scene:168 王都の乗り物
リリアナ王女たちを乗せた交易船は、無事に王都バイゼルへ到着。
「マッテオ、家に帰るんでしょ」
交易船から降りたエルナが声をかけた。
「そうだな。一緒に行こう」
エルナとバルビオが、マッテオの顔を見た。
「一緒に行っていいの?」
「当然だろ。俺たちは仲間なんだ」
マッテオたちはリリアナ王女やグラウルと別れ、ユニウス家に向かった。
ユニウス家の前まで来ると、末弟セルジュの姿が見えた。
「あっ、マッテオ兄ちゃんだ」
セルジュが駆け寄りマッテオに抱きついた。
「元気にしてたか?」
「僕は元気だよ。家族の皆もね」
「そうか、良かった」
マッテオが嬉しそうな顔をする。
「あのね、今ね、引っ越しなんだよ」
セルジュが教えてくれた。それによると、ユニウス家は商店街近くにある家から、副都街に新たに建設した屋敷に移ることになったらしい。
これはアントニオとリカルドが話し合って決めたことである。活動の中心が副都街に移ることになり、以前から屋敷の建設を進めていたようだ。
「それじゃあ、俺も手伝おう」
セルジュが首を振った。
「もうほとんど終わりだよ。リカルド兄ちゃんが凄いものを持ってきたんだ」
「凄いもの……何だろう?」
「待ってたら、もうすぐ来るよ」
何のことか分からずに、マッテオたちは家の中に入った。家の中はガランとしている。全ての荷物が運び出され、家具などもなくなっていた。
残っているのは、セルジュとモンタだけのようだ。
「あっ、可愛い。モンタちゃんだ」
エルナが駆け寄って、モンタの頭を撫でる。
「キュイ。何だ、エルナか」
前回、マッテオたちが家に来た時、エルナはモンタを気に入ったようだ。モンタが耳をピクピクさせると、エルナがとろけるような笑顔を見せる。
「モンタちゃん、可愛いい。食べちゃいたいくらい」
モンタがサッと身を引いた。
「モンタを食べちゃダメッ!」
「ごめん、ごめん。食べないから」
エルナは優しくモンタを抱き上げて頬ずりした。
マッテオは家の中を見て、セルジュといつも一緒にいるパメラがいないのに気づいた。
「パメラは?」
「お母さんと一緒に近所を回っている。僕は留守番なんだ」
「へえ、留守番か。偉いぞ」
その時、外でガタゴトッという変な音がした。その音を耳にしたセルジュが声を上げる。
「あっ、リカルド兄ちゃんが戻ってきた」
マッテオたちは外に出た。
通りの南側から変なものが近付いてくる。馬のいない馬車みたいなもので、後ろの方に煙突のようなものがある。
「あれは何だ?」
「ケイトラって、言うんだよ」
「あれは、どうやって動いているんだ?」
「火を焚く炉があって、その火の力で動かすって言ってた」
「火の力だって、不思議なものなんだな」
マッテオたちが交易船で王都に来たと聞いていたセルジュが、
「マッテオ兄ちゃんたちは、交易船で来たんでしょ。あの船と同じだって言ってたよ」
「そうだったんだ」
ケイトラが家の前に停まり、中からリカルドが降りてきた。
「マッテオ兄さんじゃないですか」
「おう、戻ってきたぞ」
「無事で良かった。心配していたんですよ」
「いろいろあって、トリドール共和国からミシュラ大公国へ行って、交易船で戻ってきたんだ」
「大変だったんじゃないですか。もう戦争が始まった、と聞きましたよ」
マッテオは簡単にミシュラ大公国の様子を説明した。
「ところで、これはケイトラというものだそうだが、リカルドが作ったのか?」
「アイデアは自分ですが、ほとんど魔導職人のヴィゴールさんが製作したようなものです」
ヴィゴールは自転車の開発をしていた魔導職人である。自転車の開発が終わり、新たな乗り物の研究をしていたのだが、リカルドは相談されて自動車のようなものが作れないかと思い提案した。
原理的には交易船に組み込んだ外輪式推進装置と同じである。三連魔術駆動フライホイールが生み出す回転エネルギーで後輪を回転させ前進させる。
形が軽トラックに似ていたので、『ケイトラ』と呼ぶようになった。助手席の後ろに魔力炉があり、荷台に乗って魔力炉に燃料である薪や石炭、木炭などを投入することになっている。
「凄いな。どれほどの人間を運べるのだ?」
バルビオがリカルドに質問した。
「そうですね。これは荷物を運ぶものなんですが、八人ほどは運べます」
「速さはどうなんだ?」
リカルドは馬車の三倍ほどの速度が出ることを説明した。
「そんなに速いのか!」
ケイトラの速さに、マッテオは驚いた。こんなものが、数十、数百と増えたら世の中が変わる、そう思ったのだ。
「セルジュ、母さんたちは?」
「まだ……あっ、戻ってきた」
母親のジュリアとパメラが戻ってきた。ジュリアはマッテオの顔を見ると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
リカルドが新しい家に行こう、と声を上げる。
「皆、ケイトラに乗ってくれ」
ジュリアとパメラは助手席に座り、セルジュとマッテオたちは荷台に乗る。
「うわっ、動き出した」
後ろの方でマッテオたちが騒いでいるのを聞きながら、リカルドは副都街へと走らせた。もう何往復かしているので、街の人々の反応は大きくない。
