scene:221 麒麟竜
魔境中央の地下に設置されている惑星環境制御装置の停止ボタンが押されて二年が経過した。惑星全体の調査が終わり、調査結果から計算された環境変数が入力され惑星環境制御装置が再起動する。
その瞬間、惑星環境制御装置から特殊なエネルギー波が零れ出る。微弱なエネルギー漏れだった。それは機械の不具合ではなく、巨大なエネルギーを操る装置では不可避の現象なのだ。
そのエネルギー波は、魔境に棲む全魔獣に影響を与える。感知能力が弱い魔獣に対しては、不快に感じる程度のものだった。
だが、強力な感知能力を持つ魔獣の中には、変な反応を示す魔獣もいた。巨蟻ムロフカである。ムロフカは卵を産む時期だと感じたのだ。
巨蟻ムロフカは魔境の中央を出て、東に向かった。途中、魔獣などを捕食しながらゆっくりと魔境の外へと向かう。巨大な魔獣としては、本当にゆっくりと移動する。体内に卵を保持しているからなのだが、魔境の外に出るまで一ヶ月以上かかりそうだった。
そして、もう一匹動き出そうとしている伝説の魔獣がいた。
漆黒の毛皮を纏う全長七メートルの魔獣である天黒狼だ。エネルギー波を感じた天黒狼は、それを非常に不快だと感じた。その不快感を紛らわすために麒麟のような魔獣の群れに襲い掛かった。
人間からは麒麟竜と呼ばれている魔獣たちは南へと逃げ出す。それを追って天黒狼も南へと向かう。
第三魔境門から北へ二十キロの地点で、七匹の麒麟竜と天黒狼が戦い始めた。
火炎ブレスを吐き出す麒麟竜と直線なら音速を超えるという天黒狼の戦いは激しいものになる。麒麟竜の群れは火炎ブレスで天黒狼を攻撃し、周囲を炎で包んだ。
天黒狼も伝説の魔獣と呼ばれているが、麒麟竜も魔境の中央に棲む巨大な力を持つ魔獣なのだ。簡単に決着が着く戦いではない。
近隣に棲み着いていた魔獣たちは、四方八方へと逃げ出した。その一部が第三魔境門へと到達し暴れ始めた。魔境門を守っている門衛は、王都に支援を請う。
支援要請を受けた王家では、アウレリオ王子が手を挙げた。自分の部隊を引き連れて支援に向かうと申し出たのである。
ガイウス王太子は許可した。アウレリオ王子は副官であるサルヴァートと共に部隊を率いてヨグル領の第三魔境門へ向かうことになった。
ガイウス王太子から借りた三台のケイトラに乗って、王子たちは北西へと進む。周囲の山には紅葉した木々が見え、落ち葉が風で舞い上がる光景が目に留まる。
「このケイトラという乗り物は、凄いな」
ハンドルを持っているサルヴァートは、アウレリオ王子の言葉に頷いた。
「ええ、ケイトラを発明したリカルドは、天才だと思います」
「兄上の魔術士か、巨蟻ムロフカの子供を倒したと聞く。凄まじい技量の持ち主だ」
「はい。彼は若いですが、国一番の魔術士だと思います」
「サルヴァートも同じくらい優秀だと思うがな」
「ありがとうございます」
「お世辞ではないぞ。賢者マヌエルの業績を継ぐのは、サルヴァートだと思っている」
「そうなりたいと思ってはいるのですが……」
「ところで、賢者の上級魔術はどうなったのだ?」
「【風】の上級魔術である【裂竜旋風】と【水】の上級魔術である【水神斧】は使えるようになりました」
王子が感心したように頷いた。
「【裂竜旋風】は知っていたが、【水神斧】か、どのような魔術なのだ?」
「簡単に言えば、魔術で作り出した水の斧で敵を両断する魔術です」
王子が首を傾げた。
「それは【竜爪斬】や【流水刃】のようなものか?」
「似ていますが、威力が全く違います。【水神斧】は小さな城なら一撃で両断するほどの威力を持つ魔術なのです」
サルヴァートは【水神斧】で作り出される斧のような水の刃が人の背丈の二十倍ほどあると説明した。
アウレリオ王子は何か考えるような顔になり、
「それは伝説の魔獣と言われる巨蟻ムロフカやティターノフロッグを倒すために考案されたのではないだろうか?」
「そうかもしれません。通常の魔獣を倒すには過剰すぎる威力ですから」
「賢者マヌエルは、セラート予言のことを知っていたのだな」
「おそらく、そうでしょう」
「凄いじゃないか。これで巨蟻ムロフカを倒したら、リカルドを超える魔術士として評価されるのではないか」
