scene:154 ガイウス王太子の視察
ガイウス王太子は忙しい公務の合間を縫って王家の直轄地を視察して廻っていた。最初は制圧したばかりのアプラ領。ここはまだ混乱の中にあった。
領都ブレルに住民が戻り始めていたが、住民の多くはブレル城を占拠した王家の兵士たちに恐恐と接していた。
アプラ侯爵が死に、その一族が王都で処刑されたという話を聞いたからだろう。
王太子は、すでにアプラ領を封鎖する命令を解除していた。商人の出入りも始まっており、数ヶ月もすれば元の状態に戻るだろう。
「建物の被害が少なかったせいか、復興するのは早そうだ」
王太子が状況を判断して、部下の文官に告げた。この文官はアプラ領に新しく配属される文官のトップとなる人材だった。
「問題は、魔境門の警備体制をどうするかだと思います」
「元アプラ領の兵士が引き続き行っているはずだが?」
「彼らに支払う給金や待遇、身分などを決めなくてはいけません」
「そうだな。面倒なことだ」
王太子は溜息を吐き、文官と細かい打ち合わせを始めた。
アプラ領の視察を二日で終わらせた王太子は、大急ぎでヨグル領へ向かった。ここでは魔境門を視察する予定だ。この領地にある三つの魔境門は、防壁の厚みを増す工事を始めている。
セラート予言の最終年に魔獣が魔境の外へ溢れ出さないように防壁の強化をしているのだ。
魔境門を守っている魔境門衛隊も武装や防具を強化していた。
黒震槍と魔功銃を装備した兵士、魔砲杖を装備した兵士を増やそうと思っていた。リカルドを頼ることになる。まだ若いリカルドに負担をかけることは心苦しいが、非常時である。
そうなると、妖樹タミエルの飼育に成功するかが重要になってくる。
「リカルドには、飼育場所だけでなく人材も与える必要があるな」
王太子は妖樹タミエルの飼育のために用意したガブス渓谷を警備するために必要な人数を、検討させることにした。
妖樹タミエルの飼育事業は、国家的事業の一つとなるかもしれない。ただ妖樹の飼育方法を知っているのは、リカルドと飼育場の者だけだ。
当座の間は、彼らに任せるしかない。だが、五十年後、百年後には国が管理するようにならねば、と王太子は考えた。
妖樹タミエルが危険な存在であるからだ。その飼育を任せる者には、何らかの特別な資格を与え管理するのがいいかもしれない。
魔境門衛隊の兵士には、実をつけた妖樹タミエルを発見したら実を持ち帰るように命じている。現在までに集めた妖樹タミエルの種子は五十三個。
この五十三個の種子が妖樹タミエルとなり、魔功蔦を収穫できるようになるには年単位の時間が必要だろう。
ヨグル領の視察が終わり、王太子はミル領に向かった。ミル領の魔境門がどうなっているか、調べるためである。
魔境門は、防壁が崩され扉が失くなっていた。無残な姿である。このまま放置すれば、魔獣がミル領に溢れかえるだろう。
王太子は三チームの偵察隊を破壊された魔境門の奥へ派遣した。
二チームだけが帰還した。
「報告しろ」
北西に向かった偵察隊は、発見した魔獣や魔境の様子を調べ上げ報告した。北東に向かった偵察隊は、途中で猪頭鬼の群れと遭遇し撤退したらしい。
「あっ、誰かが来ます」
北に向かった偵察隊の一人だけが戻ってきた。その兵士も全身から血を流している。王太子は急いで手当させた。
手当が終わり報告できるようになると、事情を聞いた。偵察隊は魔境門から北へ一時間ほど歩いた地点に、肉食甲虫の繁殖地を発見したという。
肉食甲虫は体長九十センチほどの巨大なカミキリムシである。黒い外殻に白い水玉模様がある。肉食甲虫の外殻は鋼鉄のように固く、魔術か黒震槍でなければダメージを与えられなかったそうだ。
「肉食甲虫の数が、二百を超えていたと思われます」
王太子の怖い顔が凄味を増し夜叉のような顔に変化していた。
一人だけ帰った兵士に対して怒っているわけではない。不用意に偵察隊を出し犠牲者を出した自分の判断を悔いていたのだ。
報告を聞いた王太子は、負傷している兵士に休むように命じた。
