scene:31 実験飼育場
ロブソンは王都の郊外で生まれた。この国で郊外と呼ばれるのは街壁の外側周辺の土地を指し、魔獣が現れるかもしれない危険な場所だった。
大きな都市の郊外には地方から出てきた貧しい人々が住み着きスラムを形成している場合が多い。この王都も例外ではなく大きなスラム街が存在した。
そのスラム街で生まれたロブソンは父親を知らなかった。生まれた時には死んでいたらしい。六歳までは母親と一緒に暮らしていた。六歳の時、母親が病死し魔術士協会に拾われ、小僕として成長した。
魔術士協会での生活にも慣れ九歳になった時、イサルコ理事の計らいでリカルドという見習い魔術士が小僕たちが住む従業員宿舎に来た。
最初は他の魔術士と同じような傲慢な奴かと思っていたが、リカルドは小僕たちにも丁寧な言葉で話し馬鹿にするようなことは無かった。
ただ従業員宿舎で出している食事だけには顔を顰め無理をして食べていた。ロブソンとしては昼と晩にちゃんとした食事が食べられれば十分だと思っていたが、リカルドは満足できないようだ。
リカルドは街の外に行って頭突きウサギなどを狩って持ち帰るようになると、その肉や骨を使って料理をするようになった。
初めてリカルドが作った料理を食べた時、今まで食べていたものはゴミだったと思った。それほど美味しかったのだ。
ロブソンはリカルドから料理の基本を教わり嬉しくなった。こんな凄いことを只で教えてもらっていいのだろうかと不安になったほどだ。
リカルドは小僕達と仲良くなり気軽に話すようになった。だけど、時々思うことがある。なんとなくだが、リカルドの考え方や行動が自分たちとは違うと感じるのだ。
やはり、将来魔術士になる者は自分たちとは違うのだろうかと思った。
ある日、リカルドが勉強を教えてくれると言い出した。
ロブソンはリカルドの勉強会に初めから参加した。魔術の基本を習い、魔力制御の練習法を教えてもらい練習を始めた。
リカルドは丁寧に教えてくれる。しかし、厳しい教師でもあった。教え子が理解するまで何度でも何度でも説明し本当に理解しているか厳しくチェックする。
リカルドの魔術士認定試験が近付く頃には、ロブソン、シドニー、ニコラ、ドメニコの四人は魔力制御の基本を習得し、初級下位の魔術を成功させられるようになった。
ロブソンは初めて【着火】の魔術を成功させた時、涙を零して喜んだ。
リカルドが魔術士認定試験に合格し、家族に会うために王都を離れた一〇日後、ロブソンは受付のリリアーナに指示され究錬局の魔術士オメロに会いに行った。
リリアーナの指示は簡単で究錬局の魔術士オメロに会い、その指示に従えというものだった。
究錬局に行き魔術士オメロが研究に使っている部屋を訪ねた。ドアをノックし承諾を得て中に入る。
「遅いぞ。今から行くから、そこの荷物を持って付いてこい」
オメロが作業台に載せてある革袋を指差し告げた。
「分かりました」
ロブソンは返事をして革袋を担いだ。
オメロはまだ二〇代前半の若い魔術士で長老派だった。つまり昔からの伝統を守ることを重要視する古いタイプの魔術士なのだ。
このタイプは親が魔術士の場合が多く、オメロも魔術士の家系だった。
ロブソンは行き先も分からず、オメロに付いて出掛けた。
オメロは早足で南門から魔術士協会を出ると貴族の屋敷が在る方へ向った。貴族の屋敷が建ち並ぶ区画の前で東へと方向を変える。
荷物を担いでオメロに付いていくのは大変だった。ロブソンの小さな身体を考えもせず、オメロは急ぐように歩いていたからだ。
前方に王立バイゼル学院が見えてきた。貴族や裕福な商人の子供たちが学ぶ学校で、その教育には魔術士協会も協力していると聞いている。
オメロは学校の中に入ると手前にある初等教育学舎に入った。レンガ造り三階建ての建物で、中にはロブソンと同じ年代の生徒が廊下を歩いていた。
八歳から十二歳ほどのお揃いの制服を着た少年少女たちである。
