scene:102 イレブ銀山の攻防
感想と評価を頂きました。ありがとうございます。
時間がなく感想の返事ができず、申し訳ありません。
リカルドが【空】の魔術を完成させた頃。
ボニペルティ領のイレブ銀山では、戦いが始まろうとしていた。
嘗てイレブ銀山へ続いていた道には、クレール王国軍の築いた頑強な陣地が聳え立っている。その正面には炎滅タートルの甲羅で補強された防護壁。
ボニペルティ侯爵軍は、何度か防護壁を突破しようと攻撃を仕掛けていた。だが、炎滅タートルの甲羅は硬く堅牢だ。
敵の反撃を覚悟で、魔術士たちが中級魔術の一斉攻撃を仕掛ける作戦も実施されたが、敵兵士は防護壁の背後に隠れ攻撃をしのぎ、攻撃が途絶えた瞬間に反撃することで侯爵軍の攻撃を撃退した。
敵陣地を攻略するには、敵の三倍以上の兵力で攻め立てるしかない、と侯爵軍参謀長が言い出す。しかし、侯爵軍と王家派遣軍の兵力を合わせても、クレール王国軍の兵力と同等にしかならない。
ボニペルティ侯爵は参謀長の目を見て非情な決断を迫られているのに気付いた。参謀長は領民の中から若い男たちを徴兵し、武器を持たせて敵陣に向かわせるしかないと進言しているのだ。
そうなった場合、訓練を受けていない領民のほとんどが負傷、または死ぬだろう。
ボニペルティ侯爵は一縷の望みを掛け、夜襲作戦を決行しようと決意する。
半月の夜、夜明け前の夜陰に紛れ敵陣地に接近した夜襲部隊が防護壁に梯子を掛け登ろうとした時、敵陣から大声が響き渡った。敵は魔術士を見張りに組み込んでいたのだ。
魔術士は魔力察知が使える。その魔力察知に夜襲部隊が引っ掛かった。敵の弓兵が防護壁の上に登り、矢を射掛け始める。
夜襲部隊の指揮官は、魔術士たちに命じた。
「魔術部隊、奴らに魔術を浴びせろ!」
十数人の魔術士が、弓兵を狙い【嵐牙陣】や【爆炎弾】を放つ。魔術が弓兵の命を刈り取った。その後、敵も魔術士を呼び、魔術の撃ち合いとなった。
魔術の撃ち合いは、高い位置に陣取っているクレール王国軍の方が有利だ。次第に侯爵軍が押され始める。ずるずると下がる侯爵軍に勝機を見たクレール王国軍の指揮官は、陣地から出撃する決断を下す。
クレール王国軍の将兵が防護壁の上から下に下り、侯爵軍に襲い掛かった。その勢いに負けた侯爵軍は敗走を始める。クレール王国軍の出撃兵が一〇〇〇を超えた時、伏兵として隠れていた侯爵軍の砲杖兵部隊が魔砲杖の引き金を引いた。
戦場に炎鋼魔砲杖の発射音が鳴り響き、多数の炎渦鋼弾がクレール王国軍の将兵を蹂躙する。クレール王国軍の指揮官は即座に罠だと気付いた。
「罠だ、撤退しろ!」
陣地に戻ろうとするクレール王国軍に、伏兵として隠れていた王家派遣軍が襲い掛かる。そして、味方が下ろした梯子を頼りに防護壁を登ろうする敵将兵に混じり、王家派遣軍の兵士も防護壁を登ろうとした。
だが、クレール王国軍はそれを許さない。敵味方関係なく防護壁の上から矢を放ち始める。
王家派遣軍はもう少しのところで防護壁を乗り越えられなかった。戦いは痛み分けで終わった。
ボニペルティ侯爵は無念の表情を浮かべ、戦場となった場所を見つめていた。その周囲には負傷者の呻き声がこだまし、煙の臭いが漂っている。
「敵兵を一〇〇〇ほど討ち取っただけが、成果か。……だが、炎鋼魔砲杖の威力は確かめられた。使い方によっては、強力な戦術兵器となる」
侯爵は敵陣地を攻略できなかったことは残念だったが、希望が少しだけ見えた気がした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
【空】の魔術【空震槍破】を完成させたリカルドに、王太子から連絡が来た。今夜、ユニウス料理館で会いたいと言う。
ユニウス料理館で確認すると、サムエレ将軍から予約が入っている。リカルドはジュリアとラヴィーナを探し、今夜ガイウス王太子が来店すると伝えた。
「だったら、クラッシュライノの肉を出しましょう」
ジュリアが提案する。ラヴィーナも同意し、料理の準備を始めた。
