scene:44 誕生日の贈り物
論文の話が終わり別れ際に、イサルコが独習教本が欲しいと言い出した。
「エッ、いいですけど。ここの本は小僕たちの物なので原本を写本してお届けします」
「済まんな。その代わり、雑務局の仕事は論文を書き上げるまで免除するように手配しておく」
「でも、他の新人やクラレッタさんが変に思うんじゃないですか?」
「私の研究に必要な雑用をしてもらうと言っておけば大丈夫だ」
それなら大丈夫だろう。
イサルコが去り、厨房を片付けてから従業員宿舎から出た。モンタは従業員宿舎の屋根の上で遊んでおり、リカルドの姿を見て下りてきた。
「キュキュケキュ」(どこへ行くの?)
「図書館だよ。モンタはどうする?」
「キュキョ」(一緒に行く)
モンタはリカルドのショルダーバッグの中に入った。
魔術士協会の図書館は究錬局の近くに有り、使っている七割が究錬局の者だった。
リカルドが図書館に入ると場違いな奴が来たという視線が突き刺さる。これが嫌で図書館には近付かなかったのだが、調べ物をするにはここに来るほかない。
視線を無視し魔術関係の書籍が並んでいる棚の前に行く。
【地】と【水】の魔術に関する魔術研究書を探した。
今回の論文では複合魔術の系統詞『ファスナル《火と水よ》』と『アムスナル《大地と水よ》』を発表しようと考えていた。
最初は『ファスナル《火と水よ》』だけを発表しようかとも考えたが、賢者マヌエルの『魔術大系』に書かれている魔術単語から探したものなので、『ファスナル《火と水よ》』を発表すれば別の誰かが『アムスナル《大地と水よ》』を探し出すのも時間の問題だと気付いた。
それだったら二つとも発表した方がいい。
ただ、その魔術単語が系統詞であることを証明するためには、実際に系統詞として魔術を発動させるしかない。【火】と【水】の複合魔術は【溶炎弾】が公表されているので、それを使おうと思っているが、【地】と【水】の複合魔術については【泥縛】しか開発しておらず、【泥縛】を公表するつもりがなかったリカルドは、別の複合魔術を開発しなければならなくなった。
そこで図書館に来てアイデアを探しているのだが、【地】の魔術研究書には新しい複合魔術のアイデアとなる記述はなかった。次に【水】の魔術研究書を調べ始め、ある記述に目を止める。
この本を書いた魔術士は洗濯物を即座に乾燥させる魔術を開発しようと考えたらしい。魔術は完成したが使い物にならなかったようだ。
洗濯物を【水】の魔術だけで乾燥させるには強い魔力と強力な触媒が必要だったのだ。高い触媒を使ってまで洗濯物を乾かしたいとは誰も思わない。
リカルドは乾燥の魔術を見てアイデアが閃いた。
リカルドが調べ物に夢中になっている時、背後から兄弟子であるマッシモが近付いてきた。
「雑務局の奴が図書館で勉強か。まさか論文でも書いているんじゃないだろうな」
相変わらず丸々とした身体を重そうに動かしている。転がった方が速いのにとか思っていると、マッシモが開いている魔術研究書を横から覗き込んだ。
「イサルコ理事の手伝いで調べ物をしているんです」
「たくさんの魔術研究書を調べていたようだが、イサルコ理事は何を調べろと命じたんだ?」
「理事の許可なく喋れません」
マッシモが忌々しそうな表情を浮かべた。
「本当に論文を書こうとしているんじゃないだろうな?」
「違います」
「チッ、まあいい」
マッシモは離れ、先程リカルドが見ていた魔術研究書を調べ始めた。どうやら魔術論文を書いているんじゃないかと疑い、見ていた魔術研究書にヒントがあるのではないかと調べているようだ。
嫌な疑惑が頭に浮かんだ。マッシモの奴は書こうとしている論文を盗み、自分の論文として発表しようと考えているのでは……という疑惑である。
「考え過ぎか……今日書くと決めたばかりなんだ。マッシモが知っているはずがない」
