scene:32 再び魔境へ
雑務局での仕事が始まる前にヨグル領へ行くことにした。
その前にベルナルドに会い、魔成ロッドの需要がどれほどあるのか確かめた。
「魔成ロッドの需要ですか……そうですね。王都だけでも毎年二〇〇本程度の魔成ロッドが売れているはずですよ」
リカルドが思っていたより多かった。王都以外でも需要があるだろうから、多めに魔成ロッドを作製しても売れるだろう。
「魔成ロッドは武器です。折れたり壊れたりする消耗品なので需要が尽きることは無いのです」
ベルナルドは人気商品となっているユナボルタの魔成ロッドを一本でも多く仕入れたいので、リカルドを安心させるように言った。
ユナボルタの魔成ロッドは実戦で使用する魔術士が一番の顧客だが、その芸術的な美しさに目を留めたコレクターも欲しがるようになっていた。
「それじゃあ、ヨグル領へ行ってきます」
リカルドはベルナルドにそう言って店を出た。
実験飼育場は兄のアントニオに頼んだ。杏妖樹と妖樹クミリは順調に成長しているので、餌となる雑草を与えるだけで大丈夫だろう。
アントニオの片手はリハビリ中であるが、雑草を刈るくらいは可能だった。
乗合馬車でヨグル領の領都ヤロへ行き、その日は宿を取った。一緒に来たモンタは馬車の中ではしゃいでいたせいで疲れたのか、早めに寝た。
翌朝、日が昇ると同時に第二魔境門へ向かう。
銀貨を門番に払って第二魔境門を潜り、例の岩山がある方に向かう。途中、多くの妖樹クミリを発見し、実を付けている奴を捕獲すると実を回収した。
それを見たモンタも探し始めた。肩の上でキョロキョロと妖樹クミリを探し、実を付けているクミリを見付けると肩からぴょんと地面に飛び降り、クミリを追い駆け始める。
「キュキュ、キュエキュ」(待て、逃げるな)
大騒ぎして妖樹クミリに飛び付き、カボチャのような胴体の上に登るとカエデに似た葉を付ける枝から、赤くなっている実を口の中に放り込む。その数は一つや二つではなくモンタのほっぺがこぶとり爺さんのように膨らんだ。
モンタは口の中が一杯になるとクミリから飛び降り戻ってきた。リカルドの前に来ると口からクミリの実をぷぷぷっと吐き出した。
モンタはキラキラした眼でリカルドを見る。その眼は褒めて欲しいと要求していた。
リカルドは苦笑いしながらモンタを褒める。
「よくやった。偉いぞ」
モンタの肩や背中を撫でると気持ち良さそうな顔をして、甘えるような鳴き声を出した。
その後、モンタの唾液でベタつくクミリの実を水筒の水で洗い、袋に仕舞った。
岩山の小さな洞窟に入り岩棚に登った。神珍樹の状態を確かめるためである。
ちょっとだけ期待したが、実は生っていなかった。前回実を回収してから数ヶ月しか経過していないのだから、当然かもしれない。
岩棚から下り洞窟から出ると多数の妖樹クミリが洞窟目掛け一目散に駆けてくるのが見えた。
「何だ、また風切り鳥か」
上を見て確かめるが、それらしい姿はない。
妖樹クミリの後方を見ると原因が判った。大人ほどの背丈がある大きなトカゲが二本足でクミリを追い掛けていた。
樹咬トカゲである。このトカゲは体長一五〇センチほどもあり、ドタドタという感じで二足歩行する。最大の武器は大きな口に並ぶ鋭い牙であり、木の幹さえも食い千切り咀嚼してしまう強力な顎の力であった。
妖樹は樹咬トカゲの食料である。妖樹クミリにとって天敵だった。
リカルドは触媒ポーチから【飛槍】の触媒を取り出し魔成ロッドを樹咬トカゲに向けた。
呪文を唱えようとした時、木々の間から何かが飛んできて樹咬トカゲの頭を吹き飛ばした。
「アッ」
危険を感じたリカルドは洞窟の中に戻り、入口の端から外を覗き見る。
樹咬トカゲの頭を吹き飛ばした奴は何者か……魔獣ハンターだった場合はいいのだが、別の魔獣だった場合は用心が必要だ。
ジッと隠れて様子を窺っていると妖樹タミエルがノソノソと姿を現した。
直径三〇センチほどの太い幹に蛸の足のような根っこ、幹からは六本ほどのうねうねと動く枝が出ており、近付いた者はその枝で殴り倒されるだろう。
幹の上部には鼻のような樹肝の瘤、そして頭部には三本の毛ではなく、三匹の蛇のように動く蔦のようなものが蠢いていた。
