scene:10 研究論文目録
魔力の振動と色を記憶し、魔力制御により己の意思だけで振動させてみた。最初は難しかったけれど、コツが分かり振動させられるようになる。
但し振動しても赤くはならず灰色である。振動数と波長が正しくないようだ。振動をもっと細かくしてみる。魔力の色が薄い茶色に変化した。
「この色は【地】の触媒を使った時の色じゃないか」
試しに【飛礫】の呪文を唱えてみた。魔力が反応し空中に拳大の石が現れ前方に弾け飛んだ。勢い良く飛んだ石礫は川にポチャリと落ちる。
川面に広がる波紋を見ながら。
「魔術が発動してしまった。本当に触媒は必要なかったのか」
驚きワクワクしている自分と冷静に事実を見詰める自分が同時に存在していた。
触媒なしの魔術が可能だと証明すると同時に、この方法が実戦向きじゃないと気付いた。魔力に集中することで周りに注意を向ける余力を失くしている。これでは危なくて実戦では使えない。
訓練し慣れれば実戦に使えるのではと予測するが、そうなるまでに何年も掛かりそうに感じた。
その後、何度か触媒なしの魔術を試してから屋敷に戻った。
屋根裏部屋に入り、今後について考えた。
魔力制御の訓練は他の系統の魔術も触媒無しで可能となるよう続けるつもりでいるが、それだけでは駄目なようだ。
現在の魔術士の弟子という立場を吟味する。
アレッサンドロが妖樹狩りの要員を必要とする限り安泰だと思う。ただマッシモがリカルドを疎ましく思っているのは気付いていた。
短期間で魔術が使えるようになった弟弟子、自分より優秀そうなリカルドを嫌うマッシモの気持ちは理解できる。
マッシモだけならいいが、アレッサンドロまで嫉妬するようになると厄介である。魔術士としての実力は隠した方がいいかもしれない。
ただ早いうちに正式な魔術士にはなりたかった。どういう生き方をするにしろ。魔術士という肩書は大きなアドバンテージになるからだ。
正式な魔術士になるには試験を受け合格しなければならない。試験は年二回行われており、マッシモは冬の間に勉強し春の試験を受けるようだ。
問題は受験費用である。試験は王都で行われるので、王都までの道中や王都での宿泊費、それに受験料も必要である。特に受験料は金貨五枚だそうだ。
普通の家なら金貨一枚有れば一ヶ月楽に暮らせる。金貨五枚は大金だった。
「妖樹狩りで貰ったお金が銀貨八枚、触媒や着替えの服を買ったから半分しか残っていない」
魔術士になるためには稼がないと───この時、受験費用を師匠であるアレッサンドロが出してくれるとは露ほども考えていなかった。弟子にしたばかりのリカルドが、自分の息子より早く魔術士になるのを望んでいないと判っていたからだ。
また、魔獣を狩るしか無いのか。でも、頭突きウサギの素材は安い。別の魔獣に狙いを変えるべきだろうかと悩んだ。
素材が高く売れる魔獣を狩るには当然ながら危険度が増す。妖樹狩りで遭遇した巨大熊を思い出すまでもなく、ウォーピックと【飛槍】で倒すのは難しいと予想が着く。
【火】の魔術である【溶炎弾】を使えば倒せそうな気もするが、火事が心配だった。
通常なら、【飛槍】より上位の【地】の魔術を覚えれば解決できそうだが、教本には初級上位の魔術までしか記載されていない。
アレッサンドロやマッシモは教えてくれそうもない。書斎にある魔術の本はマッシモが管理している限り見れない。そうなると方法は一つしか無くなる。
自分で開発するのだ。幸運にも【溶炎弾】で開発の方法は判っている。
教本の『魔術言語の基礎』から魔術単語を一つずつ精査していく。その中で『系統詞』と呼ばれる呪文の最初に唱える単語を抜き出す。
教本に書かれている系統詞は『ファナ』『シェナ』『エスナ』『アムリル』『グロリー』の五つで【火】【風】【水】【地】【命】に対応している。
これを見ていて最初の四つが物質の四つの状態『プラズマ』『気体』『液体』『固体』を意味しているのではと思い付いた。因みにプラズマというのは物質が電子と陽イオンに分かれた状態であり、オーロラや雷もその一種である。
リカルドが魔術の四系統を『プラズマ』『気体』『液体』『固体』ではないかと考えたのは、【溶炎弾】が【火】と【水】の触媒により完成したからだ。
