scene:39 冥界ウルフ
ベルナルドは王太子のために王都で一番と言われる有名高級料理屋の料理をテイクアウトしてきたようで、様々な料理を作業小屋の前に持ち出したテーブルの上に並べた。
本当は料理人を呼び寄せ、ここで料理してほしかったのだが、碌な調理設備がない飼育場では満足に料理ができないと断られた。仕方なく店で料理したものを運んできたのだ。
リカルドから見ると食べたことのない豪華な料理が所狭しと並んでいる光景は凄く美味しそうに見える。
ただ季節は秋になり、少し肌寒い日が続いている。テイクアウトした料理のほとんどは冷たくなっていた。
料理人は冷めても美味しいように味付けしているのだが、こういう日は温かいものが欲しくなる。
王太子はテーブルに並んだ料理を見て、少しガッカリしたようだ。王太子にとっては見慣れた料理であり、冷めているのが判って食欲が減退したようだ。
それに気付いたサムエレ将軍が。
「温かい料理はないのか。少し冷えてきたから体を温めたいのだが」
ベルナルドは温めたスープを持ってくるように使用人の一人に命じた後、リカルドの方へ視線を向けた。
リカルドは少し出番が早くなったと思いながら、外に作った即席の竈の方へと案内した。
竈には大鍋と蒸籠が五つ積み上げられており、アントニオが火加減を見ていた。
「何やら湯気が立ち昇っているが、これは?」
竈の上に見慣れない調理器具があるのに気付き、サムエレ将軍がリカルドに尋ねた。
「あれは蒸気を使って調理する道具で『蒸籠』と言います。今、蒸籠を使って新しい料理を作っています。お試しになられますか」
王太子が視線を蒸籠に向け、不思議そうに見ている。
「ほう、新しい料理とは興味深い。まずは、私が試食してみよう」
サムエレ将軍が毒見でもするかのように前に進み出た。
アントニオが一番上の蒸籠を取ってテーブルの上に置き、上に被せられていた蒸し布を取って中に入っているあんまんや肉まんを皿に盛る。
「どうやって食べるのだ」
「庶民の食べ物として作ったものなので手掴みで良いのです」
リカルドはあんまんを一つ取ると半分に割り、王太子と将軍に中身を見せてから齧り付いた。
ちょっと熱いが美味い。サツマイモの甘みが口の中に広がる。急いで呑み込み。
「美味しいです。試してみてください」
リカルドは、用意していた茶葉を急須に入れて緑茶を淹れる。数日前、紅茶が存在するのなら緑茶もあるだろうと考え、見付けていた。
この国では裕福な者は紅茶を楽しみ、一般庶民は緑茶を飲むそうだ。生産されているのは東の地方なので、故郷のユニウス村では滅多に見なかったが、王都では普通に販売していた。
ベルナルドが顔を顰め。
「ちゃんと紅茶くらいは用意してありますよ」
「いえ、この食べ物には緑茶が合うと思うのですよ」
リカルドは将軍に緑茶と肉まんを勧めた。紅茶と肉まんが合うと言う者もいるだろうが、リカルドは緑茶の方が合うと感じていたからだ。
将軍は一口齧って味を確かめてから、すぐに一個を平らげた。将軍は緑茶を飲んで満足そうに頷くともう一つ肉まんに手を出す。
「待たぬか。食べたのなら感想を言え」
王太子が目を吊り上げて将軍を睨んでいる。
「アッ、そうでした。思いのほか美味かったので忘れるところでした」
いや完全に、忘れていたと他の全員が思った。
「美味かったのだな」
「はい。リカルドは庶民の食べ物と言っていましたが、中々美味いものです」
王太子は肉まんを一つ取ると齧り付いた。
「アッ」
そう言いながらもアッという間に一個を平らげた。飲み物が欲しくなったらしく緑茶を飲む。
「ふむ、これと緑茶はいい組み合わせであるな。これは何という名の料理なのだ?」
