scene:36 秘匿魔術
「こ、こんなの聞いてないわよ」
ビアンカが震える声で誰かを非難するかのように言った。
「こいつは暴黒モグラ。爪が最大の武器ですから気を付けてください」
本で読んだ知識をレミジオとビアンカに伝えた。
暴黒モグラがリカルドたちに気付き、死体から離れ近付いてきた。団扇のような平べったい手には五本の爪が伸びている。その一本一本が金属のような光沢を帯びカンテラの光を反射し鈍い光を放っていた。
レミジオが慌てて触媒を取り出した。選んだ魔術は【崩水槍】、呪文を詠唱すると水の刃が回転する渦巻きの槍が暴黒モグラに向かって飛んだ。
【崩水槍】の投射速度は速くはない。暴黒モグラは長い爪で渦巻きを弾き軌道を変えた。
「ちょっと、爪で弾かれたじゃない」
「文句を言う前に、君も攻撃しろ。───うあーっ、来た!」
兇悪な爪を振り回しながら暴黒モグラが突っ込んできた。
三人は散り散りに逃げる。
リカルドは暴黒モグラから距離を取ると魔功銃を魔獣に向け引き金を引いた。発射された衝撃波は黒い毛皮を波打たせ、その下にある筋肉と血管を傷付けた。痛そうに唸り声が地下道に響く。
だが、それは致命傷には程遠く暴黒モグラを怒らせただけだった。
「やっぱり魔功銃じゃ駄目か」
魔功銃が防御力の高い魔獣には通用しないのは予想済みなので驚かない。ただ少しでもダメージを与えられると分かっただけでも収穫だった。
怒ったモグラがリカルドを追い駆け始めた。リカルドは逃げながら魔功銃をホルスターに仕舞い、触媒を取り出す。
ビアンカはチャンスだと思い【爆炎弾】を放った。炎の塊が飛翔しモグラの背中に命中し爆発する。
モグラの毛皮が焼け血が流れた。ダメージを与えたものの大きくはない。
レミジオがモグラの背後に回り込もうとした時、暴黒モグラが素早い動きで身体を回しレミジオに飛び掛かった。レミジオは爪の攻撃だけは避けたが、巨大な身体で突き飛ばされ宙を飛んだ。
追撃されればレミジオの命が危ないと判断したリカルドは急いで【爆散槍】を放った。
巨大な石槍がモグラの脇腹に当たり爆散した。これは痛かったようでリカルドを追い駆け始める。
リカルドが暴黒モグラを引き付けている間に、ビアンカがレミジオに駆け寄り具合を確かめる。飛ばされた時に頭を打ち脳震盪を起こしたらしい。命に別状はないようだ。
一方、暴黒モグラに追われるリカルドは追い付かれそうになっていた。もう一度魔功銃を取り出しモグラの鼻に衝撃波を撃ち込んだ。
この攻撃を暴黒モグラは嫌がった。長い爪を振り回し暴れ回る。
リカルドは触媒格三級の高価な【火】の触媒を取り出した。この触媒は切り札として持ってきたものである。
魔成ロッドをモグラの頭に向け大量の魔力を流し込み触媒を撒く。魔力が真紅に輝き始めた。
「ファナ・ラピセラヴォーン・スペロゴーマ」
輻射熱で皮膚がチリチリ焼けそうになるほど高温で眩い光の玉が生まれ弾け飛んだ。光の塊は暴黒モグラの頭に命中し超高温で焼き焦がし灰にした。
この魔術はアレッサンドロの屋敷に居た時に試し失敗したものだった。あの時は魔力が足りなかったのだろうと考えていたが、魔力と触媒の両方が足りなかったのが後で判った。
太陽の表面温度と同じおよそ六〇〇〇度の灼熱の光の塊は、双角鎧熊と同格の暴黒モグラでさえ一撃で仕留める威力があった。但し大量の魔力を流し込んだ魔成ロッドはオーバーヒートしボロボロである。
この魔術はリカルドの切り札で【陽焔弾】と名付けた。
暴黒モグラが首から上を失くして倒れるとリカルドも地面に座り込んだ。大量の魔力を一気に消費し目眩を起こしそうになっていた。
暫く瞑想して魔力回復を行っていると心配してビアンカが近付いてきた。
「大丈夫……怪我でもしたの?」
リカルドは深呼吸して気合を入れ直すと立ち上がった。
「魔力が尽きそうになっただけ。レミジオは?」
「あんなの放っとけば回復する。それよりモグラの化物を一人で倒したの……どんな魔術を使ったのよ?」
ビアンカは【陽焔弾】に興味を持ったようだ。
「自分の秘匿魔術です」
秘匿魔術というのは、上級以上の魔術を習得し切り札的なものとして使えることを秘匿した魔術、あるいは全く新しい魔術を開発し公開せず自分だけのものとして隠し持つ魔術のことを言うのだが、普通は前者である。
ビアンカも前者だと思ったようで感心したように。
「凄いわね。上級魔術が使える魔術士は協会でも少ないはずよ」
上級魔術は秘匿魔術としている魔術士が多いので習得すること自体が困難なのだ。
「ウグッ……痛い」
レミジオが気が付いたようだ。ブツブツと何か言いながら身体を調べ、怪我していたようで触媒を取り出すと【治癒】を発動させた。暫らくして立ち上がり近寄ってきた。
