scene:213 ガブス渓谷の難民
マッテオたちからティアをもらったリカルドは、その代価として大金を払おうとした。だが、マッテオたちは武器や収納碧晶が欲しいと言う。
リカルドは、マッテオとバルビオに黒震槍を渡し、エルナには独角ライフルを渡した。トゥイストホーンがあれば、独角ライフルは必要ないので構わないと思ったのだ。
「本当に、こんな凄い武器をもらってもいいの?」
独角ライフルが、どれほどの威力を持つか聞いたエルナは驚いたようだ。
「構わない。素材は魔境へ行けば手に入るんだ。遠慮する必要はないよ」
「それでは遠慮なくいただきます」
「兄さんには、これも上げるよ」
リカルドは予備の黒魔術盾と収納碧晶を渡した。そして、黒魔術盾の使い方を説明する。
「なんか、これだけのものをもらうと、別の目的があるんじゃないか、と疑いたくなるんだが」
「これは本当にティアをもらった代価だよ。ただ頼みがあるんだ。ミル領のガブス渓谷へ行って、様子を見て来て欲しい」
「ガブス渓谷というと、この前行ったあそこか。確か妖樹タミエルの飼育場として開発しようとしている場所だな。魔獣を駆除したんで、妖樹の餌になる羊やウサギを放ったと言っていたな」
「そろそろ、妖樹タミエルの飼育を始めようと思うんだ。そこで兄さんたちには、ガブス渓谷の現状がどうなっているか調査して欲しいんだよ」
マッテオは他の二人と話し合い了承した。
「いいだろう。その依頼を引き受けよう。でも、ちょっと休んでからな」
「ええ、十分に休んでから、行ってください」
マッテオたちは三日ほど休養を取ってから、ガブス渓谷へ向かった。
モモンガのティアを育て始めて、一ヶ月ほど経過した。その結果、ティアが賢獣だということが判明した。
『キュキャ』(お腹空いた)
「干し葡萄か、アーモンドがあるよ。どっちにする?」
『キュキッキャ』(ブドウ)
リカルドが干し葡萄を渡すと、小さな手で掴んで食べ始めた。
「あっ、また食べてる」
モンタがリカルドの肩に飛び乗って、ティアを見下ろす。
「ティアは成長期だから、たくさん食べる必要があるんだよ。モンタだって、小さい頃はたくさん食べていたぞ」
モンタが首を傾げた。思い出せないようだ。
「きっと、冬が近かったんだよ。その頃になると、モンタはお腹が空くから」
「そうかもな」
リカルドは笑って答えた。
次の日、マッテオたちが戻ってきた。その顔には厳しいものが浮かんでいる。
「どうかしたんですか?」
「ガブス渓谷だが、大変なことになっている。どこから入り込んだのか分からないが、難民が大量に住み着いているんだ」
リカルドは、あまりにも意外な情報に唖然とした。
「あそこは、危険な場所だと評判が立っていたはずだけど」
「どうやら、王家とリカルドの力で、魔獣が駆逐されたことが、知れ渡ったらしい」
「しかし、あそこは魔境の近くだ。冬になれば、体験したことのない大雪が降るんだ」
「大雪か、そんなことになれば、難民たちは死ぬかもしれんな」
「まずいですね……王太子殿下に相談しないとダメか。ところで、難民の人数は分かりますか?」
「数えたわけじゃないが、三百人ほど居たと思う」
リカルドは大きな溜息を吐いた。
出掛ける用意をしたリカルドは、バイゼル城へ向かった。運良くすぐに王太子と会うことができた。
「リカルド、どうしたのだ?」
「ガブス渓谷のことで話があって参りました」
「あの渓谷で何かあったのか?」
リカルドはマッテオたちを調査にガブス渓谷へ行かせたこと、そして、三百人ほどの難民が渓谷に住み着いていることを報告した。
それを聞いた王太子は溜息も吐く。
「また、面倒なことになっておるな。余には思い当たることがある」
「どういうことでしょう?」
「ミル領の領都リゼから、元々住んでいた町に戻ろうと考えた集団が居て、その者たちが姿を消したのだ」
