scene:110 王都の変化と闇
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ベルナルドと商店街について話し合ったリカルドは、王太子に相談した。用水路の件である。
場所はデオダート造船所の応接室。
「大規模な用水路工事か。費用はどれほど掛かる?」
「概算で、金貨五〇〇〇枚は必要だと思います」
王太子が溜息を吐いた。
「交易船がもう一隻建造できるな。費用はどうするのだ?」
「この用水路は、王都の農業地帯にも使えるようにしようと思っています。そうすれば、雨量の少ない年でも安定した穀物単収が見込めるはずです」
リカルドが強い意志を込めた目で、王太子を見た。
「ふむ、費用の一部を王家に出せと言うのだな」
「それともう一つ」
「王家が抱える技術者か。土木に強い技術者が必要なのだろ」
「ご明察です」
リカルドがしたたかな計算をしていると知り、王太子が苦笑する。
「費用に関してだが、全部は出せんぞ。残りの費用はどうするのだ?」
「一部は交易に参加して得ようと思っています」
「ほう、リカルドも交易を……魔術士協会はよいのか?」
リカルドが開発した交易船でも、サラウド大陸との間に広がる南央海を縦断するのに半月ほど掛かる。地球において、蒸気船を使って大西洋横断する場合、半月ほど掛かったというから距離的に同じくらいなのだろう。
往復に一ヶ月、商品を見付け出し購入するのに一ヶ月。魔術士協会を二ヶ月ほど休むことになる。
「研究で大きな成果を上げたばかりですので、長期休暇を取る許可も下りやすいのです」
王太子が羨ましそうにリカルドを見た。国王の政務を代行している王太子には、二ヶ月の遠出をするなど許されない。
「ところで、航路の開拓は順調に進んでいるのですか?」
「思っていた以上に順調だ。夏には交易船を出せるかもしれん」
リカルドは意外に早いと思った。航路開拓には一年ほど掛かるのではないかと予想していたのだ。
王太子が真剣な顔をする。その顔はドキリとするほど怖い。
「リカルド、余はサラウド大陸のユジュラ王国と交易をしようと思っておる」
ユジュラ王国は南の大陸でも三本の指に入る大国である。砂糖の採れるシュガーグラス農場や綿花農園が数多くあり、砂糖や綿糸が特産物となっていた。
「ユジュラ王国は、砂糖の産地だと聞いています」
「そうだ。砂糖を大量に仕入れるつもりだ。しかし、輸入ばかりでは、我が国の金貨が流出するばかりとなる。我が国から輸出するものが必要だ」
リカルドはイギリスと清の間で起きたアヘン戦争を思い出す。十九世紀、イギリスは茶・陶磁器・絹などを大量に輸入し貿易赤字となった。その赤字を埋めるためにアヘンを売ったことが原因で戦争になったのだ。
貿易赤字になる危険を認識している王太子を、リカルドはさすがだと思った。だが、ユジュラ王国へ売れる商品となると悩んでしまう。
ユジュラ王国でも魔術が普及しているようなので、魔術に使う触媒は売れるだろう。
「触媒はどうでしょう?」
「ダメだ。国内でも触媒は不足している。ユニウス飼育場で生産される触媒が、国内需要を上回るようにならねば無理だ。それに、輸出するほど安価に触媒が生産されるようになっておらぬだろ」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。将来、シュラム樹の実の生産が増えた時に輸出を考えれば良いのだ。……だが、今度の交易には間に合わぬだろう」
「王太子殿下は、どんな輸出品を考えておられるのですか?」
「ふむ。取り敢えず、魔術道具を考えておる」
リカルドの顔が無表情になった。王太子の答えにガッカリした表情を出すまいとした結果である。
「そんな顔をするな。余も分かっておる。魔術道具の生産量は少ない。赤字を埋めるほど大量に輸出はできない」
魔術道具の生産量が少ないのは、材料となる神珍樹の実が希少だということと作れる魔導職人が少ないということの二つが原因である。
「飼育場で、神珍樹の実が生産可能になれば、もっと多くの魔術道具を作れるようになるのですが」
リカルドが口にした言葉に、王太子とサムエレ将軍が驚いた。
「飼育場で……そんなことが可能なのか?」
リカルドは妖樹クミリに神珍樹の枝を接ぎ木することで、神珍樹の実を栽培しようと試みた経緯を話した。もちろん、接ぎ木の方法は王太子にも秘密にする。
「失敗だったのは残念だ。妖樹クミリの生命力が弱すぎたのが原因なら、もっと強い妖樹……例えば、妖樹トリルを使えば、成功したのではないのか?」
