scene:13 三体の妖樹
リカルドは妖樹トリルを狩り魔成ロッドを作る日課を続けながら、論文の執筆を続けた。
この論文における論点は、【火】と【水】の複合魔術である点、触媒も【火】と【水】のものが必要な点、二種類の触媒の最適な配合割合、発動時の炎の中に浮かぶマグマのイメージである。
論文の八割を書き上げ、残るは触媒の最適な配合割合だけを残すのみとなった。割合を探し出すためには、実際に配合した触媒を使って【溶炎弾】を放ち威力を比べるしかなかった。
お陰で大量の触媒を消費し、魔成ロッドを売って得た金貨がなくなった。
その努力は実り論文に必要なデータは揃った。
その頃、子爵の城ではファビウス子爵と護衛隊長のヤコボ、それに魔術士たちが集まり、春の妖樹エルビル狩りについて話し合っていた。
「アルチバルド王が子爵様に【火】の触媒を多めに送るよう要請したそうです」
護衛隊長のヤコボが情報を伝えた。
魔術士の中で一番年長のエドアルドは顔を顰め詳細を確かめる。
「多めとはどれぐらいなのです?」
ヤコボが言い難そうな顔をしてから告げる。
「妖樹エルビル三体分です」
「な、何」「馬鹿な」「そんな」
魔術士たちが次々に驚きの声を上げた。一体を倒すのも大変だというのに三体というのは多い。
「妖樹程度の魔獣に何を騒いでいる。儂が雇っている魔術士は皆腕利きだと思っていたが違うのか」
ファビウス子爵が不機嫌そうに言い放つ。
雇用主である子爵にそう言われると魔術士たちは黙るしかなかった。子爵ステファノ・ファビウスはひょろりとした体躯に気難しそうな顔をした貴族である。黒髪で鼻の下から口を囲むように髭を伸ばしている。
統治者としての手腕は二流だった。先祖から受け継いだ領地の上に胡座をかき、領地のことは部下に任せている。自分自身は何もせず、部下が失敗すると厳しく罰する。
今回のことは王都で行われた晩餐会での国王の発言が発端だった。
国王を囲んで食事をしている時、アルチバルド王が最近【火】の触媒が不足していると話題を投じた。それを受け貴族の一人が春の献上品は多めに送りましょうと言い出した。
毎年、【火】の触媒を献上していた貴族はこぞって多く送ると約束し、どれだけ多く送るか競争になった。
結果、ファビウス子爵は三体分の妖樹エルビルの炭を送ると約束してしまったのだ。
妖樹エルビル狩りが春と秋の一時期だけと決まっているのには理由がある。普段のエルビルは五、六体が群れて行動していることが多く、この時期の約一〇日間だけ単独で行動するのだ。
魔術士であっても群れている妖樹エルビルに手を出すのは危険だった。
狩りを行える時期が限られている以上、三体の妖樹を狩るためには狩りの部隊を三つに分けるしかなかった。
そうなると三人の魔術士に兵士を付け別々に送り出すことになる。
「我々にも狩りに行けということですな」
エドアルドが深刻な顔をして問う。
「そうだ、弟子だけで狩りをさせるわけにはいかんだろう。それともエルビルを狩れるだけの弟子が育っておるのか」
子爵が聞き返す。護衛隊長のヤコボがハッとしたように顔を上げアレッサンドロを見る。
「そういえば、アレッサンドロ殿の所には優秀な教え子が居りましたね」
「息子の……いや、リカルドのことかね」
「ええ、彼ならエルビルも狩れるかもしれませんな」
アレッサンドロはヤコボがリカルドを高く評価しているのを意外に思った。前回の狩りの時に何があったのか尋ねた。
ヤコボの話からリカルドが双角鎧熊を撃退したのを知った。山の中で【火】の魔術を使ったのは頂けないが、その魔術が巨大熊を退けるほど威力のあるものだと聞いて訝しく思う。
