scene:134 グランデアントの巣穴
最後に残った猪頭鬼が地面に倒れた。こちらの魔術士に、怪我はないようだ。
「あいつら、猪頭鬼程度に手古摺るようじゃ、討伐局では使いものにならんがね」
パトリックが小声で言った。
「究錬局の研究者は、こんなものよ。戦うのが仕事じゃないんだから」
以前のタニアなら研究者を擁護しただろう。だが、自分も魔獣と戦うようになり、究錬局の研究者───いや、魔術士について考え直したようだ。
リカルドたちは馬車に戻り、旅を再開した。
「リカルドは、ブラキス盆地へ行くのよね」
「ええ、目的は黒い煌竜石です」
「黒い煌竜石なんて、何に使うんだがね?」
タニアは魔術盾について知っていたが、パトリックは知らなかった。リカルドは魔術盾について説明する。
「へえ、そんなもんを作ってたんきゃ」
「魔術攻撃に、かなり有効だと思って製作したんです」
リカルドが告げると、タニアが頷いた。
「実際に有効よ。ただ製作に必要な素材が高くて数を作れないの」
パトリックが首を傾げた。
「魔術盾がそんなに必要となる場合って?」
「戦争よ」
「だったら、魔術盾が普及しないほうがいいがね」
タニアが微笑んだ。
「でも、魔砲杖の数はきっと増えると思うの。その攻撃を防ぐには、魔術盾が必要になる」
「リカルドは、どう思ってるんきゃ?」
パトリックは、戦争に魔術盾が使われることをどう思うか知りたいようだ。
「魔術盾は戦争に使われることもあるだろうけど、数が揃わない防具は普及しないと思う」
「数を揃えるために、ブラキス盆地へ黒い煌竜石を採掘に行くんじゃにゃあの?」
「いや、実験に使う黒い煌竜石を手に入れるためです」
タニアが腑に落ちないという顔をする。
「魔術盾は作らないの?」
「作るけど、それは対魔獣用です」
リカルドが黒魔術盾を必要としているのは、魔境探索を行う場合に必要になると考えてのことだ。
強い魔獣は、魔法を使うものが多い傾向にある。その魔法を防ぐのに、黒魔術盾を使おうと思っていたのだ。
「セラート予言の対策に、黒魔術盾を用意しようとしているの?」
リカルドが頷いた。
「けど、セラート予言じゃ魔境の周辺部から魔獣が溢れるんじゃないんきゃ?」
「どうも違うらしい。中心部を縄張りとしていた強力な魔獣が、外に出てくるようなんです」
「魔境の中心部……ヤバイがね。あそこには伝説の魔獣が……」
パトリックとタニアは、魔術士協会の図書館にあった『魔境探索』という本を思い出した。この本は、賢者マヌエル自身が魔境を探索した記録だった。
その中に巨蟻ムロフカと風魔鳥の詳細が記されている。
巨蟻ムロフカは一度魔境の外へ出た記録が残っているので、一般にも知られている。もう一方の風魔鳥は、『魔境探索』にしか記録されていない魔獣である。
賢者マヌエルの著書には、風魔鳥と巨蟻ムロフカが互角に戦う様子が記述されていた。四つの町を壊滅させ数千の人々を殺した魔獣と互角に戦う風魔鳥も化け物だ。
「魔境の中心部にいる魔獣というのは、風魔鳥や巨蟻ムロフカのような化け物なんでしょ。そんな奴らと戦えるの?」
タニアの言葉には、絶望の響きがあった。
「不可能だとは思わない。魔術にはまだまだ研究されていないものが、隠されていると感じるんです」
「リカルドって、意外なほど楽天主義者だがね」
リカルドはニヤッと笑った。
「人間なんて、誰もが楽天主義者じゃないの。そうでなければ、毎日が不安で心が壊れてしまうよ」
タニアは別の意見があるようだ。
「いえ、ほとんどの人々は、危機を実感していないのだと思う。ボニペルティ領とクレール王国が戦争になった時も、王太子が王家派遣軍を送ることに反対した人々がいたそうじゃない」
そんな雑談を交わしながら旅は続き、ようやくキレス領へ到着。
ミラン財閥の農園は、キレス領の領都プラの北にある。ミラシカという地方で農園自体が一つの村を形成していた。