「オメロ先生、おはようございます」
何人かの生徒がオメロに挨拶をして通り過ぎていく。オメロは短めに挨拶を返して廊下を進む。
鐘の音が聞こえた。授業の始まりを知らせる鐘である。
生徒たちは急いで教室に入っていく。
オメロは二階にある教室に辿り着くと深呼吸をして中に入った。
ロブソンも続いて中に入り、初めて見る教室を見回す。生徒は三〇人ほどである。
「この前の続き、触媒についてから始める。持ってきた触媒を配ってくれ」
ロブソンは革袋に入っている触媒を生徒たちに配った。
オメロは魔術の基礎原理について授業を始めた。その内容はロブソンも知っていた。リカルドに習ったからだ。
授業を聞いているうちにふと違和感を覚えた。リカルドの教え方と違うのだ。リカルドは魔術によって引き起こされる現象や効果を論理的に説明してくれるのだが、オメロは教本を読み上げているだけという感じだった。
こういう授業が一番つまらない。生徒たちは重たくなる目蓋を必死になって支えている。それを悟ったのか、オメロが教本を読み上げるのを中止する。
ロブソンもオメロが発する催眠波による攻撃に必死に堪えていたのでホッとした。
「ここまでは理解したか……質問のある者は?」
誰も手を挙げないのでオメロは逆に質問を始めた。
「触媒とそれ以外の物の違いは何か?」
オメロが生徒の一人を指名した。その生徒は立ち上がり答えた。
「玄子が含まれているかどうかです」
その後、幾つか質問して生徒に答えさせた後。
「正解だ。次は触媒が魔力に及ぼす効果を何と呼ぶ?」
この問題は授業では教えていないものだった。何人かの生徒を指名したが全員が答えられなかった。
「魔術の基礎だぞ。答えられないのか」
生徒の一人が反発するように声を上げた。
「先生、まだ習っていません」
「これくらいは常識として覚えておけ」
「そんなぁー」
生徒達が騒ぎ出した。その中の生徒の一人が嫌な笑いを浮かべ声を上げる。
「先生は常識と言いましたけど、魔術士協会の人間なら誰でも知っていると言うのですか?」
「もちろんだ」
オメロは魔術士協会の人間と言われ、魔術士のことだと考えた。
「だったら、そこの荷物を持ってきた奴も知っているのですね。そこのお前、僕らに教えてくれよ」
オメロは生徒に罠に嵌められたと知ってムッとした。
「いや、こいつ……」「答えは『属性励起』です」
オメロがロブソンは魔術士協会の人間ではないと言う前に、ロブソンが答えていた。
「な、なん……正解だ」
教室がざわつく。
オメロはロブソンに興味を持ったようだ。ロブソンを見据えて質問した。
「【火】の系統詞は?」
「『ファナ《火よ》』です」
「初級上位魔術で代表的な魔術を四つ挙げよ?」
「【炎翔弾】【流水刃】【風斬】【飛槍】です」
生徒の間から小さな声が上がった。
「あいつ荷物持ちじゃないのか……もしかして見習い魔術士か」
「そうかもな」
ロブソンは思わず答えてしまったが、見習い魔術士に間違われ誇らしいような照れくさいような気持ちになった。ロブソンはリカルドの勉強会に参加して良かったと心の底から思う。
そして、リカルドに感謝した。
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ロブソンが王立バイゼル学院へ行った日から数日後。
リカルドは家族と一緒に王都へ戻ってきた。
港を出る時、兵士による検査があったが、母親と兄はデルブで身分証を発行してもらったので問題なく、セルジュとパメラは親が一緒なので無条件に入れた。
デルブの役所で身分証を発行してもらう時、ユニウス村の村長から保証人となる証書を書いてもらっていたので、簡単に作製してくれた。
船から王都に入った途端、弟と妹が興奮して騒ぎ始める。
「すごーい、立派な建物がいっぱいだ」
「道が石になってりゅ」
セルジュは建物に、パメラは石畳の道に驚いたようだ。
