scene:149 アルフレード男爵と国王
アルフレード男爵の屋敷に到着した二人の警護兵は、中に招き入れられ男爵と相対した。
「陛下からの使いか?」
「賢者の秘薬を、男爵に渡すようにと預かっております」
「寄越せ」
男爵が横柄な態度で手を差し出す。
警護兵の一人がガラス瓶に入れられた秘薬を差し出した。その指が微かに震えている。男爵は引ったくるようにガラス瓶を奪い、コルク栓を引き抜くと一気に飲んだ。
「これでいい。お前らは帰れ」
警護兵を追い払うように返すと、男爵は寝室に向かった。
少し前より気分が良くなった気がする。秘薬が効き始めたに違いない。男爵は安心して眠りに就いた。
翌朝、男爵は身体が軽くなっているのを感じて喜んだ。
「危うく死ぬところだった。アプラ侯爵め、息の根を止めてやる」
熱も下がり、午後からは食欲も出た男爵だったが、立ち上がって仕事の手紙を書いているうちに熱が上がり始めた。
「いかん、まだ動き出すのは早かったか」
すぐに横になり安静にして過ごす。しかし、次の日は秘薬を飲む前と同じような具合となっていた。
「なぜだ。秘薬が効かなかったのか」
神殿から助祭が呼ばれ、治療が始まる。男爵が秘薬を飲んだことを知らされていた助祭は、なぜ秘薬が効かないのかと疑問が浮かんだ。
神殿に隔離されていたペルーダ病患者は、秘薬を飲んで完治したからだ。
「何が違うのだ?」
治療している助祭は、秘薬が効かなかった理由が分からない。秘薬が効かなかった以上、対症療法を行うしかなかった。
懸命に治療を行ったのだが、男爵は日に日に衰弱していく。
男爵が王都に戻ってから五日後、男爵の訃報がアルチバルド王の下に届いた。
「何だと……男爵が……」
政治的に一番信頼していた男を失ったショックで、国王は仕事をする気力を失うほどだった。元気のない日が二、三日続いた頃、とんでもない報告が上がる。
男爵に賢者の秘薬を届けた警護兵が、秘薬の半分を盗み飲んで水を足して渡したというのだ。フェルモ司祭から男爵のペルーダ病が感染した恐れがあると伝えられた警護兵は、秘薬があれば助かると考え半分だけ飲んだらしい。
男爵が死んだと知った警護兵は、自分の罪に恐れ慄き様子がおかしくなっていた。それに気付いた上司が、問い詰め白状させたという。
「あ、あの時の警護兵か。余が命じたことだ。そ、それが男爵の……」
その時期からアルチバルド王は、すべての気力を失くしたようだ。黙したまま考え込む日々が続き、季節が秋から冬に変わる頃、王太子を王都に戻し王位を譲ることを考え始めた。
そのことが噂として広まり、それを耳にしたアウレリオ王子が国王の執務室を訪れた。
「陛下、時間を頂けないでしょうか」
毒気が抜け柔和になった国王が、
「よいぞ。何用かな」
「譲位の件でございます」
国王が息子の顔に視線を向けた。
「アウレリオは、余がガイウスに王座を譲ることが不満なのか?」
「そうではありませんが、早すぎます。まだまだ陛下は、お元気ではありませんか」
「いや、このままでは愚王という評価が歴史に残ることになる。ガイウスに譲ることで最後を飾りたい」
アウレリオが悔しそうな顔をする。
「自分が国王に相応しいと思っていたか?」
「そうは言っておりません。ですが、相応しい男になる意欲は、あるつもりでございます」
国王が溜息を吐いた。
「アウレリオよ。国王の務めは案外つまらぬものかもしれんぞ」
アウレリオ王子が首を傾げた。
「どういう意味でございますか。国の舵取りをすることが、つまらぬはずがないと思うのですが」
「それは国王の仕事がどういうものか、知らぬから言えるのだ。一日のうち七割が書類の決裁で、残りが会議だ。訓練場を駆け回るのが好きなそなたに、耐えられるのか?」
「それが必要なら耐えられます」
「そうだな。余も耐えた。だが、ガイウスはそれを楽しめるのだ」
アウレリオ王子が理解できないという顔をする。
「楽しむ?」
「書類仕事の中に、国の将来を描き、どうすれば国が良くなるか思いを巡らす。それが楽しいとガイウスが言ったことがある」
「ど、努力します」
国王は溜息を吐いてから、一枚の書類を取り出した。
ルリセスの南部にある町の小麦収穫量を記述した報告書である。
「これを読んで、何が分かる?」
「小麦の収穫量でございますか……分かるのは、収穫量だけのようですが」
