scene:171 雷嵐虎の角
サムエレ将軍はミケリノ王子と兵士たちを後方に逃がすとリカルドの様子を確認した。
「まずい、リカルド殿が危ない」
将軍は雷鋼魔砲杖を持った数人の兵士に、雷嵐虎を攻撃するように命じた。
四、五人の砲杖兵士が魔砲杖を持ち上げ、狙いを付けて引き金を引く。帯電した鋼の渦が巨大な虎に向かって飛び、その頭や胴体に命中した。
頭に命中したものは強靭な毛皮に阻まれダメージを与えられなかった。だが、陽焔弾に焼かれた胸に命中した雷渦鋼弾は、その筋肉に食い込み切り刻んだ。
雷嵐虎が悲鳴を上げ、地面を転げ回る。
その隙に、リカルドは次の魔術を用意していた。触媒は【空震槍破】用のものを取り出し、ロッドもダークロッドに替える。
「将軍のおかげで助かった」
雷嵐虎の注意が将軍たちの方へと向いた。これが最後のチャンスかも知れない。
リカルドはロッドに魔力を注ぎ込み、触媒を撒いた。
その時、ミケリノ王子は後方の岩陰からリカルドの様子を見守っていた。
「先生は、怖くないのか?」
王子自身はこれだけ離れていても怖かった。恐怖で顔面蒼白となり足が震えている。リカルドがロッドを構え、新たな魔術の準備をしているのに気づいた。
「また、あの凄い魔術を放つのかな」
王子はリカルドが放った【陽焔弾】の魔術を見ていた。太陽のように眩しい光玉が虎の化け物に飛び、その胸を焼き焦がし、巨体を一回転させた。人間に命中すれば、一瞬で消し炭にできる威力だ。
あれが上級魔術だということは、王子にも分かる。だが、勉強した中にあの魔術はなかった。世の中に知られている上級魔術は、名前と特徴を調べたことがあるのだ。
もしかしたら、リカルドが開発した新しい上級魔術なのかもしれないと考え身体が震えた。自分が凄い魔術士から魔術を教わっているのだと思う。
リカルドのロッドの周りで渦巻く魔力が黒に変わった。それを見た王子は、さらなる驚きで息を呑んだ。そんな属性励起の色なんてないはずである。
「あれは、何なのだ?」
王子の視線の先で、リカルドが呪文を唱えた。距離があるので呪文は聞こえなかったが、魔術が発動したのは分かった。ロッドの先に槍のような黒い空間が生まれたからだ。
漆黒の槍は、凄まじい力に満ちているのが感じられた。周囲の空間が曲がり、鳥肌が立つような感覚を覚える。
それは雷嵐虎も感じたようだ。一刻も早く異様な魔術を使う敵を倒さねばならないと焦り、突っ込んできた。その凶悪な爪でリカルドの身体を引き裂こうと考えたようだ。
迫りくる巨大な虎が、あと一歩で爪が届くという位置まで来た時、漆黒の槍が弾け飛んだ。雷嵐虎の胸に突き刺さった槍は、強靭な胸の筋肉を突き破り心臓を破壊し背中から突き抜けた。
禍々しい牙が並んだ口から大量の鮮血が吐き出される。
のろのろと動く前足がリカルドの身体に触れようとした時、リカルドがスーッと身を引いた。凶悪な爪が空を切り、雷嵐虎は力尽きて倒れた。
「やったー!」
ミケリノ王子は歓声を上げ、リカルドの下に走った。
リカルドはそれまでの緊張が解け、片膝を突く。
「はあっ、危なかった」
歓声が聞こえ後方を振り返ると、リカルドの勝利を喜ぶ王子や将軍が走ってくる。
最初に傍まで来たのは、サムエレ将軍だった。
「怪我をしているのか?」
「いや、大丈夫です。将軍のおかげで助かりました」
「馬鹿を言うな。助かったのは、私たちの方だ。リカルド殿の勇敢な行動がなかったら、どれだけ大勢の者たちが死んだかと思うと寒気がする。本当にありがとう」
退避していた兵士たちが戻ってきた。少し離れた場所から地面に横たわっている巨大な魔獣を眺めガヤガヤと話し始める。
「これを魔術士一人で倒したのか。とんでもない魔術士だな」
「おい、とんでもないなんて言葉を使うな。王太子殿下とも親しくされている魔術士様なんだぞ」
「さすが王太子殿下が注目されている方だ。宮廷魔術士以上の実力だな。ここに常駐してくれると助かるんだが」
「常駐は無理だろう。大物を倒してくれただけでも感謝しなきゃ。あのままだったら、俺たちの命だけでなく町の一つや二つが滅んでいたかもしれん」
