scene:105 王都の冬
第5章王領改革編の始まりです
よろしくお願いします。
冬の中頃、王都では珍しく大雪が降った。と言っても、積もったのは三〇センチほどで、セラート予言にある異常気象とは違うようだ。
雪が積もったのを見付けた子供たちのはしゃぐ声が街に響いている。その寒い中を、アントニオは飼育場へと向かっていた。雪の上に足を下ろすと、ギュッという踏み締める音がして足首まで埋まり、雪が歩行の邪魔をする。
普段の倍以上の体力が必要なようだ。
顔見知りの乾物屋が真っ赤な顔をして荷車を引いているのに出会った。従業員の小僧も肩で息をしながら、荷車を押しているが、少しずつしか進まない。
「大変そうだね」
「アントニオさんか。この雪には難儀していますよ。商品を店に運ばなきゃならんというのに、ちっとも進まない」
アントニオは従業員三〇人ほどを雇っている経営者として、商人たちから注目されていた。歳上である乾物屋の主人も、一人前の経営者として相手をしてくれる。
「この積雪の中を荷車じゃ大変でしょう。ソリか何かに換えた方が良かったんじゃないですか?」
「ソリだって……もっと北の地方じゃ使っているらしいが、王都にソリなんかないよ」
アントニオの故郷にはあったのだが、王都にソリはないようだ。あまり雪も降らない地方なので、それが当然なのかもしれない。
アントニオが通りの先を見ると、乾物屋だけでなく、他にも苦労している者たちが大勢いる。
乾物屋の主人と別れたアントニオは、普段の倍近い時間を掛け飼育場に到着した。飼育場も雪に覆われ真っ白になっている。
塀の中の妖樹たちは、アントニオの発案で作らせた避難小屋の中に居るようだ。避難小屋は石とモルタルで作った五〇センチほどの土台に三角屋根を載せたものである。その土台は、一部が出入り口として開いている分厚い壁のようなもので、ちょうど屋根の大きさに合わせたものだ。
妖樹クミリたちが雨の中でジッとしているのを見て、風雨を凌ぐ場所が必要だと考えたのだ。この避難小屋を作ってからは、風の強い日や雨の時、妖樹たちはここに逃げ込むようになった。
ユニウス飼育場の経営は上手くいっている。シュラム樹の枝を接ぎ木した杏妖樹は三〇〇体、妖樹クミリが一〇〇体という体制で、年に三回シュラム樹の実を収穫していた。
シュラム樹の実だけで、年に金貨二〇〇枚以上の売上である。栽培している作物やタオル生地の売上もあるので、十分な利益が出ている。
作業小屋へ行くと、ロブソンが小さな子供たちに足し算を教えていた。ダリオたちも作業小屋に集まり、積雪の中で作業をどうするか相談している。
「妖樹たちは、避難小屋にいるから心配ないけど、餌はどうする?」
「避難小屋から出てこなきゃ餌もやれないよ」
寒さのせいなのか、妖樹の動きが少なくなっていた。これはもう仕方がないと、アントニオも諦めている。飼育場の人間ができるのは、妖樹が死なないように世話することだけだ。
アントニオも話に加わり、アイデアを出し合った。だが、栄養価の高い餌を与えるくらいのアイデアしか出ない。
そこでアントニオがひとつ提案した。
「モル芋を妖樹に与えてみるか」
モル芋はジャガイモに似た作物で、栄養価が高い。飼育場の耕作地でも大量に栽培しており、食べきれないほど収穫されていた。そのモル芋を妖樹に与えることは可能だ。
とは言え、妖樹は四〇〇体もいる。一体に一個のモル芋を与えても四〇〇個。毎日与えたら、膨大な量のモル芋が必要になる。
妖樹の体力が落ち弱った時にだけ、モル芋を与えるようにすればいいかもしれない。
ダリオたちとの話が終わり、アントニオは外へ出た。機を織る音が聞こえる。その方向へ目を向けると、真新しい建物の屋根に雪が積もっているのが見えた。
先月完成したタオル生地工房では、職長ミケーラの下で新しく増員した機織り娘たちが働き始めていた。アントニオがタオル生地工房に顔を出すと、ミケーラが気付き。
「アントニオ様、雪が積もっているのに、いらっしゃったんですか」
「ああ、飼育場の様子が気になったんでね。……雪で何か問題はなかった?」
「作業場が少し寒いです。我慢できないほどじゃないんですが……」
工房の中央付近に暖炉が一つあるだけなので、暖炉から離れると寒いかもしれない。また、細かい作業をするので、明り取り用の窓を大きく作っているのも、部屋が温まらない原因の一つだ。
「今から暖炉を追加するのは難しいか。リカルドと相談してみるよ」
その後、リカルドと相談し鉄製の薪ストーブをタオル生地工房に置くことになった。薪ストーブの製作を任せたのは、魔力炉を製作したガロファロ工房である。
この薪ストーブは燃焼効率を高める工夫がなされており、二次燃焼が起きるように二次燃焼室と空気の流入口が設けられている。
