scene:131 ペルーダの毒霧
その魔獣の姿を見たデルフィノは身震いした。
馬に酷似した四足の下半身に、醜悪な顔を持つ上半身が乗っている。人型である上半身もゴツゴツとした筋肉で覆われ、通常の武器しか持たない者が倒すのは難しいと思われた。
「なあ、やばいんじゃないか」
コルラドがゴクリとつばを飲み込む。
侯爵軍を目にした馬体鬼が、口々に咆哮をあげ襲いかかってきた。
「射撃準備!」
ルーベンが吠えるように命令を出した。
デルフィノとコルラドは、魔砲杖を構え馬体鬼に狙いを定める。
「放て!」
魔砲杖を持つ兵士たちが、次々に引き金を引く。魔砲杖の先から石槍が生まれ、馬体鬼に向かって飛翔する。その数は二十ほどで、命中した石槍が爆散し馬体鬼の肉体を切り刻む。
傷を負った馬体鬼の耳障りな叫びが響き渡る。
最初の一斉射撃で五、六頭が倒れ、十数頭の魔獣が深い傷を負った。
リーダーらしい馬体鬼が吠えた。その瞬間、馬体鬼の群れが散開する。魔砲杖の攻撃を見て、集団でいることの危険性を悟ったようだ。
魔獣なのに戦闘における判断力は確かなようだ。
ルーベンが目をキョロキョロさせ、
「と、とにかく敵を近寄らせるな」
あやふやな命令で、デルフィノたちはバラバラに攻撃することになった。
個別のタイミングで襲ってくる馬体鬼に、魔砲杖の攻撃で迎え撃つ。そんな戦いが、しばらく続いた。だが、兵士たちの持つ触媒カートリッジには限りがある。
「まずいぞ。カートリッジが残り少なくなった」
デルフィノの声に、コルラドが頷く。
「俺もだ。後退するしかない」
コルラドは指揮官に後退を進言した。
「許さん! 必ず制圧するのだ」
ルーベンが鬼のような形相で、後退の進言に反対した。
バラけた馬体鬼の一頭が、コルラドに向かってきた。コルラドは馬体鬼に狙いをつけ【爆散槍】の攻撃を放つ。
魔術で生まれた石槍が狙いを外し、馬体鬼を掠めて近くの地面に刺さった。石槍が粉々に砕け爆散。その破片が馬体鬼の横腹を切り裂く。
馬体鬼は怒号を発し、飛び跳ねるように暴れだした。コルラドは急いで触媒カートリッジを交換するために立ち止まる。
暴れる魔獣は後ろ足だけで立ち上がり、コルラド目掛け前足で踏み潰そうとした。
コルラドは慌てて飛び退いた。その時、触媒カートリッジを落としてしまう。
「しまった。最後のカートリッジを」
馬体鬼が長い腕を振り回した。その爪がコルラドの身体を引き裂き、傷付いた胸から鮮血が噴き出す。
「コルラド!」
デルフィノが叫び、戦友に襲いかかろうとする馬体鬼へ狙いをつけ魔砲杖を放った。
石槍が馬体鬼の胸に命中。爆散した威力で、その心臓を破壊する。
デルフィノはコルラドに駆け寄り抱き起こした。
「しっかりしろ。手当してやるから」
血の気が引いた顔のコルラドは、苦しそうにうめいた。デルフィノはサラシを取り出し、コルラドの傷口をきつく縛る。
デルフィノは、腕の中にいる戦友の命がこぼれ出すのを感じた。
「待ってろ。魔術士を呼んでくる」
コルラドが諦めたように首を振る。
「やっぱり……商人……なれば……よかった」
その直後、コルラドの身体が痙攣し動かなくなった。
「クソッ、何でだよ」
そう言ったデルフィノは涙を流した。だが、そんなデルフィノにも馬体鬼が襲ってくる。立ち上がり、馬体鬼に向かって魔砲杖を構えた。
この戦いで侯爵軍の半分が死に、死ななかった者も傷を負った。その代償として、侯爵軍は馬体鬼の群れを撃退した。
デルフィノはコルラドの亡骸の傍に座り込んだ。戦いを終えた後の脱力感と戦友の死の衝撃で、立っている気力さえなくしていた。
「おい、目を開けてくれよ。お前の母ちゃんに何て言ったらいいんだ」
その呟きは、戦友の耳には届かない。