一番に宿を確保した。それほど高級な宿ではないが、一階が食堂になっている宿屋である。
四人部屋を用意してもらう。セルジュとパメラは二人で一人分である。
その日は宿屋の食堂で夕食を食べ、旅の疲れを取るために早めに寝た。
翌朝、起きると家族で出掛けた。早朝からやっている屋台で根菜がたっぷり入っている野菜スープを買って食べてから、王都を案内して回った。
王都の街を見物しながら買い物もした。下着を三枚ずつ、服を二着ずつ買う。
服は古着だったが、王都には質の良いものが多くあり家族全員が喜んだ。特にパメラは可愛らしい服を買ってもらい大喜びした。
歩き回って腹が空いてきたので、魚介類を使った料理が評判の店に入り、一番人気の鍋を注文した。暑くなり始めた時期に鍋はどうかとも思ったが、周りの客を見ると汗を流しながら鍋を美味しそうに食べている。
出てきたのは魚介類がたくさん入ったブイヤベース風の鍋だった。
リカルドが取り皿に具とスープを入れて配ると食事が始まり兄と母親から感謝された。
「海の魚は初めて食べたよ」
「すごく美味しい。ありがとう、リカルド」
魚介類からいい出汁が出ていて本当に美味しかった。
海が近いのだから王都の住民は魚介類をたくさん食べていそうだが、意外に魚介類の消費量は少なかった。
漁の技術が発達しておらず、小さな網や釣りで漁をしているのが原因らしい。
鍋を食べ終え店を出たリカルド達は商店街の近くに在る広場に行った。
「皆はちょっとここで待ってて、これからのことを知り合いに相談してくるから」
「リカルドの知り合いなら私たちも挨拶した方がいいんじゃないの?」
ジュリアが心配そうに言う。
「いや、この時間だとベルナルドさんは店に居るだろうから大勢で行かない方がいいよ」
リカルドはもし遅くなるようだったら宿に戻るように言って、金貨二枚と数枚の銀貨を母親に渡した。
急いでベルナルドの店に行き店員に彼が居るか聞いた。
リカルドの顔を覚えていた店員はベルナルドに伝言してくれたようで、店の奥からベルナルドが現れた。
「帰るのが早くないですかな。もう少し故郷でゆっくりしてくると思っていましたよ」
「それが事情があって家族と一緒に王都へ戻ったのです」
応接室に案内され、そこで故郷での出来事を話した。
「それは大変でしたね」
ベルナルドは父親の死を悼んでくれた。
「そこで相談なんですが、家族と住む家を借りたいのですが、こういう場合どうするのか教えてもらえませんか」
リカルドは不動産屋みたいな商人が居ると考えていた。
予想通り『仲介屋』という商売の商人が貸家などを扱っているらしい。
「私の知り合いの仲介屋を紹介して差し上げます。その代わり例の魔成ロッドを何とかお願いします。お客様が早く欲しいと何度も来られるのですよ」
リカルドは魔成ロッドの件を承知し、仲介屋を紹介してもらった。
その場で魔成ロッドを売らなかったのは、ヨグル領へ行っていないのに魔成ロッドを持っているはおかしいと疑われないためである。
使用人を使いに出し仲介屋がベルナルドの店に訪ねてきた。
仲介屋はチェザルという名の痩せた商人だった。チェザルが紹介してくれた貸家は、商店街の近くと港の近くが多かった。リカルドの職場が魔術士協会ということを考えると港は少し遠かった。なので商店街近くの小さな家を借りようと思った。
ただ、リカルドだけで決めるのも拙いと思い、家族と一緒に見に行った後で最終決定した。
魔術士協会から歩いて三〇分ほどの場所にあり、家賃も月銀貨四枚というまあまあな価格だ。
その家は築一〇年ほどで割と綺麗な状態だった。二階建てで一階は炊事場と暖炉のあるダイニングルームがあり、二階は大き目の寝室が一つと小さな部屋が二つある。
その日から住めるようで、近くに在る井戸も教えてもらった。
リカルドは商店街に行き、寝具一式を人数分購入し、新しい家に運ぶよう手配した。これで王都で家族と一緒に生活する目処が立った。