奴には魔術の基本だけを教えたはずだ。と言うか、そう息子に指示した。マッシモが何か教えたのだろうか問い質してみなければ。
「さすが息子たちに魔術を教えている師匠だな。弟子を増やしたらどうだ」
子爵はエルビルを倒せそうな魔術士が増え喜んでいるようだ。
「はあ、考えてみます」
アレッサンドロは曖昧な返事をして誤魔化した。魔術士が弟子を取るのは自分の後継者を育てるためである。普通は息子や孫を弟子に取り後継者とするのだが、息子や孫が魔術士の才能が有るとは限らない。
そんな時のために二、三人ほど才能のある子供を弟子に取り育てる。そんな弟子たちは魔術士に認定されると独立する。大抵は魔術士協会に就職したり、貴族や王家の専属魔術士になったりする。
偶に魔獣ハンターとなる魔術士が居るようだが、少数派らしい。
「どうだろう。エドアルド殿、アレッサンドロ殿、フラヴィオ殿のそれぞれに兵士を付け狩り部隊とするというのは?」
ヤコボが提案した。それを聞いたエドアルドが慌てた。
「待ってくれ、私には山歩きは無理だ」
エドアルドは六〇歳を超え足腰が弱っていた。子爵は最年長の魔術士を見て渋い顔になり。
「そうだな。……ん……先程話に出たアレッサンドロの弟子が使えんのか?」
アレッサンドロは断ろうとしたが、躊躇い止めた。リカルドが失敗しても自分の落ち度とはならないと考えたのだ。
「私はまだ早いと思うのですが、子爵がそう仰るのなら」
リカルドの知らないところで、エルビルを倒さねばならないようになった。
アレッサンドロは妖樹狩りの細かな打ち合わせが進むに連れ憂鬱になってきた。狩りに行くなど九年ぶりだからだ。魔術の技術が衰えているとは思っていないが、体力は確実に衰えている。
しかもアレッサンドロの援護はエドアルドの弟子が一人だけのようだ。フラヴィオはマッシモも参加させてはどうだと進言したが、アレッサンドロ以上に身体を動かすことが苦手なマッシモには無理だろう。
足に怪我をしているので山歩きは無理だと断った。
「こんな大事な時に役に立たんとは申し訳ない」
もちろん嘘であるが、強制的に狩りに参加させ恥をかかせるよりマシだと考えた。
打ち合わせが終わるとアレッサンドロは屋敷に戻り、リカルドを呼び出した。
リカルドは魔成ロッド作りの途中だった。呼ばれて一階に下りるとアレッサンドロが待っていた。
「子爵様がお前にエルビルを倒して欲しいそうだ」
「エッ……ああ、春の妖樹狩りに同行しろということですね」
「違う。子爵様は三体のエルビルが必要だと仰っている。私が一体、フラヴィオが一体、そして、お前が一体仕留めるのだ」
リカルドはアレッサンドロの言葉に衝撃を受けた。
「そんな……援護くらいならできますが、仕留めるなんて」
「ヤコボ隊長はお前が優秀だと言っていたぞ」
「でも、自分は初級の魔術しか勉強していません」
「【火】の魔術で双角鎧熊を撃退したらしいではないか。まさか、初級の魔術では撃退できんだろう」
「偶然です。あの双角鎧熊は火が大嫌いだったんじゃないですか」
アレッサンドロは目を細めジッとリカルドの顔を見てから。
「そうか、まあいい」
リカルドが師匠であるアレッサンドロに【溶炎弾】のことを話さなかったのは、疑り深そうな目で見ているアレッサンドロに不安を覚えたからだ。
それに師匠と言っても直接にはほとんど教えを受けていないので、その反発もあった。
「とにかく、私に恥をかかせるな。エルビルを仕留めるんだ」
「では、賢者マヌエルが書いた『魔術大系』を貸してください。勉強します」
