scene:188 残念な再会
城から戻ったリカルドは、魔術士協会に向かった。
究錬局の前で、タニアを見つける。
「どうしたんだい?」
「相談があって、待っていたの」
リカルドは自分の研究室でタニアの相談を聞くことにした。タニアは作業台の近くに椅子を引き寄せ座る。リカルドは紅茶を淹れて、タニアに出した。
「それで、相談というのは?」
「卒業論文を書くことになったの。それで新しい上級魔術について書こうと思っているのだけど、行き詰まっているのよ」
「卒業論文? 早すぎないか」
「私もそう思うんだけど、教授たちが教えることがないというの」
それについては、何となくリカルドも理解できた。タニアの実力は、ある点で教授たちと比肩できるものがあったからだ。リカルドと共同で研究した時期に多くを学んでいたのである。
「それで、どんな上級魔術を?」
「【命】の上級魔術について研究し書こうと思ったのだけど、その分野については難しすぎて諦めたの」
生命というものが、どんなものなのか。その分野の学問が未発達な世界なのだ。タニアがどんなに優秀でも難しいのだろう。
「もう別の系統を選んだ?」
「それを相談に来たの」
「得意なのは、【風】と【地】だよね。【風】の魔術はどうかな。今防御用の魔術を開発しようとしているんだけど、行き詰まっているんだ」
「へえー、リカルドでも行き詰まることがあるんだ」
「巨蟻ムロフカの魔法『魔の滅死響』を防ぐための魔術を研究していたんだが、上手くいかないんだよ」
リカルドは選びだした魔術単語を、タニアに教えた。
「教えて、良かったの?」
リカルドは頷いた。タニアは貴重な協力者である。【空】の魔術と特級魔術以外は、教えても構わないと思った。その代わりに新しい魔術の研究を手伝ってもらおう。その過程で発見した知識を卒業論文として纏めれば良い。
タニアはリカルドが選んだ魔術単語を分析して、どのような魔術を開発しようとしているのか見当をつけた。
「【風】と【火】の複合魔術ね。風は術者の身を守り、火は?」
「敵の攻撃に使われている魔力を、火で焼き尽くす」
リカルドは『魔の滅死響』から身を守るために、音に含まれる魔力を焼き尽くすことで、単なる音に戻そうと考えたのだ。
「考えたわね。どこが上手くいかないの?」
「敵の魔力だけでなく、術者の魔力も燃やしてしまうんだ」
「なるほど、敵と術者の魔力を判別する方法が分かればいいのね」
タニアは優秀だった。短時間で問題点を理解した。
それから共同研究が始まった。しばらくすると、グレタも研究に参加するようになった。そのおかげだろうか、研究は進んだ。魔力を色の魔術単語で識別すればいいというタニアのアイデアで問題が解決した。
あらかじめ敵の魔力を黒、術者の魔力を白とイメージしてから、黒い魔力だけを燃やすように魔術単語を組み替えたのだ。
この魔力を色により識別するというアイデアは、画期的なものだった。タニアはこれを卒業論文に纏めて提出することにしたようだ。
防御用魔術である【炎風陣】が完成した。この魔術は風の結界で物理的な攻撃を防ぎながら、魔術や魔法の攻撃を魔力を燃やすことで防ぐ。
テストとして、訓練場でタニアに【消火水弾】を撃ち込んでもらうことにした。
リカルドが魔成ロッドに魔力を流し込み、新しく調整した複合魔術用触媒を撒く。呪文を唱えると、オレンジ色に輝く風が、リカルドを中心に紡錘状に渦を巻き始めた。
息苦しくはない。
タニアが【消火水弾】を放った。
消火水弾が、炎風陣に接近する。魔力によって作られた水弾が、炎風陣に近付くだけで燃え上がった。水にしか見えない塊が燃え上がるのは、奇妙な感じがする。
水弾は炎風陣に命中する前に燃え尽きた。