その存在を知った王太子は、薪ストーブの使用を奨励し爆発的な勢いで王領全体に広まることになる。
時間軸を元に戻し、大雪が降った翌日。
バイゼル城の王太子は、ガラスの嵌った窓から真っ白になっている外の景色を見ていた。
そこにゴルドーニ内務大臣が現れ報告を行う。
「この雪で混乱が起きているようです」
「混乱だと……何が起きている?」
内務大臣の報告によれば、乗合馬車の運行が止まり、荷駄の運搬も滞っているらしい。これだけの雪が積もれば仕方ないと王太子も思うが、王都の弱点を思い知らされ憂鬱になる。
「雪が降り続いた場合は、どうなる?」
「当分の間、周辺の町や村から搬入されるはずの荷物が、王都に届かなくなるでしょう。王都から運び出す荷物も同じです」
「王都の食料は大丈夫なのか?」
「それは大丈夫です。王都の倉庫には、二ヶ月分の穀物が保管されております」
「二ヶ月分……今回は大丈夫のようだな。だが、三年後に異常気象になった場合はどうだ?」
内務大臣は困ったような顔をする。彼はセラート予言を信じていないのだ。
「あの予言は根拠のない噂。信じる価値のないものです」
王太子はジロリと内務大臣を睨んだ。
「為政者たる者、最悪の場合を考えて政策を決めるべきじゃないのか」
「しかし、あんな予言を信じて予算は組めません」
王国の予算は、王一人で決めるものではない。各大臣や官僚と一緒に話し合って予算案を作り、最終的に王が承認して初めて確定するものなのだ。
「セラート予言の対策だけを考え、予算を組めとは言わん。だが、セラート予言も考慮することは可能なはずだ」
内務大臣は困惑する。
「どうしろと?」
「まずは何をするにも、国力の増強が必要だ」
「王太子殿下が国力と言われているのは?」
「軍事力・経済力・文化。特に経済力が重要だと考えておる」
「意外ですな。重要なものとして軍事力を上げられると思っておりました」
「軍事力を高めるにも、資金が必要だ。そのことはヨグル領で思い知り、余は魔獣退治に力を注いだのだ」
ガイウス王太子は、部下と一緒に魔境で魔獣を狩り、その素材を売るという行為を三年間続けることで大きな資金を手に入れていた。
もちろん、協力した部下たちには高待遇で応えているので、ヨグル領で王太子の人気は高い。
この行為を部下の上前をはねただけではないのかと指摘する者もいたが、部下たちだけでは大きな利益は得られなかっただろう。彼らは魔獣を倒せても魔境の外まで大量の素材を持ち帰る手段を持っていなかったからだ。持ち帰るには、王太子が持つ収納碧晶が必要だった。
ゴルドーニ内務大臣は、王太子に対する認識を改めた。アルチバルド王の息子という事実が、王太子を不当に低く評価させていたのだ。
「王太子殿下は、国力を高めるために、何をされたいのですか?」
「新しい産業を起こした者を支援しようと思っている」
「誰でございます?」
「内務大臣は、タオルを知っているか?」
「ええ、貴族の間で評判になっていますな」
「あれを考案したのは、余が懇意にしているリカルドという魔術士だ。リカルドには、タオル生地が王都の特産物となるよう量産化に励めと指示している。何かあれば、内務大臣も手助けしてくれ」
「承知いたしました」
王太子は、王都近くの海岸付近で始まった妖樹の飼育やパレンテ炭田の採掘事業も支援するように、内務大臣へ言い渡した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
魔術士協会では、リューベン理事がナスペッティ財閥の研究主務オリヴォを呼び出し、リカルドに依頼した研究開発案件について話をしていた。
オリヴォは四〇代のひょろりとした神経質そうな男で、研究者というより事務員という感じの風采を持つ人物である。
「リューベン理事、新型魔光灯の研究について話があると伺いましたが……もしかして、何らかの進展が有ったのでしょうか?」
リューベンが薄笑いを浮かべ、首を横に振る。
「まさか……あの研究が半年程度でものになるはずがない。君もそう思っているのだろ?」
オリヴォが苦笑した。新型魔光灯の研究は、ナスペッティ財閥の研究部門で五年間研究されたが、なんの成果も出なかった案件である。
ナスペッティ財閥の総帥パルミロ・ナスペッティが、いつまでも成果が上がらない研究に業を煮やし、魔術士協会へ研究依頼しろと命じたものだ。
総帥命令なので従うしかなかったが、ナスペッティ財閥の研究部門の一画を統括するオリヴォにとっては、屈辱的な命令だった。
「それでしたら、何故呼び出したのです?」
「その依頼を引き受けた魔術士なんだが、イサルコ理事の弟子なのだ。その弟子は少し調子に乗っていてね。説教をしてやろうと思っているのだよ」
オリヴォが意味が分からないという顔をする。
「……それで?」