「これを『中華まん』と呼ぶことにしました。ただ中身によって『肉まん』とか『あんまん』とかに呼び分けようと考えています」
「チューカマン、ニクマン、アンマン……妙な名前にしたな」
王太子は不思議がっていたが、リカルド自身が混乱するので名称は同じにした。これくらいの我儘は許されるはずだ。
ベルナルドもカボチャあんまんを食べ緑茶をすする。
「なるほど。高級感はないのですが……美味い」
王太子と将軍、それにベルナルドが競うように中華まんを平らげた。
後ろ盾の二人には満足していただけたようだ。隣でベルナルドが満足そうに腹を擦っているのが気になったが、まあいい。
王太子と将軍が支援の約束をして帰り、ベルナルドも満足して飼育場を去ると、残った高級料理屋の料理を片付け始めた。
もちろん、片付ける先は腹の中である。従業員のダリオ、エリク、フレッドは夢中で食べ、アントニオは人生の内で二度と食べられないかもと考え味わいながら食べる。
リカルドも食べてみた。さすがに美味しい。海が近いからなのか、魚介類を使った料理も多い。刺し身などの生で食べる料理はないが、エビやカニを茹でたり焼いたりした料理や鯛のような魚の姿焼きは絶品だった。
数日後、リカルドが飼育場で妖樹クミリを杏妖樹に変える接ぎ木の作業をしている時、アントニオが来て気になる知らせを伝えた。
「堀の周りにデカイ足跡があったんだ」
リカルドが確かめに行ってみると、魔獣避けの堀の周りに大型の獣か魔獣の足跡らしいものがあった。その足跡は堀の周りを彷徨いてから東の方向へと消えていた。
足跡の大きさから見て双角鎧熊並みに大きな獣だと判る。飼育場は堀と塀とで守られているので大丈夫だと思うが、足跡が東の方へ向かっているのが気になった。
東にはスラム街と農業地帯がある。
リカルドは第二南門の門番兵に足跡のことを報告した。彼らは王都守備隊の兵士で王都近辺の安全を守るのも守備隊の仕事の内だった。
この時、素早く守備隊が動き足跡の正体を確かめておけば、後の騒ぎは起きなかったかもしれない。
アントニオとリカルドは飼育場に寝泊まりしているダリオたちに戸締まりをしっかりするように指示すると足跡の件は記憶の底に追いやってしまった。
飼育場の防備は高い塀と堀が有るので大概の魔獣は入り込めない。特に作業小屋と雑用小屋のある場所は塀を高く頑丈にしているので双角鎧熊でも大丈夫だろう。
平穏な日が続いた三日後。王都の南に在る港町ジブカから一台の豪華な馬車が王都バイゼルに近付いていた。
乗っているのはジブカで代官を務めていたジョルジオ・マッセリア男爵である。五年の任期を勤め上げたジョルジオは新しい代官と交代し、王都へ帰還する途中だった。
馬車がガタッと揺れ不意に止まった。
ジョルジオが御者に声を掛ける。
「どうした。何故止めた」
御者台の方を見ると怯えた顔をした御者が前方を見ている。ジョルジオは窓から顔を出し前方を見る。
ジョルジオの顔色が変わった。馬車の前には巨大な狼が居た。馬よりも一回り大きな灰色狼である。
「な、なんで冥界ウルフが……」
魔境にしか棲息しないと言われている冥界ウルフが、ジョルジオの馬車を襲おうとしていた。
怯えた御者が転がるように降りると馬車を放り出し逃げ出す。
冥界ウルフは御者を追わず馬車に近付いてくる。年老いた御者より中にいる獲物の方が美味そうだと思っているようだ。
地獄の底で響くような唸り声が聞こえた。馬車の中にはジョルジオと若い使用人が二人。誰もが青褪めた顔で神に祈っていた。
怯えた馬のいななきが聞こえ、暴れる馬の振動が馬車にも伝わってくる。狼の咆哮が響き渡ると血の臭いが漂ってきた。