「しかし、その者たちが住んでいたのは、ガブス渓谷ではなかったはずですが」
ガブス渓谷は魔獣の住む場所だったのだ。魔獣が駆逐され住めるようになったのは、最近のことである。
「ガブス渓谷の近くにあるトウゼの町に住む者たちだった」
何かの事情でトウゼの町ではなく、ガブス渓谷に住み着いたようだ。だが、ガブス渓谷はリカルドの土地である。勝手に住まわせることはできない。直接行って話し合わなければならないようだ。
「その住民を、ガブス渓谷で働かせるというのはどうだ。どうせ飼育場を運営する予定だったのであろう」
王太子の意見を聞いて、それでも良いかと思う。但し、住民たちが納得すればである。
リカルドは城から戻ると、旅の準備を始めた。さすがに帰ったばかりのマッテオたちを連れて行くことはできないので、タニアとパトリックに声をかけた。
「ガブス渓谷はともかく、ミル領には興味があるがね」
「ミル領に何かあるのか?」
「討伐局の仕事で、ミル領へ行ったんだが、失敗して魔獣を逃したことがあるんだがね」
タニアも知らなかったようだ。そんな顔をしている。
「その魔獣というのは?」
「牛鬼人だがや」
巨人の身体と牛の頭を持つ化け物である。リゼの近くに現れた牛鬼人を討伐するために、パトリックたちが派遣されたが、取り逃がしたらしい。
「その牛鬼人を仕留めたいの?」
「見つけた場合はだがね」
「私も手伝ってあげる。一人で牛鬼人を倒すのは大変だからね」
タニアがニコッと笑って言う。
「二人ともよろしく頼むよ」
リカルドたちはミル領へ向かった。
ミニバンでヨグル領を通過し、ミル領に入る。ミル領の道路は整備されたようで、走りやすくなっている。
「リカルドは、その難民たちをどうするつもりなんだがね?」
「王太子殿下からは、飼育場の従業員にしろ、と言われている。その人たちが了承するなら、そうしてもいいと思っているんだが」
「でも、何で難民になったのでしょう?」
「戻ろうとした町に、魔獣が居たんじゃないかと思う。そこで一時的にガブス渓谷へ逃げ込んで、住み着いたんじゃないかと」
パトリックが首を傾げた。
「何で、ガブス渓谷に住み着くんだがや。リゼに戻ったらいいがね」
「たぶん、渓谷に放した羊やウサギが繁殖していて、食料に困らなかったからじゃないかな。それに魔獣がすぐに町を離れると思って、待っているんだと思う」
「我慢強いというか、気が長いというか。特徴的な人々のようね」
タニアが言うと、パトリックが頷いた。
「魔獣が跋扈するミル領に残った人たちだから、変わっているのかもしれんがね」
リカルドたちはガブス渓谷の入り口に着いた。
「王家の兵士たちが造ったバリケードは、そのままだな。難民たちはどうやって入ったんだ」
三人はバリケードを乗り越えて中に入った。渓谷の中央を流れる川に沿って川上に向かう。魔力察知で魔獣の魔力を探したが近くには居ないようだ。
その代わりに草を食んでいる羊の群れを見つけた。
「リカルド、羊の数が多くない?」
「羊は交配して五ヶ月くらいで子供を生むから、増えるのが早いんだ。元は三十頭だったんだけど……滅茶苦茶増えているみたいだね」
羊の群れの間を、ウサギが駆け抜けていった。羊だけでなくウサギも増えているようだ。捕食動物がいないから、天井知らずに増えて草を食べ尽くす心配がある。
そうなる前に、妖樹の飼育を始めるつもりだったが、スタートが遅れたので思った以上に羊とウサギが増えたようだ。
「空が暗くなり始めたがね。どうする?」
「ここで野営しよう。と言っても、コンテナハウスだけどね」
リカルドは収納碧晶から平らな場所にコンテナハウスを出した。手分けして野営の準備を始める。パトリックとタニアは薪を集めに行き、リカルドは新鮮な肉を手に入れるために狩りに行く。
魔彩功銃を手に持って雑草が生い茂る場所に分け入ると、二匹のウサギが並んで食事をしている。リカルドは魔彩功銃を向けて引き金を引いた。