「いえ、私は賢者マヌエルの上級魔術を再現しただけ、新しい上級魔術を開発したリカルドには、敵いません」
「巨蟻ムロフカを倒せば、それだけで評価されると思うぞ」
「しかし、巨蟻ムロフカは想像以上の化け物だと聞いています。賢者の上級魔術でも倒せるか分からないです」
そんな事を話しながら進み。アウレリオ王子たちは第三魔境門に到着した。
慌ただしい雰囲気で、門衛たちが走り回っている。
「誰か、治療できる者はいないか!」
門衛の一人が、仲間を抱きかかえて叫んでいた。
「こっちにも誰か来てくれ」
怪我人が大勢いる。魔境門の内側では、相当激しい戦いが繰り広げられているらしい。
「急ぐぞ!」
アウレリオ王子はサルヴァートたちを引き連れて魔境に向かった。魔境門から中に入ると、甲冑ワームの集団が魔境門の門衛を襲っていた。
「甲冑ワームか、魔術士は門衛たちの援護を始めろ!」
魔獣は四十匹ほどの群れだった。甲冑ワームは門衛たちが装備している魔砲杖では倒せない相手だった。例外は黒震槍を持っている門衛たちだけであり、彼らだけが甲冑ワームを倒していた。
「門衛たちは魔獣から離れろ。魔術士は【竜爪斬】で確実に仕留めるんだ」
王子の指示で魔術士たちは【竜爪斬】を発動する。【竜爪斬】は上級魔術の中でも威力が小さい部類に入るが、甲冑ワームに命中すると頑丈な装甲を切り裂き絶命させた。
魔術士たちは瞬く間に甲冑ワームの半数を倒した。
「黒震槍を持つ門衛は、魔術士の前で槍を構えろ。魔獣から魔術士を守るんだ」
魔術士に反撃しようとした甲冑ワームに対して、門衛の一人が黒震槍を突き出した。空震刃が甲冑ワームの装甲を貫通し、頭を串刺しにする。
甲冑ワームを攻撃した門衛は一人だけではない。次々に黒震槍が突き出され甲冑ワームは動きを止めた。
「いいぞ、甲冑ワームを魔術士に近寄らせるな」
大声を上げたアウレリオ王子は、収納紫晶から独角ライフルを取り出した。魔術士に近付こうとしている甲冑ワームに狙いを定めて引き金を引く。
独角ライフルの先端から、魔力圧縮玉が撃ち出され甲冑ワームに命中。爆発が起こり甲冑ワームの頭が吹き飛んだ。
「うおっ!」
門衛と魔術士たちが驚きの声を上げる。
「今のは何だ?」
「アウレリオ殿下が持っておられる魔砲杖みたいなものから、撃ち出されたようだぞ」
サルヴァートがアウレリオ王子の横に並び独角ライフルに視線を向けた。
「魔砲杖より、一段上の威力があるようでございますね」
「ああ、兄上から護身用に持っていけともらったものだ。これほどの威力だとは思わなかった」
「ですが、試射をしたのではないのですか?」
「この独角ライフルは、注入する魔力量を選択できるレバーがある。訓練場での試射では、初級下位の魔術程度の魔力しか注入させてもらえなかったのだ」
「なるほど、今の威力だと的を外した場合、訓練場の一部が壊れるからでしょう」
「兄上もケチくさいことだ。少しくらい壊れても修理すればいいのに」
サルヴァートは、やっぱり壊すのはダメだろうと思ったが、口には出さなかった。王太子はアウレリオ王子が初めて使う武器だからということで、用心したのだろう。
「これには一角竜の角を使っているのだが、魔力を圧縮する機能があるらしい」
「魔成ロッドとしても使えるのですか?」
「いや、これは独角ライフルとしてしか使えない。リカルドが三本だけ魔成ロッドのように加工したものを持っているらしい。ただリカルドでも魔成ロッドに加工するのは難しかったようだ。何本か失敗したと聞いている」
「成功したものが三本だけということですか。貴重なものですね」
「サルヴァートは、リカルドとはライバルであり、友人でもあるのだろう。一角竜の角で魔成ロッドを作ってもらったらどうだ?」
「作ってもらえるでしょうか?」
「魔境が、このような状態なのだ。嫌とは言うまい。但し、サルヴァートが一角竜の角を何本か用意しなければならんぞ」
サルヴァートは頷いた。当然だろう。一角竜の角が余っているはずはないのだから。
甲冑ワームを駆逐すると、門衛の責任者らしい者がアウレリオ王子の前に進み出て礼を言った。