リカルドはギリシャ神話に出てくるメドゥーサを連想した。
「眼がないから石になることはないか。でも、樹咬トカゲをどうやって殺したんだ」
魔力察知で周囲を警戒しながら観察していると妖樹クミリが妖樹タミエルの脇を通り抜け、洞窟の方へ近付こうとした。
頭部から生えている蔦の一本が妖樹クミリの方へ先端を向け、目に見えない何かを撃ち出した。
妖樹クミリのカボチャのような胴体が弾け飛んだ。
魔力察知で魔力に対して敏感になっていたお陰で感じ取れたのだが、蛇のような蔦から強力な魔力を感じた。
リカルドは手に持つ触媒を【爆散槍】用のものに変え、勝負を掛けることにした。未知の飛び道具を持つ妖樹相手に勝てるとしたら、最初の奇襲が成功した時だけだと判断したのだ。
魔成ロッドを妖樹タミエルの樹肝の瘤に向け、【爆散槍】を放った。
巨大な石槍が宙を飛び妖樹タミエルへ向かう。その石槍に気付いたタミエルは枝を振り回し叩き落とそうとした。枝と石槍が接触した瞬間、石槍が爆散した。
失敗したと思い、洞窟の奥に逃げ込もうとした時、妖樹タミエルの様子がおかしいのに気付いた。よく見ると爆散した石槍の破片が樹肝の瘤に突き立っていた。
瘤から樹肝油がだらだらと零れ落ちている。妖樹タミエルは無意味に枝を振り回していたが、最後には横倒しとなって動かなくなった。
リカルドは洞窟から出ると妖樹タミエルに近付いた。
妖樹が死ぬと今まで自由に動いていた枝が死後硬直を起こしたかのようにピンとまっすぐになるので仕留めたかどうかの判断がつけやすい。
頭に生えている三本の蔦を見てみると、これもピンとまっすぐになっている。長さ五〇センチ、太さ直径四センチほどで先端の方を調べると穴が開いている。
管のようになっていて水か何かを撃ち出しているのかと思ったが、その穴の底は浅く試験管がすっぽり嵌まるような感じの空間がある。
穴に内側を触ってみるとすべすべしている。
ここで考えるのは危険なので、枝と蔦を切り落とし全部を収納碧晶に仕舞った。
樹咬トカゲの死体からは牙と皮だけ剥ぎ取って残りは捨てた。肉は食べられそうだが、それほど美味そうではなかったからだ。
後で知ったが、樹咬トカゲの肉は鳥肉に似ており、割と美味いらしい。
リカルドの集めた情報には、第二魔境門近くで樹咬トカゲや妖樹タミエルなどの強い魔獣が出るとは無かった。
魔境に何か起きているのかと心配になる。
「魔術士協会の新入りにしか過ぎない自分が心配することではないか。引き上げよう」
急いで剥ぎ取った素材を収納碧晶に入れ、その場を立ち去った。
領都ヤロの宿に戻ったリカルドは宿の裏庭を借りて妖樹タミエルの枝を加工した。枝は短かったので六本のロッドになった。
あの変な蔦のようなものを取り出し調べたが、どうやって樹咬トカゲを倒したか分からない。
「魔力が関係しているのは確実だ。少し流し込んでみるか」
褐色の棒のようになった蔦に魔力を流し込むと蔦の中心部に魔力の流れやすい部分があるのが判った。蔦の芯部に赤くなっている部分が有る。それは高魔力伝導率の繊維で作られたものだった。
試しにナイフで鉛筆を削るように赤い芯部を剥き出しにすると指で摘んで魔力を流し込んでみる。蔦の先端から衝撃波のようなものが出て地面に命中すると土の表面だけを吹き飛ばした。
「うわっ、何か出た」
蔦の芯部に魔力を流し込むと試験管のように抉れている先端から衝撃波のようなものが発射されるのは判ったが、期待していたほど威力はない。
どうやら人間が発する魔力と妖樹が発する魔力とでは何かが違うようだ。その違いが威力の差として現れるらしい。
「対魔獣用の武器に使えるかと思ったのだけど……」
触媒無しで戦える武器になれば凄いと思ったのだが、この威力だと使えない。
衝撃波なら魔成ロッドと同じじゃないかというアイデアが頭に浮かんだ。
リカルドは蔦の先端部分に開いている穴の内壁に魔力コーティングをしてみることにした。
精神を集中し指先から魔力を放出し内壁の細胞を押し潰すようにコーティングしていく。魔力コーティングと普通の魔力放出の相違点は、この細胞を押し潰すように魔力を流し込み、妖樹の細胞を魔力で満たしていくやり方に有る。