「自分も、それは考えました。ですが、妖樹トリルを種から発芽させる方法が不明なのです。ベルナルド氏と一緒に研究しているのですが……」
リカルドとベルナルドは、妖樹トリルの種を妖樹クミリと同じようにして発芽させようとしたのだが、種は発芽しなかった。
王太子は頷きながら聞いていた。
「ふむ。神珍樹の栽培法を研究するのなら、種から育てた妖樹でなくとも、妖樹トリルを捕獲して持ち帰れば良いではないか」
リカルドも考えなかったわけではなかった。
「ですが、それには大きな費用が掛かります。飼育場にとって、小さな負担ではありません」
リカルド自身が妖樹トリルを捕獲すれば、少ない費用で済む。しかし、妖樹トリルを飼育場まで運ぶ者を雇う必要がある。そんな費用を使ってまで、研究を急ぐ必要をリカルドは感じていなかった。
「……ならば、余が協力しよう。魔境門を守っている部下に、妖樹トリルを捕獲させる。それに神珍樹の枝を取りに行くのなら、警護兵も付けよう」
リカルドは複雑な表情を浮かべた。本当に神珍樹に関する研究は急いでいなかったのだ。海岸付近の開拓や他にも様々な研究事案があり、今でもぽやぽやする時間がほとんどない。これ以上の仕事は増やしたくなかった。だが、王太子は神珍樹の研究を優先して欲しいようだ。
「感謝申し上げます」
王太子がニヤリと笑った。笑いを浮かべた王太子は、暗殺集団の冷酷なボスのような顔になっている。
「ところで、空震刃を使った槍はどうなった?」
王太子の質問を受け、リカルドは収納碧晶から二メートルほどの棒のような魔術道具を取り出す。
「これが、試作品の槍です」
先端に太い鋼鉄製の円柱のようなものが取り付けてある武器だった。円柱の内部は空洞になっており、加工した特大魔功蔦が収まっている。また、柄の部分に引き金の付いた管が存在する。
全体的な形状は、管槍と呼ばれる武器に似ている。空震刃のオンオフは、管に付いている引き金を引くことで操作可能になっていた。それを『パイプトリガー』とリカルドは呼んでいる。
サムエレ将軍が試作品を取り上げ、何度か突きの真似をした後、突き出した瞬間にパイプトリガーを引いた。槍の先端に黒い空震刃が現れ、大気を揺らめかせる。
王太子も試してみたくなったらしく、将軍から試作品を受け取りパイプトリガーを引いてみた。
「良さそうだな。威力を確かめたいが、何かないか?」
「ドックの方に丸太があったはずです」
リカルドたちはドックへ行き、所長に丸太を用意するように頼んだ。
職人たちが直径五十センチほどの丸太を運んできた。床に立てると二メートルほどある。
王太子は試作品の槍を丸太に突き出すと同時に、パイプトリガーを引く。槍の先端に空震刃が生まれ、丸太に飲み込まれるように沈み込み貫通した。
「えっ!」「何だ、そりゃ!」
見ていた職人たちが驚きの声を上げた。
リカルドは、王太子が興奮している様子を確認し満足する。ちょっとドヤ顔になったとしても、許されるだろう。
「サムエレ将軍、魔功蔦を集めさせろ。急ぐのだ!」
王太子の命令にサムエレ将軍が短く承諾の返事をした。
その後、王太子とリカルドは【空】の魔術について話し合い、秘密とすることになった。リカルドはますます忙しくなる予感を覚えながら、王太子と別れる。
デオダート造船所からの帰り道。春になった王都の街は、ますます活気に満ちているとリカルドは感じた。大通りを行き交う人々の顔には、春を喜ぶ様子が窺える。
港から大量の魚を積んだ馬車が通りすぎた。これだけの魚を漁獲できるのは、ステファンの船だろう。
憂国自衛団から返してもらった船を使って、ステファンが本格的な巻き網漁を始めていたのだ。アントニオと出会う前のステファンは、中堅漁師の一人にすぎなかった。だが、リカルドが提案した巻き網漁を始めてから、漁師集団の中で頭一つ飛び抜けた存在となっていた。
言うなれば、網元と呼ばれるような存在だろうか。小型動力船は簡単に増やせないので、刺し網や小型定置網を作らせ、それらの網を使った漁も始めていた。これらの漁法に関する知識も、リカルドが伝えたのだ。漁の経験が豊富なステファンはすぐに理解した。
当然ながら、魚の漁獲量が増え安くなった。その安くなった魚を使った料理を出す店も増えているそうだ。
ちなみに、去年の秋に作らせた塩干しバカラは、海のない内陸部の領地に運ばれて売られた。いくつかの料理法を紹介したのが良い結果となり、完売した。