「君達が倒したのか?」
「リカルドが秘匿魔術で倒したのよ。凄いでしょ」
ビアンカが自分のことのように自慢した。
「僕でさえ上級魔術は使えないのに」
それを聞いたリカルドが不審に思った。
「アレッ、試験の時に召喚の魔術を使っていたけど、あれは上級魔術じゃないの?」
レミジオが顔を顰め応える。自分の失態を思い出したようだ。
「あれは召喚系統の中級上位の【魔獣召喚】だ」
後に調べて知ったのだが、召喚系統の魔術は貴重な触媒が必要で、習得が難しいらしい。しかも賢者マヌエルが書いた『魔術大系』にも記載されていないので、使い手が極端に少ない魔術系統のようだ。
三人は暴黒モグラが咥えていた死体がある場所へ行き、死体を検分した。二〇代後半の男で全身が傷付いていた。服装には特徴はなく、何か持っていないか調べるとメモ書きと三本のナイフを隠し持っていた。
「何者だろう?」
リカルドが呟くように言うとビアンカが。
「マトモな奴じゃない。こんなナイフを隠し持っているなんて普通じゃないもの」
死体が持っていたのはダガーナイフと呼ばれるもので、対人殺傷用の武器として知られているものだった。
メモ書きを調べてみると誰かの会話を書き取ったものらしい。
メモ書きは符牒のようなものを多用して書かれており、リカルドたちには理解できなかった。ただ中に王太子ガイウスの名前が出てきていて、それなりの地位に在る者同士が交わした会話だと思われた。
「これからどうするの?」
ビアンカがレミジオに尋ねた。
「戻って報告するしかない。死人が出た時点で魔術士協会の仕事範囲を越えている」
リカルドとビアンカは協力して暴黒モグラの爪と毛皮を剥ぎ取った。レミジオは見ているだけである。剥ぎ取りなどしたことがないのかもしれない。
爪と毛皮を回収したリカルドたちは地下道を戻り、出発点である階段を上って鉄の扉の前に出た。
扉を叩き外に居るはずの兵士に扉を開けてもらう。
「どうした早いじゃないか?」
レミジオが事情を説明すると兵士の上司らしき将校が呼ばれ、もう一度事情を話す。その時、死体が持っていたダガーナイフとメモ書きを渡した。
その後、クラレッタが呼ばれ一緒にバイゼル城へ入った。
「面倒なことになったわ」
クラレッタが溜息を吐いてボソリと言った。
「僕たちに落ち度はないぞ」
レミジオが主張した。
「分かっているわよ」
その後、近衛軍の将軍と宮廷魔術士長の前で質問された。
質問も終わりの頃、サムエレ・ナスペッティ将軍がリカルドに視線を向け。
「その腰にある武器だが、何かね?」
リカルドは魔功銃を広めるつもりがなかったので、控えめに説明した。
「魔功銃という武器です。使い勝手はいいのですが、威力は弱く鬼面ネズミや小鬼くらいしか倒せません」
一緒に聞いていた宮廷魔術士長のヴィットリオが鼻で笑った。
「ふん、小鬼程度にしか通用しないとは役に立たんな」
サムエレ将軍はこういう武器こそ魔術士に必要なのでないかと思った。宮廷魔術士の中には小鬼一匹を仕留めるために高価な触媒を使い魔術を発動する者も居たからだ。
将軍は魔功銃を製作した工房を聞き出し、後で訪ねようと思った。
リカルドたちが解放された後。
バイゼル城の一室ではサムエレ将軍が二人の部下に手に入れたメモ書きを分析させていた。
同時に地下道へ数人の部下を派遣し、不審者の死体と魔獣の死体を確かめさせた。不審者の死体は城まで運ばせ検分した。
メモ書きの内容を分析した者たちは、それがバイゼル城で働く高官が施政事務館で交わした会話だと突き止めた。
施政事務館は王領の行政を担う高級官僚たちが仕事をしている場所である。
不審者は地下道を通ってバイゼル城の下まで来て、城の何処かに通じる穴を掘ったに違いないと将軍は思った。早急に穴を発見し封鎖しなければならない。
今回は間諜だったようだが、次は暗殺者が送り込まれるかもしれないからだ。
「王太子殿下にお知らせせねば」
サムエレ将軍が呟いた。
「まずは陛下に知らせるべきではありませんか?」
副官であるアレヴィ参謀が助言した。
「もちろん知らせる。だが、陛下は状況の深刻さに気付かれないかもしれない」
アルチバルド王は暗愚ではなかったが、政務に対して関心が薄かった。それに対してガイウス王太子は賢明で責任感の強い王族だった。
通常なら出来の良い息子を愛し自慢するはずである。けれど、アルチバルド王はガイウス王太子を嫌っていた。
貴族共が何か吹き込んだに違いないと将軍は思っている。
ここ数年、政務に関心のない陛下の代わりに王国の問題を処理していたのは、ガイウス王太子である。
将軍もガイウス王太子を尊敬し協力している。
