scene:153 モンタの飛行船
「ふうっ、こんな魔獣と接近戦をするもんじゃないがね」
パトリックは倒れたホーン白虎を見つめながら呟いた。
「こいつは異常に強い魔力を発していた。特別な魔獣に違いない」
リカルドは、ホーン白虎の死骸を調べた。その白い毛皮は特別なものだと分かった。死んでさえ魔力に溢れている。
「この毛皮に特別な力があるのか。それとも……」
リカルドは白い角を握った。その手に凄まじい魔力の脈動を感じた。その魔力は意思を持っているかのように、リカルドへ襲いかかる。
ホーン白虎の魔力は、リカルドの身体を乗っ取るような勢いで流れ込んできた。その魔力を押し止めるために魔力制御を総動員する。
「うぐっ」
リカルドが苦しそうに呻いたので、パトリックが心配そうに駆け寄り、リカルドの身体に触れようとした。
「触るな!」
怒鳴り声を上げるリカルドに、パトリックがハッと手を止め目を丸くする。
「自分で何とかする。だから、触らないで」
「わ、分かったがね」
パトリックは黙って見守ることにしたようだ。その間にも、ホーン白虎の魔力がリカルドの身体を侵していく。魔力が強くなるのを感じながら耐え続ける。
そして、ホーン白虎の魔力が最高レベルに達した時、リカルドは反撃を開始した。己の魔力制御を高め、ホーン白虎の魔力を制御下に置こうと意思を強める。
「おい、大丈夫きゃ」
「リカ、大丈夫?」
パトリックとモンタが、心配そうに見守っている。
リカルドは体内からホーン白虎の魔力を押し返し、逆に白い角に自分の魔力を流し込む。ぎりぎりの攻防が続き、次第に白い角の勢いが弱くなり、リカルドの魔力制御が制圧した。
「はあっ、終わった」
「説明してくれ。何が起こったんだがね?」
パトリックがわけ分からないという顔をしている。
「その白い角の中に、ホーン白虎の二つ目の脳が入っていたんです」
「よく分からんがね」
「そうですね。七頭竜という魔獣を知っていますか?」
「ああ、頭が七つの竜やろ。魔術士協会の資料で見たことがあるがね」
「その竜と同じで、ホーン白虎は二つの頭を持っていたんです。その一つが角の中にあったんですよ」
「でも、心臓を槍が貫いとったがね」
「それでも、完全に死んだわけじゃなかったんです。手足は動けなくなったんですが、魔力と精神は生きていたみたいです」
「今は?」
パトリックが確認した。
「今は大丈夫です」
今度こそ、完全に死んでいた。
リカルドたちはホーン白虎を解体した。皮と角を剥ぎ取り、肉は捨てた。虎の肉がうまいという話を聞いたことがなかったからだ。
ちなみに虎の各部位は漢方薬としては珍重されたようだ。だが、この世界で漢方薬という薬は存在しない。
「疲れました。帰りましょう」
リカルドたちは王都に向けて出発した。
王都に戻ったリカルドは、高跳びフロッグの肉を売り払った。その代金は全額パトリックへ渡した。その代わりに、ホーン白虎の角をもらう。
ホーン白虎の毛皮は、王太子に売った。ミシュラ大公国リリアナ王女への贈り物にするらしい。
その代金はリカルドとパトリックで山分けする。
リカルドは高跳びフロッグの皮を鞣した。硬化処理を施さない革は、ゴムのように弾力のある革になった。その革を使って、飛行船の模型を作る。
革を張り合わせるのに、特殊な接着剤を使う。固まってもゴムのように伸びる接着剤である。高跳びフロッグの革もゴム風船のように伸びるので、この接着剤が最適だと判断した。
飛行船の模型には、モンタなら乗れるゴンドラを吊るした。簡単な操縦装置として、方向舵も設置。動力は超小型の風を作り出す魔術道具である。
浮力は、注入するヘリウムガスの量で調整する。この模型を作るだけで、十日かかった。
実験飛行の日、魔術士協会の訓練場には、リカルドとモンタ、パトリック、イサルコ、グレタが集まった。
リカルドが飛行船の模型にヘリウムガスを注入する。高跳びフロッグの革で作った船体が膨らみ始める。飛行船がふわりと浮いた。
