scene:43 冷蔵収納紫晶
翌日、第二魔境門近くで発見した神珍樹の様子を確かめに魔境に入った。門番から魔獣が増えているから気を付けろと忠告される。
岩山の方へ進み始めると妖樹クミリの姿を目にするようになった。クミリは落ち着かない様子で走り回っている。もしかすると手強い魔獣が近くに潜んでいるのかもしれない。
こういう時はさっさと用事を済ませ帰る方がいい。クミリの洞窟に入り神珍樹がある岩棚まで登る。
狭い出口から這うようにして岩棚に出ると神珍樹を確認した。成長を始めて数年しか経っていなさそうな若木に色鮮やかな何個もの実が生っていた。
「凄いな。碧玉樹実晶もある」
黄玉樹実晶十八個、紅玉樹実晶七個、紫玉樹実晶二個、碧玉樹実晶一個が神珍樹の枝に実っていた。
急いで回収した神珍樹の実をペンダント型収納紫晶に仕舞う。
リカルドは上空に視線を向けた。前回は風切り鳥に邪魔されたからだ。上空には何も居なかったが、地上の方から何かが戦っている音が聞こえた。
岩棚の縁まで行き下を見下ろす。遙か下では妖樹エルビルの群れと二体の見知らぬ妖樹が戦っていた。
未知の妖樹は獣のような奴だった。根っこが四つに分かれ獣の足のように動いていた。脅威的なのは根っこの上にあるビヤ樽のような幹から伸びている二本の枝である。
三メートルほどの鞭のような枝がしなりながら風を切り裂いて伸び、エルビルの幹を叩くと堅い幹が抉れ深い傷を残した。
エルビルは数体で未知の妖樹を囲み四本の枝で袋叩きにした。未知の妖樹は二本の鞭枝で反撃するが、数の力には敵わず一体の未知の妖樹が樹肝の瘤を叩かれ力尽き倒れた。
残った一体は何とかエルビルの囲みを破り、北の方へと逃げていった。エルビルもそれを追って消える。
リカルドは下に降り洞窟から出ると倒れている妖樹の所へ歩み寄る。立っていた時は、体高二メートル半ほどあった妖樹が力なく横たわっていた。
リカルドが手を伸ばし妖樹に触れようとした時、死んだと思っていた妖樹が動き出した。根っこをバタつかせ起き上がろうと藻掻く。
リカルドは反射的に飛び下がり、ヒップホルスターから魔功銃を抜いて藻掻く妖樹の樹肝に向けて引き金を引いた。
魔功銃の衝撃波くらいではなんともないはずの樹肝の瘤から油がバッと噴き出し周りに飛び散った。エルビルの枝で叩かれ大きな亀裂が入っていたのだ。妖樹の動きが遅くなり終には動かなくなる。
「また、動き出すんじゃないだろうな」
慎重に近付き死んだのを確かめた。確実に死んだようだ。その証拠に鞭のように柔軟だった枝がピンと伸びている。妖樹の枝や根っこが動いているのは魔力が関係しているようなので、魔力が消えた妖樹の死体は硬直しているのが普通らしい。
後で調べて判ったのだが、こいつはデスオプと呼ばれる妖樹だった。鞭のような枝は『鱗牙鞭』と名付けられており、その表面には魚の鱗のような模様が浮かんでいる。
枝を切り落とし試しに魔力を流し込んでみた。魚の鱗のような部分が細かく震えだした。どうやら振動の力で敵の体を削る武器となるようだ。
リカルドは三メートル近い枝を振り回そうとしてみたが、無理だった。成長途中にあるリカルドの身体には、かなりの重さがある鱗牙鞭を振り回す力はなかった。
リカルドは妖樹デスオプを収納碧晶に仕舞うと急いで魔境から脱出した。
その日の乗合馬車で王都へと戻り、ベルナルドの店に行って収納紫晶を二つ渡した。ベルナルドの知り合いに金細工職人が居り、ペンダントに加工する作業を頼んでくれる話になっていたのだ。
二つの収納紫晶を渡されたベルナルドは戸惑った。
「二つですか……もしかして一つは私に」
リカルドは慌てた。
「ごめんなさい。もう一つは王太子様の誕生日にプレゼントする約束をしてしまったのです」