その夜、紋章無しの豪華な馬車が、ユニウス料理館の前に停車。中から高貴な人物が降り、こちらに向かっているのを目にして、リカルドが出迎えた。
「お待ちしておりました、殿下」
王太子がリカルドの顔を見てニヤリと笑う。悪そうな顔だ。
リカルドは王太子たちを二階の特別室へ案内した。
「手紙を読んだぞ。大変だったようだな」
リカルドはムナロン峡谷での出来事を詳細に報告し、最後にアプラ侯爵の参謀パガニンについて話す。
王太子は黙って聞いていたが、サムエレ将軍が目を怒らせる。
「アプラ侯爵め、王太子殿下からよろしく頼むと言ってあったのに、許せん!」
「落ち着け、将軍。リカルドが語ったアプラ侯爵の部下たちが発した殺気などは、リカルドたちが感じた印象にすぎん。具体的な証拠があるわけではないのだぞ」
「しかし、フェドル村の村長が意図的に西の谷に案内した、という事実があります」
「そうだな。だが、それは村長個人の罪。アプラ侯爵を罰することはできんだろう」
将軍が悔しそうに顔を歪める。リカルドの脳裏に『監督責任』という言葉が浮かんだ。だが、監督責任を咎めても叱責する程度の罪にしかならないだろう。
王太子は不敵な表情を浮かべ。
「アプラ侯爵については、調べさせておる。いずれ化けの皮を剥がしてやる。それよりムナロン峡谷では、色々な収穫があったようだな」
王太子には影追いトカゲに関する情報を知らせていた。そこで影追いトカゲから、黒の触媒を手に入れたことを報告する。重要な秘密を二人に打ち明けたのは、王太子と将軍を信用しているということもあるが、触媒の元である影追いトカゲを飼育するためには、権力者の協力が必要だと考えていたからだ。
「ほう、影追いトカゲの卵を手に入れ、飼育場で育てたいと申すのか。安全なのだろうな?」
「安全には十分に気を付けます」
「信用しよう。しかし、黒の触媒から生まれる魔術とは、どのようなものなのだ?」
「【空】の魔術と名付けました。空間に関係する魔術のようです」
「空間? ……余には、どのような魔術なのか想像できん」
「私もでございます」
リカルドにしても、空間をどう説明すればいいか思い付かなかった。次元の説明から始めようかとも考えたが、それを誰から習ったのか訊かれると困る。自分で思い付いたと答えるのは、何だか気が引ける。リカルド自身、そんな天才じゃないと自覚しているからだ。
リカルドは影追いトカゲの飼育が成功し、黒の触媒が自由に使えるようになったら、【空】の魔術を披露すると約束する。
「そういえば、特大魔功蔦も手に入れたのだったな。余に【地】の魔功ライフルを作ってくれぬか」
王太子は相応の代金を支払うと言う。それを聞いた将軍も欲しいと言い出した。二人が【地】の魔功ライフルが欲しいと言い出したのは、【風】の魔功ライフルだと衝撃波の収束率が甘く、乱戦時に味方を誤射する危険があるからだそうだ。
リカルドは承知した。
料理の用意が調ったようで、ジュリアとラヴィーナが肉を盛った大皿を持ってくる。王太子たちの前に小さな壺が置かれた。その壺には半分まで灰が入れられ、その上に火が着いた炭が並んでいる。壺の上に金網を載せ準備が整うと、リカルドが薄く一口大に切られたクラッシュライノのロース肉を金網の上に並べていく。
「焼けるまで、少々お待ちください」
炭火で焼かれたクラッシュライノの肉がいい匂いを放ち始めた。その匂いを嗅いだ王太子が唾を飲み込む。
「まだなのか?」
「もう少しお待ちを」
リカルドは木製のトングに似た道具で、肉をひっくり返しながら焼く。焼き上がった肉を王太子と将軍の前に置かれている皿の上に載せる。
「タレを付けて、お召し上がりください」
将軍が毒見役なのか、先に焼き肉を口にする。次の瞬間、将軍の目がカッと見開いた。
「これほど美味しい肉を知らなかったとは……一生の不覚」
リカルドは大げさだと思ったが、黙って肉を焼く。王太子が待ち切れないように焼き肉を口に放り込む。一つ二つ咀嚼すると笑い声を上げた。
