scene:113 交易への船出
若葉が芽吹き、優しい風が吹き始めた頃、魔術士協会では魔術士認定試験が行われた。
その試験を、ユニウス飼育場で働くロブソンとニコラが受験した。その他にも魔術士協会で働く小僕の中から何人かが受験したようだ。結果、ロブソンとニコラはもちろん、多くが合格し正式な魔術士となった。
魔術士となった二人は、これまで通りユニウス飼育場で働くと言ってくれたので、アントニオとリカルドはホッとする。飼育場では有能な人材が不足していたからだ。
リカルドが黒震槍の製造や土地開発などを行っている間に、春が終わり、夏が始まった。
その日、リカルドはモンタの鳴き声で目を覚ます。
「キュキャー、あっちいけ!」
モンタの必死な声が気になったリカルドは、声の方に向かう。声はトウモロコシの樹を植えた庭の方から聞こえる。
庭に出ると、大きく育ったトウモロコシの樹が目に入った。モンタが樹に登って何かに向かって威嚇している。よく見ると相手は、小さな鳥だ。
コカラと呼ばれる小鳥が、樹に実ったトウモロコシを狙って飛び回っている。モンタはトウモロコシを守ろうとしているようだ。
リカルドが近付くと、数羽のコカラが逃げ出した。
「リカ、あいつらひどいよ。モンタの木の実を盗ろうとするんだ」
モンタが頬を膨らませ怒っている。
昨日までコカラは現れなかったのに───と不思議に思い、トウモロコシの実を確認した。昨日は実の部分が薄い緑色の皮で完全に包まれていたが、今日は黄色い実が顔を覗かせている。
「コカラの奴、黄色い実を見て集まったのか。もう食べられるということかな」
その言葉を聞いたモンタが、樹の枝にぶら下がっているトウモロコシをもぎ取り、皮を剥いてかじる。
「あま~い、美味しい」
リカルドも味見をしたくなり、モンタに許可をもらって食べる。
「本当に甘いな。醤油を塗って焼きトウモロコシにしたら美味しいだろうな」
「なになに、もっと美味しくなるの?」
モンタに焼きトウモロコシを作る約束をした。魚醤しかないが、何とかなるだろう。
その日のうちにトウモロコシを収穫した。このままにしておけば、コカラの餌になりそうなので仕方ない。本物のトウモロコシは収穫すると短期間で味が落ちる。
しかし、樹に実るトウモロコシは、そのままで一ヶ月ほど美味しく食べられ、乾燥させると一年ほど保存が利くようだ。研究所で手に入れたブラックプレートに入っていた情報が正しければである。
リカルドは開発している土地に、トウモロコシの実を植えるように手配した。今の時期に植えれば、来年の夏には収穫できるだろう。
収穫したトウモロコシの実は、ある処理をしなければ発芽しない性質を持っているのが分かっている。なので、トウモロコシの実を買った人々が、農地に播いても栽培することはできない。
これは繁殖力が旺盛なトウモロコシ樹が無制限に増えないようにするための仕組みらしい。
トウモロコシを収穫した数日後、王太子から連絡が来た。第一回目の大陸間交易の出発日が決まったという知らせである。
リカルドは交易用の商品を用意しようと考えたが、何にするかアイデアが浮かばなかった。そこでベルナルドに相談することにした。
ベルミラン商会を訪ね、店の奥に居たベルナルドに相談を持ちかける。
「そうですな。リカルド君の場合は、魔術道具が良いのではないですか」
「魔術道具ですか。ユジュラ王国は暑い国だと聞いていますから、冷蔵収納紫晶みたいなものが売れそうですね」
ベルナルドが難しい顔をする。
「確かに売れるでしょう。しかし、売るほどの冷蔵収納紫晶を持っているのですか?」
リカルドが首を振る。ロマナス王国でも収納紫晶の需要は旺盛で、供給が足りていない状態だった。王太子が強く勧める神珍樹栽培計画を本気で進めた方がいいかもしれない。
ベルナルドは秘密にしてくれと言いながら、ミラン財閥で交易用にと用意した商品を教えてくれた。
ミラン財閥では、サラウド大陸で需要が多い蒸留酒と食器などの銀製品を用意したそうだ。蒸留酒はブドウに似た果物から作ったもろみを蒸留したもので、ブランデーのようなものらしい。
リカルドはちょっと飲んでみたいと思ってしまった。けれど、今の年齢を思い出し我慢する。この国において飲酒の年齢制限がないと言っても、十三歳は早すぎる。
「困ったな。どんな商品を持っていこう」
リカルドが頭を悩ませていると、ベルナルドが笑い声を上げる。
「そんなに難しく考えることは、ありませんよ」
