scene:190 リョゼン伯爵
ロマナス王国の宮廷魔術士は、国一番の魔術士集団だと言われていた。だが、最近になって魔術士協会のリカルドが評判になり、最強の魔術士集団は魔術士協会ではないかと噂されるようになった。
それを聞いて、面白くないと思った人物がいる。
宮廷魔術士長のヴィットリオである。
「気に入らんな。宮廷魔術士の実力を世間に知らしめなければ……」
宮廷魔術士の間で、そういうことを言い始めた矢先、リョゼン領が管理している魔境門で問題が起きた。傷んでいた防壁の一部が魔獣により崩され、領地への侵入を許してしまったのだ。
大部分は小鬼族やホーン狼などの弱小魔獣だったのだが、少数の双角鎧熊や独角竜馬も侵入したらしく、リョゼン領の人々は恐怖した。
もちろん、領主であるリョゼン伯爵は手勢を出して魔獣を狩った。小鬼族やホーン狼などの弱小魔獣だけであるが数を減らした。
ところが、手強い双角鎧熊や独角竜馬には手を出せなかった。倒せる魔術士が、リョゼン領には存在しなかったからだ。
リョゼン伯爵は、領内の魔術士を束ねるエミリオにどうすればいいか尋ねた。
「仕方ありません。王都へ伝令を走らせ、王家の支援を請うのです」
「魔術士協会ではダメなのか?」
「一匹、二匹なら、魔術士協会でも大丈夫でしょう。ですが、独角竜馬は群れです。こういう時のために戦賦税を払っているのではありませんか」
王都では魔術士協会の評価が上がっているが、このリョゼン領では未だに宮廷魔術士の評価の方が高いようだ。
仕方なく伯爵は、王都へ伝令を送った。その間にも、魔獣は暴れ回った。その中で二匹の双角鎧熊がビゼンという町に侵入し大暴れした。
家屋敷が壊され、そのせいで火事になった。人々は消火しようと考えたが、近くで魔獣が暴れているので近付けない。
不運なことに、その日は風が強かった。火事は周囲の家に燃え移り、町中に広まる。燃え上がった建物の中には穀物倉庫もあった。
この町はリョゼン領の穀倉地帯であり、領全体の穀物の約二割が町の倉庫に保管されていたのだ。その穀物が燃えたという事実を知ったリョゼン伯爵は不運を呪った。
「ただでさえ、復興費がかかるというのに」
町の倉庫にある穀物は燃えたが、農家に残っている穀物がある。そこからいくらか買い取ったとしても不足するだろう。
どこからか購入せねばならない。
「穀物に余裕があるというと……やはり、王都か」
伯爵が派遣した伝令が王都に到着。すぐさま王太子にリョゼン領の出来事が報告される。王太子は砲杖兵部隊と黒震槍を装備した槍兵を派遣しようとした。
だが、宮廷魔術士長が自ら対処すると名乗り出た。ヴィットリオは宮廷魔術士の名声を守るために手柄を上げたかったのだ。
王太子はサムエレ将軍とヴィットリオを呼び出し、両者の意見を聞いてから結論を出すことにした。リョゼン領の詳しい現状と宮廷魔術士の戦力などを王太子は聞いた。
「そちはどう思う?」
尋ねられた将軍は、ヴィットリオの顔をチラリと見てから返答する。
「リョゼン領の魔獣は、宮廷魔術士に任せては如何でしょう。但し、魔境の防壁が修復されるまで留まる、というのが条件です」
王太子が頷いた。
「宮廷魔術士長、それで良いか?」
「はい。願いを聞き届けて頂き感謝いたします」
ヴィットリオは部下である宮廷魔術士五人を引き連れてリョゼン領へ向かった。
宮廷魔術士たちは船でコグアツ領まで行き、領都ブルグから馬車でリョゼン領の領都モルタへ向かう。そして、モルタでリョゼン伯爵と合流した。
リョゼン伯爵は、七〇歳を超える老人である。ヴィットリオが会った伯爵は疲れた顔をしており、今にも倒れそうな様子だった。
