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scene:1 復讐者には天罰が

 その日、地球という惑星に隕石が落下した。それがただの隕石だったら問題なかったのだが、地球人にとっては未知の粒子を含むもので生物の精神に作用する力を持っていた。

 成層圏に突入した隕石は大気の影響で落下軌道を少しずつ変えながら、日本の地方都市へと向かう。地表から数百メートルまで来た時、落下点の道路をトボトボと一人の中年男性が歩いていた。


「警察はこっちか」

 男は自首するために警察署を目指し歩いていた。犯した罪は殺人である。

 その男は間藤未来生まとうみきお、高校で数学を教えている四〇歳の教師である。とは言え、優秀な教師ではなかった。それどころか子供が苦手で教え子と話をするのを面倒だと感じるダメ教師だ。

 それでも半年前までは、それなりに幸せだった。料理上手で明るい妻と可愛い娘がおり、家族を愛していた。

 半年前、妻と娘が目の前で殺された。轢き逃げである。


 警察の捜査で政治家の息子が捜査線上に浮上した。だが、警察の捜査は政治家の息子を追うのを止めた。

 腕利きの弁護士が現れ、政治家の息子が別の場所に居たと証言する証人を連れて来たのだ。警察は企業コンサルタントの肩書を持つ証人を疑ったが、偽証だと証明するだけの証拠がなかった。

 間藤は担当の刑事の一人が怪しい金融機関から借金をしているのを偶然知り、金を渡して情報を聞き出した。

 政治家の息子が怪しいと教えてくれた。調べるとそいつは買ったばかりの車を廃車にしている。しかもアリバイを証言した証人は、政治家が裏で交際している裏社会の住人だった。


 間藤はちゃんと捜査してくれと警察に頼んだ。無駄だった。アリバイを崩せない限り、政治家の息子はこれ以上追及できないと警察に告げられた。

 政治家の息子が犯人に違いないと間藤は悟った。間藤は犯人を人気のない場所に呼び出し、スタンガンで無力化し廃工場に運んだ。

 工場の柱にロープで縛り付け尋問する。ちょっと脅すと口を割った。思った通り有罪だった。恨みの思いがふつふつと沸き起こる。だが、まだ殺そうとは思っていなかった。


 殺意は奴が叫んだ言葉で生まれた。

「俺が悪いんじゃない。ババアとガキが飛び出してきたんだ」

 嘘だ。間藤の妻と娘は、横断歩道の信号が青に変わったので渡り始めただけだった。

 その瞬間、間藤未来生は『復讐者』となる。

 悔しくて涙が溢れ、そいつの顔を殴った。

「や、止めてくれ……俺が悪いんじゃない!」

 そいつが喋る度に怒りで頭が変になりそうになる。気付くと何度も何度も奴を殴っていた。


 一時間ほど経った。間藤は大きく肩を上下させ、苦しそうに呼吸する。拳を振り下ろす度に強烈な痛みを覚える。拳の骨にヒビが入ったらしい。気付くと、そいつが静かになっていた。


 ───死んでいる。


 間藤は人を殺してしまったことに気付いた。

「ああ……つまらない。何を間違えたんだろうな」

 間藤は自分の人生に絶望した。家族を失った今、何もかもが虚しくなっていた。

 警察に向かっていく途中、隕石が間藤の頭上に落下した。

 強い光を感じた次の瞬間、間藤の精神が肉体からダルマ落としのように叩き出され、残った肉体が爆ぜた。


『ギャアアアア……!』


 肉体から強制的に引き離された精神は本能的に悲鳴を上げた。肉体はないので魂の叫びである。

 隕石の衝突エネルギーは辺りの空間構造や次元の壁にも影響を与えた。肉体から叩き出された精神は次元の壁を破り、別次元に存在する高次元エネルギーに満ちた『混沌カオスの海』へと突き落とされた。

 『混沌カオスの海』は我々の銀河を含む宇宙がビッグバンで生まれるより以前から存在する特殊な時空間で、様々なエネルギーが満ち溢れていた。


 そんな場所に飛び込んだ間藤の精神は煮えたぎる熱湯の中に飛び込んだも同然である。苦しみ藻掻き周りにある力を取り込もうとした。

 だが、それも瞬時のことで『混沌カオスの海』にとっても間藤の精神は異質なものであり、拒否反応を起こした『混沌カオスの海』は間藤を弾き出した。

 その時、間藤の精神は『混沌カオスの海』から高次元エネルギーを大量に取り込んだ。それは進化エネルギーへと転化する。その進化の方向性は未知数……いずれ何らかの刺激を受け進化を始めるだろう。