かなりの抵抗があったが、リカルドの魔力制御は問題なく内壁の細胞の一つ一つを魔力で満たしていく。魔力で満たされた細胞は何か規則性でもあるかのように綺麗な雪華紋を浮かび上がらせる。
魔力コーティングが終わった蔦に魔力を流し込んでみた。
銃口のような蔦の先端から先程とは比べ物にならないほど強い衝撃波が発射された。前と同じように地面に命中すると土が爆発したように吹き飛び大き目の穴が空いた。
何度か試してみると射程は六メートルほどで、威力は四メートルの距離なら小鬼族を仕留められそうである。
小鬼族を仕留められるということは、人間も仕留められるということだ。
この蔦を『波生管』と名付けた。リカルドは波生管を使って銃のような武器を作れないかと考えた。故郷で多数の小鬼たちと戦った経験が、そういう武器も必要だと思わせたのだ。
その後、銃のような武器を世に出していいのだろうかと一瞬考えたが、魔術や刀剣が簡単に手に入る世界なのだから、今更かと深く考えるのを止めた。
既に魔砲杖という魔術武器が開発されているので、これが一つ加わったからと言って世の中には与える影響は少ないと考えた。
「この世界は魔獣という人間の天敵が居るんだ。これくらいの武器を開発しても問題ないだろう」
リカルドは死んだ父親のことを思い出した。魔砲杖や新しく作ろうと考えている武器を父親が持っていたら、死なずに済んだのだろうか。
但し、その場でできるのはここまでで武器の製作には腕の良い鍛冶屋の協力が必要そうだと判った。
なので、宿では魔力コーティングだけを済ませた。
王都に戻ったリカルドは、ベルナルドの店でトリル製魔成ロッドの十二本を売って金貨一二〇枚を手に入れた。タミエルの枝から作った魔成ロッドは売らなかった。実際に使って使い心地を試してみていないからだ。
万一、妖樹タミエルの枝が魔成ロッドに向かない素材だった場合を心配したのだ。
リカルドが留守の間、家族には何の問題もなく少し王都の生活に慣れてきたようだ。実験飼育場も順調で、杏妖樹はアントニオが放り込んだ雑草を掻き集め、日当たりのいい場所でボーッとしているようだ。
ただ気になるのは、スラム街に住む子供たちが見物に来るようになったそうだ。
リカルドが買った土地は海辺の砂地も含んでおり、その砂浜で貝掘りをして食料の足しにしているようだ。貝掘りの帰りに建設中の小屋を覗きに来るのだ。
何故かスラム街で実験飼育場が話題になっているらしい。
翌日、今日から雑務局で仕事始めである。朝早い時間に魔術士協会の講義堂へ向かう。
モンタはセルジュとパメラと一緒にお留守番である。仕事場に連れていくのは問題があると感じたからだ。
講義堂で入社式のようなものがあるらしい。今回魔術士協会に入った魔術士は二十一人、その新人魔術士と理事三人、各局の教育担当魔術士四人が講義室に集まり式典が開始された。
まずは代表理事のジェズアルドが挨拶を行い、魔術士協会の制服である紺色のローブが配布された。
布製の何の変哲もないローブである。けれど、そのローブを着ている人間には、一定の敬意が払われる。正規の魔術士には力があるからだ。
退屈な式典が終わり、雑務局の教育担当が配属になる六人を集めた。
教育担当は二十歳前後の綺麗な女性でクラレッタという名前である。
クラレッタの案内で雑務局のある協会事務所へ向かう。レンガ造りのコの字型の建物が見えてきた。ここでは魔術士一〇〇人近くが働いているらしい。
リカルドたちの仕事部屋として連れてこられたのは、天井付近に小さな明り取りの窓が二つほどある暗い部屋だった。クラレッタは中央の天井付近にある樹液ランプの明かりを灯す。
机が一〇台ほど置かれていた。そこで、リカルドたちは雑務局での仕事の内容を説明された。
魔術士協会には王都全域と近隣から魔術を使って問題を解決できないかという依頼が集まってくる。受付で究錬局・討伐局・雑務局の各部局に向いた依頼を判別し仕分けされる。
ちなみに雑務局に回ってくる依頼は、究錬局や討伐局に配布した残りの依頼ということになる。
