scene:38 ガイウス王太子
「ベルナルドさんはガイウス王太子と知り合いなのですか?」
「いえ、触媒を城に納めた時に、お顔を拝見した程度です」
リカルドが戸惑ったような顔をすると、ベルナルドは苦笑して。
「もちろん、すぐに会えるというわけではありません。ですが、先日、サムエレ将軍にお会いした時に王太子が魔功銃を大変気に入ったようだと言われました。話の持って行き方次第で王太子とお会いできるかもしれません」
ベルナルドが自信有り気に言うので、任せようと思った。
ベルナルドの店を出て、魔術士協会に行く。今日は従業員宿舎のロブソン達に勉強を教える日なのだ。ユニウス村に帰ったりしていた期間や地下道の調査をしていた期間は別にして、三日に一回ほどの割合で夕方に従業員宿舎へ行き勉強を教えていた。
「リカルド様、いらっしゃい」
ロブソンが声を上げた。魔術士になったリカルドは小僕達からは『様』付けで呼ばれるようになっていた。こういう呼ばれ方に慣れていないリカルドは背中がむず痒くなる。
「様は要らないと言っているのに」
「駄目ですよ。魔術士には『様』を付けるというのが小僕の決まりなんですから」
決まりとまで言われたら仕方なかった。
リカルドは小僕たちの勉強のためにテキストを作った。リカルド自身は魔術の教本と呼ばれる三冊の本を基に魔術を勉強したが、この教本は分かり辛いものだった。
これらの教本は有名な魔術士たちが纏めたものである。はっきり言って書籍の編集については素人が作ったものなので出来の良い教本とは言えない。
長年教師の経験がある間藤の精神を持つリカルドだからこそ教本の行間に秘められている理論を読み取り独学で魔術を習得できたが、普通の人間には難しいだろう。
時間も基礎知識もない小僕たちは、あの教本で独学というのは無理だろう。そこで小僕たち用のテキストを作ることにしたのだ。
ロブソンとシドニーに協力してもらいながら書き上げた魔術教本は『魔術独習教本』とタイトルを付けた。この教本は魔術の基本知識と理論、初歩の触媒理論、基礎となる魔術言語を習得させる目的で書き上げた。
リカルドが独自展開した理論も少しだけ記載されており、充実した物になった。
この教本を読み、書いてある訓練法に従って練習すれば初級魔術だけなら習得できるようになっている。
ロブソンとシドニーは初級魔術を習得しているので必要はないのだが、他の小僕たちのために制作を手伝ってくれた。リカルドだけだと、どの部分が説明不足なのか分からなかったので助かった。
リカルドが作ったテキストは魔術関係だけでなく算数レベルの計算に関する教本も作成した。こちらはある意味簡単だった。タイトルは『計算独習教本』である。
この二つの独習教本は著者名を『キメリル・マトウ』とした。キメリルというのは古い言い回しで弟子という意味になる。一応ペンネームのつもりだった。
独習教本は最初に魔術士協会で広まり、次に王都全域に、最後には外国にまで知られる書籍となる。
御蔭でキメリル・マトウという人物が実在するかのように思われ、彼に教えを請いたいと希望する魔術士が王都を訪れるようにもなる。
初級魔術を習得しているロブソン、シドニー、ニコラ、ドメニコの四人はリカルド独自の魔力制御訓練法を試させていた。手だけではなく身体のあらゆる部分から魔力を放出させる訓練法である。
この訓練法を実施した者は魔力を一定の方向だけではなく自在に操れるようになるようだ。
それに加えプローブ瞑想のやり方も教えてみた。もちろん、ロブソンたちの精神の奥底には源泉門が存在しないので、源泉門から力を引き出すことはできない。
だが、精神を安定に保つことで魔力の回復力を上げる効果があるようだ。
リカルドは瞑想が魔力回復に効果があると知るとロブソンたちに朝起きたら一番に魔力制御訓練と瞑想を行い、寝る前にもう一度同じことを行わせるようにした。
これは魔力の制御力を鍛えると同時に魔力量を増やす修行である。
「魔術の練習をしたいのだけど、触媒を買う金がありません」
シドニーが深刻な顔をして訴えるように言う。
リカルドが買い与えるのは簡単だが、小僕全員分の触媒を買うほど余裕はない。