 間藤が弾き出された先は『天神族の遊び場』と呼ばれる世界。その世界の北半球にザムドウラ大陸が在り、その南側のロマナス王国に間藤は出現した。

 ロマナス王国を支配しているのは、ロマナス王家という建前になっているが、実際は各地の豪族が分割支配していた。豪族は領地の広さや財力・戦力により、王家から爵位を賜っていた。王家より広い領地を持つ北のオクタビアス公爵、東のメルビス公爵などが有名である。


 間藤が意識を取り戻した時、真っ先に自分の肉体が消失しているのに気付いた。

「自分……死んでしまったんでしょうか?」

 ふらふらと漂う間藤の精神体は、普通なら成仏して消えてしまうはずだった。だが、高次元エネルギーを吸収したことにより浮遊霊のように彷徨っている。

「ああ……これは天罰なのか」


 浮遊霊のようになっても目が見えるようだ。眼が失くなっているのに不思議である。

 周りはちょっとした林で、白く小さな花の咲く木が視界を埋め尽くしている。

「どこなんでしょうね。ここは?」

 あっちにふらふら、こっちにふらふらしながら漂っている。普通なら死んだと判った瞬間に、慌てふためき騒いでいるだろうという自覚がある。

 それなのに、何とかなるという変な自信が心の奥にあった。

 ふらふらしているうちに小さな川に行き当たった。眺めていると川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきた。


「これはもしかして……」

 ひょろひょろと近付き大きな桃を岸に運ぼうとした。伸ばした手が大きな桃の内部に入り込み反対側から出てきた。スカッ、そんな感じで手が通り抜けた。

 間藤は肉体がないのを忘れていた。

「どうしたら……ここは念力でしょうか」

 手は駄目だったので、念力で大きな桃を押す。本当に少し動いた。半分冗談でやっていたので間藤自身も驚いた。押してる途中で、これが桃ではないと気付く。

 どうやら子供の尻らしい。


「……桃太郎……見たかったな」

 肉体が無いためだろうか。何だか思考がふわふわする。

「桃じゃないなら、このまま……駄目ですね。人間としての尊厳を失うような気がします」

 念力で子供を岸まで運び、草の上に寝かせる。人工呼吸はできないので、心臓マッサージの真似事をしてみる。

 子供の胸の上に手を当て念力で押す。何度か押した時、力の加減を間違い丸ごと子供に体当りしてしまった。


 精神体である間藤は子供の内部に潜り込んでしまう。もちろん、中には先客がいた。身体の持ち主の精神である。不運なことに進化した間藤の精神体と接触した子供の精神は間藤に吸収されてしまった。

 奇しくも間藤は子供の身体を乗っ取ったようだ。

 その瞬間、子供の心臓が動き出し痙攣しながら水を吐き出した。

 間藤の精神が子供の身体と完全にシンクロした瞬間、意識がブラックアウト。


 ………………


 誰かが呼び掛けている。

「リカルド……リカルド、しっかりしろ」

 薄っすらと眼を開けると眩しい太陽光が脳を刺激する。ズキッと痺れるような痛みが走った。

「ううーっ」

 呻きながら半身を起こす。

「ふうっ、良かった。生きていたか」

 先程から語り掛けて来る声の主を見ると十五歳ほどの赤毛の少年だった。


「明日は大事な日だというのに、足なんか滑らせやがって」

 顔に見覚えがある。……ん……そんな馬鹿な、知り合いに赤毛の少年なんか居ないはずだ。

「背中に乗れ、家に帰るぞ」

 訳の判らないまま、少年に背負われ川上に向かう。因みに見えていた尻は、赤毛の少年が隠してくれたようだ。

 間藤は赤毛の少年が誰かを思い出した。自分の一番上の兄アントニオだ。

 (……あれっ……兄だって、違う……ん……そうか、自分は子供の身体を乗っ取ってしまったんだな)


 身体の持ち主のことを記憶から引っ張りだした。ユニウス村のリカルド、それが身体の持ち主の名前だった。こんな辺境の村に住む住民は大概がちゃんとした家名を持たない。村の外に出た時、必要が有れば村の名前であるユニウスを家名とする。よって自分はリカルド・ユニウスらしい。