「何だ、そうでしたか。しかし、王太子様は気難しい方だと聞いていたのですが……リカルド君を気に入ったようですね」
「そうなのですかね。贈り物をねだられた時はカツアゲされたような気分になりましたけど」
「ハハハハ……まあ、あの顔ですから」
少しベルナルドと話した。
「王太子様への贈り物ですが、ペンダントでよろしいのですか?」
「どういう意味です?」
「王太子様ともなれば収納碧晶をお持ちになっていると思うのですよ」
収納碧晶は貴重なものであり、ペンダントのようにチェーンを付けて首に下げている場合が多い。王太子もそうなら、同じような機能で明らかに劣っているものを贈られて喜ぶだろうか。
リカルドは実験的に作った収納紫晶を取り出した。
「こっちの収納紫晶にするか。でも、容量が少ないからな」
ベルナルドは新たに取り出した収納紫晶を見て首を傾げる。
「前の二つと何か違うのですか?」
「ああ、こっちの収納紫晶は温度調節機能が付いているんです」
「……温度調節機能。どういうものです?」
「例えば」
リカルドはベルナルドの前にある飲みかけの紅茶カップを手に取り、温度調節機能付きの収納紫晶に入れ、少ししてから取り出した。
「飲んでみてください」
ベルナルドは不思議そうな顔で紅茶を口にする。
「なんと……冷たい」
「この収納紫晶に入れたものは全て冷たくなります。暑い夏などに冷たい飲み物を飲もうと思って作ってみたんです」
「な、なるほど……素晴らしいものですな。先程容量が少ないとか言われていましたが?」
「この収納紫晶を作る時に白い筋を作らないよう流し込む魔力を抑えたんです。その御蔭で収納容量が減ってしまいました」
「ほう、それは必ず収納容量が減るものなのですか?」
「どこまで白い筋を作らずに魔力を流し込めるか見極められずにいるんです。何個も作れば見極めができるようになるかもしれませんが、それには収納紫晶がたくさん必要になります」
「その白い筋が入った収納紫晶は使えないのですか?」
「普通の収納紫晶としてなら使えますよ」
ベルナルドが何か考え始めた。
「ふふふふ……」
いきなりベルナルドが不気味に笑い始めた。
「どうしたんですか?」
「アッ、失礼しました。この収納紫晶が凄い商売になると思いまして自然に笑いが溢れてしまいました」
時代劇に出てくる悪い商人のような笑いだったが、まあいい。
「リカルド君から、紫玉樹実晶を持っていないか訊かれた後、私も王都の知り合いに声を掛け探してみたのですよ」
ベルナルドは収納碧晶から袋を取り出した。中には紫玉樹実晶が二〇個ほどあった。
「ヨグル領で購入するより少し高くつきましたが、これで温度調節機能付きの収納紫晶を作ってもらえませんか?」
「でも、失敗するかもしれませんよ」
「収納紫晶として使えるのなら、それでも構いません。もちろん加工代はお支払いします」
リカルドは承知した。
「ん、王太子様へ贈る収納紫晶はどうします?」
「ああ、そうでした。温度調節機能付き収納紫晶、名前が長いですな」
「冷蔵収納紫晶はどうです」
「いいでしょう。その冷蔵収納紫晶ができたら、それをブレスレットの形にして贈ったらいいのではないですか」
「ブレスレットですか。普通の収納紫晶でもブレスレットなら使いやすくなるかもしれません」
収納紫晶が肌に密着する形のブレスレットなら指先を使わずに物の出し入れができるようになる。そうリカルドは考えた。だが、それはリカルドが考案した魔力制御訓練法を行った者だけが可能なことだった。
「アレッ、王太子様は魔力の制御ができましたっけ?」
「王族は魔術を必ず習いますからできるのではないですか」
「そうなのですか」
リカルドはホッとした。
ベルナルドと収納紫晶の加工代について話し合ったが、まだ収納紫晶がいくらで売れるか分からないという理由で、後日決めることにした。