マッシモは長老派のジャンピエロに取り入り、運良く長老派の一員として入り込んだようだ。彼が長老派を選んだ理由は、その派閥内に大勢の無能な研究員を抱えているからだろう。
それらの無能な研究員は自分で論文を書かず、街の片隅で魔術の研究をしている魔術士から論文を買い自分の名前で発表しているようだ。
マッシモもそうしようと考えているのだろう。だが、そういう手段で発表した論文が高く評価されることはなく、複合魔術の論文で高まった名声も落ちるに違いない。
引き続き魔術研究書を調べたが、乾燥の魔術以外は目を引くものはなかった。いつの間にか眠っていたらしいモンタが起きてショルダーバッグの中でもぞもぞし始めた。退屈なのだろう。一旦調べ物を打ち切り魔術士協会の外に出た。
アントニオから聞いた飼育場の状況が気になり、飼育場まで歩いていく。秋までは青々としていた飼育場の半分以上が白っぽい土色に変わっていた。
しかも草が残っている部分も枯れ草色となり、全体的に寒々とした風景が広がっている。
モンタは見知った場所に来たので、作業小屋の屋根に登り遊び始めた。モンタが遊べるような樹木を植えた方がいいかもしれない。木の実が生る樹木を選ぼうと思う。
アントニオとダリオたちは、枯れ草を集めている。
「寒さに強い牧草を探し、その種を蒔いた方がいいのか。これも調査が必要だな」
飼育場はロマーノ棟梁の弟子である職人たちにより拡張されていた。広さ一ヘクタールの第九区画~第十三区画が完成し、妖樹が放たれるのを待っている状態だ。
飼料の問題があるので、冬場に妖樹を増やそうとは考えていない。
アントニオたちに手を振り自分が来たことを知らせた後、ロマーノ棟梁が居るベルナルドの飼育場へと向かった。そこでは作業小屋と同じような建物が建設中だった。
棟梁を捕まえ伐採現場について質問し、知り合いの樵を紹介してくれるように頼んだ。棟梁は快く承知してくれた。
ユニウス飼育場に戻り、作業小屋に入ってベルナルドから預かった紫玉樹実晶を取り出した。今から温度調節機能付きの収納紫晶を作ろうと考えたのだ。
二〇個ある紫玉樹実晶の中で当りは四個、最初の二つは失敗し白い筋が全体に走ってしまった。三個目は一筋だけ白い筋が走ったが、そこで魔力を止めることができた。これなら因子文字を刻めるだろう。
最後の四つ目は白い筋が走ろうとする予兆を感じ止めた。完璧な成功だ。
成功した二つに因子文字を刻み冷蔵収納紫晶を完成させた。
一休みしているとお腹が空いたらしいモンタが戻ってきて食べ物をねだった。
「干し葡萄でいいかい?」
「キュエ」(いいよ)
リカルドは収納碧晶から干し葡萄が入った袋を取り出し、モンタの前に置いた。モンタは袋に顔を突っ込むと食べきれないほどの干し葡萄を抱えて顔を出した。
「それじゃあ食べ過ぎだろ」
「モキュキュ、キュエキュキャ」(モンタは育ち盛りだからいいの)
そう言うと幸せそうに干し葡萄を齧り始めた。
モンタが食べ終わった頃、アントニオが作業小屋に入ってきた。
「腹が空いただろ。昼飯を作ったから一緒に食べよう」
「ありがとう。ペコペコだったんだ」
飼育場の昼食はジュリアが焼いたパンと野菜スープだけだった。貧相な食事だが、スラム街で生活していた時よりはずっとマシらしく、ダリオたちは嬉しそうに食べている。
食事をしながら、伐採現場に放置されている枝葉を回収する件を話した。
「ただで貰っていいのか?」
「回収してもらった方がありがたいらしいよ」
「そりゃあいい。俺たちが伐採現場へ行けばいいんだな」
「伐採現場で作業している樵の人たちが承知してくれたらね」
アントニオの話によると、妖樹たちに枯れた雑草を与えているが、青々とした雑草を与えていた頃と比べると動きが良くないようだ。