「そうだな、どうすればいいかな」
ロブソンが尋ねた。
「リカルド様はどうしていたの?」
「前にも言いましたけど、近くの雑木林に行って魔獣を倒し触媒を手に入れていたよ」
ロブソンたちが驚いたような顔をする。
「触媒を手に入れるために、そんな危険なことを」
「近くの雑木林には鬼面ネズミや頭突きウサギとか弱い魔獣しか居なかったから案外大丈夫なんだ」
「それを魔術で倒したんですか?」
「そんな訳無いだろ。触媒が必要なのに魔術を使ったら触媒を消費してしまうじゃないか。武器を使って倒していたよ」
小僕たちに凄いと感心されてしまった。
リカルドは小僕たちの教育費用について考え始めた。彼らには小僕としての仕事があるのでリカルドの場合のように雑木林へ行って狩りをするというわけにはいかない。
ふと思い出した。魔導職人のエミリアが触媒カートリッジに使う部品を製作してくれる職人が欲しいと言っていたのだ。
触媒カートリッジの部品というのは底と蓋の部分に使われている妖樹の根っこを加工した薄い円板である。この直径二センチほどの円板は魔力コーティングしなければならない。魔力コーティングすることで魔力伝導率が三割ほどアップするのだ。
小さな部品なので魔力コーティングするのは簡単である。但し触媒カートリッジは大量に生産するものなので、数が必要だった。魔導職人に頼み円板一個を魔力コーティングすると銅貨四枚が必要らしい。
この魔力コーティングの作業をロブソンたちの内職にできないかと考えた。
ロブソンたちなら魔力コーティングのやり方を習得するだけの実力はある。試しに妖樹トリルの枝からロッドを作った時に出た破片を使って魔力コーティングを練習させてみると三日後には習得した。
その結果を持って魔導職人エミリアに交渉すると承知してくれた。
「本当に一個作ると銅貨二枚が貰えるの?」
シドニーが信じられないという顔をして訊いた。小僕は一週間働いて穴銀貨一枚しか貰えないのだ。
それなのに小さな部品を一個作るだけで穴銀貨の五分の一である銅貨二枚が貰えるのだ。彼らが信じられないのも無理はなかった。
「魔導職人だったら部品一個で銅貨四枚なんです。君たちは本当の職人じゃないから半分、その意味を考えてください」
ロブソンが首を傾げる。分からなかったようだ。
「君たちが作った部品は本職の魔導職人によって厳しく検査される。ちゃんと機能するか確かめるのです。その手間が入るので半分なんです」
その検査でたくさんの部品が弾かれるようなら仕事は切られるだろうとリカルドは伝えた。
ロブソンは内職を始めて一週間で二十四個の部品を作った。内職代は穴銀貨四枚と銅貨八枚になる。ちなみに他の小僕たちも同じくらいの数を作っていた。
内職代を貰った後、シドニーとドメニコが眠る時間を削ってまで内職にのめり込んだので止めさせた。
内職は魔術を習得するために必要な触媒を得る手段であり、魔術の学習が停滞するようなら本末転倒だからだ。
こうして得た資金で触媒を買い、ロブソンたちは中級魔術の練習を始めた。
その頃になって王太子との謁見が実現することになった。
謁見する場所はユニウス飼育場である。この事業の後ろ盾になってもらうのだから、どういう事業なのか知ってもらう必要があるのだ。飼育場の見学という名目で王太子が訪れる。
問題は王太子が三日後の昼時に来るという点だ。時間的に昼食を出さねばならない。
ベルナルドが食事については用意すると言ってくれたが、全部を任せるのは無責任な気がして、リカルドも一、二品用意すると伝えた。
丁度リカルド自身が食べたいものがあったので、王太子にも勧めてみるつもりである。
日本人であった頃、あんまんや肉まんが無性に食べたくなりコンビニに買いに行く時があった。
それはリカルドとなった今も変わらず、白い皮で包まれた肉まんやあんまんが恋しくなる日がある。
そこで自分で作ろうと考えた。まずは生地だが、小麦粉と天然酵母が有ればできそうである。天然酵母は果物を細切れに刻んだものを発酵させて得る方法をテレビ番組で見て知っていたので試してみた。