ちなみに雷嵐虎の脅威度は7である。伝説の魔獣である巨蟻ムロフカや天黒狼よりは劣るが、リカルドが戦った魔獣の中では最強の一匹だった。
近隣の町が襲われたら、簡単に壊滅していたかもしれない。
兵士たちはリカルドに感謝しているようだ。
リカルドに怪我がないと分かりホッとしたサムエレ将軍は、その能力を再評価した。今までも高い能力を評価していたのだが、それは魔術の分野に関してだけだった。
しかし、今回のことで危機的状況に陥った時にも冷静な判断力を持ち、他者に指示を出すこともできると分かった。それは軍の指揮官に必要なものだ。
改めてリカルドという人物の力量を思い知らされ、サムエレ将軍は少し嫉妬した。そして、この若者が軍ではなく魔術士という道を選んだことを残念に感じると同時にホッとする。
リカルドが軍人だったら、自分以上の将官となり王太子殿下の絶大な信頼を得ていただろうと思ったからだ。
「いかんなぁ。私もまだまだ度量が狭いということか」
嫉妬したことを反省した将軍は、もう一度リカルドに感謝の言葉を贈る。
リカルドは倒した雷嵐虎に近付いた。死骸を見ると、呆れるほどデカい。
「虎の肉って、美味しいんですかね?」
サムエレ将軍が苦笑しながら首を捻った。
「普通の虎は不味いらしい。だが、魔獣の虎はどうかな。雷嵐虎を食べたという話は聞いたことがない」
リカルドは雷嵐虎の胸辺りに鼻を近付けた。胸は【陽焔弾】の魔術で焦げている。焦げ跡からムッとする獣臭さを感じた。
「これは美味しそうじゃないな」
それでも貴重な肉だ。解体して冷凍収納碧晶に入れて持って帰ることにした。毛皮は魔術により損傷しているが、体長七メートルの巨体である。使える部分は十分に残っている。
サムエレ将軍が角に触ろうとした。
「ダメです。誰も、その角には触らないでください」
「この角に何かあるのか?」
「黒震魔砲杖を作るのに使った角に似ています。あの角には特別な力があったんです」
この角は、黒震魔砲杖の素材となった白い角に似ていた。リカルドは用心して、まずプローブ瞑想を行い源泉門から力を吸い込んだ。
その力を魔力に変換し身体を満たす。その後、雷嵐虎の角に手を伸ばして掴んだ。
次の瞬間、雷嵐虎の角に潜んでいた魔力がリカルドを襲う。今回は覚悟していたので、源泉門から得た魔力で押し返す。リカルドは源泉門からの力を利用して角の魔力を支配下に置いた。
同様にして後二本の角も支配下に置く。
サムエレ将軍は大粒の汗を額から噴き出し精神を集中しているリカルドを見守っていた。リカルドがホッとした表情を浮かべたのに気づき、声をかけた。
「大丈夫なのか?」
リカルドは深呼吸してから答えた。
「ええ、この角は特殊なんです。本体の魔獣が死んでも、触った者を魔力で攻撃するんですよ」
サムエレ将軍がジッと角を見た。長さは六〇センチほどで、色は黄色がかった白である。
「これで黒震魔砲杖が作れるのか?」
「さあ、試してみないと分かりません」
「頼む。黒震魔砲杖を作ってくれないか。トリドール共和国との戦いは苦しいものになる。犠牲者が大勢出るだろう。しかも、共和国との戦いが終わっても、我々はセラート予言に備えねばならんのだ」
必死に頼む将軍の顔には、祖国を思う心と兵士たちの犠牲を少なくしたいという直向きな思いが感じられた。リカルドは試してみることを約束した。
ミケリノ王子のことを思い出したリカルドは、辺りを見回した。王子は雷嵐虎の死骸を見つめていた。これほど大きな魔獣を傍で見たことはなかったのだろう。
王子がリカルドの傍に駆け寄って手を握った。
「先生、凄いです。あれは何という魔術なんですか?」
「あれは自分の切り札なんで教えられないんです」
王子が残念そうな顔をする。
「だったら、初めに放った魔術は?」
リカルドは苦笑して名前だけ教えることにした。
「【陽焔弾】という魔術です。【火】の上級魔術になります」
「僕にも教えてください」
「この魔術は難しいんです。今の王子様では習得するのは無理でしょう」
ミケリノ王子がガックリと肩を落とした。