昼飯の時間が終わり作業小屋に戻った。今度は妖樹デスオプの鱗牙鞭の加工を始めた。三メートルの長さがある鱗牙鞭は付け根部分が太く、先端が細くなっていた。
そのままロッドとして使えるのは先端の七〇センチほどで、他の部分は表面の鱗部分を削り取り細くしなければロッドとしては使えそうになかった。
二本の鱗牙鞭は捻れている部分や傷が付いている部分もあり、ロッドに加工可能なのは五本分ほどだった。その部分を切り取り、太い部分は中心部分を残して削った。
鱗部分を削り普通のロッドに加工した三本は上級下位の魔術までなら耐えられる魔成ロッドとして魔力コーティングした。
残りの鱗部分が残っている二本はちょっと冒険しようと考えた。プローブ瞑想を行い意識を精神の奥底まで沈める。源泉門から五歩の所まで意識を近付けると大きな力が流れ込んでくるのを感じた。
その力を魔力に変換しロッドに流し込んだ。ロッドの表面に残る鱗に雪華紋が浮かび上がる。今までになかった複雑で大きな雪華紋だ。
今まで魔力コーティングするとロッドの表面は飴色に変化したのだが、このロッドは違った。黒に少し茶色が混ざった黒茶色と呼ぶような色に変化したのだ。
最後まで魔力コーティングし完成したロッドは、今まで製作した魔成ロッドとは別物となった。ロッド自体に力が溢れているような存在感があり、魔力を流し込むと鱗が震え出し凶悪な力を感じさせた。
この黒茶色のロッドは『デスオプロッド』と呼ばれ、マトウ作と言われる魔成ロッドの中でも人気の高い逸品となる。その御蔭で偽物も数多く出回るようになり、コレクターの間で注意すべき魔成ロッドの一つだと言われるようになるのだった。
最後の一本もデスオプロッドとして完成させた。外に出ると夕方近くになっていたので、アントニオと一緒に家路に就く。
モンタはショルダーバッグの中で眠そうにしている。遊んでやることはできなかったが、一緒に居るだけで嬉しいようだ。
途中、ベルナルドの屋敷に寄った。
ベルナルドに会うと加工したばかりの収納紫晶を渡した。
「ほう、できましたか。普通の収納紫晶が二つ、冷蔵収納紫晶が二つですか」
完成度の高い冷蔵収納紫晶を王太子への贈り物用としてブレスレットに加工してもらうことになった。
「完成したら、サムエレ将軍に頼んで王太子に送ってもらいましょうか?」
「はい、お願いします」
「おっと、忘れるところでした。イサルコ理事に贈るペンダント型収納紫晶ができましたよ」
金と銀の小さなリングを組み合わせた中に収納紫晶が浮かぶシンプルなデザインのペンダントだった。
翌日、リカルド、タニア、パトリックの三人は究錬局のイサルコを訪ねた。
イサルコの部屋に入り顔を見るなり、タニアが祝いの言葉を発した。
「理事、誕生日おめでとうございます」
リカルドとパトリックも祝いの言葉を告げる。
「ありがとう。今年は誕生日を祝ってくれる魔術士が二人も増えて嬉しいよ」
究錬局の研究員に厳しく指導しているせいなのか、イサルコは研究員たちから敬遠されていた。特に長老派からは嫌われているので、イサルコの誕生日を知る研究員はタニアぐらいしかいなかった。
「イサルコ理事も、もう少し研究員に優しくすればいいがや。借金取りみたいにまだ論文は出来ていないのかと催促しているばかりじゃ駄目だがね」
パトリックの忠言を聞いてイサルコは苦笑した。
「ちゃんと研究し論文を出している研究員には優しくしているぞ。そうだろ、タニア」
タニアは困った顔をする。
「そうですけど、そういう研究員は少ないですから」
イサルコが気落ちしたように肩を落とす。それを見てリカルドが。
「今日は究錬局のことはいいじゃないですか」
タニアとパトリックが同意し、それぞれがプレゼントをイサルコへ贈る。
「私は理事の好きなオプルの実を買ってきました」
タニアが贈ったのはピスタチオに似た木の実を焙煎し塩で味付けしたものである。
