scene:181 黒い大トカゲ
リカルドとグレタ、パトリックは魔境へ行く準備をしてルシープでヨグル領へ向かった。パトリックは初めて乗った車を、しきりに感心していた。
「世の中、便利になったもんやがね。こんなものに乗って旅ができる時代になるとは……」
「年寄り臭いことを……それより、本当に休暇を取って大丈夫だったのか?」
「問題ないがね。今月に入って、ウルファルの群れと猪頭鬼を倒しとるんや、文句は言わせんがや」
討伐局も忙しいようだ。パトリックが運転を教えてくれというので、運転を交代して教えた。パトリックは飲み込みが早く、すぐに覚えた。
だが、疲れた様子を見せたので交代する。
ヨグル領に入り、ガタガタした道に閉口しながら進む。
「そういえば、なぜ新しい魔成ロッドを作ろうと思ったのです?」
グレタの問いかけに、リカルドが真剣な顔になった。
「セラート予言の最終年には、魔境から魔獣が溢れ出すという記録がある。もし、巨蟻ムロフカや天黒狼が魔境から出てきた場合に備えて、倒せる魔術を開発しようと思ったんだ」
パトリックが厳しい顔になった。こんな顔のパトリックを見るのは珍しい。
「巨蟻ムロフカについては、聞いとるがや。人間が倒せる魔獣なんきゃ?」
「相手は魔獣なんだから、倒せないことはないと思っている」
「上級魔術でも倒せないと聞いたがね」
「だから、上級魔術の上の特級魔術を開発しようとしてるんだよ」
「ええっ!」「特級魔術だと!」
グレタとパトリックが驚いて声を上げた。
「本当に特級魔術を開発してるんきゃ?」
「そうだ」
「無理だ。魔術士が起動できる魔術は、上級魔術までやと言われてるんや。それには理由があるがね」
グレタも同意するように頷いた。
「そうです。賢者マヌエルでさえ、上級魔術までが限界だと認めているんですよ」
賢者マヌエルも一度に放出できる魔力量では、上級魔術が限界だと記録に残している。そのことをグレタとパトリックは指摘しているのだ。
リカルドが肩を竦めた。
「今まで秘密にしていたが、自分の魔力量は賢者マヌエル以上だと思っている」
「おいおい、リカルドが優秀なのは分かっとる。それでも賢者マヌエル以上というのは言いすぎだがね」
「理由があるんだ」
パトリックが疑うような視線をリカルドに向けた。
「いいだろう。その理由を聞かせてもらおうやないか」
「『恩恵選び』、二人は何を選びました?」
「決まっとるがね。【魔力量増強】や」
リカルドは頷いた。
「魔術士は必ず【魔力量増強】を選ぶ。でも、自分は違うんだ」
「えっ、【魔力量増強】じゃない。それはどういうことです?」
グレタが理解できないという顔をした。
「『恩恵選び』には最大五つの選択肢があると言われている。だけど、自分の時には、六つの選択肢があったんだ」
「そんな馬鹿な!」
パトリックが叫んだ。よほど驚いたようだ。
一方、グレタは目をキラキラさせてリカルドを見ている。
「それは……どんなものだったのです?」
「自分は『源泉門』と名付けた。源泉門は精神の中にある入り口のようなもので、そこに意識を近付ければ、魔力に変換可能な力を引き出すことができる」
「そ、それは無制限にという意味きゃ?」
パトリックが顔を近付けて問い質した。リカルドはパトリックの顔を片手で押し返す。
「無制限というわけではない。源泉門に意識をどこまで近付けたかによって、引き出せる力の量が変わるんだよ」
源泉門に意識を近付けるということが理解できないようだ。
「例えば、心の中に門を一つ思い浮かべて……そして、自分が門に向かって歩いていく姿を想像するんだ。さらに源泉門からは膨大な力が流れ出し自分を押し流そうとする。その圧力に逆らって、門に近付く必要がある」
何となくだが、二人は想像できたようだ。