その答えを聞いた国王が頷いた。
「余が、そなたほどの年の頃、同じ問いを先代国王から出された。余の答えも、そちと同じであった」
「ガイウス殿下にも、問いを出されたのですか?」
「お前と同じ年の頃に尋ねた」
アウレリオ王子が真剣な顔で、ガイウスが何と答えたか確かめた。
「収穫量を読んで、例年より少ないと言い、その原因は黒節病だと言い当てた」
「そ、それは配下の者に調べさせただけではないですか」
「そうだ。各地の農作物について生育状況を調べさせておっただけだ。だが、考えてみよ。誰からの指示もないのに、調べさせておったのだぞ。自分で考え判断し行動に移す。それができてこそ王の器と呼べるのではないか」
アルチバルド王も先王にそう言われ、苦い思いをした経験があった。
アウレリオ王子は、悔しそうに唇を噛んだ。
「陛下は、ガイウス殿下を嫌っていたのではないのですか?」
「余よりも王に相応しい、と認めるだけの度量が、余になかったのだ」
何か憑き物が落ちたかのように、国王の様子が変わっていた。こうなると、アウレリオ王子の野望も難しくなる。
ガイウス王太子が王都に帰還することは止められないようだ。すぐに譲位が行われるとは思えないが、政治の実権は王太子に移るだろう。
アウレリオ王子は執務室を出て、王城にある部屋に向かった。
その部屋はアウレリオ王子の配下が詰め所として使っている部屋で、魔術士のサルヴァートもいる。
「殿下、あの噂は本当だったのですか?」
「ああ、陛下は王太子を王都に戻し国政を預けるだろう」
「この部隊は、解散させられるのでしょうか?」
「いや、兄上なら解散させるより、利用することを考えると思う」
「ならば、アウレリオ殿下が功績を上げ、王太子殿下に有能さを認めさせれば良いではありませんか」
「兄上の下で国に尽くせと言うのか」
「陛下の下で、国に尽くすことと同じです」
アウレリオ王子は強く首を振り否定した。
「違う。それでは国王になれん」
「殿下にとって、国王とはどんな存在なのです?」
「国を導く者だ」
「ならば、この国を殿下はどういう国にしたいのですか?」
「えっ。それは……素晴らしい国だ」
サルヴァートは、アウレリオ王子を有能な人物だと思っている。しかし、王に向いているとは思っていなかった。軍事関係は優秀だが、内政に必要な知識も才能も見出せなかったからだ。
アウレリオ王子は、サルヴァートの表情を見て満足させる答えではなかったと悟った。
「サルヴァートの言いたいことは分かった。まだまだ未熟だと言いたいのだな」
「殿下は賢い方だと思っております。これから成長なされば良いのです」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
リカルドは王太子からの依頼で、冷蔵収納碧晶の製作を行っていた。
神珍樹の林で、その実を回収した結果、王太子とリカルドは大量の碧玉樹実晶と紫玉樹実晶を収穫していた。その数は碧玉樹実晶が四十二個、紫玉樹実晶が二百十六個。
その三割はリカルドの取り分だと王太子から言われているので、これらを収納碧晶や収納紫晶に仕上げたら、凄まじい額の利益となるだろう。
といっても、海岸沿いの副都街やガブス渓谷の開発資金として消えてしまうだろう。ただ問題なのは、その数だ。碧玉樹実晶は何とかなるにしても、紫玉樹実晶の二百十六個というのは多すぎる。
(誰かに収納紫晶の作り方を教え手伝わせるか……でも、そうすると製造ノウハウが漏れる恐れが出てくる。……そうだ、ノウハウ部分を補助する機能を組み込んだ魔術道具を作って、ロブソンやニコラたちに手伝わせられないか)
そのアイデアをリカルドは気に入った。紫玉樹実晶が収納紫晶になると世間に知れ渡った頃から、収納紫晶の製作依頼が殺到し、依頼を断ることも多くなっていた。
今回の王太子からの依頼は、期限を切られていないので引き受けたのだが、将来的にも何とかしなければと思っていた。
永遠にリカルドしか収納紫晶を作れないという状況はまずい。
とりあえず、優先順位が高いと言われていた冷蔵収納碧晶の三個だけを仕上げ王太子に送った後、収納紫晶加工ツールの設計を始めた。
収納紫晶を加工する時のコツは、魔力を圧縮し針のように細くしたもので紫玉樹実晶の異空点を刺し魔力を送り込むことである。