ルーベンが部下の遺体など目に入っていないかのように笑っていた。
「ふははは……、やったぞ。お宝を手に入れたんだ」
全部で三十本ほどの神珍樹の林が広がっていた。たかが三十本。されど、それらの神珍樹から得られる利益を考えれば、ルーベンが有頂天になるのも無理はなかった。
ただし、地面に横たわる部下たちの遺体がなければである。
常識のある指揮官なら部下の死を悼み、一番に埋葬を行うものだ。
「動ける者は、神珍樹の実を採取しろ。くすねるような真似をすれば、容赦せんからな」
デルフィノが険しい目でルーベンを睨んだ後、コルラドの髪を一房切り取り懐に仕舞い立ち上がる。
神珍樹の林に向かった。窪地の中央にある丘だ。一緒に向かう兵士の中には、足を引きずっている者もいる。
先頭に立って進むルーベンが丘を登ろうとした時、凄まじい咆哮が丘の裏側から響いた。
「何だと……ほかにも魔獣がいたのか」
ルーベンが、お預けを食らった犬のように不機嫌になる。
「戦闘準備だ!」
腐った人間であっても指揮官であるルーベンが命令を下す。
デルフィノは魔砲杖を構え、少し後退する。敵が丘を越えて襲ってくるようなら、危険だと判断したのだ。
しかし、新たな魔獣は丘を回り込んでやって来た。
ペルーダ、全長二十五メートルの大蛇で頭がライオンのような猛獣の頭になっている一種のキメラである。
この魔獣は、炎滅タートルと同じ脅威度6の魔獣だ。魔境から這い出した一匹のペルーダが、人口十万の都市を壊滅させ廃墟にしたという伝説まで存在する。
そして、厄介なのが魔法を持つ魔獣であるという点だ。ペルーダの額にはオレンジ色の角があり、そこから稲妻のような放電攻撃をするらしい。
ペルーダが現れたのには理由がある。この魔獣が好んで襲う獲物が馬体鬼なのだ。獲物を狙って何度も馬体鬼のテリトリーに入り込んでいた。
ペルーダは馬体鬼のテリトリーが騒がしくなったのに気付き、様子を見に来たようだ。そして、侯爵軍を見つけ狩場を荒らされたと感じたようだ。
ルーベンは即座に攻撃命令を出した。
「放て!」
デルフィノが引き金を引く。空中に生まれた石槍が、ペルーダに向かって飛んだ。
石槍はペルーダの胴体に命中し爆散した。だが、魔獣は苛立たしそうに首を振るだけ。まったく効いていなかった。
「こ、こいつは戦ってはダメな奴だ」
ルーベンが身体を震わせ呟いた。
ペルーダの長い表面を覆う緋色の鱗は、高い魔術耐性を持っている。生半可な魔術では貫通することはできない。
大蛇の眼がルーベンを見据えた。冷たく縦長の瞳が細くなる。獲物を定めたのだ。
ペルーダが大口を開け、毒霧を吐き出した。
「に、逃げろ」
デルフィノたちは毒霧から逃げた。だが、逃げ遅れたルーベンと数人の兵士が、毒霧を吸い込む。
「ううっ、か、身体の中が焼ける」
ルーベンが膝を突き咳き込む。毒が肺に入り込み焼けるような痛みを与えているらしい。
ペルーダは毒で倒れ苦しんでいる兵士を食べ始めた。戦場に兵士の悲鳴が響き渡る。兵士の誰もが苦悶の表情を浮かべた。
アプラ侯爵が付けた副官が、ルーベンの下に駆け寄った。
「まずい、毒にやられたか」
副官は撤退を命じた。
ルーベンを担ぎ撤退を開始した。幸いにも、ペルーダは倒れている兵士を食べるのに夢中で、撤退する兵士には注意を向けていない。
「奴が食い終わる前に、撤退する」
副官の無情な命令に、デルフィノは歯ぎしりした。食われているのは、仲間の兵士なのだ。
それでも、このチャンスを逃せば全滅する恐れもある。
「すまん、許してくれ」
デルフィノは地面に横たわるコルラドに言葉をかけると、その場を離れた。
侯爵軍が魔境門まで撤退した時、その人数は二十五人にまで減っていた。