断末魔の叫びを上げて倒れるウサギ。二匹とも死んだ。血抜きをしてコンテナハウスへ持ち帰り、皮を剥ぎ肉を切り分けていると、パトリックたちが戻ってきた。
「今日は何を作るの?」
タニアの質問に、『シチュー』だと答える。持ってきた野菜を刻み、水と一緒に鍋に放り込んで煮る。ウサギ肉も一口大に切って鍋に放り込む。
シチューの他には、小麦粉と重曹を材料にスコーンを焼くことにした。
三人で焚き火を眺めながら料理をしていると、昔のことを思い出す。
「そう言えば、ファビウス領で妖樹エルビルの狩りに行った時も、こういう風に料理していたがね」
「そうだったな。あの頃は妖樹エルビルが強敵だったんだけど」
「いやいや、リカルドはバンバン倒していたがね」
「あれは運が良かっただけさ」
昔話をして長い夜を過ごし、翌日になってガブス渓谷の奥へと向かった。
そこで珍しいものを見た。妖樹トリルである。しかも、リカルドが実験に使った一体だ。以前に妖樹トリルの頭に神珍樹の枝を接ぎ木したらどうなるか実験したことがある。
この渓谷でも妖樹トリルを捕獲して神珍樹の枝を接ぎ木してみたのだが、上手くいかなかった。
やはり、魔境以外では神珍樹は育たないんだ、と諦めていたんだが、実験後に元気がなくなった妖樹トリルを放置した結果を発見したらしい。
副都街の飼育場で神珍樹の枝を接ぎ木した妖樹トリルは、枯れてしまった。だが、ここの妖樹トリルは大きく育っている。
しかも、地中に大きく根を張り通常の妖樹トリルより三倍ほど大きくなっている。そして、神珍樹の枝には実が生っていた。
「どういうことだぎゃ?」
「これは神珍樹の枝を接ぎ木した妖樹トリルだ。以前にここで実験したことがあったんだよ」
「黄玉樹実晶、紅玉樹実晶、紫玉樹実晶が枝についている。凄いじゃない」
「副都街の飼育場で実験した時は、三ヶ月くらいで枯れたんだけど、ガブス渓谷は何が違うんだ?」
「やっぱり、魔境に近いからだがね」
「それしかないか」
ここで神珍樹の枝を接ぎ木した妖樹トリルが育つと分かれば、事業として成立する。神珍樹と妖樹タミエルの飼育という事業を両輪としてガブス渓谷を経営すれば、素晴らしい結果を残せるだろう。
リカルドは未来に思いを馳せてから、溜息を吐いた。その未来を実現させるためには、セラート予言を乗り越えなければならない。
早急に妖樹タミエルの飼育事業だけでも始めるべきだろうか。王太子から黒震槍が足りないと言われたのだ。その黒震槍を作るには、妖樹タミエルの魔功蔦が必要なのである。
「だけど、ここは魔境に近いのよ。魔境から魔獣が溢れた場合、ここは危険じゃないの?」
タニアが指摘すると、リカルドも悩んだ。
そうなのだ。その問題があるので、中々飼育場の建設に踏み出せなかったのである。そのことを二人に話すと、パトリックが提案した。
「いつでも逃げられるように準備をしておけばいいがね。それと緊急の避難場所みたいなものも用意するがや」
どちらも妥当な提案だ。リカルドはそう思った。
その提案を吟味したリカルドは、妖樹タミエルの飼育を早急に始めることにした。
それから川を遡り、マッテオたちが発見した難民の集落に辿り着いた。
数百人の人々が渓谷の一画を切り開いて暮らしていた。中には子供も居て、無邪気に走り回っている。
「この人たちは、どこから入ったんだ。バリケードの場所には形跡が残っていなかったんだが」
「どこか抜け道でもあるんじゃないの」
タニアが抜け道の存在を指摘する。
リカルドや王太子がガブス渓谷の調査をしている。そんなものは見つけられなかったのだが……。
難民の一人がリカルドたちに気づいた。
体格の良い男が、こちらにやってきて声をかける。
「あんたたちは誰だ?」
「ガブス渓谷の持ち主だ。あなたたちこそ誰なんだ?」