検討した結果、魔力を圧縮し針のような形状にする魔力制御サポート装置を作ればいいと分かった。意外なほど単純な構造になると分かり、製作に取り掛かった。
リカルドは三日で、装置を作り上げた。名称は、魔力制御サポート装置とすると中身の仕組みを推測されそうなので、収納紫晶加工装置とした。
装置の形状は、ドリルなどの切削工具を回転させ、材料に押し下げることで穴を開けるボール盤と呼ばれる工具に似ていた。
試してみると、紫玉樹実晶を装置に固定し魔力を流し込むだけで収納紫晶が魔操刻できると分かった。それだけではなく、収納紫晶の魔操刻が成功する確率は二十五パーセントだったのだが、この装置を使えば四十パーセントにまで上がることが分かった。
紫玉樹実晶をしっかり固定し、装置により魔力を圧縮させることで成功率が上がったようだ。
その装置を飼育場に持ち込み、ロブソンやニコラに試させた。
「これを使えば、収納紫晶が作れるんですか?」
ロブソンが収納紫晶加工装置を見ながら言った。
「それを確かめたいんです。試してみてくれないか」
ロブソンは、リカルドから使い方を教えられながら収納紫晶加工装置を使ってみた。紫玉樹実晶を万力のような固定具にセットし、ハンドルを右手で握りレバーを左手に握る。
スイッチを入れハンドルに魔力を流し込んだ。魔力に対する制御がロブソンから収納紫晶加工装置に移り、魔力が圧縮され細い針のようになる。
「魔力針が形成されたのを感じたら、レバーを引いて」
リカルドの指示を受け、ロブソンがレバーを引く。魔力針が紫玉樹実晶に突き刺さった。この紫玉樹実晶は当たりではなかったようだ。
魔力針が軌道を逸れようとするが、それを収納紫晶加工装置の魔術回路が抑え異空点へと進める。魔力針が異空点へ到達し魔力の注入が始まった。
魔力が暴れ始め、魔術回路で抑えられなくなるぎりぎりで魔力の注入が停止した。
「成功ですか?」
ロブソンが確認した。リカルドは固定されている紫玉樹実晶を取り上げた。確認すると、収納紫晶となっている。
「ああ、成功です。しかし、冷蔵収納紫晶にはできないようです」
少しだけハズレの紫玉樹実晶を収納紫晶に加工可能となったが、魔力注入することで微かに歪み冷蔵の魔術回路を刻むことができなくなっていた。
ただの収納紫晶だが、それでも貴重なものだ。
ニコラも試してみた。一つ目は失敗したが、二つ目で成功した。これで誰でも紫玉樹実晶を魔操刻できることが証明された。
ちなみにロブソンとニコラの魔力量は、八十を超えている。リカルドに鍛えられたことと魔獣を積極的に狩ったことで、そこまで増えたのだ。
一般的な魔導職人は、魔獣を狩らないので魔力量が五十を超えることは少ない。
神珍樹の林が発見されたことと収納紫晶加工装置が完成したことで、収納紫晶の供給量が飛躍的に増えた。そのことで国外にまで、収納紫晶の存在が知れ渡り、様々な人が欲しがるようになる。
リカルドは収納紫晶加工装置を一〇個ほど作り、副都街に工房を開いた。ニコラとロブソンを中心に、魔力制御のできる人材を集め、運営することになった。
人材は魔術士協会の小僕たちや市井の魔術士見習いから集めた。魔術士協会の認定試験に落ち続けている魔術士見習いの中には魔力制御だけは及第点だという者もいるのだ。
それらの人材を集め、鍛え直すことで収納紫晶を作れるようにする。そのために若い人材を集めた。
リカルドが収納紫晶加工装置の開発や工房を開いている間に、王太子が王都に戻ることが決定した。但し、今回は王の代理として国務を行うのではなく、『副王』という地位を設け王太子を任命したのだ。
副王は王に代わって国主決裁を行う権限と責務を持つことになる。
以降、戦争などの重大な案件を除き、国の舵取りを王太子が担うことになった。
王太子は王都に帰ると、アプラ領へ制圧部隊を送ることを決定した。戦争案件になるので、国王の認可ももらう必要がある。
「ペルーダ病の対策はあるのか?」
アルチバルド王は、当然ながらペルーダ病について確認した。
「二千人分の血清と呼ばれる特効薬を用意しました」
国王は驚いた。
「な、何だと……どこから手に入れた。賢者の秘薬とは別物なのか?」
王太子は魔境でペルーダを倒し、その血から血清を作ったと研究所の存在を隠して報告した。
「ふむ。それだけの量があれば、ペルーダ病を恐れる必要はなくなったということか。制圧部隊の出動を許可しよう」