「伯爵、少しお休みになったらどうです?」
ヴィットリオが気を使うと、リョゼン伯爵が首を振った。
「休んでいる暇などない。双角鎧熊は東にある農村地帯に移動し、独角竜馬は西部の草原地帯で暴れておる。早く何とかしてくれ」
「承知しました。我々に任せてください」
リョゼン伯爵はヴィットリオに視線を向けた。
「農村で暴れている双角鎧熊から、討伐してもらえるかね?」
「当然ですな。道案内する者を貸して頂けますか」
「もちろんだ」
モルタを馬車で出たヴィットリオたちは、馬車の中で睡眠を取った。本来ならモルタで一泊して十分な休養を取るべきなのだが、一刻も早く双角鎧熊を倒す必要がある。
魔獣が暴れている村に到着。宮廷魔術士たちは即座に散開して双角鎧熊を逃さないように包囲する。双角鎧熊クラスの魔獣を倒すには、数発の中級上位以上の魔術、あるいは一発の上級魔術が必要だった。
宮廷魔術士たちは上級魔術を用意した。ヴィットリオから一撃で仕留めろと指示されたからだ。派手に倒して喧伝しろということなのだろう。
双角鎧熊は体長三メートルほどになる魔獣だ。近付くと反撃を食らう恐れがあるので、ある程度の距離をおいて魔術の準備に入る。
双角鎧熊は包囲している宮廷魔術士たちに威嚇の咆哮を上げた。
だが、そんな威嚇で怯える者など宮廷魔術士を名乗る資格はなかった。彼らはいくつもの修羅場を潜り抜けた強者なのだ。
双角鎧熊がヴィットリオに目をつけた。指揮官だと魔獣の勘が教えたのかもしれない。
宮廷魔術士たちが上級魔術を放つ寸前に、双角鎧熊がヴィットリオに向かって走り出した。ヴィットリオは平然とした顔で【竜爪斬】を放つ。
竜の爪のような四つの水刃が空中に現れた。空気を切り裂いて飛んだ水刃は、巨大熊の胸と腹を切り裂いた。深手を負った双角鎧熊は、地面を転げ回り藻掻き苦しんだ。
「トドメを刺せ」
ヴィットリオの命令で、宮廷魔術士の一人が【岩槍散弾】を放つ。空中にいくつもの大きな岩槍が現れ、地上の敵に向かって落下する。次の瞬間、岩槍が巨大熊を串刺しにして息の根を止めた。
「まずは一匹」
宮廷魔術士たちは次々に魔獣を仕留めた。その頃になると、リョゼン伯爵の部下も小鬼族やホーン狼の駆除が終わる。
魔獣の駆除が終わったという報告を受けたリョゼン伯爵は、張り詰めていた気が一気に解け屋敷の書斎で倒れた。その報告を受けたヴィットリオは、屋敷に駆けつける。
ヴィットリオは使用人の一人を捕まえ、伯爵の容体を確認した。
「先ほど、お亡くなりになりました」
使用人が暗い顔で答えた。
「厄介なことになった」
ヴィットリオが呟いた。それをきいた宮廷魔術士の一人が腑に落ちないという顔をする。
「どういうことです?」
「伯爵には、跡継ぎがいないのだ」
「ご子息がいないなら、親族はどうなのです?」
「甥が二人いるらしい。だが、その二人は……」
二人の甥は評判が悪かった。どちらが継ぐにしてもリョゼン領の将来は暗い。
「ヴィットリオ様、少しよろしいですか?」
いつの間に来たのか、リョゼン伯爵家の執事がヴィットリオの背後に立っていた。
「何かな」
「次期領主に関することで、ご相談があります」
ヴィットリオには、何のことだか分からなかった。貴族の相続問題に宮廷魔術士が関わることはないからだ。
「跡目のことならば、親族で話し合えばいいだろう」
「それはそうなのでございますが、伯爵様の遺言があるのです」
「遺言? それがどうした?」
「伯爵家の血を引く人物が、もう一人いらっしゃるのです」