「現在、源泉門から二歩の位置まで近付くことができるようになった。ただ源泉門から流れ込む力は膨大で、今の制御力では扱えない」
「そんな……我が国で一番の魔力制御だと思われるリカルドが……」
「一番かどうかは分からない。けど、今の自分では源泉門から四歩の距離でないと魔術を起動することはできない」
グレタが疑問に思ったことを尋ねた。
「それでは特級魔術を起動するのに必要な魔力を得られないのですか?」
「いや、四歩の位置でも源泉門から得られる力は強大だ。それを魔力に変換すれば特級魔術を放てる」
「おいおい、二歩の位置で得られる力というのは、どんだけとんでもない力なんだがや」
二人が黙り込んでしまった。リカルドが話した内容を理解しようとしているのだろう。
沈黙の中で車は走り続け、第二魔境門に近付いた。顔見知りの兵士に車を預けた。
「ルシープは、収納碧晶に入らないのですか?」
グレタが質問した。リカルドが収納碧晶の中にコンテナハウスを仕舞っているのを知っているので、不思議に思ったのだ。
「ルシープの魔力炉の中では、火が燃えている状態だからだよ。空気を遮断して途中で火を消すこともできるけど、その時には一度魔力炉の中を掃除しなけりゃならないんだ。それに収納碧晶は、なるべく空きを多くしときたいしね」
リカルドたちは防具を身に着け、魔境門から中に入った。魔境門近くは魔獣が少ないので、リカルドたちは魔境の中心に向かう。
グレタが緊張した顔で周りを見回した。
「妖樹エルビルは、どの辺にいるのか分かるんですか?」
「まあ、運次第だけど、奥に行けば見つかると思う」
リカルドとグレタが話している間に、一体の妖樹トリルが現れた。パトリックが素早く【風】の魔彩功銃を抜いて、妖樹トリルの樹肝の瘤を狙い撃った。
樹肝の瘤が割れ、よろよろと動いた後に倒れた。
「妖樹トリルか、もっと奥に行かないと妖樹エルビルを発見できんがね」
妖樹エルビルより遥かに弱い妖樹トリルは、強い妖樹のテリトリーから逃げようとする。妖樹トリルがいるということは、妖樹エルビルがいない可能性が高い。
「そうだね、奥に行こう」
三〇分ほど歩くと、植生が変わってきた。背の高い木から大きな葉が空を覆うように広がり、辺りが薄暗くなる。遭遇する魔獣も変わってきた。
妖樹トリルから妖樹ダミルに遭遇するようになり、次には妖樹タミエルと遭遇した。魔功蔦が回収できる妖樹タミエルは歓迎である。
「魔功蔦を六本も手に入れたがね。今は一本で半年分の収入以上になる」
妖樹タミエルの魔功蔦は、王家はもとより貴族たちも欲しがっており、相場が高止まりしているのだ。
「そろそろ、エルビルが出てきても良さそうな場所なんだが」
リカルドは周囲を見回した。
「向こうに開けた場所があるがね」
木々の向こうに日が差し込んでいる場所をパトリックが見つけた。リカルドたちが近付くと、そこには一匹の大トカゲが日光浴をしていた。
体長一〇メートル、真っ黒な体表に剣山のような棘が三〇本ほど生えている。棘がなければ、姿は影追いトカゲに似ている。だが、その大きさは段違いだ。
リカルドは手で後退するように合図した。パトリックとグレタは、慎重に戻り始めた。リカルドは王太子から返してもらった黒震魔砲杖を収納紫晶から取り出して後退る。
リカルドが手に持っている黒震魔砲杖は、最初に製作したものだ。残りの三丁は王太子が買い取ることになり、リカルドには多額の代金が入ることになっている。
少し離れた場所まで退避したリカルドたちは、顔を突き合わせて相談した。
「どうするがね?」
「あれは、何という魔獣なのです?」
質問されたリカルドは、どうしたものかと悩んだ。リカルドも知らない魔獣だったのである。
「リカルドも知らない魔獣なんきゃ?」
「そうだけど、影追いトカゲに似ていると思う」
リカルドは、あの魔獣の背中に生えている棘が気になっていた。魔術士としての勘が何かに使えそうだと訴えている。