『魔術大系』は高価な本であり、一般の魔術士は所有していない。アレッサンドロは子爵の息子たちを教えるという役目柄、必要だろうと子爵が費用を出し購入したものだ。
但し教本とは違い難解な書物で、読みこなせる魔術士も少なかった。リカルドが読んでも理解できるとは到底思えなかった。何故ならアレッサンドロ自身も半分ほどしか理解できなかったからだ。
「ふん、いいだろう。好きなだけ勉強しろ。だが、狩りは五日後だぞ」
アレッサンドロは書斎から『魔術大系』の写本を取り出し、リカルドに渡した。
リカルドは二日掛けて『魔術大系』を読み、重要だと思う箇所はメモに書き残した。
分厚い魔術書を全部読む必要はなく、妖樹狩りに必要なのは中級の魔術だと分かっていたが、好奇心を抑えられなかったのだ。
もちろん、必要な中級の魔術は調べ上げた。『魔術大系』に記載されている中級魔術で妖樹狩りに使えそうなものは【崩水槍】【嵐牙陣】【爆散槍】の三つだった。
【崩水槍】は水で作られた竜巻が標的に向かって飛び回転する水刃で敵を切り裂き穿つ魔術である。三つの中では最大の貫通力を持つが射程は短い。
【嵐牙陣】は魔術士フラヴィオが得意とする魔術で、十数もの風の刃が敵に殺到し切り裂く魔術である。威力はそれほどでもないが、複数の対象を切り刻めるので使い勝手がいい。
【爆散槍】は巨大な石槍が標的に向かって飛び命中すると槍が爆散し周囲にダメージを与える。威力から言えば三つの中では最大である。
その三つは中級下位の魔術で触媒をリカルドでも用意できそうなものだった。触媒を考慮しなければ他の強力な魔術も見つけたが仕方ない。
取り敢えず、触媒を買い揃え三つの魔術を試してみた。
三つの魔術はちゃんと成功した。ただ【水】の魔術は相性が悪いようで威力がいまいち上がらない。【風】の魔術はフラヴィオには劣るが、そこそこの威力がある。
残る【地】の魔術である【爆散槍】だが、相性がいいようだ。スムーズに魔術が発動し命中した瞬間に爆散する威力も高い。
これなら急所である瘤に命中すれば、一発で妖樹エルビルを倒せそうだ。
リカルドは【嵐牙陣】と【爆散槍】を練習し妖樹狩りに備えた。
妖樹狩りに出発する日、朝早く集合場所であるデルブ城前に向かう。リカルドの荷物は、着替えや水筒・食料の入った背負袋、腰には新しく買った触媒ポーチ、そして背負っている鞘の中には二本の魔成ロッドがあった。
この鞘は触媒屋のディエゴに助言されて作ったものだ。魔獣ハンターになった魔術士が一般的に装備しているもので、予備のロッドも入れられて便利だ。
ちなみにバックラーとウォーピックは魔術士らしくないと思われるので持ってきてない。
「おはよう、リカルド」
パトリックがリカルドの顔を見て挨拶する。リカルドは挨拶を返し周りを見回す。
兵の数は六〇人ほど、前回の三倍である。
「パトリックは誰と一緒に行くの?」
「組み合わせを教えてもらってにゃーの。リカルドと一緒や」
「そうなんだ。心強いよ」
リカルドはパトリックの顔を見て表情が暗いのに気付いた。何故かは予想が着く、見習い魔術士だけで妖樹エルビルを倒さなければならないからだ。
パトリックは不安そうな顔のまま尋ねる。
「エルビルを倒せそうなのきゃ?」
「一応新しい魔術を覚えてきたけど、仕留められるかどうかは……運次第かな」
「ワイも新しいの覚えたで」
パトリックは新しく【崩水槍】を覚えたらしい。前回の妖樹狩りであまり活躍できなかった。それに加え年下であるリカルドに助けてもらったことが悔しかったようである。