「君には、その弟子を呼び出して研究の進捗を確認して欲しいのだ」
「それは構いませんが、先程進展はないと……」
「そうだ。それを理由に説教をしようと思ってね」
それを聞いたオリヴォは、リューベンとイサルコの対立に巻き込まれたリカルドを可哀想に思う。但し、リューベンの願いを拒否することはしない。
オリヴォ自身も、リューベン側の人間だからだ。
二日後、魔術士協会の会議室に代表理事ジェズアルドとリューベン、イサルコ、リカルド、そして、ナスペッティ財閥の総帥パルミロとオリヴォが集まった。
この会議室は、理事会館と呼ばれる建物の中にあり、普段は理事会などの魔術士協会の方針などを話し合う場所である。中は高価なテーブルと椅子が並んでおり、リカルドには少し居心地が悪い。
「ようこそ、パルミロ総帥」
代表理事が歓迎の言葉をパルミロに掛けた。
リューベンはオリヴォを会議室の隅に連れていくと、小声で尋ねた。
「何で、パルミロ総帥まで来ているのだ?」
「新型魔光灯の研究に関する進捗状況を確認に行くと報告したら、総帥も行くと言い出したのです」
眉間にシワを寄せるリューベン。彼としてはリカルドを叱り、イサルコの面目を潰したかっただけなのだ。パルミロ総帥が出てくるような大げさな騒ぎにはしたくなかった。
パルミロがリカルドに視線を向ける。
「今回、こちらの依頼を引き受けたのは、若い魔術士と聞いています。もしかして、彼ですか?」
イサルコが頷き、リカルドを紹介した。
「リカルドは若いですが、究錬局の中でも優秀な研究者の一人です」
「なるほど、イサルコ理事の秘蔵っ子という噂は聞いております。ですが、私たちも金を出している以上、何らかの成果を求めています。研究は進んでいるのですか?」
リカルドはイサルコに小声で、
「もう、言ってもいいんですか?」
イサルコは頷いた。リューベンとオリヴォの間で交わされた秘密契約書を探していたのだが、最近になって手に入れている。リューベンが愛人に買い与えた家に隠されていたのだ。
リカルドが研究の進捗を言い渋っていると勘違いしたリューベンは、わざと厳しい顔をして威圧的な態度で声を上げる。
「さあ、早く研究状況を答えないか。まさか、何も進んでいないというわけではないのだろうな」
イサルコはリューベンの威圧的な態度に不快なものを感じ。
「客人の前です。もう少し穏やかに」
「ふん、どうせ何の成果も上げていないのだろう。――イサルコ理事が自慢する弟子だから、この大事な研究を任せたのだぞ」
リューベンは研究が行き詰まっていると決めつけていた。新型魔光灯の研究がどれほど困難なものか、オリヴォから聞いているのだろう。
そのオリヴォは、リカルドを値踏みするような目で見ていた。自分たちでさえ五年間研究しても成果が上がらなかった新型魔光灯の研究を、こんな若造が引き受けたのかと思うと、魔術士協会に馬鹿にされたと感じ苛立つ。
その苛立ちの中には、自分たちを信じて任せてくれなかった総帥への反発も含まれていた。
最初から成果が上がることを期待していなかったオリヴォに、リカルドを責める気持ちはない。しかし、リューベンの計画に従い、リカルドに対する批難の声を上げる。
「魔術士協会に依頼したのは、こちらの優秀な魔術士なら成果を上げられると思ったからなのですぞ。それなのに何の成果も上がっていないのですか」
イサルコは成果が上がっていないと決めつける両者を止めようと声を上げる。
「お待ち下さい。……」
その時、イサルコの発言を遮るように、リューベンが、
「リカルドは、大事な研究を任されているというのに、何日も休んでいたようですな。これはイサルコ理事の指導にも問題があるのでは?」
代表理事がイサルコとリカルドに鋭い視線を向けた。
「そんないい加減な気持ちで、研究依頼を引き受けたのかね」
リカルドは代表理事の視線を平然とした顔で受け止める。それはイサルコも同様で、実戦で鍛えている二人の精神は強靭だった。
「代表理事、何か勘違いをされているようですね」
リカルドがジェズアルドに言うと、イサルコ以外の皆が『こいつ何を言っているんだ』という顔をする。
「何が勘違いだというのだね?」
「研究が全く進んでいないと思っておられるようですが、それは違います」
リューベンが疑うような目でリカルドを見る。
「ふん、何か進展があったというのか。ちっぽけな発見を大げさに報告書にまとめるつもりじゃないだろうな」
リカルドはリューベンを無視して、新型魔光灯の研究結果を発表した。
「魔光灯の消費魔力を六割に削減することに成功しました」
一瞬、会議室がシーンと静かになった。イサルコはニヤリと笑い、驚いている四人の様子を観察する。パルミロと代表理事の顔に浮かんでいるのは純粋な驚きのようだが、リューベンとオリヴォの顔には驚きと同時に負の感情が浮かんでいた。