「どういうことです?」
「南の大陸にも魔術士が居ます。彼らは我々以上に魔成ロッドを高く買うんですよ」
サラウド大陸は楕円形のような形で、中央をオベレル山脈と呼ばれる高い山々の連なりが西から東に伸びている。その山脈が北側と南側を隔てる壁のような存在となっているらしい。
不思議な事に、南側には多くの魔獣が生息しているが、ユジュラ王国が存在する北側はあまり魔獣は居ないそうだ。
ユジュラ王国の魔術士は、触媒を南側の国々から手に入れるのだが、高額となるので魔術の練習を頻繁にできない。そこで魔術の手助けとなる魔成ロッドを欲しがるのだと言う。
一番欲しいのは安価な触媒なのだろうが、ロマナス王国でも触媒は高騰しているので、交易品としては適切でないらしい。
「魔成ロッドですか……自分が作ったものでもいいですかね?」
ベルナルドは魔導職人としてのリカルドが、腕を上げているのを知っていた。王太子とベルナルドには、ようやく四級のユナボルタが製作できるようになったと伝えてある。
「いいんじゃないですか。四級のユナボルタなら、十分に交易品として通用します」
妖樹の枝は、王太子が大量に保有しているようなので、それを購入すればいいだろう。
「そのアイデア、使わせていただきます」
ベルナルドが思い出したように尋ねる。
「そういえば、マトウ殿は今何をされているのです?」
「一級の魔成ロッド作りをしています」
ベルナルドの目がキラリと光った。
「完成したものはあるのですか?」
リカルドはエルビルロッドについて、ベルナルドにも話していなかった。自分用として製作したものなので、話す必要を感じていなかったのだ。
「ええ、完成したものを持っていますよ」
ムナロン峡谷で手に入れた妖樹エルビルの枝から二〇本のロッドを加工し、魔力コーティングに成功し完成した魔成ロッドは全部で八本。エルビルロッドが三本、ダークロッドが三本、タニアとパトリック用に作った二級魔成ロッドが二本である。
タニアとパトリック用が二級なのは、元々約束したのが二級魔成ロッドだったからだ。それにリカルドでも一級魔成ロッド製作の成功率が五割ほどであり、約束した魔成ロッドを用意するなら、二級が確実だった。
【空】の属性色ロッドであるダークロッドの他に、別の属性色ロッドを作ろうかとも考えたのだが、エルビルロッドが有れば必要ないだろう判断した。そこで予備として二本のダークロッドを製作した。
属性色ロッドは触媒の節約になるが、魔力制御を難しくする。ある程度の資金力が有れば、【空】の魔術以外は触媒をケチる必要はない。
返事を聞いたベルナルドが、リカルドに掴みかからんばかりに迫り頼んだ。
「お願いです。私に見せてください」
リカルドは苦笑しながらエルビルロッドを取り出した。普段はペンダント型収納紫晶の中に仕舞ってあるものだ。
ベルナルドはエルビルロッドを一目見ると、固まったように動きを止めた。
「……美しい。城の宝物庫に収められている名付きの魔成ロッドにも、劣らない逸品です」
一級魔成ロッドの中で名品と呼ばれるものは、一本一本に名前が付けられている。それらの国宝級のロッドと比べているらしい。
リカルドはエルビルロッドをベルナルドに手渡した。
「美しい雪華紋です。魔力を少し流し込んでもらえませんか」
リカルドは頷き、ロッドの先端に指を当てほんの少し魔力を流し込む。浮かび上がるように金色に輝き始める雪華紋。それは繊細で神秘的な模様を描いていた。
ベルナルドの口から溜息がこぼれた。
「はあっ……素晴らしい。長い間、武器を扱う商売をしていましたが、これほどの魔成ロッドは初めてです」
ベルナルドは一級魔成ロッドを何本か見たことがある。しかし、リカルドが持つ魔成ロッドは何かが違った。ユナボルタであるからなのかとも思ったが、違うようだ。
気になったベルナルドは、エルビルロッドを細かくチェックした。そして、気付いた。雪華紋の大きさが違うようだ。前に見た一級魔成ロッドの雪華紋より二割ほど大きく複雑な模様を描いている。
「これは……魔力コーティング時に込められた魔力量が違うようですね。マトウ殿は凄まじい魔力量の持ち主らしい」
ベルナルドがマトウの技量を手放しで褒めた。それを聞いたリカルドは苦笑する。
その笑いを見てベルナルドは何か誤解したようだ。マトウだけ褒めたことを気にしたのだろう。
「マトウ殿も凄いですが、その歳で四級とは言え、ユナボルタを作れるリカルド君も立派ですよ」
「いえ、自分なんかまだまだです」
