますか?」
「若い頃に魔術の勉強をしました。魔力制御は一応できます」
「そうですか。でしたら魔力制御回路や魔力伝導棒は必要ありませんな。何か装飾品に収納紫晶を仕込めますが、いかがですか?」
ペンダント型の収納紫晶として仕上げることになった。
その後も張り紙を見た商人や魔術士が来店し収納紫晶を買っていった。驚くことに販売を開始した翌日には一〇個全部が売れてしまった。
収納碧晶よりはずっと安いとは言え、魔術道具は高額商品である。これほど早く売り切れるとはベルナルド自身も予測していなかった。
新商品の張り紙の上に『売り切れました』と書き足した後も、収納紫晶はどんなものなのかと問う客は多く、ベルナルドは忙しい日々を過ごした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
収納紫晶が販売された頃から、リカルドはエミリア工房で過ごす時間が長くなった。
ここには金属加工を得意とする職人ヴィゴールが居た。リカルドは彼と組んで乗り物の開発を始めていた。
開発するのはスクーターのような乗り物である。この国では縦に車輪が二つ並んでいる乗り物を見た覚えがないので、バイクや自転車のような乗り物は開発されていないようだ。
エミリアとヴィゴールもリカルドが描いたスクーターの図を見て首を傾げていた。こんなものが倒れずに走れるのか疑問に思ったようだ。
最初、全体を金属製にしようと思っていたが、それだと製作に時間が掛かりそうなので、金属部品は最低限に抑え車体は木製にした。コケると壊れそうだが、職人が手作業で作り上げる金属部品は高価なものになりそうなので仕方ない。
このスクーターの動力源は魔術駆動フライホイールである。これは鉄製の円盤を魔術回路を組み込んだ二枚の金属板で挟んだもので、茶色の煌竜石に少しずつ魔力を注ぎ込み、ある一定量の属性励起した魔力が貯まるとフライホイールを回転させる魔術を発動させるものだった。
独楽のように回転したフライホイールは運動エネルギーを溜め込み、スクーターの後輪を回転させる動力源となる。魔術回路は属性励起した魔力が貯まる度にフライホイールに回転エネルギーを与え、後輪を回すことで失ったエネルギーを補充することになる。
元の世界でも、フライホイールは自動車のエンジンと組み合わせて使われているものなので、リカルドにとっては馴染みのある原理だった。だが、エミリアやヴィゴールは初めて目にするものだったので、驚き興奮した。
「これ、凄いじゃない。君は天才だわ」
褒められると何だか恥ずかしい気分になる。自分が発明したものではなく知っていた原理に魔術という要素を付け加えただけだったからだ。
エミリアが閃いた。
「この魔術回路を魔砲杖に応用できないかしら」
リカルドは少し考え。
「できなくはないですが、魔術を発動するタイミングが属性励起した魔力が溜まった時になりますから、実用的じゃない気がします」
「そうだったわ……属性励起した魔力を貯蔵する技術を開発しないと難しいわね」
属性励起した魔力は魔術を発動せずに放っておくと周りに拡散して無くなってしまう。
「可能だったら、触媒カートリッジ無しで魔砲杖が放てるようになるんですけど」
エミリアのアイデアは可能ではあるが、実戦向きの武器にはならないようだ。
「ねえ、この乗り物は売り物なの?」
この乗り物には致命的な欠点があるのに、エミリアは気付いていた。魔力の消費量が多いのだ。平均的な魔術士の魔力量では、この乗り物を活用するのが難しかった。
「違いますよ。これは兄さんに使ってもらおうと思って作っています」
「じゃあ、リカルドが毎日魔力を充填するつもりなのね」
「そうです。魔術駆動フライホイールの魔力効率を改善しなければ売り物にならないのは分かっていますが、それは時間を掛けてゆっくりと研究します」
エミリアには毎日充填するようなことを言っていたが、魔力バッテリーの容量を大きくし一週間乗っても大丈夫なようにするつもりだった。
魔動スクーターが完成したのは、今年の魔術士認定試験が行われる直前だった。
どこで試験運転を行なうか、エミリアに相談すると魔術士協会の訓練場を借りて行なうことになった。これにはイサルコが協力してくれたらしい。
荷車に魔動スクーターを載せ魔術士協会の訓練場に運んだ。訓練場では数人の魔術士が訓練をしていた。
エミリアたちが試験運転の準備を始めるとイサルコとサムエレ将軍が訓練場に姿を見せた。訓練をしていた魔術士の何人かも興味を持ったようで近付いてくる。
「オヤッ、サムエレ将軍も御一緒だったのですね」
エミリアが将軍に挨拶をした。
「ちょっとイサルコ理事に相談事があって来ていたのだ」
イサルコはリカルドの方へ視線を向け。
「お兄さんのために乗り物を開発したそうだな」
「ええ、ユニウス飼育場が遠いので大変なんですよ」
それを聞いたエミリアは苦笑した。魔術道具の開発というのは、そんな簡単なものではないはずなのだ。だが、リカルドは短期間で開発してしまった。
まるで、完成形をあらかじめ知っていたかのようだとエミリアは思った。
2017/8/16 誤字修正
2017/10/21 修正