当然のことだが、中級魔術も習得しておらず魔力容量も少ない者が上級魔術を習得することは難しい。
サムエレ将軍は崩れた防壁の修復を命じた。瓦礫の撤去が始まり、倉庫に備蓄されていた建材が運ばれる。
魔境門近くで騒いでいた魔獣たちは、雷嵐虎が死ぬと幻のように消えていた。魔境門近くで騒いでいたのは、雷嵐虎が関係していたのかもしれない。
リカルドは数人の兵士に協力してもらい、雷嵐虎を解体した。内臓は処理する人手がないので諦め地面に埋める。三本の角は収納紫晶に仕舞う。
サムエレ将軍が近付いてきた。
「疲れただろう。休んでくれ」
「ええ、昼まで休ませてもらいます。ところで帰りは、将軍も一緒にケイトラで?」
将軍は否定するように首を振った。
「いや、防壁の修復に時間がかかりそうだ。先に帰ってくれ」
「分かりました。一休みしたら帰ることにします」
リカルドたちは無事だったコンテナハウスで一休みしてから、王都に戻った。
ミケリノ王子を大公国の大使館へ送り、リカルドは魔術士協会へ向かう。
自分の研究室に戻ったリカルドは、収納紫晶から雷嵐虎の角を取り出した。
「詳しく調べてみるか」
調査の結果、この角で黒震魔砲杖を作製可能だと分かった。リカルドは黒震魔砲杖の作製を開始した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その頃、トリドール共和国の首都ギセルでは、ニコライ議長と軍務統括委員会のパヴェル委員長が難しい顔で話し合っていた。
「大公国への侵攻作戦はどうなっておるのだ?」
「それが……ロマナス王国軍の支援部隊により膠着状態に陥ったままです」
「どうしてだ? 予備兵力を国境付近へ回し、兵力差は二倍以上となったと聞いておるぞ」
パヴェル委員長が苦い顔をして答える。
「ロマナス王国軍の砲杖兵士団が装備している魔砲杖の攻撃により、国境線に近付くことができません」
「しかし、魔砲杖には触媒が必要なはずだ。大公国には、それほどの触媒はないはず」
「その触媒もロマナス王国から運ばれてきているようです」
ニコライ議長が憮然とした表情で考え込んだ。
「ロマナス王国の奴らめ、調子に乗りおって。こうなったら、ロマナス王国を攻撃して他国の援助などできぬようにしてやる」
パヴェル委員長が不安そうな顔をする。
「しかし、それだと同時に二ヶ国と戦争状態になることになります」
現在、トリドール共和国とオクタビアス領の国境線では、共和国軍とオクタビアス公爵軍が対峙していた。本格的な戦争にはなっていないが、緊張した状態が続いている。
「本格的な戦争をしろとは、言っとらん。緊張を高めロマナス王国から、大公国への支援を行う余裕をなくさせればいいのだ」
「ですが、ロマナス王国との国境線に配置している兵力は三千だけです。公爵軍は四千ほどなので、攻勢に出るには兵力が不足しています」
「予備兵力から一万をロマナス王国との国境線へ送れ、ちょっと脅して王国の奴らの肝を冷やさせろ」
「しかし、それが原因で本格的な戦いになれば、ミシュラ大公国への侵攻作戦が危うくなります」
パヴェル委員長は反対のようだ。
「そんな弱腰でどうする。ロマナス王国軍の砲杖兵士は、根こそぎ大公国へ派遣されているはずだ。オクタビアス公爵軍は魔砲杖をそれほど所有しておらん。王国の奴らも本格的な戦争を望んでいないはずだ」
ニコライ議長は、ロマナス王国軍の砲杖兵士のほとんどが大公国支援部隊へ繰り入れられていると思っているようだ。それは勘違いなのだが、自国の一〇倍以上の魔砲杖が大公国との国境線で使用されたと聞き、そう思ったようだ。
「なるほど、そうすれば王国軍をオクタビアス領へ釘付けにできます」
パヴェル委員長がやる気になったようだ。
共和国軍は直ちに一万の兵士をオクタビアス領の国境線へ派兵した。その知らせを受けたオクタビアス公爵は、部下に王都へ報告するように命じた。
「共和国の連中め、長い付き合いだと言うのに、本気で攻めてくる気だ」
オクタビアス公爵は少し血の気が引いた顔で呟いた。
公爵からの知らせが王都へ到着した頃、オクタビアス領で戦いが始まった。




