scene:185 メルビス公爵領の巨蟻ムロフカ
「黒震魔砲杖のことを言われているのですな。確かに王国軍は所有しております」
「では、その武器を使ってもらえませんか?」
公爵の目には鋭い光が宿っていた。黒震魔砲杖に強い興味があるようだ。将軍は渋い顔をしたが、承諾した。
「いいでしょう。王太子殿下から黒震魔砲杖を預かってきていますから」
公爵が頷きながら将軍を睨んだ。あらかじめ黒震魔砲杖を持たせたということは、王太子が公爵の魔術士を信用していなかったということになる。
「悔しいけれど、将軍に任せるしかないようね」
サムエレ将軍は収納紫晶から黒震魔砲杖を取り出した。
「それが『国破り』なの? 魔砲杖とあまり違わないのね」
「違いは、私が引き金を引いた時に分かります」
将軍はセレクターを【空震槍破】に合わせ触媒カートリッジを装填して、黒震魔砲杖を巨大蟻に向けた。
深呼吸して精神を落ち着け、慎重に狙いを付ける。将軍は静かに引き金を引いた。
前方の空間が歪み槍状の黒い空間が誕生。その空間の歪みに空気が流れ込み放電現象が起こる。
公爵は凄まじいエネルギーを感じて顔を強張らせた。
漆黒の槍となった空震槍が弾けるように飛び出し、巨大蟻へと飛翔する。空震槍は少しだけ横に逸れ、足二本を消し飛ばしただけで、地面に穴を開けて消えた。
「チッ、外したか」
将軍が呟いた瞬間、巨大蟻が大顎を擦り合わせ、あの不快な音を発し始めた。
距離があるので、我慢できないほどではない。だが、集中力を削られる。
「大丈夫なの? この音は【竜爪斬】を消すほどの力が込められているのよ」
「たぶん大丈夫でしょう。【空震槍破】の魔術は特別ですから」
将軍が言った『特別』という言葉に、公爵は引っかかるものを覚えた。確かに見たこともないほど強烈な力を持つ魔術だったが、何が特別なのか分からない。
触媒カートリッジを交換した将軍は、黒震魔砲杖のクールタイムが終わるのを待った。
「なぜ、すぐに次を放たないのです?」
将軍が渋い顔をする。黒震魔砲杖の弱点を知られたか、と思ったからだ。
「申し訳ない。普段は専門の射撃手に任せているのですが……もう少し近くで狙える場所はないですか?」
公爵は眉を寄せてから答えた。
「我が屋敷内では、ここが一番でしょう」
「仕方ないですな。もう一度ここから狙いましょう」
将軍はクールタイムが過ぎているのを確認してから、黒震魔砲杖の狙いを巨大蟻に向けた。巨大蟻は大顎を鳴らしながら、こちらの方を睨んでいる。
自分の足を吹き飛ばしたのは、将軍だと気づいているかのようだ。
将軍が再び引き金を引く。空震槍が飛翔し巨大蟻に近付いた。あの不快な音には魔力が込められており、空震槍の魔力と干渉を始めた。
だが、空震槍は空間構造にまで魔力が食い込んでいるので、その干渉力は限定的だ。【竜爪斬】のように消えることなく、空震槍が巨大蟻の最後部に突き刺さり、その部分だけを消し飛ばした。
空震槍の威力ならば、魔獣の全身を吹き飛ばしてもおかしくないはずだった。この点を考えると、その巨大蟻の魔術に対する耐性はずば抜けたものがある。
巨大蟻は身体の三分の一を失ったが、死んではいなかった。だが、大顎を擦り合わせて魔力の込められた音を出すことはできなくなっていた。
「近くから仕留めましょう」
将軍は公爵の屋敷から自分の屋敷に戻り、至近距離で空震槍を飛ばして巨大蟻を消し去った。
「恐ろしい武器ですね」
公爵が青褪めた顔で呟くように言った。この武器が王家に反抗する自分たちに向けられた場合を想像したようだ。
「これはセラート予言の最終年に、魔境から溢れると言われている魔獣に対して使われる武器です。怖がる必要はありませんよ」
「しかし、トリドール共和国には使われました」
「武器があるのに、使わないのは愚かです。しかし、王太子殿下が所有することを決められた理由は、魔獣対策なのです」
「そうだとしても、貴族たちの王家に対する認識は変わるでしょうね」