様々な果物で試した結果、リンゴに似た果物と葡萄そっくりの果物から作った酵母が使えそうだと判った。
パンには葡萄から作った酵母が合っており、肉まんの生地にはリンゴから作った酵母がいいようだ。
次は餡なのだが、小豆が見付からなかったのでカボチャとサツマイモで代用することにした。
ちなみにリンゴ、葡萄、カボチャ、サツマイモの似たものは、この国では別の名称で呼ばれている。例えば、リンゴはポルモという名で呼ばれる。だが、リカルドの頭の中では慣れ親しんだ名称を使っている。自分自身が混乱しそうだからだ。
あんまんと肉まん作りは母親のジュリアに手伝ってもらうことにした。
傍にはセルジュとパメラ、それにモンタが居て興味深そうに見守っている。
「この二つを茹でればいいんだね」
ジュリアがカボチャとサツマイモを手に持って言った。
「そうだよ。後で潰すから柔らかくなるまで茹でてよ」
カボチャとサツマイモを茹でている間に、小麦粉と砂糖、塩少々、酵母を入れぬるま湯を加えながら捏ねる。程よく捏ね終わったら油を少しだけ加えて、もう一度捏ねて発酵させる。
茹でたカボチャとサツマイモは潰し練って餡にする。カボチャの方は少し甘みが足りないようなので砂糖と一摘みの塩を加えて練る。
肉まんの肉は農家が飼育しているテドン豚の肉を使う。テドン豚というのは鼻が象のように長い豚である。肉質はほぼ普通の豚と同じで高級食材とは言えないが、頭突きウサギの肉よりは高かった。
買ってきた豚肉を包丁で叩いてミンチ状にする。他の具材となる野菜も微塵切りにしてミンチ肉と混ぜ合わせる。野菜は玉ねぎモドキとレンコンに似た根菜である。
レンコンモドキは歯応えが楽しめアクセントとなる。本当はタケノコが欲しかったのだが、手に入らなかった。
調味料で味を整え中種が完成した。
発酵して二倍ほどに膨らんだ生地を小分けし伸ばし餡や中種を包んでいく。
この作業にはセルジュとパメラも参加した。パメラは甲高い声ではしゃぎながら楽しそうにあんまんを作る。
最後に蒸さなければならないのだが、この世界には蒸し器が無いようだ。仕方なく職人に蒸籠を作ってもらった。
蒸して試食してみる。
ほかほかとした湯気を上げる肉まんに息を吹き掛け冷ましてから齧り付く。モチッとした食感の後、口の中に甘い肉汁が流れ込む。噛み締めると皮と中種の旨味が合わさり、これぞ肉まんという味を楽しませてくれる。
リカルドの顔に満面の笑顔が広がった。
「ねえ、リカルド兄ちゃん。美味しいの?」
セルジュが尋ねる。
「美味しい。食べていいよ。でも熱いから気を付けて」
セルジュが飛び付くように肉まんを手に取って口にする。
「アッ」
「熱いから気を付けろと言っただろ」
セルジュが熱いと言いながらもモグモグと食べ始めた。他の家族たちも口にする。
肉まんを食べた家族は笑顔になった。
カボチャとサツマイモのあんまんを食べてみた。甘くて美味しい。
三種類とも濃い目のお茶と合いそうである。肉まん・あんまんが家族に好評だったので、これを王太子に出すことに決めた。
当日、ユニウス飼育場でベルナルドと一緒にガイウス王太子を待っていると、豪華な馬車が現れた。傍らにはサムエレ将軍と近衛兵が馬に乗っている姿が見える。
馬車が止まり中から王太子が出てきた。
リカルドは王太子の顔を見た途端、硬直した。眼、鼻、口などの一つ一つの部品は整っているのだが配置された位置に問題があるのか、悪人顔である。
酷薄そうな表情と冷たく見える青い瞳。体格は細マッチョな感じなので全体的にシャープな感じがする。
「ガイウス殿下、お会いできて光栄に存じます」
ベルナルドが挨拶する。リカルドも続けて挨拶しベルナルドの後ろに控える。こういう交渉はベルナルドの方が得意なので任せるつもりである。
「将軍から聞いたが、魔功銃を献上したのは、そなたたちだそうだな」
「そうでございます。お気に召して頂けたのなら宜しいのですが」
「ふむ、気に入ったぞ。威力が物足りぬようだが使い勝手がいい」
サムエレ将軍が頷き、ベルナルドに確かめる。
「これが量産できれば、近衛兵に装備させるのだが、難しいのであろう?」