「どういうことだ?」
出迎えたアプラ侯爵が、厳しい表情で副官を問い詰める。
「ペルーダです。あの毒蛇が出たのです」
侯爵が顔色を変えた。
「ルーベンは……息子は無事なのだろうな?」
副官は担架で運んでいるルーベンを指差した。
侯爵がルーベンに駆け寄り容体を確かめる。
「治療院の神官を呼べ!」
魔境門近くの町バリルに住んでいる神官では、ルーベンの体内にある毒を消すことはできなかった。そこで領都ブレルへルーベンに運び治療することになった。
こうしてアプラ侯爵軍の遠征は失敗した。
だが、アプラ侯爵の災難は、遠征失敗とルーベンだけでは終わらなかった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
侯爵軍が戻った頃、リカルドはベルナルドから相談を受けていた。場所はベルナルドの店である。
「忙しいのにすまないね」
「ベルナルドさんには、お世話になっていますから……それで相談というのは?」
「リカルド君は、ナスペッティ財閥の依頼で新型魔光灯を開発したそうだね?」
「ええ、そうです」
「それをうちの総帥が聞いてね。ミラン財閥でも研究しているものがあり、その研究を手伝ってもらえないだろうか、と言い出したのです」
この時点では、どんな研究か分からなかったので、即答はしなかった。
「どんな研究ですか?」
「ミラン財閥は、キレス領に農園を持っています。半年ほど前から、そこにグランデアントが、出没するようになったのです」
グランデアントは中型犬ほどの大きな蟻である。その強力な顎門は、人間の足など簡単に切断するほどの力を持っている。
「魔獣ハンターか、魔術士協会に頼んで退治してもらうしかないのでは……」
リカルドの言葉に、ベルナルドが首を振る。
「ダメなのです。彼らが退治するのは、農園に侵入してくるグランデアントだけなのですよ」
グランデアントの繁殖方法は、通常の蟻と同じで女王蟻が卵を生むことで増える。大元である女王蟻を倒さなければ、本当に退治したことにはならない。
「女王蟻を倒せないのですか?」
「巨大な巣の中にいるのです。奴らを巣から追い出さなければなりません。その数は、数百、数千になるかも」
「……数千。研究しているのは上級の範囲攻撃魔術ですか?」
「ええ、魔術士協会の究錬局にも研究を依頼しています」
「すでに依頼しているのですか。それなら……」
ベルナルドが渋い顔をして首を振る。
「それが、一向に進んでいないようなのです」
「依頼を受けたのは、誰です?」
「ジャンピエロ殿です」
長老派の先輩魔術士だ。リカルドが同じ依頼を引き受けたと聞けば、必ず文句を言いに来るだろう。
「しかし、自分が引き受けたとしても、結果を出せるとはかぎりませんよ」
「ですが、ジャンピエロ殿よりは可能性があるのでは?」
リカルドは肯定せず、考え込んだ。そんなリカルドを見てベルナルドが、
「困っているのは、ミラン財閥だけではありません。キレス領の農民も困っています。研究してもらえませんか?」
リカルドは考えた末に答える。
「それなら、非公式に研究しましょう」
「それですと、究錬局の手助けを受けられません。それに正式な功績として魔術士協会に認められないかもしれませんよ」
大きなプロジェクトは、究錬局のメンバーが数人から十数人で組んで行う。たぶんジャンピエロもそうしているはずだ。
ロマナス王国には存在しないが、現存する上級範囲攻撃魔術は数人の魔術士が組んで行う儀式魔術である。一人で研究するのは難しいものだった。
「友人に手助けしてもらうので、大丈夫ですよ」
「そうですか。それなら、お願いします」
成功報酬は、大型漁船の建造資金を出してもらうことにした。