「おおっ、本当に浮いたがね」
「うわーっ、凄いです」
パトリックとグレタは驚きの声を上げた。イサルコは目を見開き声も出ない様子だ。モンタだけが目をキラキラと輝かせて、そわそわしている。
「リカ、乗ってもいい?」
「いいですよ」
モンタが飛行船の下部に吊り下げられているゴンドラに乗った。リカルドは飛行船の制御をモンタに渡す。モンタは飛行船を高度七メートルまで上昇させ、推進装置を起動した。
飛行船が動き出す。しばらく直進する。モンタがご機嫌な様子でいるのが分かった。だが、モンタが急に慌てだす。
「何か様子がおかしいです」
グレタが心配そうに飛行船を見上げていた。
飛行船の高度が落ちてきた。訓練場の端に着地する。リカルドたちは、飛行船まで走った。
「どうした、モンタ?」
「これ、ダメ。全然曲がらない」
どうやら方向舵が効かなかったようだ。残念ながら飛行実験は失敗だった。
リカルドは、なぜ方向舵が効かなかったか調査した。何度か実験して、方向舵が小さすぎたらしいと判明。飛行船の模型を改良し、もう一度飛行実験を行って成功した。
模型の飛行実験に成功したリカルドは、王太子に知らせた。本格的な人が乗れるようなものを作るには、国の援助が必要になるからだ。
王太子はリカルドを城に召喚した。リカルドはモンタと一緒にバイゼル城へ向かう。城門に案内役が来たので、一緒に訓練場の方へ歩きだす。
途中、セルジオ王子とすれ違う。王子はリカルドの肩に乗っているモンタを見て、あの時の賢獣だと気づいた。
王子はリカルドたちを追いかけた。
「ちょっと待て、そちは何者だ?」
リカルドはセルジオ王子と面識はなかった。だが、身なりや様子から王族ではないかと推測する。
「王太子殿下に呼ばれました。魔術士協会の魔術士です」
「その賢獣は、そちのものか?」
リカルドは不思議に思った。王族らしい人物が、モンタを賢獣だと知っていたからだ。王太子に聞いたのだろうか。
「そうでございます」
リカルドは自己紹介した。その時初めて、相手がセルジオ王子だと知る。
「兄上に呼ばれたと言っておったが、重大な用件なのか。それだったら、引き止めてすまない」
「いえ、それほど重要なものではありません。新しく開発したものをお見せするだけです」
その言葉を聞いて、セルジオ王子の好奇心が騒いだ。
「一緒に行ってもいいか?」
「構いませんが、見学の許可は王太子殿下から取ってもらえませんか」
セルジオ王子は承知した。
訓練場に着き少し待っていると、王太子が現れた。
「ん、セルジオも一緒なのか」
「王太子殿下、一緒に見学しても構いませんか?」
王太子がリカルドの方を見た。リカルドは少しだけ頭を下げ、自分は構わないという意思を示した。
「いいだろう。勉強すると良い」
「ありがとうございます」
リカルドは飛行船の模型を収納碧晶から取り出した。そして、この飛行船が高跳びフロッグの革で出来ていることを説明する。
セルジオ王子は、これから何が始まるのか分からずに黙って見ていた。魔獣の革で作られていると説明されたものが、リカルドが何か操作すると膨らんだ。
「この金属缶は、ヘリウム放出装置です。ヘリウムとは空気よりも軽いガスでございます」
魔獣の革が膨らむに従い、飛行船が浮き上がる。
「ふむ。浮き上がったな」
王太子が感心したように声を上げた。セルジオ王子は、びっくりして目を丸くする。
モンタが駆け寄って、飛行船のゴンドラに乗った。
「モンタ、訓練場から出ないように回ってくれるかい」
「任せて」
モンタは飛行船を操り上昇を開始した。一〇メートルほどの高度に達すると、進み始める。モンタは飛行船を操縦し訓練場の上空を旋回する。
王太子は飛行船をジッと見つめてから、リカルドに確かめた。
「あれは、人間を乗せられるほど大きくできるのか?」
「可能です。しかし、大きな物になるので、製造する場所がありません」
王太子は王家で用意すると告げた。
「何に使われるのですか?」