「はい、特別な素材により作られておりますので、その素材が手に入った時しか作れません」
「残念なことだ」
ガイウス王太子が周りを見回し。
「ここはどういう場所なのだ?」
「ユニウス飼育場と申しまして、妖樹を飼育している施設でございます」
「将軍からチラリと聞いたが、何故、妖樹を育てる?」
「それは実際に見学しながらお答えします」
ベルナルドは第一区画にガイウス王太子とサムエレ将軍を案内する。中の妖樹クミリが驚き無闇に走り出す。その様子を王太子が興味深そうに眺める。
「クミリか……魔境では珍しくもないが……」
「ですが、このクミリ、巣にしている場所を肥沃な土地に変える働きをするのをご存知でしたか」
「何だと……そんな……」
王太子は土を手で掬って観察する。
「周りの土と比べると色からして違うな……そうか、塩の結晶が含まれてないのか」
「はい、クミリが塩を吸収してしまうようなのです」
「すると、肥沃な土地となったら農場に変えるつもりなのか?」
「いえ、農作物も栽培する予定ですが、狙いは触媒です。将来的には妖樹トリルを飼育し、安定して【火】の触媒が手に入るようにと考えております」
「なるほど、面白い。同じような区画があるが、それも同じなのか?」
ベルナルドは否定し、第二区画に案内した。
王太子は中にいる妖樹を見て首を少し傾げる。
「この妖樹は、先程のクミリとは少し違うようだが」
「はい、上の部分がサザミの枝になっております。この前一回目の収穫を行い、たくさんの実を手に入れました」
王太子が驚きの表情を浮かべた。
そして更に第三区画の杏妖樹を見ると王太子と将軍が目を丸くする。
「これからシュラム樹の実が取れると言うのか?」
「はい、すでに一度収穫し触媒に加工しております」
サムエレ将軍がニヤリと笑った。
「それはいい。軍では【命】の触媒がいつでも不足している」
訓練などで怪我することも多い軍では、【命】の触媒を大量に消費するらしい。
「これを発案したのは、その方なのか?」
ベルナルドは否定し、リカルドに視線を向け。
「発案者は、このリカルドになります。優秀な魔術士です」
王太子が値踏みするようにリカルドを見た。悪人顔で睨まれているようでプレッシャーが強い。『すみません』と謝りそうになるのを何とか耐える。
「まだ若いのに素晴らしいぞ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
最後に第四区画に案内する。
そこでは一〇〇体の妖樹クミリが走り回っていた。
「ハハハ……まるで魔境のようだな。こいつらが逃げるようなことはないのか?」
王太子は妖樹が逃げる危険を危惧したようだ。
「外から誰かが故意に逃さない限り、クミリの力だけでは逃げられません。それにクミリ自体が脅威ではありません。子供にでも倒せる妖樹ですから」
リカルドは否定した。
「ふむ、問題は妖樹トリルを育てるようになった後か。十分な対策を取れば問題ないな……だったら何故、私に後ろ盾を頼むのだ?」
ベルナルドが不審者の件を伝えた。
「なるほど、商売敵が脅威なのか」
ガイウス王太子はリカルドたちの事業を応援することを承知してくれた。
リカルドとベルナルドが昼食の用意をするために離れると、王太子が将軍に問い掛けた。
「あの二人をどう感じた?」
「ベルナルドは根っからの商人ですな。礼儀正しく人当たりは良さそうですが、頭の中では金の勘定をしているでしょう。ですが、信用を大事にするタイプの商人のようですので信頼しても宜しいのではないでしょうか」
「ふむ、あの子供の魔術士は?」
「リカルドはある種の天才かもしれません。あの歳で魔功銃や妖樹の飼育を思い付いたというのを考えると是非とも味方に加えるべきかと」
「将軍がそれほど推挙するのは珍しいな。だが、若過ぎるとは思わんか。魔功銃や妖樹の飼育はたまたま思い付いたことかもしれん。一度試してみて、それから考えよう」
悪人顔の王太子はニヤリと笑った。王太子は有能で責任感が強い立派な人物なのだが、人を容易に信用せず、時折試すようなことをするので嫌っている者たちも居た。
2017/6/18 誤字修正