「凄い。その【炎風陣】があれば、無敵じゃないですか」
見物していたグレタが、嬉しそうに声を上げた。
「これは伝説の魔獣を相手にする時に、使おうと思っている魔術なんだ。化け物が相手だから、通用するかどうかは分からない」
グレタが心配そうな顔をする。
「心配するな。戦う時は、十分に準備してからにするつもりだから」
「私も一緒に戦います」
「それにはもっと修業が必要だ。脅威度5くらいの魔獣を倒せるようにならなくちゃな」
グレタが決意を秘めた目をして頷いた。
タニアが呆れた顔をする。
「無茶言ってるんじゃないわよ。脅威度5って言ったら、双角鎧熊や鋼鉄サソリじゃない。一人前の魔術士でも倒すのが難しい魔獣よ」
リカルドがタニアの方を見た。
「タニアなら倒せるじゃないか」
タニアは上級魔術である【真雷渦鋼弾】を習得しているので、双角鎧熊ぐらいなら倒せるはずだ。
「それはそうだけど……グレタは侯爵家のお嬢様なのよ」
グレタがタニアを見て言った。
「私はお嬢様ではなく、魔術士です」
タニアがグレタに謝った。
「ごめんなさい。侮辱するつもりはないの。でも、魔術士だからと言って、魔獣と戦わなければならない、というわけではないのよ。生活に役立つ魔術を研究するのも魔術士の仕事なんだから」
「私を心配して、言われているのは分かります。でも、努力もしていないのに、諦めるのは嫌なんです」
グレタも逞しくなったものだ、と思ったリカルドは微笑んだ。
リカルドは、少し休養を取ることにした。防御用の魔術を完成させたことで、一区切りついたという気がしたのだ。グレタを誘って、芝居でも観に行こう。
日本なら映画やテーマパーク、スポーツ観戦などという選択肢もあるのだが、この国にはない。王都や副都街に劇場があるだけなのだ。
副都街に娯楽施設を増やしたいと思うが、それはセラート予言が終わってからになるだろう。
翌日、支度して王都に向かった。副都街の劇場でも良かったのだが、そこはリカルド自身が資金を出して建てたものだった。なので、芝居の内容を知っている。
王都の芝居見物は、午前中に開演し、午後の三時頃に終演となる。途中に一時間ほどの休憩時間が挟まるのだが、その時間は周囲にある飲食店が賑わう。
ボニペルティ侯爵の屋敷でグレタと合流した。
「今日は、楽しみです」
グレタは目を輝かせている。聞いてみると、芝居見物するのは初めてらしい。父親の侯爵が禁止していたのだという。
劇場があるのは、魔術士協会と商店街の中間辺りである。侯爵の屋敷から歩いて三〇分ほどだった。
「こうやって、二人でのんびりと歩くのは、初めてのような気がします」
「そうかな」
王都の街は賑やかだ。行き交う人々には活気がある。
劇場の前には、大勢の人々が並んでいた。
リカルドたちも列の最後に並んだ。ちなみに、リカルドのユニウス家は男爵並みの家格となっているので、貴族専用の入り口を使えるのだが、あえて使わなかった。
変に目立ちたくはなかったのだ。
リカルドたちが並んでいると、馬車が列の前に停まった。馬車に描かれている紋章から、ショウゼン子爵の馬車だと分かった。ロマナス平原の小領を領地とする貴族である。
厳しい顔のショウゼン子爵と娘らしい少女が、馬車から降りてきた。
「お父様、ありがとう」
子爵は娘に強請られて、劇場に来たようだ。
ショウゼン子爵は並んでいる平民の列をチラリと見てから、興味なさそうにプイッと前を見て劇場に入っていった。
「ショウゼン子爵一行様、ご入場!」
劇場の案内役が大声で叫んだ。そういう習慣があるのだ。
劇場の中には貴族席というものがあり、貴族はそこから観劇することになる。
次々に貴族が現れ、劇場に入っていった。リカルドたちがもう少しで劇場に入れそうだという時、紋章のない馬車が劇場の前に停まる。
