scene:22 小僕達の食事
鬼面ネズミを探して林の中をウロウロしていると。
「私、人生観が変わったかもしれない」
突然、タニアが言い始めた。
「いきなり何です」
「恩恵選びよ。頭の中に神様の声が聞こえた時、本当に神を実感したの」
リカルドとは違うようだ。あの声は機械的なものに聞こえ、神様の恩恵にしてはちょっと違うと感じたものだ。
「今まで恩恵選びなんかと馬鹿にしていたのだけど、これからは魔獣狩りに本気で取り組むわ」
その時、パトリックの声が上がる。
「鬼面ネズミだ。二匹居る」
「一匹は自分が仕留めますから、タニアさんは残る一匹をお願いします」
タニアは頷いて触媒を取り出した。初級上位の【風斬】用である。
鬼面ネズミが二匹が小走りで駆け寄ってくる。それに向かって、タニアが【風斬】を発動した。
僅かに紫色を帯びて輝く空気の刃が鬼面ネズミに向かって飛び、胸を切り裂いた。
残る一匹の前に、リカルドが飛び出す。鬼面ネズミが跳躍した。その身体を丸盾で受け止め、同時に魔力を流し込んだ魔成ロッドを背中に叩き込む。
魔成ロッドが発生させた衝撃波で、鬼面ネズミの背骨が折れ息の根が止まった。
タニアはリカルドの手慣れた様子に目を見張った。そして、間近で魔成ロッドの威力を見て、大金を払って魔成ロッドを手に入れたイサルコ理事の気持ちが分かった。
それから数匹鬼面ネズミを狩り、タニアが慣れた頃、一人で数匹の鬼面ネズミを相手させた。
タニアは中級魔術の【嵐牙陣】を使って全滅させた。
鬼面ネズミを相手に魔術を使うのは、勿体無い気がするのだが、普通のロッドしか武器のないタニアでは仕方ない。
狩りの最後に、頭突きウサギを二匹狩り終わりとした。中型犬ほどの大きさがあるウサギなので、リカルドとパトリックが一匹ずつ担いで帰った。キャリーカートを持ってくるのだったと後悔する。
魔術士協会の正門ではなく、北門から中に入り、そこでタニアとパトリックと別れた。ウサギは重かったが何とか従業員宿舎に運び込む。
従業員宿舎の炊事場にウサギを運び込み解体する。血抜きは終わっているので、触媒部位を取り皮を剥ぐ。
肉を切り分け、骨と肉に分けた。
その頃になって、背負袋の中で寝ていたモンタが起き出し、腹減ったと騒ぎ出した。
寒いからなのか、モンタはほとんどの時間を眠って過ごす。偶に起きると腹が減ったと騒ぐのでアーモンドや干し葡萄を与えておとなしくさせる。
昼食抜きの狩りだったので、モンタじゃないが、リカルドもお腹ペコペコである。
「腹減った。何か食べ物は……あるわけないか」
夕食用のパンは残っているが、これを食べるわけにはいかない。モンタ用の干し葡萄を口の中に放り込んで空腹を癒す。
「オッ、中々美味いじゃないですか」
干し葡萄を食べるリカルドを見て、モンタが抗議する。
『キュキキ』(それ、モンタの)
「無くなったら、また買うから」
『キュキッ』(それならいい……)
干し葡萄は自分のものだとモンタは思っているようだ。
炊事場を見回すと大きな水瓶と二つの竈がある。竈と言っても日本の古い家に残っているものとは違い、三方をレンガで囲い、上に格子状になった鉄製の鍋置きを固定しただけの簡単なものだ。
調理台替わりの古ぼけたテーブルが有り、食材は籐かごのようなものに入れられている。
「今日も堅いパンと不味いスープですかね。あれが続くのは嫌だな」
昨日のしょっぱいだけのスープを思い出した。
間藤が独身だった頃、一人住まいのアパートでよく料理をした。料理本を何冊か買い、その中で好きな料理を選んで作るという平凡なやり方だが、一応料理はできるようになった。