しかし、驚いた顔をしてケイトラに目を向ける人々は多い。
王都から出ると道が悪くなったのか、ガタガタという振動が激しくなった。
「凄いですね。この街全体がリカルドさんの持ち物なんでしょ」
エルナが感嘆の声を上げる。
正確には何人かの商人の土地が入っているのだが九割以上がリカルドの土地なのは間違いない。
副都街に入ると、振動が小さくなった。ケイトラは街の中心へと進み、大公園を一周する。大公園の池と水路には大量の水が流れており、植林した木々が育ち始めていた。
「この街は、どんどん変わるよな」
バルビオが荷台から声を上げる。セルジュは首を傾げた。
「何だ? セルジュはそう思わないのか?」
マッテオが尋ねた。
「新しい街が変わるのは普通だよ。どんどん人が多くなっているんだから」
「そうだな」
だが、この街の発展速度は早すぎる。数年前に四、五人で始まった飼育場が、人口数千人の街にまで発展したのは驚異的だった。
その開発には莫大な費用がかかっただろうと思われる。その資金を出したのが、リカルドなのだから凄いとしか言えない。
新しい屋敷に到着した。
「デカい屋敷だな。貴族でも住んでいるのかと思った」
マッテオが屋敷を見上げて声を上げる。
「本当に、貴族の屋敷みたい」
エルナが目をキラキラさせている。
副都街の大公園に面した一等地に建てた屋敷である。広い庭とリカルドの工房も付属する。貴族の屋敷と比べても遜色ないような立派なものだった。
屋敷の各部屋は一階部分だけは従来の小さな窓と鎧戸の組み合わせだが、二階の部屋は高価な板ガラスを多用したので、明るい部屋となっている。
ケイトラから降りたリカルドたちは屋敷に入った。
「お帰りなさいませ」
二人のメイドが挨拶をする。
「なになに、メイドまでいるの」
エルナが驚いている。
「仕方ないんです。これだけの屋敷だと、使用人を雇わなければ掃除もできないんです」
リカルドが弁解するように言う。
「まあ、そうなんだろうけど……本当に貴族だな」
パメラがマッテオのところに寄ってきて口を挟む。
「アントニオ兄ちゃんは、貴族じゃないけど、司政官様だよ」
ガイウス王太子は、副都街を仕切る代表が必要だと判断し、アントニオかリカルドを代表に任命すると言い出した。一時は貴族としての爵位を与えようという話もあったのだが、リカルドが拒否した。
そこで新しい役職である司政官という地位を設けて、アントニオを任命した。
この司政官は男爵並みの格を持ち、次の司政官を指名する権限を持っていた。つまり半分世襲制ということになる。
リカルドが地主で、兄のアントニオが司政官という組み合わせで副都街を運営することになった。もちろん、二人だけで運営することなどできない。
街役場を造り、そこで働く職員を募集して人員を揃え少しずつ街としての機能を整え始めている。
リビングに集まったリカルドたちは、そこで話を始めた。
「ミシュラ大公国は、一旦トリドール共和国軍を押し返しました。ですけど、今は膠着状態になっているようです」
リカルドはサムエレ将軍から聞いた情報を、マッテオたちに伝えた。
「トリドール共和国は狂っているとしか思えません。ロマナス王国にも脅しの使者を送って寄越したようです」
「王太子殿下は、どうなさるつもりなんだ?」
マッテオが尋ねた。
「今回は厳しい対応を取ると言っておられました。たぶん共和国は叩きのめされることになるでしょう」
バルビオは信じられないという顔をしている。
「待ってくれ。共和国軍の兵力は半端じゃないんだ。予備兵力も加えると一〇万を超えると言われているんですよ」
「確かに兵力を比較すると、ロマナス王国軍が圧倒的に不利です。しかし、ロマナス王国の軍には、砲杖兵士部隊があります。上手く使えば敵軍に相当な打撃を与えることができます」
バルビオはなるほどと頷いた。
「そうか。そう言えば、あのケイトラを軍も使うのか?」
「あれは完成したばかりで、二台しかないものなんです」
動力部を作ったリカルドと、それ以外を作ったヴィゴールだけが所有している。そろそろ王太子の耳に入る頃なので、呼び出しが来るかもしれない。
その翌々日、王太子からの呼び出しが来た。
城の執務室で会うなり、ガイウス王太子が大声を上げた。
「リカルド、あんなものを隠しておったとは何事だ」
「何のことでございますか?」
「あのケイトラと呼んでいるものだ」
「隠していたわけではございません。交易船の動力部分を馬車に載せたようなものです。少し考えれば思いつくようなものです」
「そう言えば、二輪の乗り物を作ったことがあったな。あれを四輪にしたという方が正解に近いのかな」
リカルドは肯定した。
ガイウス王太子は、ケイトラを大量に生産し馬車の代わりに走らせれば、どれほど世の中が変わるか考えると胸が高鳴ると言う。
「それには道の整備をしなければならないでしょう」
「道の整備だと、王都の道はよく整備されている方だと思うが」
リカルドが首を振った。
「いえ、道幅が狭い場所が多いので、ケイトラを入れられない道もあります。道路整備は時間がかかるでしょう」
王太子が納得するように頷いた。




