scene:169 リリアナ王女とミケリノ王子
ロマナス王国の王都に到着したリリアナ王女とミケリノ王子は、ミシュラ大公国の大使館で生活することになった。大使館はバイゼル城から近い場所にあり、三階建ての大きな建物である。
ガイウス王太子が生活する屋敷を提供しようと言ってくれたのだが、リリアナ王女は断った。婚約者である自分だけならまだしも、将来大公となるミケリノ王子が大きな借りを作ることになる。
援軍を頼んでおいて今更という気もするが、際限なく甘えるのはまずいと思ったようだ。
大使館で休んだ翌日。二人はどうするか話し合った。
「姉上、これからどうすればいいのでしょう?」
「父上から言われたではないですか。ミケリノはバイゼルの学校に通って勉強するのよ」
「でも、祖国は戦っているのに、ここで勉強なんて……」
ミケリノ王子は祖国とトリドール共和国の戦いが気になって勉強どころではない様子だ。
「ロマナス王国の援軍で国境戦線は持ち直したようです。もう心配ないと思うわ」
「だったら、なぜ父上は我々をこの国に避難させたのです?」
「万一を考えられてのことです。あなたはここで学び、少しでも成長しなさい。そして、故国に帰って父上を手伝うのです」
ミケリノ王子は渋々頷いた。
「父上の役に立つには、何を学ぶべきでしょう?」
「この国で進んでいるのは、魔術と魔導技術です。それを学ぶのが良いのではないかしら」
「そうですね」
昼食を食べた後、ロマナス王家に挨拶するために、バイゼル城へ向かった。王家の使用人に案内されて謁見の間に向かう。
「さすがロマナス王家。凄い城だな」
ミケリノ王子が城の中を見回し声を上げた。大公国のクラベス城に比べ三倍ほど大きいようだ。そして、気づいたのだが、様々な官吏が城の内部を急ぎ足で移動している。
「早く行くぞ。明日までに港湾の拡張議案を決定しなければならんのだ」
「そんなあ、徹夜になるじゃないですか」
「文句を言うな。副王様が急げと言っておられるのだ」
ミシュラ大公国でお役所仕事といえば、ダラダラと仕事をすることなのだが、ここでは違うようだ。どの官吏も余裕のない顔で走り回っている。
たぶん今が戦時だということも影響しているのだろう。普段からこんな様子だと、過労死するような官吏も出てしまう。
二人は謁見の間に到着した。そこで待っていたのは、ガイウス王太子とアルチバルド王である。姉弟二人は無難な挨拶をして、ロマナス王国に滞在する許しをもらった。
アルチバルド王が謁見の間を離れると、ガイウス王太子が二人を自分の部屋に誘った。
リリアナ王女が微笑んで頷いた。王太子の執務室に入ったリリアナ王女たちは、王太子と話し合った。最初は緊張していたミケリノ王子も緊張が解れてからは、活溌に話すようになる。
「ガイウス殿下、トリドール共和国を撃退できるでしょうか?」
凶悪な顔でミケリノ王子を見たガイウス王太子は、ニヤッと笑った。ミケリノ王子がビクッと反応する。
「もちろんだ。我軍が支援する限り、ミシュラ大公国の敗北はない」
「ですが、共和国軍の兵力は脅威です。あの兵力に対抗するのは難しいのではないですか?」
「そんなことはない。アレヴィ少将から報告が来ているが、共和国軍は脆いらしい」
ミケリノ王子が首を傾げた。脆いという意味が分からないのだろう。
「優勢の時は意気軒昂な兵士たちも、一旦劣勢になるとすぐに逃げ出すということだ。一見士気が高そうな敵軍も実際はそうじゃない」
「そうなのですか? 共和国軍の兵士は勇猛で退くことを知らないと聞いていますが」
「それは敵国のプロパガンダだ。歴史を思い出せばいい。ミシュラ大公国がトリドール共和国を退けた歴史があるのだぞ」
リリアナ王女が頷いた。
「そうだわ。ロマナス王国の協力があれば、きっと共和国軍を撃退できる」
ミケリノ王子は祖国が負けるのではないかという不安を撥ね退けることができたようだ。それは王子の表情が明るいものに変わったことで、リリアナ王女にも分かった。
「分かりました。僕も大公国軍とロマナス王国軍を信じます」