「王太子殿下、もう一度偵察隊を出しますか?」
近衛兵の隊長ジェラルドが声をかけた。
「無闇に兵を失うような真似はできん」
「しかし、何か対策を立てるためには、もう少し情報が必要なのではありませんか?」
「そうだな。だが、今回は視察である。十分な準備をしてからの話だ」
壊れた魔境門を修復しようと考えている王太子にとって、その近くに肉食甲虫の繁殖地があるのは問題だった。もし修復作業中に肉食甲虫どもが襲ってくるような事態になれば、多くの犠牲者が出るだろう。
王太子は引き返す決断をした。
「まずはミル領にいる魔獣の数を減らさねばならん。だが、アプラ領の問題もある。魔獣討伐軍は冬をすぎた頃だな」
王太子の頬に冷たいものが触れた。上を見上げると、白いものが降ってくる。
「雪か。今年の雪も多いのだろうか」
その呟きが聞こえたジェラルドは、昨年の冬を思い出した。例年にない大雪で交通に支障が出たことがあった。だが、ジェラルドは心配していない。
問題が出るようなら王太子が解決すると思っていたからだ。
王都に戻った王太子は、王都の地下道を調べた資料を持ってこさせた。この資料は、リカルドが地下道に興味を持ったようなので作らせたものだ。
王太子は地下道の出入り口に注目した。出入り口は十二ヶ所、そのまま残っているのは三ヶ所だけで、後は出入り口の上に家が建っている。
王太子は、それらの家を買い取るように命じた。家の持ち主である王都民は承知した。権力者である王太子の命には逆らえないということもあるが、王太子が十分な対価を用意したからだ。
それらの家は取り壊され、地下道への入り口として復活した。
地下道は同じ広さのトンネルが続いているわけではなく、ところどころに広い空間があった。幅二〇メートル、長さ三〇メートルほどの広い空間で、石材で補強されている。
地下道は、王太子の命令により徹底的に清掃された。そして、六ヶ所ある広い空間に食料や生活用品を保存することになった。
地上が雪に閉ざされても食料を確保できるようにという配慮である。
地下道には、リカルドが開発した魔光灯が設置された。新型魔光灯の大量注文を受けたナスペッティ財閥は、製作が追いつかないという嬉しい悲鳴を上げて、他の財閥を羨ましがらせた。
一方、ベルナルドのミラン財閥は、王都に備蓄する石炭の量を増やした。大雪が降った場合、ストーブの燃料が必要になると計算したのだ。
その備蓄場所も地下道の出入り口付近にした。万一地上を運ぶのが困難になった場合を考えてのことだ。
副都街では雪への対策は備蓄しかないと考えていた。
アントニオは、ベルナルドと相談し食料と燃料の量を一ヶ月分ほどと決め、ユニウス飼育場・ベルナルド飼育場・商店街の三ヶ所に分けて備蓄した。
リカルドは、自宅とユニウス料理館でも備蓄を増やした。
冬の季節が半分をすぎた頃。
雪が降り出した。セルジュとパメラは雪に気づいて大はしゃぎする。一方、モンタは身体を震わせストーブの近くに避難した。
「モンタ、見て見て、雪だよ。キレイ」
パメラは甲高い声を上げ、モンタを呼んだ。だが、モンタはストーブの前から離れようとしなかった。
近所の子供たちも外に出て大声を上げている。大喜びした子供たちも寒くなったようで、家の中に戻る。セルジュとパメラも頬を真っ赤にして戻ってきた。
パメラがモンタが寝転んでいる椅子の近くに来た。
「モンタも外で遊べば、楽しいのに」
「楽しくないもん。モンタは雪が嫌い」
昨年雪が積もった時、モンタが家から出ようとしたら、屋根に積もった雪がモンタの上に落ち生き埋めになった。セルジュが掘り出してくれたので助かったが、その時から雪が嫌いになったようだ。
「アナベラ姉さん、お腹空いた」
パメラは子守り兼家政婦として働いているアナベラに空腹を訴えた。今年の冬に十五歳になったアナベラは、リカルドの家で働き始めていた。
「夕食は、まだ後よ」
「でも、お腹空いた」「僕も」
セルジュとパメラは目をキラキラさせて、アナベラを見た。