「殿下、御助勢ありがとうございます」
「運が悪かったな。もう少ししたら、独角ライフルが魔境門に配備される予定だったのに」
「独角ライフルというのは、何でございましょう?」
王子が独角ライフルを持ち上げて見せた。
「これだ。甲冑ワームを一撃で仕留めた威力を見ただろう」
「はい、拝見いたしました。その独角ライフルが一丁でもあれば、犠牲者も少なくなったかもしれません」
「これほど早く強力な魔獣が動き出すとは、予測できなかったのだ。仕方あるまい」
サルヴァートは魔力察知で魔獣を探していた。それに引っかかったものがある。巨大な魔力を秘めた魔獣が魔境門に近付いてくる。
「殿下、気を付けてください」
「どうした?」
「強力な魔獣が近付いてきます」
「魔砲杖を持つ門衛は魔境門に登れ、上から魔砲杖で迎撃するんだ。魔術士は上級魔術を準備せよ」
門衛と魔術士、王子が見守る中、魔境の奥から傷付いた一匹の魔獣が出てきた。全身のあちこちから血を流している麒麟竜だ。普通の馬の三倍ほどの大きさがある。
アウレリオ王子が顔を強張らせ、その魔獣を注視した。記憶にある魔獣と似ている。脅威度7の麒麟竜という魔獣だった。伝説の魔獣たちを除けば、最強に近い魔獣である。
「サルヴァート、こいつを倒せるか?」
「麒麟竜は伝説の魔獣たちに次ぐ強さを持つ魔獣、戦ったことのない強さを持つ魔獣です。分からないと答えるところですが、なぜか死にそうなほど傷付いています」
王子が頷いた。全員が麒麟竜の脅威を感じながらも、その魔獣が死にかけているのに気付いていた。
「サルヴァート、【水神斧】を試してみろ」
「畏まりました」
サルヴァート自身も【水神斧】を試したいと思っていた。
魔術士の一人が口を挟んだ。
「あいつは死にかけています。賢者の上級魔術を使うまでもありません」
その魔術士は手早く【火】の上級魔術を準備すると【火焔剛槍】を放った。巨大な炎の槍が魔獣に向かって飛ぶ。膨大なエネルギーを秘めた槍である。
麒麟竜が口を開け火炎ブレスを吐き出した。その強烈な火炎は炎の槍を飲み込んで消し飛ばした。
「うおっ、上級魔術が吹き飛ばされた」
火炎ブレスを放った麒麟竜も息を荒くしている。サルヴァートは【水神斧】の準備が終わっていた。大量の魔力を放出し触媒をばら撒く。
「エスナ・ボアト・ジュラセ・ヒュレシス・ベログエオ」
空中に巨神が持つような巨大な斧が現れる。水で形成された巨神の斧が麒麟竜に向かって凄まじい速さで振り下ろされた。麒麟竜がもう一度火炎ブレスを放つ。だが、その火炎でも巨神の斧は吹き飛ばせない。
衝撃波を生み出しながら振り下ろされた巨神の斧は、麒麟竜の体を真っ二つにした。それだけで巨神の斧は止まらず、地面を叩く。その衝撃は地面を揺らし王子がよろけた。
巨大な魔獣を真っ二つにした賢者の上級魔術に、王子たちは驚いた。
「こ、これは……凄まじい」
王子の呟きを聞いたサルヴァートは、ホッとして全身の力を抜いた。
「見事だ、サルヴァート。これは訓練すれば、他の魔術士たちでも使えるようになるのか?」
「いえ、大量の魔力が必要でございます。これを使えるのは私か、リカルドだけでしょう」
「そうか、残念だ」
アウレリオ王子は他の魔術士にも【水神斧】を学ばせて、戦力を上げようと考えたようだ。
第三魔境門の危機的状況は終わり、後片付けが始まった。
アウレリオ王子とサルヴァートは麒麟竜の死体の傍で話を始める。
「この麒麟竜は、何者によって傷を負わされたのだろう?」
「魔境ですので、人ではなく魔獣だと思います」
「だが、麒麟竜は、そこらの魔獣に負けるような存在ではない」
「それは私も承知しております。麒麟竜より強い魔獣が近くにいたということに……」
「まずいな。伝説の魔獣並みに強い化け物ということになる」
「ええ、門衛や魔術士たちには、気を緩めるなと注意しなければならんでしょう」
アウレリオ王子たちが心配した魔獣、天黒狼は麒麟竜の群れを蹂躙した後に魔境の西へと向かった。そちらに進むと不快な感じが和らぐような気がしたからだ。
第三魔境門の王子たちは、数日間だけ警戒のために残り、何事も起きなかったので王都に戻った。