また、漫画やテレビの料理番組などが流行っていた時期には、料理番組で美味そうな料理が出ると自分でも作ったものだった。
「久しぶりに料理でも作りますかね」
今日の料理当番はシドニーたちだった。彼らが帰り、炊事場にリカルドが立っているのを見て驚いた。
「どうしたんだ。リカルドはまだ料理当番に入れてないだろ」
歳上のシドニーが尋ねた。
「今日は、タニアさんと狩りに行って頭突きウサギを獲ってきたのです。どうせだから今日の晩飯に出そうと思って」
シドニー達がテーブルの上に置いてあるウサギ肉を発見した。
「アッ、本当だ」
「一緒に料理を作ろうと待っていました」
「エッ、手伝ってくれるんだ」
野菜はジャガイモ、人参、玉ねぎがあった。色や形が馴染みのあるものとはちょっと違うが、味は同じである。
「献立が決まってないなら、肉野菜スープを作りませんか」
「ハハハ……ここには献立なんて、洒落たものはないよ。残っている野菜を切って鍋に入れて煮るだけさ」
調味料も塩しか無いそうだ。
シドニーたちが野菜を切り始めた。
「待った!」
少年たちが包丁を止め、こちらに顔を向ける。
「そんな雑に切ったら駄目ですよ」
切った野菜を見ると大きさが不揃いで適当に切っている。
リカルドは包丁を借り、厚みを揃えて人参をいちょう切りにする。
「こんな感じで大きさを揃えてください」
家庭科の教師になったような気分で調理を進め、切った野菜とウサギ肉の細切れを鍋に煮始める。
「上に浮いてくるアクはおたまで丹念に取り除いてください」
いつの間にか歳上のシドニーたちがリカルドの指示に従い料理を進めている。どうやらリカルドの口調や態度が教師時代に戻っていたため、指示に従わなきゃいけないように思えたらしい。
「最後に味を調整するために塩を加えます。この時は一度にドッと加えず、少し加えては味見して丁度いい塩梅にします」
シドニーたちは適当に塩を放り込んでいたようなので注意する。
出来上がったウサギ肉と野菜のスープはまあまあの味だった。だが、昨日のスープに比べれば断然美味くなっている。
シドニー達は味見して目を輝かせた。
「すげえ美味い。店で出せるぞ」
そこまで美味いとは思えないが、気に入ってくれたようだ。
その夜の食事は賑やかになった。少年達は『美味い』『美味しい』と声を上げ競い合うようにスープを平らげた。
翌朝、リカルドは何かが壁に当たる音で目を覚ました。窓を少しだけ開けて外を見ると雪が降っていた。
タニアとの約束で二日に一度魔獣狩りに行くと決めてあったので、元々今日は休養日である。狩りに行く予定だったとしても、この雪では難しかっただろう。
部屋の外に出ると炊事場に行き水を飲んで乾きを癒す。
「ふう」
この世界にはガラスが存在するのだが、高価なので一般家庭まで普及していない。ガラス窓の代わりとして、格子状の木の枠にウサギ皮紙を薄く伸ばしたもの張った障子のようなもので、陽光を部屋の中に入れている。
そのため、家の中は薄暗い。特に冬の天気の悪い日は、部屋の中が真っ暗になる。
一般家庭には、照明器具として樹液ランプがあるが、天気の悪い日が続くと光を蓄積できず使えない。
他の照明器具として、植物油を使ったランプやロウソク、高価な魔術道具である魔光灯がある。
この魔光灯は紅玉樹実晶に魔力を溜め込み、黄玉樹実晶を使って組まれた魔術回路により魔力を光に変えて照明の役割をする照明器具である。