 年齢は九歳。貧乏一家の三男で、明日から親戚の魔術士の所へ働きに出ることになっていた。

 九歳で働きに出るのは早いような気がするが、この世界ではよくある状況のようだ。

 家は貧乏人の子沢山という言葉がぴったりの家庭で、リカルドの兄弟は二人の兄と弟と妹である。


 リカルドの記憶から、この世界についても思い出した。政治的には戦国時代に似ており、生活は同時代のヨーロッパと似ている。

 初めは地球のどこかだと思っていたのだが、リカルドの記憶の中には歩く樹木を見た記憶が有った。絶対に地球ではない。それに大陸の名がザムドウラ大陸だと知り確信した。

 リカルドが住んでいる土地は、ファビウス子爵家が支配する土地で、海から遠く山脈に囲まれた盆地に在る。

 産業は農業と林業が半々で、農閑期には父親も木こりの真似事をして日銭を稼いでいるようだ。


 間藤……いや、リカルドの身体から出ようとしてみたが出られなかった。

「神様が人生をやり直せとチャンスをくれたんでしょうか。自分にそんな価値は無いのに……」

 その時は厭世的な気分になっていた。

 アントニオが話している言葉が気になった。日本語でないのに、間藤にも理解できる。本来のリカルドが持っていた知識を引き継いだようだ。

 リカルドの精神は間藤に吸収されほとんど消えている。だが、残滓みたいなものが残っているのを間藤は感じる。間藤が居なければ確実に死んでいたので、結果としては変わりないと思うのだが、強い罪悪感が心に残った。


「もうすぐ、家だぞ」

 家は木造のボロ屋だった。広さだけはあるが、隙間風が入ってくる。夏は涼しいが、冬はちょっと……。

「おやっ、どうしたんだい?」

 母親のジュリアが台所から顔を出して尋ねた。三〇代半ばの若い母親だが、何だか疲れている感じだ。

 アントニオが釣りをしていて足を滑らし川に落ちたと言うと驚き、リカルドの身体を心配する。

 リカルド(中身は間藤)は「大丈夫……大丈夫」と言いながら、中央にある一番広い部屋の椅子に座って身体を休める。死に掛けたので身体が弱っているようだ。


 雑草取りの作業が一段落した父親のフェデリコも家に居た。無精髭を生やした真面目そうな男だ。

「気を付けるんだぞ。そんなことじゃアレッサンドロ伯父さんに迷惑を掛けちまう」

 アレッサンドロ伯父さんというのは、リカルドが明日から働きに行く魔術士のことらしい。驚くことに、この世界には魔術が実在している。実際どういうものかはリカルド自身が知らないので判らない。

 杖を振り回して呪文を唱えるような奴だろうか、とリカルドは有名な映画の魔法を思い出した。


 リカルドの父の家系には、魔術の才能のある者は居なかった。母親の実家であるヴァレリウス家はアレッサンドロという魔術士を輩出したので、リカルドにも幾分かは魔術の才能が有るかもしれない。

 三男リカルドだけが外に働きに出るのは、父親の所有する畑がギリギリ四人の子供を養うだけの広さしかないからだ。幼い弟と妹が成長すれば、食べる量も増え養っていけなくなる。その時、行商人をしている母親の弟が訪ねてきた。母親は弟に相談し長兄のアレッサンドロが下男を探していると知った。両親は行商人の叔父経由でアレッサンドロ伯父と相談し、幼い弟と妹を除けば、兄弟の中で一番若いリカルドが伯父の所で働くことになった。伯父が若い方がいいと要望したからだ。


 それはともかく、リカルドとしては弟子ではなく下男なのががっかりだ。

 リカルドは家族を見回す。絵に描いたような貧乏一家である。口減らしに働きに出されるのは仕方ないようだ。もし、もう一人子供が増えれば二男のマッテオが外に働きに出ることになるだろう。

 夕食はライ麦のお粥だった。本当にライ麦かどうかは判らない。見た目は同じだ。リカルドの身体が慣れているので食べられたが、日本人である間藤の味覚からすれば酷い味だった。


