scene:40 討伐チーム
この作品で初めてレビューを頂きました。
ありがとうございます。
討伐局のシスモンド局長は、訓練場の近くに在る討伐局に戻ると討伐局の中でも五本の指に入るテオバルドを呼んだ。
テオバルドは【火】と【風】の魔術を得意とする魔術士で【火】は中級上位、【風】は上級下位の魔術まで習得していた。彼が習得している上級下位魔術【九天裂風】は双角鎧熊なら一撃で仕留めるだけの威力があった。
討伐局の局長室に入ったテオバルドがシスモンドに挨拶する。背が高く猛禽類のような鋭い目ををしたテオバルドは、三〇半ばの精悍な感じの男だった。
「冥界ウルフだが、我々が始末することになった」
シスモンドの言葉にテオバルドが頷いた。
「当然ですね。論文ばかり書いている連中に冥界ウルフが倒せるはずがない」
「いや、イサルコは魔獣ハンターをしていた経験を持つ男だ。奴だけは甘く見ない方がいい」
「もしかして、魔境で狩りをしていたんですか?」
「そうだ。先代の代表理事をしていたアイアス殿がスカウトしてきた人物で、知識と実力は一流だ。但し彼には運がない。胡麻すりしか能のないリューベンの部下になり、副局長として燻ぶっているのだからな」
アイアスはイサルコを討伐局の局長にしたかったのだが、それを阻止し究錬局に追い出したのはシスモンドだった。
「それで冥界ウルフの件は?」
テオバルドが尋ねると厳しい顔をしたシスモンドが。
「冥界ウルフの討伐チームを編成する。リーダーを君に任せる」
「分かりました。メンバーは俺が選んでも良いですか?」
「すべて任せる。但し必ず標的の魔獣を仕留めろ」
「了解しました。処で盾役は守備隊が参加してくれるのですか?」
「いや、サムエレ将軍が近衛兵を出すそうだ」
魔術士だけで強力な魔獣を倒すのは難しい。魔術士が攻撃するには魔術を準備する時間が必要だからだ。
今回の標的である冥界ウルフは動きが素早いので、特に盾役の存在は重要だった。
局長室を出たテオバルドは、普段から仲のいい魔術士達を集めた。【火】や【風】の魔術を得意とする四人の者たちである。
「冥界ウルフの討伐依頼を引き受けたそうだな。あの魔獣は手強いと聞いたぞ」
【火】の魔術を得意とするサンティがテオバルドに声を掛けた。サンティはテオバルドとは対照的に背が低く筋肉質で厚みのある体格をしていた。
「おいおい、このメンバーでも倒せないと言うのか」
テオバルドが集まったメンバーを見回しながら言った。
「余計な心配だったか」
他のメンバーが同意の声を上げる。ここに集まった魔術士たちは腕に自信のある者たちばかりのようである。
「討伐に必要な触媒は、この金で用意してくれ」
シスモンドから渡された支度金をメンバーに配った。この支度金、シスモンドが三割ほど懐に収めているのだが、テオバルドは知らなかった。
一日で準備を済ませた討伐チームは、翌日近衛兵一〇人と一緒に王都と港町ジブカを結ぶケムラル街道を南下した。惨劇が起きた現場に到着すると冥界ウルフの足跡を調べる。
冥界ウルフは西の方角に向かったようだ。
足跡を追って討伐チームは西に向かった。
その頃、冥界ウルフは新しい獲物を探し第二南門近くへ来ていた。王都の南には第一と第二の門が存在する。第一南門から南へと伸びる幅の広い道はケムラル街道であり、第二南門から南へと伸びている細い道は南の村々とを結んでいた。
その細い道は南の村々から農産物や特産物を王都に売りに行く農民や村々を回る行商人が行き来している。
その日、近くの農村から農民たちがカボチャを積んだ荷車を引いて道を急いでいた。のどかな光景である。しかし、その場に一匹の魔獣が現れたことで惨劇の場に変わった。
カボチャを運んでいた農民は巨大な魔獣の姿を目にすると恐怖で震え上がり、荷車を放り出し第二南門の方へと全力で逃げ出した。
「助けてくれぇー」「化け物が出た」
騒ぎを聞き付けた門番兵が、何事かと確かめに行く。そして、数人の農民がこちらに逃げてくる姿と巨大な狼の姿を確認した。
「あれは噂の冥界ウルフじゃねえか……大変だ」
門番兵は第二南門に戻ると門を閉める作業を始めた。それを見た農民が大声を上げる。
