scene:41 冥界ウルフの最後
イサルコの呼び掛けに応え、まず近衛兵たちが飼育場に避難してきた。満足に動けるのは三人だけだったが、倒れている仲間を引き摺るようにして飼育場の扉から入ってきた。
運んできたのは二人だけ、残りの五人は死んでいるようだ。彼らの顔には恐怖と無念の思いが浮かんでいた。
イサルコはタニアとパトリックに治療するよう指示を出す。二人は屋根から降り近衛兵の所へ走っていくと【治癒】の魔術を使い治療を始めた。リカルドも治療に参加しようとするとイサルコが止める。
「待て、私たちは冥界ウルフに備えるんだ。奴の回復力は侮れないものがある」
傷付いた冥界ウルフは、飼育場から少し離れた場所に移動し傷の回復を待っていた。巨大狼はただ傷の回復を待っているわけではなく、討伐チームの主戦力であるテオバルドとサンティが飼育場に逃げ込めないような位置に居座り牽制していた。
冥界ウルフから流れ出ていた血が止まり、傷口に近い方の足が先程まで細かく震えていたのに、それも止まった。荒かった呼吸も正常に戻っている。
「傷を負った時に、奇襲を掛けた方が良かったのではないですか?」
リカルドの疑問にイサルコは首を振って否定する。
「あの時、一か八かで戦っていたら勝率は半々だっただろう。死に物狂いとなった獣は恐ろしいからな」
イサルコが慎重に考えているのを知って、リカルドは少し安心した。
「それで作戦は何かあるのですか?」
「もちろんだ……と言いたいところだが、当てにしていた近衛兵があれではな」
治療を終えた近衛兵たちだったが、全員が青い顔をして震えていた。先程の戦いで精神的に大きなダメージを負ったようだ。
このまま時間が過ぎれば、冥界ウルフの傷が回復しテオバルドとサンティを始末するだろう。そうなる前に何か手を打つ必要がある。
「双角鎧熊と戦った時に使った魔術は使えるか?」
「【泥縛】ですか。もちろん使えます。ですが、冥界ウルフの巨体だと足止め程度にしかならないと思いますよ」
「足止め程度でも構わない。私が上級魔術で仕留める」
その時、冥界ウルフが動き出しテオバルドとサンティの方へゆっくりと近付いていく。魔術士の二人は諦めたのか逃げようともしない。
「仕方ない、行くぞ」
イサルコが外に出る。リカルドも続いて外へ。
リカルドは冥界ウルフを狙って、火と水の複合魔術である【溶炎弾】を放った。その時、イサルコが何かに気付いてリカルドを見た。
溶炎弾は冥界ウルフの尻に命中し高温を発する溶岩が毛皮を焦がす。巨大狼は尻尾を使って張り付いた溶岩を払い、怒りの籠もった目でこちらを見た。
向きを変えた冥界ウルフは一声吠えると全速力で駆け出した。
リカルドは【泥縛】の触媒を取り出し、冥界ウルフの動きに集中する。狼の前方に【泥縛】を放った。
巨大狼の前足が地面を蹴ろうとして泥の中にズブリと沈む。勢いが付いている狼の巨体は半回転して背中から泥沼に落ちた。慌てた狼は泥の中で暴れる。
その間、イサルコが特別な触媒を取り出し体内の魔力を抽出する。その魔力に魔成ロッドが耐えられないと判っているからなのか。ロッドは使わない。
必要な魔力を集めたイサルコは、泥の中で暴れている冥界ウルフを狙い上級魔術の【地神崩極】を放とうと呪文を唱える。
「アムリル《大地よ》・メルガファス・リリゴ・バシュレトガ」
イサルコの力ある呪文が完成し【地神崩極】が発動した。
まず地鳴りが起き、泥まみれになり力ずくで泥沼から這い出した冥界ウルフの足元がひび割れ、大きな裂け目となって巨大狼を飲み込んだ。地面の中から凄絶な咆哮が響き渡る。
凄まじい反射神経と脚力で地面にできた裂け目の壁を蹴り地上に戻ろうと冥界ウルフが死力を尽くす。
大きく開いた裂け目は逆に閉じようと動き出す。その壁を蹴り上へと跳ねる巨大狼はもう少しで地上に戻れるという処で裂け目が閉じ、右の後ろ足を挟まれた。
冥界ウルフの足一本が潰れた。恐怖と激痛で狂乱した巨大狼は強引に潰れた足を地面から引き抜いた。引き抜いた足の筋肉と骨が潰れ、足全体から血が流れ出している。
自分をこんな目に遭わせた人間に凄まじい怒りの視線を向けた。