溶炎弾は炎とマグマの組み合わせである。『ファナ』が【火】、『エスナ』【水】だとすると矛盾する。
だが、『ファナ』をプラズマ、『エスナ』を液体だと仮定すると矛盾が解決する。マグマは物質の状態としては液体だからだ。
そこまで考えた後、もう一度魔術単語を見直してみた。その中に『ラザリュエ』と『コルベス』がある。これらと『ファナ』を組み合わせれば稲妻のような魔術を放てるかもしれない。
しかし、この魔術には少し上等な触媒が必要だろう。買うにしても資金が要る。
魔術は金が掛りすぎる。新しい魔術は保留とすることにした。そうするとウォーピックの代わりとなる武器が必要になる。
翌日、街に出たリカルドは武器屋に向かった。
商店街は人で賑わっていた。行き交う荷馬車の音や買い物客と商人との駆け引きの声。
剣と槍の看板を掲げた店が目に入った。武器屋は石造りのガッシリした店構えをしている。その中に入ると数多の剣や槍が並べられているのが目に入った。
近くにあったショートソードを手に取ってみる。ズシリと重く、これを振り回すのは無理だと思った。リカルドの身体は発育が悪く、背も低ければ筋肉も発達していない。
考えてみるとリカルドは九歳なのだ。日本ならば小学三年生くらいである。
改めて考えると小学生が魔獣退治をするというのも無理をしすぎていると思えてくる。
「ここで無理すると死んじゃいそうな気がして来ました。今は雌伏の時と考えよう」
帰ろうと思った時、店の主人から声を掛けられた。四〇歳ほどの口髭を生やしたおじさんである。
「おや、可愛いお客さんだ。何を買いに来たんだね」
「使える武器がないか見に来ただけです」
「ほう、魔獣ハンターにでもなる気かい?」
「いえ、魔術士になるつもりです」
「なんと、魔術士志望なのか。だったら向こうに杖があるから見るかね」
リカルドは杖と聞いて興味を持った。
主人に案内され右奥にある棚の前に行く。そこには何本かの杖やロッドが並べられていた。数は多くなく種類も少ない。こんな田舎だと魔術を使う者が少ないからだろう。
ロッドの中に一本だけ金貨五十二枚の値段が着いた特別なものがあった。そのロッドは鉄製の鳥籠のような箱の中に置かれており、厳重に鍵が掛けられていた。
それを指差して尋ねた。
「これはどうして高いのです?」
主人が自慢気に胸を張り、箱から一メートルほどのロッドを取り出してみせた。
「こいつは王都で仕入れた魔成ロッドだ」
「魔成ロッド?」
「知らないのか……魔術士が使う杖やロッドは普通の木を加工し魔力が伝わりやすいように妖樹トリルの樹肝油を使ったワニスが塗られているものなんだ。だが、魔成ロッドは妖樹の枝を加工したものを、魔導職人が魔力で表面を変化させたものなんだ」
魔力で表面を変化させることを『魔力コーティング』と呼び、高度な魔力制御が必要らしい。
そのロッドの表面を見てみると表面に雪の結晶のような模様が浮き出ていた。魔力により木の肌が変化し模様が浮き出たのだそうだ。
「綺麗な模様が並んで浮き出ているだろ。質の良い魔成ロッドは同じ模様が綺麗に並んでいるのが特徴なんだ」
魔成ロッドは魔力を流し込むと鋼鉄のように頑丈になり、その状態で敵を叩くと衝撃波のようなものが発生しダメージを与えるとパトリックに聞いたことと同じ情報を教えてくれた。
「凄いですね」
「そうだろ。こいつは魔術士フラヴィオ殿の注文なんだ」
こんな高価なロッドを買えるフラヴィオが羨ましかった。
主人の自慢話を聞いてから、杖とロッドを何本か見た。今の自分が買えるような値段ではなかった。
それにウォーピックより威力が上だとは思えない。武器を諦め店を出た。
一旦屋敷に戻り、頭の中を整理する。
当座の目標として魔術士になると決めていた。そのためには試験を受けるか、研究結果を魔術士協会に認めてもらうかである。資金の問題で受験が難しいのなら、何か研究し論文に纏めて魔術士協会に認めてもらうのが一番の早道かもと考えた。
「研究と言ってもな……何を研究すればいいか」
既に研究済みの問題を研究しても魔術士協会には認めてもらえない。その辺の情報を集めるためにエドアルドの屋敷に向かった。エドアルドはファビウス子爵家が召し抱えている三人目の魔術士で、パトリックたちの師匠である。