内陸の領地においても、冬の間は魔獣や獣の活動が少なくなり、狩りによって仕留められる数が少なくなる。食肉の供給量が減った時期に、塩干しバカラが売り出されたのだ。顧客が求めている時に販売されたのも、受け入れられた原因だろう。
リカルドが商店街まで来た時、グレタの姿を見付けた。友人と一緒に買い物をしているようだ。
小間使いらしい若い女性が、案内して回っている。
「お嬢様、まだ探されるのですか?」
カティヤが可愛らしく口を突き出し不満そうな顔をする。
「当たり前よ。気に入ったものが見付かるまで帰らないわ」
彼女たちは卒業パーティーで着るドレスに合うアクセサリーを探していた。
「ですが、グレタ様もいらっしゃるんですよ」
グレタは少し疲れた顔をしていた。グレタとカティヤは、元々仲が良かったわけではない。最近になって、カティヤがグレタに近付くようになったのだ。
「グレタ、疲れている?」
そう聞かれたグレタは少し疲れていたが、大丈夫だと返事をした。
「ほら、大丈夫だって言っているじゃない。次の店に行くわよ。案内しなさい」
小間使いが困ったという顔をする。
「ですが、表通りにある店は全部回りました」
「だったら、奥の方の店に行きましょ」
グレタたちが表通りから裏通りへ向かうのを見て、リカルドは心配した。裏通りは人通りが少なく、素行の悪い連中が屯している場所もあったからだ。
その時、グレタたちを尾行しているらしい男の姿が目に留まる。リカルドは心配になり、その男の後を追った。
裏通りには小さな店が集まっていた。中には怪しげな店もある。
小さなアクセサリー店に入ったグレタたちを外で待つ。グレタたちを尾行していた男は、いつの間にか消えてしまった。
リカルドはしばらく待った。女性の買い物は長くなると言うが、長すぎる気がする。
「遅いな……まさか」
リカルドは、その店に入りグレタ達を探す。見回してもグレタたちの姿がない。店は十畳ほどの広さでキラキラしたアクセサリーが並べてあったが、リカルドの目からは安っぽく見えた。
店に居るのは店主らしい中年の男だけである。
リカルドは店主に近付き、強く荒い口調で質問する。
「おい、この店に女の子二人と女性一人が入って来ただろ。どこに行った?」
店主が不快そうに顔を歪める。
「さあ、知りませんな」
「知らないはずがない。確かに店に入るのを、この目で見たんだ」
店主の顔が険しいものへと変化した。
「そんな者は居ない。変な言い掛かりをつけるな」
しらを切る店主に怒り覚えたリカルドが、燃え上がる炎のような視線で店主を睨む。その気迫は店主にも伝わったようで、店主の顔から血の気が引く。
「彼女たちは、貴族や財閥の子女だぞ。徹底的に調べることになるからな」
店主の顔が強張った。
「し、知らないと言っているだろ!」
店主のうわずった声が店に響いた。
その声を聞いて、店の奥から人相の悪い男が出てきた。
「そいつを何とかしてくれ」
店主が男に頼む。その口調から従業員ではないと分かる。
「ふん、ガキじゃねえか」
男がリカルドを捕まえようと手を伸ばす。リカルドは手を払って、男の足にローキックを叩き込んだ。
「痛てっ!」
兄のアントニオに格闘技の技を教えた時に練習したものだったが、身体は覚えていたようだ。意外なほど強烈な蹴りが命中した。
「この野郎!」
男が反撃の拳を振り回す。リカルドは右掌で払いながら一歩踏み込み、レバーブローを放った。腰の入った拳が男の脇腹に食い込み、激痛を与える。
男は膝を突き崩れるようにして倒れた。
興奮して血走っている目で迫るリカルドに、店主は舌打ちし逃げようとした。リカルドは店主の肩を掴んだ。
「さあ、本当のことを言え!」
この時、リカルドの注意力は低下していた。グレタが行方不明になっているという事実が、その心を乱していた。
突然、リカルドの頭を何かが叩いた。足から力が抜けバタリと倒れる。頭から噴き出した血が額を伝って床にポタリポタリと落ちる。
「こいつ、何者だ」
リカルドの頭を殴ったのは、グレタたちを尾行していた男だった。リカルドに気配を気付かせずに、戻ってきたようだ。
「助かったよ。あの娘たちの知り合いらしい」
店主がホッとしたような声を上げた。
混濁する意識の中で、リカルドは聞いていた。弱々しく伸ばした手が店主の足首を掴んだ。
「ヒッ!」
店主が悲鳴にような声を上げた。
「しぶとい奴だ」
頭を殴った男が、リカルドの腹を蹴り上げた。その一撃でリカルドの意識が闇に沈んだ。