そして、リカルドが暮らすことになった従業員宿舎には、魔光灯はもちろん、樹液ランプすらなかった。
炊事場でそんなことを考えているとシドニーやロブソンたちが起きてきた。
シドニーやロブソンたちは『小僕』と呼ばれ、魔術士協会の底辺で雑用を引受けている。
イサルコ理事の計らいで、小僕としての仕事は免除されているリカルドは、シドニーたちを送り出すと、従業員宿舎の中に一人ポツリと残ることになる。
「さて、何をしようかな」
買い物に行きたかったが、朝が早すぎて店が開いてないかもしれない。
自分の部屋に戻ったリカルドは、モンタがバッグの中でスヤスヤと寝ているのを少し眺めてから、買った八個の紫玉樹実晶を取り出した。
この時間を使って、紫玉樹実晶を収納結晶に加工しようと思い立ったのだ。
薄暗い部屋の中で、パチンコ玉ほどの紫玉樹実晶を指に挟んで精神を集中させる。
魔力を練り上げ針のように細くしたものを紫玉樹実晶の中心に突き刺す。抵抗が有り魔力が暴れだした。すぐに紫玉樹実晶がハズレだと分かった。
後で知ったが、紫玉樹実晶の魔操刻を一度でも成功させた原因は、魔力を圧縮し針のように細くしたためだった。碧玉樹実晶は魔力の通りもよく、これほど魔力を圧縮し細くしなくても成功するようなのだ。
一個目は失敗した。二個目、これもハズレだった。
三個目、今までのものとは違い魔力の針がスルリと紫玉樹実晶の中心まで辿り着いた。中心に魔力を注ぎ込むと小さな黒い点が生まれる。
なおも魔力を注ぎ続けると黒い点がBB弾ほどの大きさになった。その大きさが限界だったらしい。急に魔力が抵抗に会い注げなくなった。無理に魔力を込め注ごうとする。魔力が四散し周囲に白い筋が走った。
「うわっ、失敗した?」
無数の白い筋で白くなった紫玉樹実晶に魔力を流し使おうとしてみた。
「駄目だ。魔力が変な方向に流れていく」
やっと当たりの紫玉樹実晶を引き当てたのに無理をして失敗してしまった。肩を落とし溜息を吐く。
「……ああ、勿体無いことをした。最後の段階で無理に魔力を注いでは駄目だったのか。───ハア、ノウハウを一つ学んだと思えばいいか」
作業を再開する前に、瞑想を行い源泉門から力を引き出し魔力補充を行う。
次の紫玉樹実晶を取り出し作業を続けた。
結局、新しい収納結晶が完成したのは一個だけだった。紫玉樹実晶が当たりである確率は二十五パーセント、四個に一個の割合らしい。
まあ、サンプル数が少ないので実際の割合は判らないが、そう大きく違っていないだろうと感じた。
外を見ると雪が小降りになっている。
昼頃になって、食材を貰ってロブソンたちが戻ってきた。昼は料理当番は関係なく、早く戻れた者が食材を貰ってきて昼食を用意するらしい。
食材を見ると昨日と同じジャガイモ、人参、玉ねぎ、そして黒パンである。ウサギ肉も昨日使った残りの半分が有る。
「昨日と同じものを作ろうか」
リカルドが言うとロブソンたちの顔に笑顔が浮かんだ。
シドニーたちに教えたように野菜の切り方やアク取り、味付けを教えて料理が完成した。
ロブソンが溜息を吐いた。
「どうしたんです?」
「ウサギの肉も使い切ったから、晩飯が元のあれに戻ると思うと溜息が」
リカルドは苦笑した。不味いと感じていたのは自分だけじゃなかったらしい。
「まだ、ウサギの骨があるよ」
「骨なんか食べられないよ」
「骨を食べるんじゃなくて、骨からはいい出汁が出るんだ」
「出汁?」
リカルドは頷き。
「ちょっと手伝って」
ウサギの骨を取り出すとロブソンに手伝ってもらい、棒で骨を砕いた。