「お待ちしておりました、ジャンピエロ様。私はミラン財閥のジェレミアと申します」
ジェレミアはミラン財閥から派遣された管理責任者であり、村長でもあるようだ。
宿として、村長の屋敷が提供された。
リカルドたちにも勧められたが、空き地に野営するからと断った。村長の子供であるルイージに使って良い空き地へ案内してもらう。
ルイージは一〇歳ほどの少年だ。
「ここを使っていいよ。でも、家のほうが快適だと思うけど」
リカルドは困ったように笑う。
「ジャンピエロ殿たちとは、仲が良くないんだよ」
「でも、同じ魔術士協会の人なんでしょ」
「ええ、村の中でも、仲の悪い人はいるんじゃないですか」
ルイージは納得した。この村でも派閥みたいなものがあるらしい。
村の中心から少し離れた空き地は、開墾途中の耕作地だったようだ。グランデアントが現れなければ、立派な農地になっていたのだろう。
リカルドは収納碧晶から、コンテナハウスを取り出した。一台目のコンテナハウスはクラッシュライノによって破壊されたので、二台目である。
一台目とほとんど同じであるが、少しだけ頑丈になっていた。
「な、何これ!?」
ルイージが驚いたようだ。
リカルドはコンテナハウスの中をルイージに見せた。少年は口をポカーンと開けて驚いた。
「これって、家じゃん。こんなのを持って旅しているなんて」
ルイージを始めとする村人を驚かすこととなった。
翌日、グランデアントの巣を偵察に向かった。道がないので徒歩である。村から五キロほどの距離にある草原に、大きな巣穴があった。
グランデアントが地中に穴を掘り、運び出した土が山となっている。その高さは二〇メートルほど。地中に掘られた巣穴の大きさが感じられた。
巣穴は無数とも思えるグランデアントが出入りしており、その数は脅威だ。あの数で村が襲われたら──と考えると恐怖の念が湧き起こる。
グランデアントは中型犬ほどの大きさで、魔獣の中では大きなものではない。しかし、頑強そうな外殻は剣や槍で倒すのを難しくしていた。
「あの巣の中に、グランデアントが数千匹もいるのね」
「それをジャンピエロたちが、範囲攻撃魔術で退治するんだがね。成功するんやろか?」
リカルドは、どれほどの規模の範囲攻撃魔術が必要なのだろうかと計算した。
「やはり一人では、無理な規模ですね。ジャンピエロ殿は四人で発動すると発表したが、四人で大丈夫なんだろうか?」
リカルドたちの他に、ジャンピエロたちも偵察に来ていたようだ。リカルドたち以上に念入りに地形やグランデアントの動きを調べていた。
その翌日、ジャンピエロたちがグランデアントの巣へ向かった。その後ろをリカルドたちが付いて歩く。ジャンピエロは儀式魔術に使うのだろう魔術道具のようなものを仲間に担がせている。
「リカルドは、儀式魔術の魔術道具については調べたの?」
タニアの質問に、リカルドは首を振った。
「儀式魔術については、これから調べるところだったんで……」
「あいつらが、使い方を教えてくれるがね」
リカルドたちは、緊張感もなく見学ムードである。
一方、前方を進むジャンピエロたちは、少し興奮しているようだ。
「巣穴から、グランデアントを誘い出すのに、臭い玉を使うと聞いたのだが、大丈夫なのか?」
長老派の理事マルチャノが、ジャンピエロに確認した。臭い玉とは、火をつけるとグランデアントを惹き付ける臭いを出す薬草を団子状にしたものである。
「心配無用。ほとんどのグランデアントが、巣穴から出てくるはずです」
五〇代の熟練魔術士であるマルチャノが、眉をピクリと反応させた。
「ほとんどだと……巣穴から出てこない奴も居ると言うのだな」
「ええ、女王蟻とその周辺にいる護衛は、臭い玉で誘い出せなかった、という実例があるそうなのです」
「まずいではないか。ミラン財閥は女王蟻ごと全滅させることを望んでおるのだぞ」