 家族からすれば、リカルドの様子は変だったはずだ。しかし、明日になると家を出なければならないせいだと考えてくれたようだ。

 その夜、麦わらを敷いただけの粗末な寝床でリカルドは眠った。夜中、声が聞こえ目が覚めた。耳元で女性の声が聞こえる。

「リカルド、ごめんなさい。不甲斐ない母親でごめんなさい」

 身動きせず、そのまま眠っている振りをした。

「本当は可愛い子供を手放したくないの。でも……ごめんなさい」

 母親のジュリアの声だ。親として子供を手放すのは、苦渋の決断だったのだろう。母親の深い悲しみが伝わってくる。


 リカルドの身体を乗っ取ってしまった罪悪感が、間藤の心を乱す。何ができるか判らないが、帰る余裕ができたら一度帰ってこよう。そして、リカルドの代わりに親孝行しよう。兄弟たちにも御土産を買って帰ろう。

 リカルドの目から涙が流れていた。リカルドの家族のために頑張ってみようという気になっていた。若いリカルドの身体が厭世的な気分を撥ね退けたようだ。

 翌朝起きると井戸で水を汲み上げ顔を洗う。体に染み付いた習慣のようで頭の中がボーッとしていても無意識に行動する。


 少し時間が経ってから、迎えが来た。母親の弟であり行商人をしている叔父である。

「準備は済んだか?」

 目元が母親に似ている痩せた行商人が尋ねた。準備は終っている。リカルドはほんの少しの着替えだけをボロ布に包んで持っていた。

 リカルドが頷くと行商人の叔父が家族に別れの挨拶をしろと告げる。適当に別れの挨拶を残し、行商人と一緒に家を出た。家族全員が見送ってくれる。


 昨日はよく見なかったが、住んでいた村は人口三〇〇人ほどの小さな村である。

 山間を開拓した小さな村、その風景を見ていると何だか切ない気分になるほどだ。本来のリカルドが家族との別れを惜しんでいるのかもしれない。

 村から魔術士アレッサンドロが住む領都デルブまでは、馬車で二日ほど掛かる。行商人の叔父は、商売をしながら移動するので三日掛かった。


 途中の道は領主ファビウス子爵により整備されている。整備と言っても道を舗装したりしているわけではなく、道の近くに居る魔獣を狩り、魔獣が嫌う薬草の種を周辺に蒔くのだ。

 御蔭で魔獣は道の周囲から居なくなる。村でもそうだったが、魔獣が嫌う臭いを放つ薬草は人が住む場所では必ず育てられている。


 領都デルブも例外ではなく、街壁の外側には特徴的な臭いのする薬草が育てられていた。

 リカルドが初めて見る大きな街だった。三箇所ある門の中で西門から入る。入る時には身元を証明するものが必要だが、行商人の叔父が保証人になってくれたので問題なく入れた。

 街は日本の古い町並みにヨーロッパの要素を取り込んだような建築様式だった。柱と板を組み合わせた木造建築にレンガ造りの煙突が有り、扉は観音開きの戸である。


 魔術士アレッサンドロの屋敷は、領主が住むデルブ城の近くに在った。二メートルほどの塀に囲まれた屋敷で、裏庭の方はクヌギやカシワに似た木が林となっている。

 行商人の叔父とはそこで別れた。

 一人になって屋敷の門を叩く。中から丸々と太った十五歳ほどの少年が現れた。品定めするような嫌な目付きでこちらを見ている。

「自分、アレッサンドロ伯父さんの甥のリカルドです」

 少年が鼻で笑い、中に入れてくれた。


「師匠から聞いている。ここで下男として働く奴だろ」

 間藤は処世術の一つとして、誰にでも丁寧な言葉で接するようにしていた。子供相手であっても例外ではなく、ここの住人らしい少年にも丁寧に応対する。

「はい、よろしくお願いします」

「僕は弟子のマッシモだ。お前は屋根裏部屋で寝てもらう」

 二階建て三角屋根の屋敷で、屋根裏が物置になっていたのだが、荷物を少し整理し寝台が置かれていた。布団も用意してある。

「お前の仕事は一階の各部屋を掃除するのと、ちょっとした雑用だ。二階の部屋は師匠の寝室と書斎、それに僕の部屋になっているから入るんじゃないぞ」

 マッシモという弟子は、何だか偉そうだ。こんなガキに偉そうにされてムカつくかと思ったが、不思議とそんな感情が湧き起こらなかった。

 九歳という若い肉体が精神に影響を及ぼしているのかもしれない。


「はい……食事はどうなっていますか?」

「一階に在る時計が六刻を指す昼と九刻を指す夕方が食事の時間になる。その時、一階の食堂に来い」

 この世界の一日は十二刻に区切られており、一刻は大体二時間らしい。日本の感覚では午後になった時間と夕方六時頃が食事だ。朝食は屋敷では用意せず、師匠だけはアミル茶を飲む習慣が有るらしい。