「二人の甥以外にもう一人いるというのか。それなら三人の中から次期領主を選べばいい」
執事が頷いた。
「魔術士協会のイサルコ様をご存知でしょうか?」
「知っている。……まさか」
「はい。もう一人の次期領主候補というのは、イサルコ様なのです」
ヴィットリオは、面白いと思った。イサルコは魔術士協会の重鎮である。そのイサルコが魔術士協会から抜けることになれば、魔術士協会の勢いを止められるかもしれない。
「儂に任せておけ、イサルコ殿がリョゼン領に戻るように説得してやろう」
「ありがとうございます」
執事がホッとしたような顔をする。評判の悪い甥たちには、リョゼン領を任せられないと思っていたようだ。
魔術士協会にリョゼン伯爵死亡の知らせが届いた時、イサルコはリカルドと来年の魔術士認定試験について話していた。
知らせを聞いたイサルコが顔色を変えたのを見て、リカルドは訝しんだ。イサルコとリョゼン伯爵との間に関係あると聞いた覚えがなかったからだ。
「イサルコ理事、どうかしたのですか?」
「話していなかったが、リョゼン伯爵は伯父なのだ」
「理事は貴族だったのですか?」
イサルコの話によると、リョゼン伯爵の父親は女性にだらしない人物であり、正妻の他に側妻が大勢いたらしい。イサルコの祖母もその一人であり、リョゼン伯爵とイサルコは伯父と甥の関係にあるという。
「厄介なことに、宮廷魔術士長が王太子殿下に進言し、リョゼン領の次期領主には、私が相応しいと吹き込んだようだ」
「理事が伯爵になるのですか? 似合わないですね」
「そうはっきり言うな。私も柄ではないと思っているのだ。しかし、次期領主候補が酷いらしい。そいつらに任せたら、セラート予言の年に魔境門を守り通せるかどうか」
それを聞いたリカルドは、顔をしかめた。貴族の跡継ぎなど、どうなっても構わない。本気でそう思っているのだが、一箇所でも魔境門が崩壊すれば、魔獣が溢れ出し魔境門が存在する領地だけでなく近隣する領地にまで広がることになる。
そういう事態になれば、ロマナス王国はいくつかの領地を失うかもしれない。
「そこまで酷い連中なのですか?」
「それを確かめねばならない。一緒にリョゼン領に行かないか?」
「自分が行っても、役に立ちませんよ」
「いや、リカルドには、セラート予言の対策について相談したいのだ。王太子殿下も君を連れていくことを勧めておられる」
リカルドは考えた末に、承諾した。
リョゼン領の魔境門から入った近くに、珍しい魔獣が棲息していると聞いた覚えがある。それをこの機会に確かめたいと思ったのだ。
「魔境を少し探索してもいいですか?」
「ああ、構わんよ」
イサルコとリカルド、モンタはリョゼン領へ向かった。
「今回はモンタも一緒なのか?」
「リョゼン領に、美味しい木の実があるって聞いた」
モンタが嬉しそうに答えた。
イサルコは、そんな気楽な旅じゃないと思った。だが、モンタを見ていて気づく、モンタは見ているだけで癒やされる存在なのである。
リョゼン領の領都モルタに到着したリカルドたちは、領主屋敷に向かった。ショルダーバッグの中で寝ていたモンタが起きて背伸びをする。
「キュアア……やっと着いた。疲れた」
「モンタは寝ていただけだろ」
「だって、ちょっと寒くなったんだもん」
モンタがリカルドの肩によじ登って、頬をスリスリする。
「伯爵の葬儀は終わったんでしょうか?」
リカルドがイサルコに尋ねた。
「まあ、そうだろうな」
葬儀に出られなかったことは残念だが、イサルコ一人を待つために葬儀を延期することはできない。
領主屋敷では執事が出迎えてくれた。
「執事のダヴィドでございます」