リリアナ王女は嬉しそうに微笑んだ。
「ミケリノも、頑張って勉強しなさい」
ガイウス王太子がミケリノ王子に視線を向け、
「勉強というと、バイゼル学院に入るつもりなのか?」
「はい。父上はそうするのが良いと、言っておられました」
王太子が難しい顔をする。ミケリノ王子が不安な顔になった。
「ダメなのですか?」
「そうではないが、時期が中途半端なのだ。故国ではどれほど勉強していたのだ?」
「魔術の基礎については教わりました。基礎的な学問も家庭教師から習っています」
ミケリノ王子の口調から、自信ありげな様子がうかがえる。故国で相当勉強したようだ。
「それなら大丈夫か。リカルドに頼んでおこう」
リリアナ王女が不審に思って尋ねた。
「リカルド殿というのは、魔術士なのではないですか?」
「バイゼル学院と魔術士協会は提携していて、魔術士を講師として派遣しておるのだ。今、リカルドが学院で教鞭をとっている」
「そうなのですか。リカルド殿はこの国でも指折りの魔術士だと聞いています。しっかり学ぶのですよ、ミケリノ」
「分かっています。姉上はどうするのですか?」
「私ですか。そうですね……」
リリアナ王女が悩んでいると、ガイウス王太子が言った。
「花嫁修業でもするか?」
「ええっ、花嫁修業……」
リリアナ王女が驚くと同時に、顔を赤くする。
「した方がいいのでしょうか?」
ミケリノ王子がいたずら小僧のような表情を浮かべる。
「姉上は、料理も裁縫もできないのでしょ。ここにいる間に習った方がいいですよ」
リリアナ王女が弟を睨んで、怒ったような顔をする。
「できないのではありません。やったことがないだけです」
それを聞いたガイウス王太子が笑った。
「そうだな。美味しい料理を作れるようになれば、余も嬉しいぞ」
「はい。頑張ります」
王族が自分で料理や裁縫をするということは、ほとんどない。だが、一般教養として身に付けるものの中に、その二つがあるのだ。
ミケリノ王子は顔を赤くしている姉を見て不思議に思ったことがある。婚約者の顔が怖すぎることだ。姉は幸せそうな顔をしているが、どうやって凶悪な顔を愛せるようになったのだろう。……謎だ。
王子の編入手続きは、すぐに終わった。登校初日、ミケリノ王子はリカルドと出会った。そして、リカルドが若いことに驚く。
リカルドが講師としての仕事を始めてから四ヶ月が経過している。後二ヶ月で終わるというぎりぎりの時に王子が編入してきたことになる。二ヶ月というのは何かを学ぶ時間としてはぎりぎり必要な期間だとリカルドは考えていた。
「魔術の授業を担当するリカルドです。よろしくお願いします」
「あなたがリカルド殿ですか、姉上から聞いています。優秀な魔術士だそうですね」
「優秀かどうかは分かりませんが、魔術士協会に所属し究錬局で魔術の研究するのが本来の仕事ですので、魔術に関する専門家です」
「そうか。どの属性に詳しいのですか?」
「そうですね。【火】【地】を得意としていますので、その二つの属性については詳しいですよ。王子はどの属性が得意なのです?」
「【火】と【風】です」
ちょっと得意そうな顔をするミケリノ王子。その顔を見て、優秀な家庭教師から魔術を習ったのだろうと、リカルドは推測した。
リカルドは王子の実力を確認することにした。
「王子はどんな魔術が使えるのですか?」
「【火】の魔術は【炎翔弾】、【風】の魔術は【重風槌】が使えます」
【重風槌】は中級下位の魔術である。王子の年齢を考慮すると優秀だと言えるだろう。但し、今までの初等科だったならばだ。
リカルドが担当したクラスでは、授業を始めて三ヶ月で初級魔術を習得し、魔術単語の詳しい授業を行っていた。その過程で中級魔術についても少し触れたのだが、その中級魔術を練習する生徒たちが増えたのだ。
いつの間にか、クラスのほとんどが二つか三つの中級魔術を習得していた。それを基準に考えると、ミケリノ王子は遅れていることになる。
そのことを王子に話すと、ショックを受けたようだ。故国では一番だと言われていたのだろう。