翌日、リカルドは兄と一緒にクレム川沿いの雑木林へ行き、雑草を取り除いた後に見えてきた黒く肥沃な土を麻袋に五袋分ほど詰め収納碧晶に仕舞った。
その後、リカルドが購入した郊外の土地を見に行った。
海岸近くの土地に堀と塀が完成していた。
ロマーノ棟梁と職人達は寝泊まりする小屋と作業小屋を建設中である。
「棟梁、順調みたいだね」
「当たり前よ。基礎と木材の手配が終わっているから、十五日もすれば完成だ」
簡単な小屋なので早く完成するらしい。
未完成の小屋の前には塀で囲まれた一アールほどの土地が三区画ある。海に近い区画に入ったリカルドとアントニオは雑草が生い茂っている場所を見回した。
「ここはあまりいい土とは言えないな」
アントニオが土を確かめて言った。
「ここで行うのは農業じゃなくて実験だから、これでもいいんだよ」
リカルドは穴を掘るように指示した。棟梁からスコップを借りて五つの穴を掘り、持ってきた肥沃な黒土を穴に流し込む。
リカルドはペンダント型の収納紫晶から魔境で採取した妖樹クミリの実から取り出した種を黒土に埋め、水を掛けた後、【命】の触媒を撒き【芽吹き】の魔術を発動させた。
妖樹クミリの種は芽吹き、黒土の上に双葉を出したかと思うと根を伸ばし黒土から栄養分を吸収し始めた。
栄養分を吸収した妖樹クミリは玉ねぎほどの大きさまで急成長する。
そこで成長が一旦止まり、黒土から根っこを引き抜いた玉ねぎクミリは逃げた。塀に囲まれた土地を走り回り逃げられないと悟ると日当たりのいい場所に移動し座り込んだ。
アントニオは目を丸くして妖樹クミリの様子を見ていた。
「これが妖樹か……なんか妙な奴だな」
妖樹クミリは魔境以外ではあまり見掛けない妖樹なので、アントニオは初めて見たようだ。
「大きくなると人間の頭くらいにはなるんだよ」
「そうなんだ。こいつを育ててどうするつもりなんだ」
「実験に使うんだ」
リカルドは残る黒土にも妖樹クミリの種を撒き【芽吹き】の魔術で成長させた。
妖樹クミリは群れる性質があるようで、一匹目が座り込んだ場所の近くに集まった。五匹の玉ねぎクミリはもぞもぞと根っこを動かし周りの雑草を集めている。
その雑草は夜間に分解酵素で分解され栄養分としてクミリたちに吸収されるのだろう。
リカルドは今までの様子を用意した観察ノートに書き込んだ。
「おい、何だそりゃ?」
後ろからロマーノ棟梁の声がした。
「この実験飼育場で飼う妖樹クミリたちです」
「何だと……ここで妖樹を育てるつもりだったのか。危なくねえのか?」
「クミリはそれほど大きくなりませんから、大丈夫ですよ」
棟梁に納得してもらったリカルドは、それから毎日アントニオと一緒に実験飼育場に行き、妖樹クミリを観察した。同時に他の二区画でも五匹ずつ妖樹クミリを育て始めた。
最初の妖樹クミリは五日ほどで魔境で見たクミリと同じほどに成長した。物凄い成長力である。
ただ、それだけ栄養分が必要だったらしく一アールの土地に生えていた雑草が見事に消えていた。
リカルドとアントニオは堀の外側に生えている雑草を刈り取り、餌として妖樹クミリに与えなければならなくなった。
リカルドは成長した妖樹クミリの盆栽部分を切断し、杏子に似た実を付けるシュラム樹の枝を接ぎ木した。リカルドはこの接ぎ木を『杏妖樹』と命名する。
杏妖樹は五本ほど作った。不思議なことに接ぎ木をすると妖樹はあまり走り回らなくなった。
シュラム樹の実は種が触媒にもなる貴重なものである。但し一本の樹に生る実が少なく環境の変化にも弱いため、種は高値で取引されている。
リカルドは生命力が旺盛な妖樹と繊細なシュラム樹を一つにしたらどうなるか実験しようと思ったのだ。
杏妖樹は順調に成長し、四ヶ月後にはたくさんの実をつける。但し幾つかの問題が発生し、リカルドたちを困らせることになる。
2017/5/10 誤字修正
2017/8/1 修正