ジャンピエロは余裕の笑いを浮かべる。
「グランデアントの大半を倒せれば、巣穴に入って女王蟻を仕留めればいいじゃないですか」
「おい、狭い巣穴の中で女王蟻と戦おうというのか。無謀ではないか?」
「我々には、上級魔術があります」
「だが、巣穴に入るのは、範囲攻撃魔術を使った後になる。魔力は心配ないのか?」
マルチャノは魔力の残量を心配したようだ。
「余裕ですよ。我々は一流魔術士です」
巣穴に到着したジャンピエロたちは、準備を始めた。
リカルドたちも到着し、見学を始める。
それに気付いたジャンピエロが歩み寄る。
「タニア……共同研究の相手を間違えたな。俺たちと一緒に【水刃嵐爆】の研究をしていれば、大きな功績をあげられたのに」
「失礼ね。私たちがどんな研究をしているのかも知らないくせに」
「ふん、ちょっとした魔術道具の改良か何かじゃないのか。上級範囲攻撃魔術に比べれば、ゴミ屑のようなものじゃないか」
ジャンピエロは、少し前にリカルドが研究していた新型魔光灯のことを言っているのだろう。
「新型魔光灯のことを言っているの。あの研究の凄さが分からないようじゃ……」
リカルドがタニアを止めた。それ以上言えば、喧嘩になりそうだったからだ。このタイミングで魔術士同士が争うのはまずい。
「ジャンピエロ殿、そろそろ準備が終わったようですよ」
冷静なリカルドに、ジャンピエロが憎々しげな視線を向けた。だが、次の瞬間に仲間の方へ顔を向ける。
「よし、臭い玉を投げろ!」
魔術士の数人が、臭い玉に火をつけて投げる。
臭い玉が巣の前で点々と転がった。辺りに独特の臭いが広がる。少し生臭いような嫌なものだ。
その臭いに気付いた蟻たちが、巣穴からゾロゾロと出てくる。
「そろそろじゃないのか?」
ジャンピエロの仲間の一人が、厳しい顔をして範囲攻撃魔術の発動を口にした。
「いや、まだだ。グランデアントの数は、こんなもんじゃない」
地上に出てきたグランデアントの数は、五〇〇を超えただろう。だが、数千と言われる数にはほど遠い。
「ほ、本当に、大丈夫なんだろうな?」
マルチャノの顔が強張っている。黒い絨毯を敷き詰めたようになっているグランデアントの数を見て、恐怖を覚えたのだ。
地上に出てきたグランデアントの数が千を超えた時点で、ジャンピエロが焦り始めた。
「まずい。グランデアントが広がりすぎだ」
慌ただしくなってきた。ジャンピエロをサポートする魔術士たちが、広がろうとするグランデアントに向かって、【地】の魔術である【土壁】を放つ。
高さ二メートルの壁を築き、グランデアントが広がるのを防ごうとしているのだ。
「クソッ、【土壁】なんかじゃ長く保たないぞ」
「ジャンピエロ殿、まだなのか」
悲鳴のような声に、ジャンピエロが決断した。
「仕方ない……【水刃嵐爆】を使うぞ」
ジャンピエロと三人の魔術士が、魔術道具を中心に集まって精神集中を始めた。魔術道具は四つのロウソクを立てられる燭台のようなものだ。
ロウソクを立てる部分が取っ手になっており、そこを握って魔力を流し込む構造になっている。
ジャンピエロを含めた四人が、取っ手に魔力を流し込み始めた。
その魔術道具には触媒が仕込まれていたようで、魔力が属性励起され青く輝く。そして、何か力が生まれ始めたのを、リカルドたちは感じた。
「エスナ・チェザリス・ウェリオブ・ロシェーラ」
一人目が呪文を詠唱。その次に別の魔術士が詠唱を開始する。
「エスナ・ヴェレグ・ガベレリ・ジェガラル」
「エスナ・ギャザリク・モログリア・ゲバオレス」
「エスナ・オパシェラ・ババキリュ・ボイシュラ」
最後にジャンピエロが呪文を詠唱すると、魔術道具から無数と思えるほどの水で作られた刃が凄まじい勢いで吐き出された。
数え切れないほどの水刃が、空中を舞い踊りグランデアントへ攻撃を開始する。