敵対すれば、黒震魔砲杖が使われるかもしれないとすると、敵対する気も起きないだろう。
サムエレ将軍は黒震魔砲杖から使用済みの触媒カートリッジを取り出し、黒震魔砲杖を収納紫晶に仕舞った。
「公爵、私は一度城に戻って王太子殿下に報告します。どうなさいますか?」
「同行します。殿下には頼まねばならないことがありますから」
将軍と公爵はバイゼル城へ向かった。
登城した二人は、執務室で仕事をしているガイウス王太子に魔獣を倒したことを報告した。
「ふむ、巨大蟻の魔獣か。将軍は巨蟻ムロフカの子供かもしれないというのだな?」
「はい。特徴が伝説の巨蟻ムロフカに似ているのです」
「巨蟻ムロフカの卵か……それがメルビス公爵領にも一個残っておるのだな」
メルビス公爵が頷き訴えた。
「今頃、孵化しているかもしれません。私に黒震魔砲杖を貸してもらえませんか?」
王太子は難しい顔になる。
「それは無理だ。だが、将軍の部下に黒震魔砲杖を持たせて、公爵領に派遣しよう」
「殿下、ありがとうございます」
公爵が優雅に頭を下げた。
サムエレ将軍がガイウス王太子へ視線を向ける。
「危惧していることがあります」
「何だ?」
「公爵領へは、リカルド殿を同道させた方が良いかもしれません」
王太子が納得できないという顔をする。
「黒震魔砲杖で倒せたのであろう。リカルドが必要なのか?」
「孵化して一日ほどの魔獣に、三発の空震槍が必要でした。公爵領で誕生しているかもしれない巨大蟻は、もっと手強くなっているかもしれません」
「黒震魔砲杖で倒せなかった場合、大勢の王国民が死ぬ恐れがあるか……仕方ない。リカルドに協力を要請しよう」
王太子がきつい視線でメルビス公爵を睨んだ。
「リカルドは、余の友人である。粗略な扱いをしたら……分かっておるな」
「承知しております。リカルド殿の安全には気を付けます。ただ魔獣と戦う時には、保証できません」
王太子がゆっくりと頷いた。
「そこまで保証しろとは言わん。ところで、魔獣の卵をモルドス神国も持ち帰ったと聞いたが、何個だ?」
「私が知る限りでは、二個でございます」
王太子が腕を組んで考えを巡らした。黒震魔砲杖で倒せた魔獣を相手に、リカルドが危険に陥るとは考えていなかった。リカルドなら十分に安全を確保しながら、魔獣を倒せるはずだ。
問題はモルドス神国に持ち帰った魔獣の卵である。同じタイミングで孵化した場合、モルドス神国で暴れ始めているだろう。
あの国に、上級魔術で倒せなかった巨蟻ムロフカの子供を倒せる魔術士がいるだろうか? いなかった場合、モルドス神国はどういう対応を取るだろう。
「公爵、あなたのことだから、モルドス神国に間諜を放っているはず。その者に魔獣の卵の行方について、調査させた方がいい」
王太子はリカルドを城に呼んだ。
「リカルド殿、よく来てくれた」
サムエレ将軍が出迎えてくれた。王太子のところへ行くと、メルビス公爵と王太子が話をしていた。
「公爵から説明してくれ」
メルビス公爵が魔獣の卵を掘り出した時からの状況をリカルドに話した。
「巨蟻ムロフカの子供ですか……見てみたかったです」
「それは好都合だわ。メルビス公爵領に一緒に行きましょう」
リカルドは視線を王太子に向けた。
「もう一匹、巨蟻ムロフカの子供がいるのだ」
リカルドは頷いた。
「なるほど……メルビス公爵領に同行します」
巨蟻ムロフカの子供を見たいというのは本心だった。脅威度8の魔獣が、どれほど強いのか確かめたい。
公爵が急ぐと言ったので、ルシープとケイトラを使うことにした。
リカルドと公爵、その部下二人がルシープに乗り、サムエレ将軍の部下たちがケイトラで移動することになった。
ルシープに乗った公爵は、その性能に驚いたようだ。
「馬車の数倍早く到着しそうね」
「ええ、これは休まずに走り続けられますから」
「公爵領でも一台欲しいわ」
「申し訳ありません。当分は王家の注文を熟すだけで精一杯なのです」
「それは残念」