「助けてくれ」「門を閉めないで」
一人の農民が追い付かれ巨大で鋭い牙に引き裂かれた。農民たちは悲鳴を上げ必死にスピードを上げる。生き残っている農民は二人だけになっていた。
逃げている農民の一人が足をもつれさせ転んだ。冥界ウルフは鋭い爪が生えている前足で、その背中を押さえるとグイッと爪を減り込ませた。農民の断末魔の声が響く。
門番兵たちは顔を青褪めさせ門を閉める作業を急いだ。最後に残った農民が門まで来た時、第二南門は閉まっていた。
「頼む、開けてくれ……お、お願いします」
門の後ろで聞き耳を立てていた門番兵の耳に農民の叫びと狼の唸り声が聞こえた。その後聞いていられない凄惨な悲鳴が響き、門番兵は門の後ろで蹲った。
突然、門が大きな音を立て震えた。冥界ウルフが門に体当りしたらしい。何度も何度も巨大な狼が体当たりを繰り返す。
「誰か守備隊の本部へ行って状況を知らせろ」
一人の門番兵が都の中心へ向って駆けていった。
騒ぎを聞き付けた住民が集まり始めた。状況が分からず不安な顔をしている。門番兵は門の向こうに巨大な魔獣が居るので家に戻るよう大声で指示した。
守備隊本部から増援が来た時、冥界ウルフの体当たりは止み静かになっていた。外の様子を確かめようと街壁の上に上った守備隊の兵士が、冥界ウルフが居ないことを報告した。
門番兵たちが門を開けると血の臭いがムッと鼻を刺激した。血だらけとなった道には狼の食い残しだと思われる肉片が落ちていた。
その場に門番兵が蹲り口を押さえる。守備隊の隊長らしい人物が顔を顰め、冥界ウルフの足跡を探した。その足跡は海岸の方へ続いていた。
増援に来た守備隊の兵士の一人が。
「一人も助けられなかったのかよ」
蹲っている門番兵を非難するように言った。守備隊の隊長は眉をひそめ。
「馬鹿者……門番兵の行いは正しい。もし冥界ウルフが王都に入った場合、どれほどの犠牲者が出たことか」
そう言った隊長自身も割り切れない気持ちを抱えていた。噂に聞く魔砲杖を門番兵が装備していたら、農民たちを助けられただろうか。そんな思いが隊長の脳裏に浮かんだ。
第二南門に冥界ウルフが現れたという情報は、すぐに王都中に広がった。
リカルドは魔術士協会の食堂でタニアとパトリックの二人と雑談をしていた時、若い魔術士が騒ぎ始めたのを聞き、冥界ウルフの情報を知った。
「第二南門だって……飼育場の近くじゃないか」
兄のアントニオがいつも通り飼育場に行っているはずである。リカルドは慌てて席を立ち外に出ようとした。テーブルの上でアーモンドを齧っていたモンタが驚き、リカルドの方を見た。
「キュカ、キュキェ」(リカ、どうしたの?)
「待って、どうするつもりなの?」
モンタが質問し、タニアが止めた。
「ユニウス飼育場に行ってきます」
「冥界ウルフが居るかもしれないのよ。危険……」
タニアはリカルドの顔に断固とした決意が現れているのに気付き言葉を止めた。
「ヨッシャ、ワイも一緒に行ったるがや」
「モキュ、キュエキュ」(モンタも行く)
パトリックが一緒に行くと言い出し、今度はリカルドが止めようとした。だが、パトリックの決意は堅いようだった。モンタは無条件でリカルドに付いていく気である。
「待って、イサルコ理事に相談してくるから」
タニアが食堂を去るとパトリックが馬車を用意してくると言って出ていった。
リカルドは触媒ポーチにある触媒を調べ十分戦えるのを確認した。【陽焔弾】用の高価な触媒が二つ、【地爆槍】用が二つ、それに加え【地】と【火】、【命】、複合魔術の触媒が多数ある。
魔成ロッドもダミル製のものは失ったが、タミエル製魔成ロッドがある。但し【陽焔弾】を使うと壊れてしまうので、【陽焔弾】を撃つタイミングは慎重にしなければならない。
タニアがイサルコを連れて戻ってきた。
「話は聞いた。飼育場の近くに冥界ウルフが現れたそうだな」
リカルドは頷き。
「はい、兄と従業員が心配なので飼育場を見に行ってきます」
「もし、冥界ウルフと遭遇したらどうする?」
「仕留められる魔術の準備はあります」
「一人じゃ無理だ」
「そんなに危険な奴なんですか?」
「討伐局は一〇人の兵士と五人の魔術士を討伐チームとして派遣した。上級魔術がないと仕留められない化け物だ」