リカルドが黒震魔砲杖を強く握りしめた。それに気づいたグレタが心配そうな顔をする。
「戦うつもりなのですか?」
「魔術士としての勘が、あの棘が欲しいと言っているんだ」
「分かりました。私も協力します」
「ありがとう」
「ワイも協力するがね」
リカルドたちは作戦を話し合った。リカルドは魔獣の真横から攻撃を仕掛け、グレタとパトリックは魔功ライフルで魔獣の後方から牽制することになった。
それぞれが指定された位置に着く。
黒震魔砲杖によるリカルドの攻撃から始まった。【黒震連弾】の魔術が起動し、歪曲空間弾が続けざまに発射される。
二発が命中せず、三発目の歪曲空間弾が黒い大トカゲの背中を抉った。大トカゲは藻掻きながら敵を探す。そして、リカルドを発見した。
周辺の低木をへし折りながら、大トカゲは巨体の向きを変え、リカルドに向かって突進してきた。その瞬間、グレタとパトリックの攻撃が大トカゲの横顔に命中する。
大トカゲが吠えた。怒りと苦痛が混じったものだ。その瞬間、リカルドはチャンスを掴んだ。大トカゲが口を大きく開けたまま頭を振ったのだ。
リカルドは、その口に歪曲空間弾を撃ち込んだ。口から入った歪曲空間弾が脳天を突き抜けて上空へと消える。大トカゲは力を失い、地面に倒れた。
「やりましたね」
グレタが嬉しそうに近付いてくる。パトリックは倒した大トカゲへ歩み寄る。
「二人がチャンスを作ってくれたからだよ」
リカルドは黒震槍を取り出し、大トカゲの首を切断した。その首から緑の血が流れ出す。
「緑の血か、珍しい」
魔獣の中には様々な血の色をしたものがいる。トカゲの中には緑の血を持つ種類もいるという話なので、その系統に属しているのかもしれない。
血が流れ出なくなったので、大トカゲを冷凍収納碧晶に仕舞った。
「そんなデカイのを、全部持って帰るんきゃ?」
「トカゲは基本的に食べられるから」
グレタは大トカゲのグロテスクな顔を思い出して顔をしかめた。
「食べるんですか?」
「影追いトカゲの唐揚げは、美味しかっただろ」
「でも……血が緑ですよ」
緑の血が不安だという言葉で、毒という可能性が思い浮かんだ。
リカルドも何もテストしないで食べるほど無謀ではない。野生動物に食べさせて毒でないことを確かめるつもりでいた。
「リカルド、見るがね」
パトリックが何かを見つけて声を上げた。先ほどまで大トカゲがいた場所に、妖樹エルビルが姿を現したのだ。
「ここは日当たりがいいから、妖樹にとっては快適な場所なんだろうな。それを大トカゲに奪われていたのか」
何度見ても、根っこを使って歩いてくる妖樹の姿は迫力がある。太い幹から伸びている四本の枝で叩かれれば、簡単に死にそうだ。リカルドたちが見守っている間に、続々と森の奥から妖樹エルビルが現れた。
「目標は四体。仕留めたら回収して逃げます」
リカルドたちは魔成ロッドを取り出し、樹肝の瘤を狙って魔術を放った。リカルドは【爆散槍】、グレタは【雷渦鋼弾】、パトリックは【鋼矢散弾】である。
三人とも樹肝の瘤に命中させ破壊した。三人は合計で六体の妖樹エルビルを仕留めた。リカルドは素早く回収する。
魔境から脱出した三人は、王都に戻った。
グレタを屋敷に送り、パトリックと一緒に魔術士協会へ行く。二人はイサルコに帰還を報告してから、大トカゲの魔獣について尋ねた。
「そいつは、猛毒黒トカゲかもしれんな。見せてくれ」
訓練場へ行って、そこで大トカゲを取り出した。訓練場に巨大なトカゲの姿が現れる。
「やっぱり猛毒黒トカゲだ。上級魔術でないと仕留められないと言われている魔獣だぞ」
リカルドは猛毒と聞いてテンションが下がっていた。
「猛毒黒トカゲですか。やっぱり食べられないんでしょうね」
イサルコに笑われた。
「何だ、こいつを食べる気だったのか。やめとけ」