授業を始めて、王子の魔術に関する基礎知識に穴があることにリカルドは気づいた。そのことを姉のリリアナ王女に相談すると、補習みたいなものをやってくれないかと頼まれた。
リカルドとしても、一人だけ遅れているのは可哀想だと思っていたので、引き受けた。
補習を行なう場所は、魔術士協会のリカルドの研究室にした。学校で行えば、依怙贔屓だという生徒が出るかもしれないと考えたからだ。
ミケリノ王子は興味深そうにリカルドの研究室を見回した。綺麗に整頓されているとは言えない部屋だ。作りかけの魔術回路や何かの部品が中央にある作業台の上に散乱している。
「リカルド先生は、ここで何を研究されているのですか?」
「そうですねぇ。最近では新しい魔砲杖や便利な道具みたいなものが多いかな」
王子が腑に落ちないという顔をする。
「魔砲杖は分かりますが、便利な道具というのは何でしょう?」
「今開発しているのは、製材所で使う魔術動力ノコギリと洗濯機です」
リカルドは鍛冶工房で作ってもらった丸いノコギリを見せた。この丸ノコを回転させて丸太を切断する魔術道具を開発していると説明する。
「なぜ、そんなものを開発しているのです?」
「今、この国では建物の補強や建て直しが急増しているのです。そのために必要な木材を加工するのに使う予定です」
異常気象による大雪に備え、王都や魔境の周辺地域では建設作業が急増している。当然、木材や他の建設資材も不足しているのだ。
リカルドが開発している魔術動力ノコギリは、必要な木材を確保するために開発しているものだった。
「そうなんですか。凄いですね。もう一つの洗濯機というのは何です?」
「名前の通り、洗濯をしてくれる魔術道具です」
「そんなものを開発する必要があるのですか?」
リカルドは苦笑いした。たぶん王子は洗濯などしたことがないだろう。寒い冬に冷たい水を使って洗濯することの辛さを想像することもできないはずだ。
リカルドは洗濯の大変さを丁寧に説明した。
「へえー、洗濯って大変なんだ。知らなかった」
ミケリノ王子は目を丸くして驚いている。洗濯など気にしたことがなかったのだ。
「洗濯で苦労しているのは、女性です。開発している洗濯機が完成すれば、女性の苦労が減るでしょう」
「凄いな。この魔術道具ができれば、洗濯しなくても良くなるんだ」
リカルドがちょっと困ったような顔をする。
「いや、洗濯という仕事の一部を洗濯機が肩代わりするだけです。洗濯物を干したりする作業は従来通り行なう必要があるんです。それに洗濯機を使うには専用の洗剤が必要です。完成には時間がかかると思っています」
王子はロマナス王国の魔導技術が進んでいることは承知していたが、その開発が民衆の生活に密接に関係しているものにまで及んでいることに驚いた。
ミシュラ大公国の魔導技術は、戦争や魔獣との戦いに使う魔術道具に限定されている。
「はあ、故国の魔導技術はまだまだなんだな」
その時、ドアをノックする音が響いた。
「誰だろう。どうぞ」
部屋に入ってきたのは、サムエレ将軍だった。
「将軍、どうしたんですか?」
「頼みがあって来た。リカルドのケイトラを貸してくれ」
「どこかに行くのですか?」
「キエザ領の魔境門に魔獣が集まっていると報告があった。急いで触媒と魔砲杖を届けねばならん」
旧アプラ領であるキエザ領近くの魔境で魔獣が活発化しているらしい。これもセラート予言が関係しているのかもしれない。
「分かりました。使ってください。……ん……ケイトラを運転できる者がいましたか?」
将軍が首を振り、リカルドに運転して欲しいと頼んだ。
緊急事態らしいので、リカルドは引き受けた。
「先生、私も連れて行ってください」
「触媒と魔砲杖を運ぶだけですよ」
「それでも構いません」
戦闘に参加するわけではないので、リカルドは承諾した。
1週間ほど正月休みです。
次回の投稿は来年1月12日(日曜)になります。
本年中はありがとうございました。
良いお年をお迎えください。