リカルドは相手が双角鎧熊以上に危険な魔獣だと知らされ少し動揺した。最悪でも双角鎧熊と同等だろうと思っていたのだ。冥界ウルフの毛皮は剣や槍も通さないほど強靭で魔術にも強い抵抗力があると聞いた。
しかも素早いと聞いて勝算がグッと下がるのを感じた。
「なるほど、兵士一〇人が盾役として必要なわけですね。でも、飼育場の堀と塀を利用すれば勝機はあると思います」
「仕留めるには上級魔術が必要だと言ったぞ。……まさか、上級魔術を……ふむ、君には驚かされるよ」
イサルコとタニアが驚いた。それほど上級魔術の使い手というのは希少なのだ。
その時、イサルコが何か気付いたような顔をした。
「もしかしてマトウ殿に習ったのかね。彼は魔導職人であると同時に魔術士でもあるのか」
勝手に誤解してくれているようだ。
「ええ……まあ。師匠は昔魔術士でした」
この時から魔術士マトウが独り歩きを始めた。
「複合魔術もマトウ殿が」
何でもかんでもマトウというのは拙いと考え。
「いえ、複合魔術は自分の発見です」
「ほう、素晴らしい師の下には優秀な弟子が集まるということか」
タニアが真剣な顔で。
「今度、マトウ殿に会わせてよ」
リカルドは首を振り。
「駄目です。師匠は凄い人間不信になっていて、見知らぬ人は近付けないのです」
イサルコが残念そうな顔をする。彼もマトウに会いたかったのだろう。
「それより、自分は飼育場へ行きます」
「そうだったな……なら、私も行こう」
イサルコが一緒に行くと言い出し、タニアも同調する。結局、イサルコ、タニア、パトリックが一緒に飼育場へ行くことになった。
イサルコたちの応援は嬉しいのだが、タニアとパトリックは上級魔術を使えそうにないので、戦力になるかどうかは微妙だった。
馬車を用意したパトリックが戻り、四人と一匹は馬車で第二南門へ向かう。第二南門で馬車を降り外へ出た。
守備隊は付近に冥界ウルフが居ないのを確かめると、死体の片付けを始めていた。
兵士の一人がリカルドたちに声を掛ける。
「危険な魔獣が付近に居るかもしれない。今日は外に出ない方が賢明だぞ」
イサルコが代表して応える。
「心配はありがたいが、私たちは魔術士協会の者だ」
「おお、それは失礼しました。魔術士協会に魔獣の討伐依頼が行ったと聞いたのですが」
「依頼は来た。討伐チームが魔獣を探しているはずだ」
「そうですか。少しでも早く奴を仕留めてください」
兵士はリカルドたちも討伐チームの一員だと勘違いしているようだ。
イサルコは黙ったまま頷き歩き出した。
冥界ウルフとは遭遇しないまま飼育場に到着した。
飼育場の中に入るとアントニオとダリオたちが忙しそうに働いていた。
アントニオがリカルドたちの姿を目にして近寄ってきた。
「どうしたんだ。こちらに来る予定じゃなかったはずだろ」
「第二南門の近くに危険な魔獣が出たんだ」
アントニオはリカルドの顔を見て何か起きたのだと気付いた。
「そんなに危険な魔獣なのか?」
リカルドはダリオたちも集め冥界ウルフのことを説明する。
「アントニオ君たちは一番安全な雑用小屋の所に避難していてくれ。私たちは近くで働いている人たちを連れてくる」
イサルコがアントニオたちに指示を出した。
この近くではベルナルドが雇った大工たちや日雇い労働者たちが、新しい飼育場建設のために働いていた。その人々を呼び、作業小屋に避難させた。
避難が終わった頃、雑用小屋の屋根の上で遊んでいたモンタが騒ぎ始めた。
「キュエ、キュオッキュ」(怖い、怖い奴が来た)
リカルドは梯子を使って屋根の上に登った。モンタがリカルドに走り寄り身体に抱き着く。よほど強い恐怖を感じているようで小さな身体が震えている。
イサルコ、タニア、パトリックも続いて屋根に登ってきた。
塀越しに巨大な狼の魔獣が近付いてくるのが見えた。
「冥界ウルフだがね」
「初めて見た。遠くから見ても何だか怖い」
パトリックとタニアが感想を言った直後、冥界ウルフが血も凍るような咆哮を上げた。その声を聞いた全員が顔を青褪めさせた。
アントニオたちが作業小屋の屋根に登り、冥界ウルフの姿を見て騒ぎ始める。イサルコが静かにと注意する。魔獣の注意を惹きたくないのだ。