「す、済まん。仕留められなかった」
イサルコが青褪めた顔で謝る。
「自分が仕留めます」
リカルドは【陽焔弾】の触媒を取り出し、魔力を魔成ロッドに集める。
冥界ウルフは潰れた足をを引き摺りながら悪鬼のような形相で迫ってくる。
ロッドに集まった魔力に向って触媒を撒くと魔力が神々しいほど真紅に輝き始める。リカルドは神に祈りを捧げるように呪文を唱える。
「ファナ《火よ》・ラピセラヴォーン・スペロゴーマ」
凄まじく高温で直視出来ないほど眩しい光の玉が生まれ冥界ウルフに向かって飛翔する。
瞬時に間合いを飛び越え狼の鼻面に命中した。超高温の陽焔弾は毛皮を焼いただけでは止まらず頭蓋骨までも灰に変え中の脳にダメージを与えた後、斜め上にすり抜けるように飛び去った。
暴黒モグラのように頭全体が灰にはならなかったが、脳に大きなダメージを受けた冥界ウルフはヨロヨロと数歩だけ足を進めた後、ドタッと倒れた。
リカルドたちは冥界ウルフがまた立ち上がるのではないかと数分見つめていた。
「死んだようだ」
イサルコがポツリと告げる。
二人で用心しながら近寄り確かめると死んでいた。リカルドは張り詰めていたものを呼気と一緒に吐き出す。身体が怠い、魔力の使い過ぎで変調をきたしているようだ。
イサルコも同じらしく、その場に座り込んだ。リカルドは地面に座り瞑想を行う。源泉門には手を出さず魔力の回復を図る。源泉門に意識の手を伸ばさないのは、街の外で無防備になるのは危険だからだ。
少しだけ魔力が回復し身体の怠さが抜けた後、ボロボロになった魔成ロッドを悲しげに見つめた。
「これだから【陽焔弾】は使いたくなかったのに」
とは言え、冥界ウルフを仕留めるためには【陽焔弾】が必要だった。
リカルドは念のためにイサルコに確かめる。
「高い触媒とボロボロになった魔成ロッドの費用は魔術士協会から出るんでしょうか?」
イサルコは顔を顰め。
「私たちが冥界ウルフの討伐依頼を引き受けたわけじゃないからな。今回は襲ってきた魔獣を討伐しただけということになる」
つまりは全部自費である。
「こいつから剥ぎ取っていいですか?」
「いや、王家からの依頼だ。冥界ウルフの死骸をサムエレ将軍に確認してもらう」
イサルコは近衛兵の一人に将軍への伝言を頼んだ。
近衛兵は冥界ウルフの死骸を確認すると第二南門へ向った。
飼育場から近衛兵やタニア、パトリック、それにアントニオたちが出てきて冥界ウルフの死骸を見物する。
「ウハッ、デカイな」
「こんなのが襲ってきたら、俺なら即死だな」
ベルナルドの飼育場を建設している大工や日雇い労働者は冥界ウルフの大きさに驚き、その鋭い牙と爪に恐怖した。
「でも、凄えな。こんな化け物をリカルド様が仕留めたんですよね」
ダリオが尊敬の目でリカルドを見る。それは同じ従業員のエリクとフレッドも同様だった。
そして、同僚であるパトリックとタニアも興奮していた。
「イサルコ理事の上級魔術も凄かったけど、リカルドの上級魔術も凄い威力だったがね」
「そうそう、テオバルドの上級魔術で仕留められなかった冥界ウルフに止めを刺しちゃうんだから凄いわ」
イサルコは興奮している皆を落ち着かせ、討伐チームの亡骸を運んでくるよう指示した。
テオバルドとサンティは死んだ魔術士たちと一緒にイサルコの近くに来たが、肩を落とし仲間の遺体を見つめながら一言も喋らなかった。
少し経った頃、近衛兵を引き連れたサムエレ将軍が来た。
「イサルコ理事、お見事です」
「仕留めたのはリカルドですよ」
「そうらしいですな。こんな小さいのに、凄いものだ」
リカルド自身、一人では倒せなかったと自覚しているので慌てた。
「いえ、イサルコ理事が狼の足を潰してくれた御蔭です。自分一人では魔術を命中させられたかどうか……」
「ハハハ……小さな魔術士殿は謙虚なようだ」
サムエレ将軍はガイウス王太子に命じられた冥界ウルフ討伐が成功裏に終わり機嫌が良かった。
討伐に参加した人々を褒め称えた後、将軍は部下の近衛兵や魔術士の亡骸の前に行き静かに黙祷を捧げた。
将軍たちが冥界ウルフの死骸と死者の遺体を運び街に戻った。