リカルドが気になったことを尋ねた。戦争に使おうと考えているのなら、作ったことを後悔するかもしれない。
「新しい船のおかげで、海岸付近の領地との連絡が早くなった。しかし、内陸部の領地とは、以前のままだ。何とかしようと考えておったのだ」
リカルドは王太子がやろうとしていることを理解した。もう一歩進めれば、郵便事業という発想が生まれるだろう。リカルドは王太子に郵便事業や郵便局という考えを伝えた。
「面白い。だが、どこの家でも郵便を受け取れるというのは、無理がある」
「なぜでございます?」
「我が国の臣民全員が、文字を読めるわけではないからだ」
リカルドは、この国の識字率を思い出した。リカルドの知り合いは、ほとんど読み書きができるのだが、国民全体の識字率は二割ほど。人々の多くが農民であり、農民はほとんど読み書きができなかった。
文字を読めない人に手紙を送っても、どうしようもない。
「識字率を上げる政策は、行えないのでしょうか?」
「なぜ、識字率を気にする。貴族の中には、領民に読み書きを教える必要はないと断言する者もいると聞くぞ」
リカルドは少し考えてから答えた。
「国力の一つに人口があります。ですが、人数だけでは国力を正確に表せないと思うのです」
セルジオ王子が、不思議そうな顔でリカルドを見た。
「国力とは、軍事・経済・技術・人口を総合的に評価したものだと、師より習った。違うのか?」
リカルドは、セルジオ王子が突然会話に参加してきたので驚いた。
「国力における人口は、人数と質だと考えています。読み書きできない領民千人の領地と読み書きできる領民千人の領地では、どちらが栄えると思われますか?」
「そ、それは、後者だと思う」
「ですから、識字率は重要なのです」
リカルドには驚かされる、と王太子は考えていた。年下の少年なのだが、時に長命な賢者のような態度を取ることがある。
「セラート予言を無事に生き延びたら、考えよう。それまでは、郵便局と言ったか、そこに登録した者だけを相手に郵便事業を行ったらどうだ」
王太子は、各領地の領都に郵便局を開設し、手紙や荷物の配達を行う事業を考えたようだ。同じような事業として、飛脚の存在がある。しかし、手紙が届かなかったり、何ヶ月も遅れたりすることがあるらしい。
モンタが戻ってきた。鮮やかな手並みで着陸して、リカルドの身体を駆け上る。
「偉かったぞ」
リカルドがモンタを撫でながら褒める。モンタは嬉しそうに鳴き声を上げ、リカルドにショルダーバッグを出すように求めた。一休みするつもりのようだ。
モンタはショルダーバッグに入り、寛ぎ始める。
「相変わらず、モンタは自由ですね」
強面の王太子の前でも、気兼ねなく寛ぐモンタを見て、羨ましそうにリカルドが声を上げた。王太子は苦笑いする。
王太子とセルジオ王子は、飛行船の模型を満足するまで調べ、リカルドと一緒に王城の応接室へ向かった。
用意された紅茶を飲みながら、リカルドはミル領の様子を語った。
「魔獣の数が多いか。ミル領魔獣討伐軍が目的を達成しておれば、もっとマシな状況になっていたのだが」
「もう一度、ミル領魔獣討伐軍を編成することは、無理なのでしょうか?」
リカルドが王太子に確認した。
「アプラ領制圧部隊を編成したばかりである。すぐには無理だ。来年になるだろう」
予想した答えが返ってきたので、リカルドは頷いた。
「飛行船については、どう進めましょうか?」
「曙光技師団と相談して開発を進めよ。郵便事業に関しては、詳細を詰める必要がありそうだ。部下に検討させよう」
リカルドはホーン白虎の革について、思い出した。
「そういえば、ホーン白虎の革をリリアナ王女殿下へ贈られたそうですが、喜ばれましたか?」
王太子の目が泳いだ。リカルドは、そんな反応を見せた王太子を初めて見た。
「ああ、気に入ったという返事の手紙が来た」
リカルドは、王太子にも春が来たのかと喜んだ。だが、王太子の場合、油断できないと失礼なことを考えていた。