どうやらベルナルドに気を使わせたらしい。
ベルナルドが名残惜しそうに、エルビルロッドを返した。
「このロッドは売られるのですか?」
「いえ、自分で使うつもりです」
「つ、使うのですか」
ベルナルドが驚いたような顔をする。
これほどの魔成ロッドとなると、コレクターが金に糸目を付けずに欲しがる。手に入れたなら、ガラスケースの中に入れて飾るのだ。
「魔成ロッドは武器ですよ」
リカルドが当たり前のことを口にした。
「そうなのですが、これほど人を魅了するものになると……普段は使わずに飾っておく魔術士も多いと思いますよ。それに……売りに出せば、王家からも引き合いが来ると思います」
王家が買えば、エルビルロッドは国宝として扱われるかもしれない。そうなれば、マトウは当代随一の魔導職人として名を成すだろう。
その後、リカルドは王太子から妖樹タミエルの枝五〇本を仕入れ、四級魔成ロッドを製作した。これがリカルドの名前で焼印を押された初めての魔成ロッドとなった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ある夏の日の早朝、王都の港からサラウド大陸へ向かう交易船ラリーニ号が出発する予定になっていた。
ラリーニ号は乗客六〇名、積載トン数一二〇トンの中型に分類される交易船である。この船の特徴は外輪式推進装置が備え付けられている点だ。
その御蔭で帆船では不可能な日数で南央海を往復可能となっている。
リカルドはモンタと一緒に港に到着した。
「あっ、グレタ」
モンタがグレタを見付けて声を上げた。リカルドを見送るために来たらしい。
リカルドの姿を見付けたグレタが、嬉しそうに駆け寄る。使用人らしい女性と護衛の兵士が一緒だ。誘拐事件の後なので、警戒しているのだろう。
「本当は一緒に行きたかったのですが……」
グレタはリカルドと一緒にサラウド大陸へ行きたかったらしいのだが、さすがに父親のボニペルティ侯爵が許さなかった。
乗船客である商人たちは、商品の積み込みを終え船に乗り込み始めている。中には収納碧晶に商品を入れて乗船する商人も居るようだ。
「そろそろ船に乗るよ」
リカルドがグレタに別れを告げた。
「気を付けて……無事に帰ってこられるのを待っています。これ持っていってください」
グレタが渡したのは、幻想鳥の羽根で作られたお守りだった。幻想鳥の羽根は触媒にもなるが、持っていると運勢が上がると言われている。
「ありがとう」
リカルドがグレタとの別れを惜しんでいると、でっぷりと太った商人と護衛らしい二人の男がやってきた。
「邪魔だ。どけ!」
護衛の一人が乱暴にリカルドの肩を突き飛ばそうとした。リカルドはグレタを抱えるようにして避ける。
「チッ」
舌打ちする音が聞こえた。リカルドが睨み付けると、無視して三人は交易船に乗り込む。
「乱暴な人たちですね」
グレタが険しい目で交易船の方を見て言った。
「あれは武器商人のダミアノです。何かと悪い噂のある人物ですから、関わらない方が良いですよ」
リカルドたちの背後から声が聞こえた。
振り返ったリカルドの目に、二人の人物が映る。一人は三〇代後半くらいの黒髪をオールバックにした男性、もう一人は地味な服を着た秘書のような感じの女性だ。
リカルドには見覚えのない人物である。
「あなたは?」
「これは失礼しました。私は宝石商のメルクリオと申します」
メルクリオが秘書のクロリンダを紹介すると、クロリンダが優雅に一礼した。
リカルドとグレタが自己紹介すると、メルクリオが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「高名な魔術士殿とボニペルティ侯爵のご令嬢とお会いできるとは光栄です」
モンタがリカルドの肩の上で胸を張る。
「モンタだよ」
リカルドはモンタの頭を撫でながら苦笑した。
「自分など、魔術士になったばかりの若輩者です。メルクリオ殿こそ高名な商人なのでは?」
メルクリオが否定するように首を振る。
「私も交易に参加する商人の中では若輩者ですよ」
交易船の甲板で、乗船を促す鐘の音が鳴った。
リカルドはもう一度グレタに別れを告げ、乗船した。その後ろにはメルクリオたちの姿がある。甲板から桟橋を見下ろすと、一生懸命に手を振るグレタの姿。リカルドは手を振り返す。
交易船の外輪が動き始めた。ゆっくりと港を離れていく。リカルドはグレタの姿が小さくなり見えなくなるまで甲板に佇んでいた。