一瞬静かになった後、馬車に何かがぶつかる轟音がして、馬車が横倒しとなった。
ジョルジオは必死で馬車の窓から逃げ出した。後ろを見ずに来た道を全速力で引き返す。
後ろで使用人たちの悲鳴がした。そして……次の瞬間、ジョルジオの首が噛み千切られた。
この事件で生き残ったのは年老いた御者だけだった。
王都に辿り着いた御者は、巨大な魔獣に襲われたと守備隊に告げる。
被害者が貴族だと知った守備隊は、三〇人の兵士を掻き集め現場に向かわせた。その判断は間違っていた。
獲物を仕留め悠々と食事をしていた冥界ウルフと遭遇した守備隊は戦いとなった。
冥界ウルフの毛皮は強靭で、普通の剣や槍では貫通することが不可能だった。
兵士達は巨大な灰色狼を目撃して怯えた。槍でどうにかなるような魔獣じゃないと悟ったからだ。しかし、逃げられるような状況ではなかった。
指揮官は部下たちを鼓舞し槍を冥界ウルフに向けさせた。
それを見た灰色狼は血で汚れた口を大きく開け咆哮を放った。血も凍るような咆哮に、兵士たちは動揺する。
そこに冥界ウルフが突っ込んできた。
その後は戦いではなく殺戮となった。三〇人の兵士たちは六人まで減り、ボロボロとなって王都に帰還した。
この事件を知ったサムエレ将軍は、アルチバルド王に謁見を申し出て報告した。
王は不機嫌な顔で報告を聞くと。
「夕食前に、気分の悪くなる知らせを持ち込みおって……そんな化け物を始末するのも軍人の役目ではないのか。将軍が責任を持って始末せよ。良いな」
サムエレ将軍は魔獣の対策を王に相談しようと思い来たわけではない。魔境にしか棲息しないはずの冥界ウルフが王都に現れた不自然さを王と話し合おうと思い来たのだ。
将軍は説明しようとしたが、王の側近であるアルフレード男爵が。
「陛下は、魔獣が起こした下世話な事件は将軍に任せると仰られているのです。早く退出して対策を取られた方が良いのではないですか」
将軍はアルフレード男爵を一睨みしてから退出した。
サムエレ将軍は溜息を吐くとガイウス王太子の執務室へ向かった。
執務室に入った将軍は、悪人顔の王太子に睨まれ身構えた。条件反射という奴である。
「何をしている。報告があるのだろう」
王太子の声で将軍はハッとした。
「そうでした」
将軍は冥界ウルフの事件を王太子に報告した。王太子は深く考え込み。
「王都の近辺で冥界ウルフというのは不自然過ぎる。誰かが召喚魔術を使ったとしか思えん」
「自分もそう思います。ただ目的が分かりません」
王太子も同様だった。あんな場所に魔獣を召喚しても意味があるとは思えない。
「ジョルジオ男爵を殺すのが目的だったのでしょうか?」
将軍が自信なさげに言う。
「いや、そうは思わん。三日ほど前に、あの飼育場で足跡が見付かっているのだろう。ジョルジオ男爵を殺す数日前から、あの辺をウロウロしていたとしか思えん」
あの魔獣を召喚した者は召喚しただけで制御に失敗したと思われる。
「そういえば、同じような事件があったな」
ガイウス王太子が思い出したように言う。
「はい。魔術士協会で起きた事件で、その時はオクタビアス公爵の息子が双角鎧熊を召喚し制御に失敗したようです」
「双角鎧熊だったか。誰が仕留めたのだ?」
「魔術士協会理事のイサルコと究錬局のタニア、受験生のリカルドだと記憶しています」
「リカルド……飼育場のリカルドと同一人物か?」
「おそらく」
王太子がふっと笑った。王太子は偶然にも知っている名前を聞き笑みを浮かべただけなのだが、王太子をよく知らない者から見ると、悪事を考えている陰謀家に見える。王太子は悪人顔で随分と損をしていた。
「召喚者については情報が足りん。まずは冥界ウルフの対応だ。陛下は何と仰ったのだ?」
「軍に任せると……」