ベルナルドの店を出て家に戻ったリカルドに、モンタが駆け寄り抱きついた。
「キュカ、キュキュ」(リカ、お帰り)
「よしよし、モンタは寂しがり屋だな」
モンタを撫でているとセルジュとパメラも寄ってきて嬉しそうな顔でリカルドに抱きついた。
「リカルド兄ちゃん、お帰りなさい」
最近二人は近所の子供たちと遊ぶようになり、王都での生活にも慣れたようだ。モンタもリカルドが危険な場所に行く時はお留守番をさせるようになり、セルジュとパメラと一緒に遊んでいる。
ただ周りの住民には賢獣だと言っていないので、普通のペットとして扱われていた。賢獣は三歳くらいになると人間の言葉を喋れるようになると聞いたので、もう少ししたらモンタにも練習させようと思っている。
夕方になって、アントニオが帰ってきた。
「兄さん、飼育場の方はどう?」
「妖樹の飼料を集めるのが難しくなってきた」
「冬場は仕方ないよ」
「だけど、食べ物が少ないと妖樹が育たないから収穫が遅くなる」
妖樹は食料が不足するとジッと動かなくなり冬眠したような状態になるようだ。その状態の時は成長しないので妖樹が実を着ける時期も遅れる。
「飼料か……ちょっと考えてみるよ」
家族と夕食を食べてから、モンタと一緒に自分の部屋に行く。モンタは夜になったので眠そうにしており、部屋の隅にある大きな籠の中に毛布を敷いただけの寝床に入ると目を瞑った。
モンタが眠ったのを見届けてから、妖樹の飼料について考え始めた。
妖樹は有機物なら何でも消化し吸収するので、雑草などの植物だけが飼料となるわけではない。狩りをして肉を手に入れることも考えたが、飼育している妖樹の数を考えると十分な量の肉を手に入れられるか自信がない。
狩りが駄目なら海藻はどうだろうか。近くに海があるので昆布やワカメを採取するのは可能だ。
「駄目か。ワカメは春、昆布は夏が漁の時期だと聞いた覚えがある」
その時期以外のワカメや昆布でも問題ないと思うが、冬場のコンブ漁は絶対にきついだろう。リカルド自身もやりたくなかった。
「海藻も駄目となると、東の農業地帯から麦藁を購入するか。麦藁は安いから、あまり負担にはならないけど、将来的なことを考えると、サイロでも作って冬用の飼料を貯めとくようにするか」
リカルドはサイロ内で酸欠状態になり窒息する事故が起きたというニュースを思い出した。サイロに貯蔵した植物の発酵などにより酸素が消費され酸素濃度の薄い空気がサイロ内に貯まるのが原因である。
『サイロを作り利用する時は酸欠に注意すること』と黒革の手帳に書き込んだ。
手帳をパラパラと捲ってみると魔術関係で発見した原理や情報が日本語で書いてあった。その他に日常で思い付いたアイデアもメモ書きされている。
「これは……【魔旋盤】の魔術を利用して便利な魔術道具を作ろうと考えた時のアイデアか」
手帳に書いてあったアイデアは草刈機である。丸い刈刃が回転して草を刈る、日本ではよく見るタイプのものだ。雑草を刈るのに便利だろうと考案したが、【魔旋盤】の魔術を因子文字を使い、どう構築するか研究中である。
草刈り機からチェーンソーを連想し、伐採の風景が頭に浮かんだ。
「ここの林業は丸太にした後の枝葉をどうしているのだろう」
森から運び出しているとは思えないので放置しているだろうと推測する。後でロマーノ棟梁に訊いてみると放置で正解のようだ。ただ放置された枝葉は妖樹の餌となり、伐採現場に妖樹が集まってくるので困っているらしい。
リカルドは伐採現場に放置されているなら枝葉を回収できないかと考えた。
「よし、このアイデアを進めてみよう。駄目だったら麦藁だ」
考えるのも疲れてきたので、その日は寝た。
翌朝、モンタと一緒に魔術士協会へ向かった。