テオバルドとサンティはイサルコとリカルドを睨んでから、悔しそうに去っていった。
「あいつら助けてやったのに、礼も言わずに行ってしまいおった。上司の教育がなっとらんな」
イサルコが生き残った魔術士二人と上司であるシスモンドを非難する。命掛けで助けたのに礼も言わないのだから当然だとリカルドも思った。
リカルドとしては兄と従業員たちの安全を確保するという目的が叶えば文句はないのだが、ついでとは言え、危険を冒して戦い、魔術士たちを助けたはずなのに何故恨まれるのかと釈然としない。
漠然と魔術士のプライドの問題なのだとは分かるが、リカルド自身は魔術士だからといって偉いとは思っていないので、討伐局の魔術士が持つ強烈なエリート意識が理解できずにいた。
リカルドが困ったような顔をしていると、何故かタニアが激怒する。
「なんなの、あいつら。子供でも助けられたら礼を言うのに……逆に睨んでいったわよ。これだから魔術士は態度が悪いとか礼儀知らずとか言われるのよ」
魔術士は選ばれた人間であるという選民思想に取り憑かれた者が多いらしい。そのせいなのか横柄な態度を取る魔術士も多く、一部の人々から嫌われていた。
魔術士が礼儀知らずだと思っている者から、タニアは何か言われた経験があるのかもしれない。
飼育場を建設していた大工たちが去り、リカルドたちだけになる。
「イサルコ理事、タニアさん、パトリック、今日はありがとうございました」
リカルドとアントニオはイサルコたちに礼を言う。正直、イサルコが来てくれなかったらどうなっていただろうと冷や汗が出る。
冥界ウルフクラスの魔獣を倒すには、魔術だけでなく別の何かが必要なようだ。後でゆっくり考えよう。
飼育場に戻るとモンタが屋根から飛び降りてきて、リカルドの顔にベタッと抱き付いた。
「キュカ、キュエキュキュ」(リカ、スゴいスゴい)
怖かった冥界ウルフをリカルドが倒したのが物凄く嬉しかったようで、全身をリカルドに擦り付ける。
モンタはリカルドの頭の上で器用に踊り出した。腰をフリフリ、手をグルグル回している。勝利のダンスのつもりらしくノリノリだ。
「イタタッ……髪の毛を引っ張るなよ」
リカルドが声を上げるが、モンタは夢中である。
その様子を見て、他の皆がにこやかになった。怒っていたタニアまでも笑い出す。
リカルドたちと別れ王都のバイゼル城に戻ったサムエレ将軍は、ガイウス王太子に報告した。場所は城の訓練場である。王太子は魔功銃の訓練をしていたのだ。
将軍は王太子の目の前に巨大狼の死骸を運び込んだ。
「ほう、これが冥界ウルフか。大物だな」
「はい、出した近衛兵の半分が戦死しました。……死んだ兵士の家族に殿下からも何か御言葉を賜れば慰めとなるでしょう」
「分かった。王家から弔慰金と感状を送ろう。無事に戻った兵士にもよくやったと伝え、報奨金を出せ。もちろん、冥界ウルフを仕留めたイサルコ理事とリカルドには報奨金を贈るよう手配せよ」
「ハッ」
将軍は感謝し深く頭を下げた。
「魔術士協会の討伐チームはどういたしましょうか?」
「何も無しで良い。イサルコ理事に出した依頼を勝手に引き受け失敗したのだ。必要ない」
王太子の顔が不機嫌となった。王太子たる自分が出した依頼を横から奪い取った討伐局の魔術士を不快に思ったのだ。
「しかし、この化け物の死骸を見て、ますます不信感が募ってきた。冥界ウルフを召喚した者は何が目的だったのだ」
将軍が深刻な顔で。
「そのことでございますが、今回の件は何かの実験だったのではないでしょうか」
ガイウス王太子が悪人顔の眉を吊り上げ。
「どういう意味か詳しく述べよ」
「もし、冥界ウルフが出現した場所が王都内だったら、どうなっていたでしょう」
王太子が顔色を変えた。
「馬鹿な。そんなことになれば、罪のない大勢の民が死ぬのだぞ」
「はい、王都は大混乱に陥ります」
王太子と将軍は冥界ウルフが王都の街に召喚された場合、どうなるか想像し肝を冷やす。
「だが、実験ならば我らに知られずに行なうのではないか?」
「何か手違いが起こったのか。あるいは王都の戦力を確認したかったのか」
王太子は考え込み、北西のヨグル領に視線を向けた。