このことは秋の妖樹狩りに参加した見習いたち全員が同じらしく何らかの新しい魔術を覚えてきていた。
魔術士の組分けはフラヴィオと弟子のベニート、アレッサンドロとイヴァン(エドアルドの弟子)、リカルドとパトリック(エドアルドの弟子)とマルチェロ(フラヴィオの弟子)の組み合わせになっていた。
マルチェロはフラヴィオの息子なのでフラヴィオと組むのがいいんじゃないかと思った。だが、マルチェロが見習いだけのチームに入ると言い出したそうだ。
新しく習得した魔術で妖樹エルビルを倒してみせると息巻いているらしい。
馬車で出発した一行は山に近付くと三つに分かれて山に入った。リカルドたちのチームにはヤコボが兵士たちを引き連れて一緒に行く。
久しぶりに来た山は色鮮やかな若葉が芽吹き、可憐な花が咲いていた。空気さえ清々しい感じがする。
リカルドは集団の真ん中くらいを一人で歩いていた。その後方にはパトリックとマルチェロが話をしながら歩いている。そこにヤコボが寄ってきた。
「今回はウォーピックとバックラーを持ってきていないのか?」
ヤコボがリカルドに尋ねた。
「ええ、魔術士らしくロッドに変えました」
「ロッドじゃ鬼面ネズミも殺せんぞ」
普通のロッドだと最弱の魔獣でも殺せない。だが、リカルドのロッドは違った。
「このロッドなら鬼面ネズミくらい一発ですよ」
リカルドは背中に吊っている鞘から一本のロッドを取り出した。
ヤコボがロッドを見て驚きの声を上げた。
「それは魔成ロッドじゃないか」
その大声を聞いたパトリックとマルチェロが歩み寄る。二人はリカルドの持つ魔成ロッドを穴が空くほど見詰め、質問の声を上げた。
「何で、お前が魔成ロッドを持っているんだ。アレッサンドロ殿に買ってもらったのか?」
魔成ロッドは安いものでも金貨八枚はする。魔術士の弟子が買える武器ではなかった。
「違う。それは……」
リカルドが躊躇っているとマルチェロが引ったくるように魔成ロッドを取り上げ調べる。
「この雪華紋はそれほど複雑でないが綺麗に揃っている。一流の職人が作ったものだ」
マルチェロが執拗に追及してくる。どうやら自作の魔成ロッドを高く評価し、かなり高価なはずだとマルチェロは思っているようだ。
自分が作った魔成ロッドがそこまで評価されるのは嬉しいが、正直に自分で作ったと言えば嘘吐き呼ばわりされそうな勢いである。
実際に使い物になる魔成ロッドを作製できるようになるには、才能のある者でも五年の修業が必要だと商人のベルナルドから聞いていた。
そうなると辺鄙な山村に居る時から修業をしていた計算になる。そんな山村に魔成ロッドを作れるような人物が埋もれているはずがなかった。
「これは知り合いの魔導職人に作ってもらったものです」
「職人から直接買ったとしても金貨が数枚必要なはずだ。その金はどうしたんだ」
「お金じゃない。代わりに妖樹トリルを狩ってロッドに加工して渡している」
パトリックがマルチェロが持つロッドを覗き込み。
「本当だ。ロッド自体は素人が作ったように荒削りだがね」
何本も作ったので加工技術は少し上達しているのだが、素人の範囲を出ていないようだ。
「その職人は何でこんなものを作るんだ。自分でロッドに加工すればいいだろ」
マルチェロが魔成ロッドを投げて返した。
「手を怪我しているんだ。治るまではちゃんとした魔成ロッドは作れないんだよ」
パトリックが解ったと言うように手を打ち鳴らした。
「その魔導職人、腕が錆びんように魔力コーティングの修練をしとるんだがや。リカルドは運がええな。そんな魔導職人と出会えるなんて」