仕事は相変わらずの報告書作成である。雑務局のある協会事務所に入り仕事部屋のドアを開けた。
「おはようございます」
中でイサルコが待っていた。
「おおっ、来たか。待っていたぞ」
何だか機嫌が良さそうだ。
「やけに機嫌が良さそうですね。どうかしたんですか?」
「王太子様から報奨金が出たぞ。こいつがお前の分だ」
イサルコは小さな袋を出しテーブルの上に置いた。リカルドが手に取り中身を調べると金貨が数十枚も入っていた。
その時、ドアが開き同期の魔術士であるバルナバとビアンカが部屋に入ってきた。
「……イサルコ理事。お、おはようございます」
ビアンカがびっくりしたような声で挨拶した。バルナバも続いて挨拶する。
「ああ、君たちは雑務局の新人だね。リカルドに用があって来たのだ。彼を借りていくよ」
そう言うとイサルコは部屋を出た。リカルドは急いで付いていく。
部屋の外に出ると。
「この近くで、誰も居ない静かな場所を知らないか?」
「それだったら、従業員宿舎がいいです。午前中は誰も居ませんから」
二人は従業員宿舎に行った。中に入りダイニングルームにイサルコを案内した。紅茶を淹れよう思い、お湯を沸かし始める。
「ここで生活していただけあって、手慣れているようだね」
「三ヶ月ほど住んでいましたから、慣れて当然ですよ」
イサルコは部屋の中を観察し棚に手製の本が並べられているのに気付いた。興味を持ち中の一冊を引き抜いてパラパラと見てみる。
「ん……これは教本か」
「それは元々の教本が分かり難かったので、小僕用に書き直したものです」
イサルコは熱心に魔術独習教本を読み始めた。その間に、リカルドは紅茶の用意をする。
紅茶をイサルコに出した時も、まだ読み続けていた。
「素晴らしい。これを使って小僕たちが魔術の勉強をしているのか」
「魔術士協会で何年も働いているというのに、初級魔術すら一つもできないというのでは悲しいじゃないですか。それで作ったんです」
「なるほど、それで魔術独習教本を……ん、著者がキメリル・マトウになっているが?」
「自分のペンネームです」
「ああ、マトウ殿の弟子という意味か。マトウ殿は良い師匠のようだね」
「ええ」
「ところで、用というのは冥界ウルフと戦った時に使った【溶炎弾】についてだ。あの時、君は私の知らない系統詞を使った。あれは何なのかね?」
強敵との戦いで緊張し使い慣れている複合魔術専用の系統詞『ファスナル《火と水よ》』を使ってしまったようだ。知られた以上、正直に話すしかなかった。
因みに、あの時は【地】と【水】の複合魔術である【泥縛】も使っているのだが、イサルコは上級魔術の準備に集中していて、その【泥縛】にも新しい系統詞が使われているとは気付いていなかった。
「【火】と【水】の複合魔術専用系統詞です」
「複合魔術専用系統詞だと!」
イサルコは驚き思わず大声を出した。
新しい系統詞の発見と言えば、マッシモが論文で発表した複合魔術以上の発見である。イサルコは絶対に論文を書いてもらわねばと決意した。
イサルコは新しい系統詞の重要性を説明し何度も何度も論文を書くように頼んだ。最初は渋っていたリカルドだったが、イサルコの熱意に根負けした。
「分かりました。書きます」
「おお、ありがとう」
「ですが、発見者の名前はアースリング・マトウにします」
「しかし、新しい系統詞を発見したというのは、物凄い名誉なのだよ。自分の名前で発表しないでいいのかね」
「十一歳の自分が発見者だと言っても、何かの幸運で偶然発見したと思われるだけでしょう。それに騒ぎに巻き込まれ苦労するような気がします」
「そうかもしれないが……仕方ない。気が変わったら私に言ってくれ。何年後になろうとアースリング・マトウが、本当は誰なのか証言するから」
2017/7/24 修正