「ワイはリンゴ酒を蒸留した酒だがね」
パトリックが贈ったのはアップル・ブランデーのような酒らしい。酒好きのイサルコは喜んだ。
「酒とツマミを贈ってくれるとは、お前たちにしては気が利いているぞ」
「理事に装飾品などを贈っても、あまり喜んでくれませんからね」
タニアの言葉にリカルドは少し顔を顰めた。
「リカルドも贈り物を持ってきたんだろ。早く出すがね」
パトリックが催促するので、リカルドがペンダント型収納紫晶を出した。
「ありゃ、やっちまったか」
パトリックはただの装飾品だと思ったようだ。
「いやいや、装飾品でも嬉しいよ」
イサルコが気を使って言う。
「これは装飾品じゃありません。魔術道具です」
「これは紫玉樹実晶だろ。こいつを使った魔術道具なんて見たことないがね」
「理事が収納碧晶が欲しいと言っていたと聞いて、この収納紫晶を贈ろうと思ったんだ」
「収納紫晶だって、まさか……」
イサルコは収納碧晶についてはよく知っていたので、指で収納紫晶を挟むと魔力を流し込んだ。次の瞬間、パトリックが贈った酒瓶が消えた。
それを見たタニアとパトリックが大騒ぎする。
イサルコはリカルドからの贈り物を大いに喜び、贈り主である将来有望な少年の成長を見守っていこうと心に決めた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その数日後、ヨグル領の王太子はサムエレ将軍から送られてきた荷物の中に小さな箱を見付け首を傾げた。
「何……リカルドから贈り物だと」
ヨグル領へ来る時にリカルドと交わした会話を思い出した。
「本当に誕生日祝いの贈り物をしてくれたのか。律儀な奴だ」
王太子から欲しいとほのめかされ、贈り物を用意しない庶民は居ない。その辺の感覚は庶民とズレているようだ。
「さて、何を贈ってきたんだ」
箱を開けてみると洒落たブレスレットが入っていた。左腕に填めてみる。キラキラと輝く宝石が数多く並んでいるような装飾品は趣味ではないが、落ち着いたデザインの中に一つだけ紫玉樹実晶が嵌め込まれているのが気になった。
小さな箱には紙切れが一枚入っており、そこには『紫玉樹実晶に魔力を流し込めば使えるようになります』と書かれていた。
「紫玉樹実晶に魔力を流し込めだと……これは魔術道具なのか。しかし、紫玉樹実晶は使い道のないものだったはず」
試しに魔力を流し込んでみた。冷蔵収納紫晶に収納されている紙の存在が、頭の中に浮かんだ。
「こ、この感じは収納碧晶と同じ……」
王太子はブレスレットに嵌められている水晶のような結晶を確認した。やはり小さく紫色をしている。
収納碧晶と同じ要領で収納されている紙を取り出そうとしてみた。目の前に冷蔵収納紫晶の説明書が現れる。
紫玉樹実晶は『冷蔵収納紫晶』と呼ばれるものであり、容量は小さいが収納碧晶と同じ機能を持つと書かれていた。
「何の役にも立たないと思われていた紫玉樹実晶が収納碧晶と同じような魔術道具になるとは……画期的な発見ではないか」
何度か使ってみて冷蔵収納紫晶の容量や機能が判ってきた。そして、この冷蔵収納紫晶という魔術道具はとんでもない可能性を秘めているかもしれないと感じ始める。
「王都に戻ることさえできれば、この魔術道具の可能性を研究し国のために役立てられるのに」
とは言え、この新しい魔術道具を国王や他の王族に知らせようとは思わなかった。王太子自身が王族を信用していないからだ。最悪の場合、リカルドの発明が奪われ強欲な王族の資金源にされる危険性もある。
「リカルドには、ベルナルドとかいう商人が付いていたな。老練な商人らしいから、下手な売り方はしないと思うが、サムエレ将軍に見守るよう指示を出しておくか」
王太子は将軍への手紙を書き始めた。
2017/8/6 誤字修正