一方、東のメルビス公爵を中心とした貴族たちは、軍事面に才能を発揮し始めたアウレリオ王子を次代の王にしようと画策していた。
今回の騒ぎもメルビス公爵が関係していると将軍は考えた。
将軍と宮廷魔術士長から解放されたリカルドたちは魔術士協会に戻るとクラレッタと話し合った。
「今回の依頼は続けるわよ」
クラレッタの言葉にリカルドは驚いた。依頼は中止だと思っていたからだ。
「でも、地下道は城の兵士たちが封鎖するんじゃないですか?」
「地下道は広いのよ。封鎖は一部だけになると思うわ」
依頼は地下道全体の調査なので、封鎖された箇所以外を調査しなければ依頼完了とはならないとクラレッタが説明した。
地下道の調査は続けられ、リカルドたちは鬼面ネズミに遭遇した以外は順調に依頼を遂行し、暴黒モグラが開けたらしい穴も発見した。
穴の出口はクレム川近くの雑木林だった。こんな所に暴黒モグラが居るのは異常なので、妖樹ダミルと同じように川上から流されてきたのかもしれない。
応急処置として、穴の入口を土で塞いだが、本格的な工事が必要だった。
城の兵士たちにより封鎖された箇所以外は調査を終えた。
地下道には多くの出入り口である階段が存在するのを確認した。魔術士協会や商店街、港、第二南門近くなどリカルドがよく行く場所にも地下道へ通じる出入り口があった。
また、何に使っていたのか分からない小さな部屋も多数存在した。
依頼を成し遂げたリカルドの仕事は元の報告書作成に戻った。
午前中に仕事を済ませ、エミリア工房へ行く。
工房にはベルナルドが来ていた。
「ああ、良かった。丁度リカルド君を呼ぼうかと話していたんですよ」
「どうかしましたか?」
「魔獣ハンターに頼んで妖樹タミエルを狩ってもらい魔功蔦を手に入れたので、魔功銃を作ってもらいたいのですよ」
ベルナルドが魔功蔦六本を見せた。二体の妖樹タミエルを仕留めたらしい。
「魔功銃の量産は無理なので、商売にはならないと思いますけど」
リカルドが言うとベルナルドが頷き。
「承知しています。ただ興味を持つ人は多いと思うのですよ。そういう方の中で是非欲しいという方に製作して御売りしようと考えています」
エミリアは首を傾げ。
「そういう金持ちは魔砲杖を買うんじゃないの?」
「ええ、そういう方もいらっしゃるでしょう。ですが、魔砲杖は持ち歩くには大きく無骨です。それに触媒カートリッジを入れ替える手間があるので、狼の群れなどと遭遇した場合を考えると魔功銃が欲しいと思う方も大勢いらっしゃるのですよ」
ベルナルドの商売人としての勘が商売になると声を上げていた。
その勘は間違いなかったようで、サムエレ将軍から二丁の魔功銃が欲しいと注文が入った。一丁はガイウス王太子に献上するものだと言う。
リカルドとエミリア、そしてベルナルドは相談しガイウス王太子に献上する魔功銃には象嵌を施したものを製作することになった。
象嵌というのは材料に模様などを刻み込んで、そこに金・銀などを嵌め込む装飾である。
出来上がった献上用の魔功銃は芸術作品のような逸品となった。
気になる値段をベルナルドに尋ねると。
「いえいえ、勝手に象嵌を施したものですからお金は頂けませんよ」
ベルナルドは将軍が使う魔功銃はしっかりと代金を受け取ったが、献上用の魔功銃は無料で将軍に渡した。もちろんヒップホルスターも一緒にである。
献上された魔功銃はガイウス王太子が愛用する武器となった。その魔功銃でホーン狼の群れを退治したという話が王都に広まると魔功銃を欲しいという貴族が大勢誕生した。
ベルナルドは通常の販売方法では無理だと判断し、オークションハウスで販売する方法を取ることに決めた。
その結果、高額の売上となり、発明者であるリカルドは大金を受け取ることになるのだが、それはもう少し先の話となる。
地下道の依頼から三ヶ月ほどが過ぎた頃、実験飼育場では杏妖樹が収穫の時期を迎えていた。
先月はオリーブ妖樹の実を無事に収穫している。そのことをセルジュとパメラに話すと自分たちも収穫したかったと言うので、今回は家族総出で実験飼育場に来た。
セルジュとパメラは実験飼育場に到着すると大声を上げ中に入った。
「見て見て、変なのが走ってる」
セルジュが第一区画で走り回る妖樹クミリを見てはしゃいだ。パメラも同じである。妖樹に向って走り出そうとするのを止めるのが大変だった。
モンタもショルダーバッグから飛び出し、塀の上を駆け回って大はしゃぎしている。
「キュカ、キュキュケ」(リカ、クミリが大きくなってる)
第一区画の妖樹クミリは種を採取するために育てていたものだが、この調子で育てば種を上手く回収できそうだった。