馬車から降りた数人の男女が劇場に入る。リカルドたちは注意していなかったので、どんな貴族だかは分からなかった。
その時、案内役が叫んだ。
「副都街司政官一行様、ご入場!」
リカルドとグレタは顔を見合わせた。
「アントニオ様も、観劇に来られたのですか?」
「いや、聞いていないな」
アントニオは新婚である。妻のエレオノーラと一緒に劇場に来ることは不思議ではなかった。
「でも、いいんじゃないか。兄さんも少しは休養を取るべきなんだよ」
「そうですね」
順番が来たリカルドたちは、気にせずに劇場へと入った。
劇場の中は、三つに分かれていた。貴族席・特別席・一般席である。特別席は舞台に近い席で、一般席より倍ほど値段が高い。
リカルドたちは特別席だ。周りは裕福な商人たちが座っていた。今日の演目は、トリドール共和国との戦いを題材にしたものだった。
芝居はそれなりに面白かった。戦いを題材にしたものだが、その中にロマンスや恋の駆け引きを絡めた物語となっており、観客を惹き込むだけの魅力があった。
「お芝居というのは、こんなに面白いんですね」
夢中で見ていたグレタは、幕間になってリカルドに声をかけた。
「季節ごとに演目が変わるというから、秋になったらまた来よう」
「はい」
グレタは本当に嬉しかったようだ。
二幕が始まり、芝居にファビウス子爵が登場した。もちろん、ファビウス子爵の名前は変えているのだが、物語の流れでファビウス子爵だと分かるようになっていた。
首都急襲部隊の指揮官とファビウス子爵の会話で、ファビウス子爵が卑屈な態度を取る場面があった。
リカルドたちは面白かったのだが、貴族席の中で苦虫を噛み潰したような顔をしている者があった。
劇が終わり、リカルドたちが帰ろうとした時、楽屋の方で騒ぎが起きていた。その騒ぎの中で、『アントニオ様』という声が聞こえた。
リカルドは気になって、楽屋に向かう。
座長室の前で、心配そうな顔をしている役者たちの姿があった。
「貴様、ファビウス領を馬鹿にしておるのか!」
「いえ、決してそのようなことは、ありません」
「だったら、あの場面は何だ?」
どうやら、ファビウス子爵が出てきた場面に、貴族が文句を言っているらしい。
「アントニオ様、ご容赦ください。セリフは書き直しますので」
座長が必死で謝っている。
リカルドは、またアントニオの名前が出たので気になった。
「リカルド、お前はどう思う?」
座長室から、そんな声が聞こえた。
「どういうことでしょう?」
グレタが首を傾げている。
偽者が出たのだと、リカルドは悟った。放っておくこともできず、座長室に入る。
リカルドは、座長を責めている貴族に、何となく見覚えがあった。それはファビウス領の魔術士エドアルドの弟子イヴァンだった。
そして、イヴァンがリカルドと呼んでいたのは、魔術士フラヴィオの息子である猿顔のマルチェロだ。
リカルドは、ムッとした。猿顔のマルチェロが、リカルドと呼ばれていたからだ。
「いい加減にしろ!」
リカルドが怒鳴った。普段冷静なリカルドが怒ったので、グレタが目を丸くする。
偽アントニオがリカルドに視線を向けた。
「誰だ、貴様は?」
イヴァンはリカルドの顔を覚えていなかったようだ。
「覚えていないのか?」
リカルドが問うと、二人は首を傾げた。
「お前など知るか。こちらは副都街の司政官アントニオ、そして、俺は弟のリカルドだぞ。無礼な口をきくな」
猿顔のマルチェロが言い放った。
グレタが笑い出した。ツボに嵌まったようだ。
「そこの女、何がおかしい?」
マルチェロが厳しい顔をして問い質す。リカルドは懐かしい二人に再会したのに、酷く残念に思った。