「クッハハハ……これは巨頭竜に勝るとも劣らない旨さではないか」
「クラッシュライノのロース肉でございます」
「余も初めて食べるぞ」
リカルドはランプ・サーロイン・ヒレと次々に美味しい肉を焼き、王太子と将軍の皿に置く。王太子と将軍は競い合うように食べた。
食べ終えた王太子が料理を褒め。
「クラッシュライノの肉が残っているうちに、また来よう」
リカルドは気になっていた小型装甲高速船について尋ねた。海賊退治が終わったら、返してもらえると思っていたのだが、まだ戻されていない。
将軍がチラリと王太子を見てから。
「船は修理させている。もう一月ほど貸してくれ」
「それは構いませんが、何に使われるのですか?」
王太子が悪そうにニヤリと笑い。
「クレール王国との戦いに使おうと思っておる。それより、炎滅タートルの甲羅を攻略する目処は立ったのか?」
王太子は炎滅タートルの甲羅を破壊する魔術を、リカルドが研究しているのを承知していた。
「はい、新しい魔術を用意しました」
将軍が「さすがだ」と褒める。リカルドが王太子の方へ視線を向けると、まだ笑いを浮かべていた。ボニペルティ領での戦いにおいて、何か考えがあるようだ。
その後、城での仕事がきついと愚痴を零してから、王太子たちは帰った。
「ふう、偉い人の前だと緊張する」
食器を片付けていたラヴィーナが、リカルドの言葉を聞き。
「リカルド様は立派ですよ。私なんか王太子殿下に話し掛けられたら、パニックになって返事なんかできません」
「そのうち慣れますよ。そういえば、ラヴィーナさんが作ったタレが、美味しかったと褒めていましたよ」
「本当ですか。光栄です」
ラヴィーナが嬉しそうに声を上げた。
その翌日、ボニペルティ侯爵軍と王家派遣軍が敵陣地の攻略に失敗したという知らせが、グレタの下に届いた。
グレタは戦場にいる父親のことを思うと、心を押し潰されてしまいそうな不安が湧き起こる。そんな時に、脳裏に浮かぶのは若き魔術士の顔だった。
屋敷を抜け出し、リカルドに会うために魔術士協会へ向かう。
研究室のドアをノックすると、中からリカルドの声が聞こえた。部屋に入ったグレタは、リカルドの姿を見て少し不安が静まる。
「グレタ……どうしたんだい?」
暗い顔をしたグレタは、ボニペルティ領から届いた知らせをリカルドに伝えた。それを聞いたリカルドは、グレタを椅子に座らせ、紅茶を淹れて差し出す。
「それを飲んで、落ち着くんだ」
グレタを落ち着かせ、彼女が知っている限りの情報を聞き出した。リカルドは、その情報を頭の中で整理する。
侯爵たちは敵陣地の攻略に失敗したが、多数の魔砲杖を使った戦術で敵の兵力を削ることには成功したらしい。侯爵軍は魔砲杖を使いこなしているようだ。
「新しく開発した魔術と侯爵の砲杖兵部隊が揃えば、敵陣地を攻略できそうだ」
その言葉を聞いて、顔から暗さが消えたグレタ。
「本当ですか?」
「ええ、戦いを終わらせられるかもしれません」
リカルドはその日のうちに手紙をボニペルティ侯爵に出した。その返事が来た翌日、ボニペルティ領へ向かう。あの炎滅タートルの甲羅を破壊可能な魔術を開発したと知った侯爵が、協力を頼んできたのだ。
今回は一人旅である。領都ベリオまでは乗合馬車で行き、ボニペルティ侯爵と合流。そこからは侯爵の馬車でモラド砦へ。
馬車の中で侯爵がリカルドに話し掛けた。
「新しい魔術というのは、どんなものなのかね?」
侯爵が一番に確かめたかったものなのだろう。だが、リカルドは【空】の魔術については、詳細を教えるつもりはなかった。ただ、実験で大岩を貫通し粉砕した事実を告げた。
もう少し詳しく知りたいようだったが、侯爵は魔術士が上級魔術について口が堅いのを知っているので諦めたようだ。
「グレタが迷惑を掛けたんじゃないかね?」
ムナロン峡谷へ同行した件を言っているのだ。リカルドは否定した。
「そんなことはありません」
「君には多くの借りを作ることになった。感謝している。……そんな君にはずうずうしいと思われるかもしれんが、頼みがある。炎鋼魔砲杖の再発注を頼めないかね?」