それ故、雑務局の仕事は小型の魔獣の駆除や調査依頼が多い。不思議な出来事があると魔術に関係するのではないかと調査依頼を出すのだ。
但し報酬の良い魔獣駆除や調査依頼は討伐局や究錬局に送られるので、雑務局に回ってくるのは報酬が安いか訳の分からない依頼が多いらしい。
クラレッタが大量の書類を持ってきてテーブルに積み上げた。
「皆さんには、討伐局や究錬局の先輩魔術士達が書いた依頼結果のメモをちゃんとした報告書にしてもらいます」
雑務局の依頼は引き受けた者が書くのではないらしい。
ざっと見て一〇〇件以上ありそうな書類の山に新人魔術士たちはうんざりした顔をする。
その時、レミジオが待ったを掛けた。
「ちょっと待て、そんな仕事は魔術士である僕らがやらなくてもいいだろ」
公爵の息子であるレミジオが与えられた仕事に文句を付けた。
「毎年、そう言う新人が居ますが、これは新人が仕事を覚えるための作業です。先輩たちが引き受けた依頼をどうやって解決したのかを知り、報告書として整理することで記憶するのです」
「そんなの出来上がった報告書を読めばいいだろ」
「ただ漫然と読むより報告書を書いた方が記憶に残ります」
レミジオはクラレッタに言い負かされ悔しそうに唸り声を発した。
「それでは報告書の形式と書き方を教えます」
クラレッタから説明を聞き、一人二〇件ほどの依頼書とメモを渡された。
「これを四日後までに終わらせてください」
その言葉で悲鳴のような声が新人魔術士の間から上がった。
ワープロもパソコンもない世界では報告書を一枚書くのにも相当な労力が必要だったからだ。
ただ慣れると早く作成できるようになるらしい。夕方に、その日に書き上げた報告書を提出すれば自由にしていいと言われた。
「私は二階の第二控室に居ますから、分からない点があったら聞きに来てください」
そう言うとクラレッタは部屋を出ていった。
残った新人魔術士たちは渡された依頼書とメモを読む。
リカルドも読んで討伐依頼の報告書は簡単そうだと感じた。問題は調査依頼の方である。キチッと調査されているものもあるのだが、中には調査が曖昧なまま終わっているものもある。
そういう依頼の報告書はどうするのかクラレッタに聞くと魔術に関係ないと判明した時点で調査を終わらせることがあるらしい。
原因不明のままでいいのかと疑問に思うが、問題ないらしい。
二時間ほど作業して報告書三枚を書き上げた。四日で二〇枚なので、一日平均五枚とすると順調である。
レミジオは一枚を書き上げると飽きたのか、机の上に足を投げ出してお昼寝中である。
他人事ながら少し心配になるが、レミジオはリカルドより三歳年上の十四歳だと言っていたので、自分のことは自分でするだろう。
昼頃になり、レミジオは書類の束を抱え上げ。
「こんな辛気臭い所で、これ以上は我慢できん。別の場所で仕事をする」
そう言うと出ていった。
二十歳ほどの青年魔術士バルナバがレミジオの後ろ姿を見送ってから苦々しげに。
「貴族様はいいよな。絶対使用人か誰かにやらせるつもりなんだぜ」
それを聞いて十六歳くらいのビアンカが、肩を竦めた。
「でも、ここは息が詰まりそうな場所だと言うのは当たっている。あたしは図書館で仕事するわ」
「俺もそうしよう」
他の新人魔術士たちは次々に書類を抱えて出ていった。残ったのはリカルドだけになった。
どうしようかと迷ったが、図書館だとそのまま本を選んで読みたいという欲求に負けそうな気がするので、このまま作業を続けることにした。
一時間ほどで二枚の報告書を書き上げ、その日のノルマを達成すると腹が空いてきた。
遅い昼になったが、魔術士用の食堂へ行った。そこにはパトリックとタニアが居た。
「オッ、初日から頑張っているようだがね」
「パトリックも最初は報告書だったのですか?」
パトリックはニヤリと笑い。
「そうだがや、毎日机に向かって書いとった」
リカルドは顔をタニアに向け。
「タニアさんは最初何をしてたのですか?」
「イサルコ理事が研究している【地】の魔術研究を手伝っていました。面白かったですよ」
それを聞いて、究錬局を狙うべきだったかと少し後悔した。