砕いた骨を鍋に入れ、水を足してから火に掛ける。
その間に食事を済ませた。昨日と同じものだったが、シドニーたちには好評である。
炊事場に戻り、鍋を見るといい感じで沸騰している。鍋を火から降ろし、汁だけを別の鍋に移した。
汁を味見してみた。いい出汁が出ているが変な臭いもする。
「やっぱり、生臭さが出てるな」
「俺にも味見させて」
ロブソンが木製のスプーンで汁をすくって口に入れる。
「変な臭い、でも美味しいよ」
リカルドは汁を捨てた。
「ああ、何で勿体無い」
「いいんですよ。残った骨にはまだまだ出汁の素になるものが含まれているから、水を入れてもう一度煮込めば美味い出汁が取れる」
「そうなんだ」
昼からの仕事が始まる時間になったので、ロブソンたちは急いで出ていった。
また一人になったリカルドは、買い物に出掛ける支度を始めた。
雪がちらつく中を背負袋を担ぎ、モンタの入ったショルダーバッグを提げて出掛ける。
魔術士協会の外に出たリカルドは、商店街へ向かった。
最初に向かったのは食材などを売っている店である。そこで胡椒、植物油を買い、ついでに砂糖を買おうとして手が止まった。
貴重だと考えていた胡椒に比べても五倍も高かったからだ。
「砂糖、高いな」
その声は店の主人にも聞こえたようで。
「そりゃあそうさ。砂糖は南の大陸から輸入したものだ。どれだけ輸送費が掛かると思ってるんだい」
南にも大陸が在るのは、アレッサンドロの本を読んで知っていたが、砂糖が南の大陸の産物だとは知らなかった。
砂糖が置いてある横に蜂蜜が入った壺が置いてあった。値段を見て安いと感じたが、それは砂糖と比べてのこと。単品で考えると高級である。態々砂糖の横に置いてあるのは、砂糖に比べてお手頃だと感じさせるためだろう。
と言っても甘味料が欲しかったので、蜂蜜を一壺買った。
買ったものは背負袋の中に入れる振りをして、午前中に作った収納結晶に仕舞う。
他にも八百屋や乾物屋を回り、ニンニクや干し葡萄やアンズらしきものを買った。干し葡萄とアンズはモンタ用である。
次に道具屋に入り、目当ての照明器具を探す。夜、勉強するのに必要なのだ。
魔光灯が飾られている場所に居た店員に値段を尋ねてみた。
「これらは中古となりますが状態が良く、一番小さな魔光灯でも金貨十五枚となります」
こういう道具屋に置いてある魔光灯は全て中古品らしい。魔光灯は基本として注文生産になり、顧客の注文通りに仕様を決めるので同じものは一つとしてない。
魔術道具は高価だと知っていたが、その金額に樹液ランプで我慢するかという気になる。
躊躇っているのを感じた店員が。
「この時期はどんよりした空模様が続き、樹液ランプに陽光を貯められない日が多くなります。その点、魔光灯は魔力さえ補充されれば大丈夫です」
リカルドもそう考えて魔光灯を見に来たのだが、値段を考えると躊躇ってしまう。
「試しに点けてみましょうか」
店員がグイグイと勧めてくる。小さな魔光灯のスイッチを入れると小型蛍光灯並みの明るい光の玉が空中に現れた。
「意外と明るいですね」
店員はオヤッと思った。普通、魔光灯の明るさを初めて知った客はもっと驚くからだ。
「そうでしょ。新品のものを購入されると倍の値段になりますよ」
そこから値段交渉が始まった。リカルドは大き目の樹液ランプを一つ追加し同じ金貨十五枚にまで値引きさせた。店員は『こんなに値引きするのはお客様だけですよ』とか言っているが、十分儲けたはずだ。
ランプと食材を持って魔術士協会に戻った。
2017/3/6 誤字修正