どうでもいい会話を続けながらドライブを続け、その日の夕方には旅程の八割ほどを走破した。そして、近くにある村で一泊することになった。
翌朝早く出発し、午前中に公爵領の領都フェムレスに到着する。
フェムレス城に近付いた時、城を遠巻きにしている公爵家の兵士たちが目に入った。公爵は車から降りて、兵士たちに声をかけた。
「何事です?」
指揮官らしき男が、公爵の前に進みでた。
「公爵様、大変でございます」
その指揮官は、魔獣の卵が孵化して巨大蟻が城を占拠したことを報告した。
「あの蟻は、公爵様の庭園を気に入ったようでございます」
「なんですって!」
庭園は公爵のお気に入りであり、多くの庭師を雇って手入れさせていたのだ。
王太子は二人の射撃手に黒震魔砲杖を持たせて派遣していた。トリドール共和国との戦いの時にも活躍したクレートとエットレという二人である。クレート大兵長は部下数人を引き連れ、フェムレス城を見上げた。
「クレート大兵長、貴方たちは見張り塔から魔獣を攻撃してもらうわ」
クレート大兵長は敬礼して、兵士たちを引き連れ見張り塔へ向かった。
リカルドは公爵と一緒に城に入った。巨蟻ムロフカを確認するためである。城の二階から庭園を見下ろすと、巨大蟻の姿が目に入った。
「な、何てことなの!」
無残に荒らされた庭園を見て、公爵が悲鳴にも似た声を上げる。
庭園の草木は食い荒らされ、ところどころに大きな穴が開いている。そして、巨蟻ムロフカの子供は全長四メートルほどに成長していた。
「王都の屋敷で倒された巨蟻ムロフカと比べて、何か違いますか?」
リカルドが冷静な声で質問した。
「こちらの方が倍ほど大きいわ」
成虫になった巨蟻ムロフカと比べれば、ずっと小さいのだろう。しかし、その全身から放たれる威圧感は、冥界ウルフにも匹敵するものだった。
公爵がブルッと身震いした。威圧感を感じて、身体が反応したのだろう。
「あいつから、膨大な魔力を感じます」
「巨蟻ムロフカは魔法を使うのでしたね」
「『魔の滅死響』です。あいつが魔法を使えるなら、ここは危険かもしれません。城を出ましょう」
「王都の屋敷でも魔法の音を聞きましたが、不快に思うだけで威力はなかったわよ」
「それは小さかったからかもしれません」
リカルドと公爵は城の外に出た。
リカルドたちは見張り塔に上った。庭園から少し距離があるが、巨蟻ムロフカはよく見える。
クレート大兵長たちの攻撃準備は終わっていた。
「公爵、攻撃を開始してもよろしいですか?」
「ええ、攻撃しなさい」
二人の射撃手が黒震魔砲杖を構えて引き金を引いた。
二本の空震槍が飛翔し、巨体に命中した。空震槍は命中した部分を削り取った。バケツほどの穴が開いたのだが、巨大蟻は死ななかった。
「しぶとい魔獣です。仕留めるには、もう二、三発が必要かもしれません」
クレート大兵長が報告した。
リカルドは魔獣の魔術耐性を調べることにした。
「今度は、自分が魔術を放ちます」
エルビルロッドと触媒を取り出したリカルドは、【陽焔弾】の準備を始めた。
「どんな魔術を使うのです?」
公爵が尋ねた。リカルドは【火】の上級魔術だと答えた。
公爵が顔をしかめる。
「報告を聞いたのではないの。【火】の上級魔術で、あいつを倒すことはできないわ」
「自分が使う【火】の上級魔術は、あまり知られていないものです」
リカルドは【陽焔弾】を放った。その瞬間、少し離れていた公爵は強い熱気を感じる。
陽焔弾が巨大蟻に近付いた時、あの不快な音が響き渡った。その強度は王都の巨大蟻より数倍強く、城の木製である鎧窓にヒビが走った。
リカルドが放った陽焔弾も影響を受けた。魔力を削られ大きさが縮んだのだ。それでも陽焔弾は命中した。
それも巨大蟻の頭部に命中した。巨大な頭部が焼けただれ、庭園の地面が溶岩のようにドロドロに融解した。
「む、【陽焔弾】で焼けただれただけか。確かに【火】の魔術に対する耐性は強いようです」
しかし、【陽焔弾】を放ったことは無駄ではなかった。あの不快な音を発することができなくなったようなのだ。