エドアルド邸は同じ通りのちょっと歩いた場所に在る。
この時間だとエドアルドは城に居るはずなので、見習いたちだけが留守番をしている。
訪ねてみるとパトリックが驚いた顔で迎えてくれた。
「おや、リカルドじゃないか。どうしたんだぎゃ?」
「魔術士について聞きたいことがあって来たのですが、お邪魔してもよろしいですか?」
パトリックが変な顔をした。
「リカルドは時々変におっさん臭くなるがや」
一瞬ドキリとするが、笑って誤魔化した。……気を付けなければ。
パトリックは一人で留守番しているようだった。イヴァンは買い物に出ているらしい。
彼の部屋に案内された。その部屋は屋根裏部屋の二倍ほど広く、大きな窓と頑丈そうな机があった。本棚もあり、そこには魔術関係の本や歴史書などが並んでいた。
「それで、何が知りたい?」
「魔術士が研究する場合、それが未研究のものかどうか、どうやって調べるのか」
「ああ、それなら協会が発行している研究論文目録で調べるんだがや」
エドアルドも所有していたので見せてくれた。
そこには提出年別に魔術協会に出され認められた研究論文の題目が列記されていた。
魔術単語の組み合わせと魔術効果に関するものが多い。次に多いのが触媒に関する研究論文で、珍しい魔獣の素材を触媒にした時の効果を研究したものだった。
「研究でも始めるつもりなんきゃ?」
パトリックの問いにリカルドは迷っているような表情を浮かべ。
「魔術士になるには試験に合格するか、研究論文が認められるかなのですよね」
「そうやけど、試験で合格する方が簡単だがや」
「そうなの」
「魔術単語の組み合わせや触媒についてはほとんど研究されていて、新しいものを見付けて魔術を成功させるのは難しいんだがね」
パトリックは魔術単語の組み合わせが調べ尽くされたように言うが、【溶炎弾】の呪文を正式な魔術士であるフラヴィオは知らないようだった。
「狩りの時に使った【火】の魔術があっただろ。あの魔術を知っていた?」
パトリックは首を振り否定する。
「いや、初めて見た魔術だがや。アレッサンドロ殿から教わった切り札なのきゃ?」
今度はリカルドが否定する。
「あれは偶然、自分で作った魔術だよ」
パトリックが驚きの声を上げる。
「エエーッ! 本当きゃ……そうだとすると研究論文を書けば魔術士として認められるかも」
確かめるために研究論文目録を調べ、【溶炎弾】に該当する魔術が発表されていないか調べた。目録に書いてある題目だけで調べるのは正確さを欠くが大体の見当は付く。
該当するものはなく、【溶炎弾】が新しい魔術だと確認が取れた。
パトリックが変な顔をしてリカルドを見ていた。
「どうしたの?」
「アレッサンドロ殿だって研究論文目録は持ってるはずだがね。自分の所の目録で調べりゃええのに……もしかして、マッシモから苛められているんきゃ?」
「イジメ……いや、別に苛められているわけじゃないけど、今は教本三冊の勉強だけをしろって言われているんだ」
パトリックが納得できないという顔をする。新しい魔術を開発するような優秀な弟子に、今更教本を勉強させてどうすると思った。
リカルドは話を変える。
「パトリックは魔術士の認定試験を受けるの?」
「ああ、春になったら王都へ行って試験を受けるつもりだがや」
「何度目?」
パトリックが渋い顔をする。試験に落ちた経験を思い出したのだろう。
「二度目や」
「魔術士になったら、どうするの?」
「魔術士協会の職員になるつもり」
「へえ、王都で働くんだ」
「魔術士協会の職員になったからって、王都で働くかどうかは判らにゃあよ。この国の大きな街には魔術士協会の支部があるから」
「そうなの。知らなかった」
パトリックが溜息を吐いて、憐れむような視線をリカルドに向ける。
「田舎から出てきたばかりだと言ってたから、仕方にゃあのかもしれんけど。もっと世間のことも勉強した方がええで」
「ごもっとも」
リカルドは礼を言ってエドアルド邸を辞去し、屋敷に戻った。
その日から、【溶炎弾】の魔術を論文として纏める作業を開始した。