 屋敷の主人であるアレッサンドロは忙しいらしく、ほとんど城から帰ってこない。魔術士であるアレッサンドロは、城で子爵の長男に魔術を教えているそうだ。

 リカルドが初めてアレッサンドロに会ったのは、屋敷で働き始めて三日目、久しぶりに屋敷に帰ってきた時だった。


 五〇歳前後に見える小太りの男性である。顔は優しげなのだが、眼が鋭い。髪は白髪交じりの赤毛だった。この国の人間は赤毛が多い。リカルド自身も赤毛である。

 魔術士の衣装はローブが定番だが、夏にローブは嫌なようで薄手のチュニックとズボンという格好だ。普通の人と違うのは腰のベルトに三つもベルトポーチを下げている所だろうか。


「お前がリカルドか?」

「はい、よろしくお願いします」

「妹に頼まれて雇うことにしたが、怠けたら容赦なく叩き出すぞ」

「頑張ります」

「何か要望が有るか?」

 甥だから特別に訊いたのだろう。リカルドはチャンスだと思った。このまま下男として働くつもりはないのだ。

「文字が読めるようになりたいです」

 魔術士が初めて表情を動かした。田舎で暮らしていた甥だから、文字などに興味が無いと思っていたのだ。アレッサンドロは甥である少年に会うのは初めてだった。


 弟子のマッシモを呼んでリカルドに文字を教えるよう命じた。

「ええっ、面倒臭いよ。父さん」

 マッシモの言葉にリカルドは驚く。日頃のマッシモの態度が偉そうなのは、アレッサンドロの子供だったかららしい。

「リカルドはお前の従兄弟になるんだぞ。それくらい教えてやれ」

「チッ、しょうがないな」

「ありがとうございます」

 この後、マッシモがアレッサンドロの子供であり、正妻の子供ではなく愛人に生ませた子供だと知った。マッシモを弟子として屋敷に迎えると、アレッサンドロの妻は激怒し離縁したようだ。正妻との間には子供が居なかったので余計怒ったのかもしれない。


 その日からリカルドは文字を習い始めた。マッシモはお世辞にも良い先生だとは思えなかった。かつての自分の様に面倒臭そうに王国の標準文字であるジョルジャ文字を教えてくれた。

 ジョルジャ文字は表音文字でアルファベットに似ている。マッシモは文字の読み方と基本的な単語のスペルを教えると、これを見て覚えろと大きな辞書を貸してくれた。こんな教え方だと、普通は文字など覚えられない。だが、大人の理解力を持つリカルドには十分だった。

 朝早くから井戸で水を汲み上げ、屋敷の掃除や庭の雑草を抜く。季節は夏、だるような暑さの中での仕事はかなりきつい。


 夕食を食べてから、井戸端で水浴びをする。

 さっぱりしてから、勉強を開始する。下男としての仕事で貰える賃金はお小遣い程度で紙や筆記用具は買えない。リカルドは屋根裏部屋にあった板を見付け、その表面に拾った羽根を使って文字を書く練習をしている。インクもないので水だけで何度も板に文字を書く。

 陽はすぐに落ち、手元の文字が見えなくなる。幸運にも誰も使っていない樹液ランプが屋根裏部屋に仕舞われていたので、取り出して使う。

 樹液ランプのランプ部分は夜光樹の樹液を固めたものからできている。夜光樹の樹液を固めたものは特殊な機能を持っている。空気中だと光を吸収し蓄え、水中なら蓄えた光を放出するのだ。

 だから樹液ランプは小さな水槽の中に樹液の塊を固定する仕掛けになっている。


 一〇日ほどで文字を覚え、簡単な文章なら読めるようになった。その後一ヶ月で辞書の単語を全て記憶し、どんな文章でも楽に読めるようになる。

 これにはリカルド自身も驚いた。ダメ教師だった間藤には到底無理な芸当だったからだ。リカルドは自覚していないが、高次元エネルギーを吸収しポテンシャルが高くなった精神は記憶力も良くなっていた。


2017/1/29 修正

2017/2/6 誤字修正

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