侯爵は炎鋼魔砲杖の数を増やしたいようだ。だが、炎鋼魔砲杖は王太子が絡んでいる。王太子の承認がなければ、販売は難しい。前回は王太子が魔砲杖の製作を侯爵に勧めていたという話を、王家派遣軍のオルランドから聞いたので承知したのだ。
リカルドは、そのことを侯爵に説明する。
「なるほど。王太子殿下には、先見の明があるようですな」
侯爵は何だか悔しそうに言う。リカルドとの関係は、侯爵の方が早かっただけに残念なようだ。
話題が魔砲杖の進歩についてに変わり、侯爵がリカルドを質問攻めにする。
「そうすると、中級魔術に相当する魔砲杖を作成するには、高級な魔成ロッドが必要なのか。魔砲杖が高額になるわけだ」
「メルビス公爵は、高品質の魔成ロッドを製作可能な魔導職人を、育てているそうです」
「あの女帝は、嫌になるほど優秀だ。我が領地でも真似をせねばならんな」
侯爵はリカルドとの会話から有益な情報を幾つか手に入れた。
砦では王家派遣軍の指揮官オルランドと侯爵の長男シルヴァーノが待っていた。シルヴァーノは立ち上がって動けるほど回復しているようだ。
リカルドとオルランドは、会議室に案内された。そこに集まっているのは、作戦会議の参加者だ。そのメンバーを見て、リカルドはウンザリする。前回の作戦会議では専門的な議論についていけず、退屈な時間を過ごしたからだ。
作戦会議は一日で終わらなかった。次の日も会議は続く。リカルドは地球の軍隊なら、どうするだろうと考えながら時間を潰した。近代的な軍隊なら、航空攻撃や長距離砲で敵陣地を攻撃するだろう。この世界に無いものばかりである。
「リカルド君、新しい魔術で炎滅タートルの甲羅を破壊する確率は、どれほどなのかね?」
侯爵の質問に、リカルドはビクッとして顔を上げる。
「確率は分かりません。触媒が三発分しかないのが不安です。もう少し量があれば、万全だったのですが」
作戦会議は新しい魔術が成功した場合、失敗した場合に分かれ議論が進む。
作戦会議が終わりそうになった頃、敵の陣地から使者が訪れた。
使者はクレール王国軍の小旗尉ボルドリッジだと名乗る。小旗尉と言えば、大隊の指揮官を務められるほどの軍人だ。
「クレール王国の奴ら、どういうつもりだ」
侯爵を始めとする全員が、このタイミングでの使者に疑念を持つ。少し前に激しい戦いが起きたばかりだからだ。
侯爵は使者の口上を聞くことにした。使者をモラド砦に招き入れ、作戦会議のメンバーで面談する。
「さて、早速だが、用件を聞かせてくれ」
ボルドリッジは神経質そうに集まっている全員を確認してから話し始めた。
「この度の戦いは、一ヶ月を超え続いている。このままではずるずると続く可能性がある」
クレール王国の使者は、休戦協定を結びたいと告げた。
「クレール王国軍がイレブ銀山を返し、我が領土から出ていくのなら考えよう」
王家派遣軍のオルランドが、当然とばかりに銀山の返還を求めた。
「それはできない。元々銀山はクレール王国が発見したものだ」
イレブ銀山の歴史は一二〇年になる。最初に銀の存在を発見し採掘を始めたのは、山師のような男たちでクレール王国の人間だったらしい。だが、勝手に他国の山で採掘を始めていいわけがない。
ロマナス王国は山師のような男たちを銀山から追い出し、自国で鉱山の開発を始めたのだ。
クレール王国は現状のままで、休戦協定を結びたいらしい。
敵にとって都合のいい話に、侯爵は怒りを表す。
「そんな虫のいい話が、通用すると思っているのか!」
「……ですが、侯爵。我らが築いた陣地は強固。この後も続々と兵力が集まってきます。そうなったら、イレブ銀山だけでなく、侯爵の領土全てが危うくなりますぞ」
その可能性を、侯爵は否定できなかった。リカルドの新しい魔術が失敗し、このまま両軍の対峙が続けば、他の領土も危険になる。
侯爵はリカルドを信用しようと決意した。賭けであるが、リカルドは数多くの実績を出している。王太子からも信頼されている魔術士なのだ。
 