「仕方ないわね」
アナベラはストーブの上に鉄製のトレイのようなものを置いた。それはリカルドが鉄板代わりにしているもので、ちょっとした料理に使える。
鉄板が熱くなったら油を塗って、小麦粉とトウモロコシの粉、塩、少量のバターと水を混ぜたものを鉄板の上で焼く。焼き上がったら、蜂蜜を少し垂らして、セルジュとパメラの前に置いた。
トルティーヤに似た食べ物から、ふわっとバターの香りが広がった。セルジュとパメラが笑顔になる。
二人が美味しそうに食べ始めた。
アナベラは王都でも珍しいガラス窓から外を見た。雪の降り方が激しくなっているようだ。
「明日は積もるかもしれないね」
「そしたら、モンタの人形を作ってあげる」
パメラの申し出に、モンタは喜ばなかった。
「寒そうだから、いやっ」
雪に関係するものは何でもダメらしい。
リカルドが帰宅した頃には、少し雪が積もっていた。家には家族全員が揃っており、アナベラも一緒に夕食の支度をしていた。
「外は足首まで雪が積もっていたよ。もしかすると、去年より積もるかもしれない」
アナベラの顔色が変わった。
「どうかしたのか?」
アントニオが尋ねた。
「去年の雪で、家の柱にヒビが入ったんです。応急修理はしたんだけど……」
「ちょっと心配だな。アナベラの家には小さな妹がいるんだよね。この家に避難した方がいい。夕食が済んだら、家族を迎えに行きなさい」
アナベラがホッとしたような顔をした。
夕食が終わり、アナベラが家族を連れてきた。セルジュと同じ歳くらいの妹と両親である。
「あのぉ、話はアナベラから聞いたんですが、本当に家がどうにかなるほど、雪が積もりそうなんですか?」
アナベラの父親が確認した。
「このまま降り積もれば、危険だと思うんです。小さな子供もいるようだし、今晩はここに泊まって、明日家が無事だったら、補強する方法を考えたらいい」
リカルドが提案すると、アナベラの両親たちは頷いた。
「ありがとうございます」
ジュリアがユニウス料理館で働いている母親に、食事は済んだのか確かめた。
「まだなんです」
「アナベラ、料理はまだ残っていたでしょ。あなたの家族にも食べさせてあげて」
「ありがとうございます」
リカルドは外に出て、どれほど雪が積もっているか調べた。すでに三十センチほど積もっている。王太子が雪に備えて家を補強するように通達していたが、補強を済ませた家は少なかった。
理由はセラート予言を信じている者が少ないせいだ。
しんしんと降り積もる雪は、当分やみそうにない。リカルドはしっかりと戸締まりをして、ダイニングルームに戻った。ストーブの前でリカルドの家族とアナベラの家族が話をしていた。
セルジュは、パメラとアナベラの妹に童話を読んであげていた。平和な光景である。
静かな時がすぎ、リカルドの家族はそれぞれの部屋に戻り布団に潜り込んだ。アナベラの家族は予備の布団を使ってダイニングルームで眠ることになった。
夜半すぎに、ドンという音が静かな夜に響いた。リカルドは起き上がり部屋の外に出る。階段のところに人影。
「兄さんも目が覚めたんですか?」
「ああ、何が起きたのか気になった」
リカルドは携帯魔光灯を取り出し外に出た。西の方角から騒ぐ声が聞こえる。リカルドはアントニオへ視線を向け、
「確かめに行ってきます」
「待て、俺も行くよ」
二人は声のする方へ向かった。雪は五十センチほど積もっている。
歩き難い雪の中を進み、騒いでいる場所まで来た。目の前の家が潰れていた。雪の重みに耐えかねて、屋根が落ちたらしい。
「中の人は助け出したのか?」
アントニオが訊いた。騒いでいる人々は首を振った。
「ここはアナベラの家じゃないよな?」
「違います。きっと中に人がいます」
リカルドたちは潰れた家の中を探し、四人の家族を助け出した。怪我はしていたが、命に別状はないようだ。近所の人たちが、怪我をした家族を神殿の治療院へ運んでいった。
その日、十数軒の家が潰れた。中の一軒はアナベラの家である。