「見て、あれって討伐チームじゃないの?」
タニアが十数人の人間の集団を見付け声を上げた。冥界ウルフを追跡していた討伐チームがようやく追い付いたようである。
「ああ、テオバルドだ。討伐チームだな」
イサルコが討伐局の魔術士の顔を見分けて告げた。
リカルドたちがジッと見ていると大きな盾を構えた兵士たちが隊列を組み巨大な狼に向かって進み始めた。兵士たちの顔は青白く恐怖が張り付いていた。
その背後で魔術士たちが魔術の準備をしている。冥界ウルフが兵士たち目掛けて駆け出す。瞬く間に間合いを縮め掲げられた盾に体当りした。その力は凄まじく盾を保持していた二人の兵士が宙に舞う。
巨大な狼は牙と爪を使って兵士たちの体を引き裂こうとする。兵士たちは何とか盾で狼の攻撃を防ぐが、力が違い過ぎるので撥ね飛ばされてしまう。
立っている兵士の数が半分に減った時、魔術士による反撃が始まった。まずは【風】の魔術を得意とする三人が冥界ウルフに向かって【重風槌】の魔術を放つ。魔獣の上空にある大気が圧縮され巨大な槌となって真上から攻撃する。中級下位の魔術だが、威力はある。
但し冥界ウルフにはちょっと苦痛を与えただけのようだった。
苦痛の叫びを上げた狼は目標を魔術士たちに変え、盾を持つ兵士を蹴散らすとテオバルドたち目掛けて襲い掛かった。迫って来る巨大な狼を目にしたテオバルドとサンティが【火炎竜巻】を放った。
狼の左右に現れた高さ五メートル程の火炎の渦が冥界ウルフを挟み込んで高温の炎で焼き殺そうとする。だが、冥界ウルフの毛皮は高温の炎にも耐え、逃げ出すだけの時間を与えた。
炎の渦に挟み込まれた状態から強引に抜け出した巨大狼は無傷とはいかなかったようで、毛皮が焦げていた。そこへ【嵐牙陣】の三連打が撃ち込まれた。【風】の魔術を得意とする三人の追撃である。毛皮が無事な所に命中した風の刃は跳ね返されたが、焦げた部分に命中したものは脆くなった皮膚を突き破り筋肉を傷付ける。
冥界ウルフが悲鳴を上げ大気を震わせる。
その悲鳴を聞いたリカルドは凄いと感心する。だが、感心するのは早かったようだ。怒り狂った冥界ウルフが【嵐牙陣】を放った三人に狙いを定めた。一〇メートルほど距離があったにもかかわらず一瞬の跳躍で飛び越え三人に襲い掛かる。
魔術を放ったばかりの三人は何もできず、巨大狼の爪で引き裂かれた。
テオバルドが三人の名前を叫び怒りで吊り上がった眼で冥界ウルフを睨む。テオバルドは上級魔術を放つ準備を始めた。
一方冥界ウルフは傷付いた身体で激しく動いたせいで大量の血を流していた。ふらつく身体で唸りながらテオバルドに近付いてくる。サンティは足止めのために【爆炎弾】を放った。巨大狼の足元で炎が爆ぜ標的の体を焼こうとする。狙い通り少しだけ冥界ウルフの歩みを止め時間を稼いだ。
上級魔術に使用される魔力は多く、それを用意するだけでも時間が掛かる。テオバルドは魔力の準備が整い貴重な触媒を振り撒くと上級下位の魔術である【九天裂風】を放った。
大気が凄い勢いで集まり始め、テオバルドの頭上に巨大な斧のような風の刃が九つ形成される。同じ系統の【風斬】で形成される風の刃はカミソリのように薄いものなのだが、【九天裂風】の風の刃は分厚く巨大だった。
その九つの巨大な刃が標的を囲むように一斉に襲い掛かった。
危機を悟った冥界ウルフは信じられない跳躍力で真上に跳び上がった。テオバルドは巨大な風の刃の軌道を変えようとしたが、ほとんど間に合わず八つは地面に巨大な裂傷を付けただけに終わる。
切り札が不発に終わったと思われた時、最後の一つが軌道を変え冥界ウルフの背中を切り裂いた。巨大狼は地面を転がり悲鳴を上げる。いつの間にか悲鳴は唸り声に変わっていた。巨体が動き出し四つの足で地面を踏みしめ立ち上がる。
ジッと見物していたイサルコが、突然大声を上げる。
「こっちに逃げてくるんだ!」
テオバルドは魔力が尽き、戦えるのはサンティだけになっていた。冥界ウルフは大きな傷を負ったが、致命傷ではなく、今は傷の痛みをジッと我慢している。
討伐チームが依頼を失敗したとイサルコは判断した。