「魔境に派遣しておる宮廷魔術士を戻した方が良いと思うか?」
「冥界ウルフクラスの魔獣を倒せる者は戻すべきかと思われます」
「上級魔術が使える魔術士という意味か。だが、そのほとんどは指揮官クラスだ。指揮官だけを戻せば残った者が混乱する」
「そうですな……三、四人ならば影響が少ないのではないでしょうか」
「ふむ……そうするか」
ヨグル領の魔境門近くに魔獣が増えている件も早急に解決せねばならない事案である。このまま魔獣が増え魔境防壁が破られるような事態となれば、ヨグル領で壊滅的な被害が出る。
その増えた魔獣を討伐している宮廷魔術士を一部とは言え引き上げさせるのは危険な決断だった。
その夜、リカルドは家にタニアとパトリックを招待した。イサルコも招待したのだが、先約があると断られたので二人を招き、料理の腕を上げたジュリアが作る夕食を食べてもらう。
夕食は自家製パンとサラダ、キノコオムレツに、メインは頭突きウサギの香草焼きである。パンは葡萄から作った酵母を使い柔らかいパンに仕上げてある。
サラダはオリーブオイルに似たサザミオイルと酢、砂糖、塩、胡椒を混ぜ合わせフレンチ風ドレッシングを用意した。キノコオムレツはシメジに似たキノコをバターで炒め、調味料で味を整えたものをオムレツの中身として使った。最後の頭突きウサギの香草焼きは伝統的な料理である。
どれも美味しく、タニアはキノコオムレツが一番気に入ったようだ。
「リカルドのお袋さんが料理上手だとは知らなかったがね」
パトリックがジュリアの料理の腕を褒めた。
ジュリアは恥ずかしそうに笑い。
「これはリカルドと一緒に考えながら作った料理なんですよ」
リカルドが自分の食べたいものを再現しようと頑張った結果である。その御蔭だろうか、やせ細っていたジュリアやアントニオは健康的な体形へと変わり始めていた。セルジュとパメラも夢中で母親が作った料理を食べ、子供らしい丸みのある体形となっている。
ただ成功した料理もあれば失敗したものもあり、ユニウス家の食費は一般家庭よりも多かった。
「イサルコ理事にも何かお礼をしなきゃならないな」
リカルドが呟くように言う。それを耳にしたタニアが。
「それだったら、五日後が理事の誕生日なの。誕生日プレゼントとして何か贈ったらいいわ」
この国では高貴な人々を除くと誕生日の祝いをほとんどしない。ただ特別世話になった人に、贈り物をすることはあるらしい。
「誕生日プレゼントか……何がいいかな、イサルコ理事が欲しがっているものとか知らないですか?」
「そうね、前にベルナルドさんが持っている収納碧晶を羨ましがっていたわよ」
パトリックが驚いた拍子に飲もうとしていたお茶を吹き出した。もう少しでモンタに掛かりそうになり、モンタがくりくりした目で睨む。
「キュケ、キュキャキュ」(パト、行儀悪い)
「済まん、タニアが突拍子もないことを言うんで驚いたんだがや」
「イサルコ理事が欲しがっているものを訊かれたから、答えただけでしょ」
「誕生日プレゼントの話をしてたんやろ。収納碧晶は高過ぎるがね」
収納碧晶一個を購入する金額で、王都に立派な家が建つほどなのでパトリックが驚くのは無理もなかった。
「収納碧晶をプレゼントしろとは言ってないでしょ。イサルコ理事は便利な道具とかが好きなのよ」
リカルドは収納碧晶と聞いて収納紫晶を連想した。
収納碧晶は無理だが、収納紫晶なら丁度良いのではないかと思い始めた。
今まで秘密にしていた収納紫晶を他人に見せる気になったのは、大容量の収納碧晶を使い始めたからだ。収納碧晶は商人たちが競って手に入れたがるのも理解できるほど便利だった。
それに比べ収納紫晶は容量が小さく使い勝手が悪い。入れられるものが大幅に制限されるので、貴重品入れぐらいにしか使えない。
リカルドの収納紫晶への不当に低い評価は大容量の収納碧晶を持つ者だけが感じるもので、収納碧晶を持たない人々の評価とはズレていた。
その御蔭で、後に収納紫晶が一般社会に普及するようになり、一人前の商人にとって必須アイテムと言われるようになる。
2017/7/9 戦闘部分の文章を修正