王太子が鼻で笑った。
「ふん、どうせ何も考えておらんのだろう。守備隊で始末できそうなのか?」
「冥界ウルフは脅威度6の魔獣です。宮廷魔術士団、あるいは魔術士協会の協力がないと難しいでしょう」
将軍が守備隊に二〇名以上の死者が出ていると報告すると王太子は顔を顰めた。
「王都に残っている宮廷魔術士は使えるのか?」
将軍が困ったような顔をする。宮廷魔術士には二種類の魔術士が存在する。実力を評価され入った者とコネを使って入った実力の伴わない者である。
本来なら実力の伴わない宮廷魔術士モドキは実戦で淘汰され、数が少なくなるはずなのだが、宮廷魔術士長にヴィットリオが就任した頃から、実戦に出ないようになった。
宮廷魔術士団に研究班を設け研究員として魔術研究に従事させ始めたのだ。どうやらコネで入った魔術士たちの親が抗議したらしい。
だが、このことにより宮廷魔術士の戦力が低下した。研究班を設けても王国から配分される予算は同じなので、実力のある宮廷魔術士の数が段々と減少してきているのだ。
この状況に激怒した王太子が宮廷魔術士全員を魔境に放り出し、生き残って戻ってきた者だけを宮廷魔術士として残すと言い出し、宮廷魔術士長に命じたことがあったが、ヴィットリオがアルチバルド王に泣き付き、命令は撤回された。
「本物の宮廷魔術士は、ヨグル領へ移動し魔境門近くで増え始めた魔獣の討伐を行っています。残っているのは研究班の宮廷魔術士だけです」
サムエレ将軍の報告に王太子が頭を抱えた。
リカルドが魔境で感じていたように、魔境門付近に魔獣が集まっていた。このままでは危険だと感じた王太子自身が宮廷魔術士の増援を決定したのだ。
将軍が提案した。
「魔術士協会に協力を求めてはどうでしょう?」
「コネで入った奴らよりはマシか。そうだ、双角鎧熊を倒した魔術士協会理事のイサルコに依頼を出そう。彼なら信頼できそうだ」
この時、王太子に深い考えがあったわけではない。双角鎧熊討伐という実績のある者が魔術士協会に居るなら、その人物に依頼を出そうと思っただけだった。
双角鎧熊は冥界ウルフより一つ下の脅威度5であり、そのくらいの魔獣を倒した実績がなければ冥界ウルフは倒せないと考えただけなのだ。
翌日、魔術士協会に指名依頼が出された。
魔獣の討伐だったにもかかわらず、討伐局ではなく究錬局のイサルコ理事に指名依頼が出されたのに討伐局の魔術士たちが反感を抱いた。
自分達討伐局の魔術士が居るのに、何故イサルコなのだと不満を覚えたのだ。
討伐局が引き受ける依頼は、脅威度3の牙猪や妖樹ダミル、脅威度4の妖樹エルビルや甲冑ワームなどの討伐が多い。
滅多に脅威度5以上の魔獣を討伐する依頼は来ない。だが、脅威度5や6の魔獣を倒すだけの実力はあると自負している。
討伐局の局長であるシスモンドは魔術士協会の代表理事ジェズアルドに直訴し、冥界ウルフの討伐を討伐局に任せてくれるように頼んだ。
ジェズアルド代表理事はイサルコを呼び、どうするか検討した。
「イサルコ理事、君はどう思っている。王太子からの依頼を引き受けようと考えていたのかね?」
イサルコは受けるかどうか決めかねていた。正直にそう言うと。
「ならば、討伐局が受けても文句はないな」
シスモンドは強引に依頼を横取りするつもりである。
「しかし、脅威度6の冥界ウルフと言えば、剣や槍も通さない毛皮を持ち、俊敏な動きをすると聞いています。討伐局はどんな魔術で倒すつもりなのです?」
イサルコが尋ねると自信有り気にシスモンドが。
「討伐局には上級魔術が使える者が何人か居る。心配ない」
イサルコは少し不安に思いながらも自信があるらしいシスモンドに任せることにした。




