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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

逃げたがりの青年

作者: ほしみ ことの

――僕は彼をみつめた。すると彼も僕の視線に気づいて顔を上げる。

  目が、合った。

 彼が微かに表情を変える。それは、ぱっと見では分からない変化。

 でも僕には、彼がどんな気持ちで今こうして立っているのか、何を求めているのか、全部理解することができた。全部。

  だから。

 今、彼がしてほしいと思っていることも、僕には手に取るように分かるのだ。というか、以心伝心?

 僕は彼の手を引き、熱い唇を重ね合わせて、抱いてやる。

 愛の言葉をささやきかけて心をどろどろにとかしてやる。

また、目が合った。

 彼の手がするりと僕の腰へと回される。今度は彼の番らしい。たまに彼の電波が不確かに乱れる。でも大丈夫。僕は分かってる。僕らは互いに完全に理解し合った仲なのだから、どっちかが傷つくことなんてないさ。

  彼は僕で、僕は彼。彼も僕も、彼で僕。

 相手が困っているなら、その理由だってちゃんと分かるし、悲しそうな顔をしていたら、どうすれば元気になってくれるか知っている。

 彼が傷つくというのなら僕も傷つくだろう。彼が幸せなら僕だって幸せになるだろう。

僕らに友人などいなかった。ついでに、恋人もいなかった。しかしね、孤独ではなかったんだ。だって……彼がいるもの。僕がいるもの。 

 ある地方の片田舎、二人ぼっちで暮らしているが、郵便屋さんは毎月くるし、両親も三月ごとやってくる。静かな暮らし。

  決して、決して、彼と僕だけの世界ではない。

 一山向こうのおばさんが手料理を引っ提げて家にやってくる。とっても面白い話をするんだよ。

 川向こうのじいさんのとこの子どもたちが収穫の手伝いをしてくれる。なかなかに逞しいんだ。


  平穏だ。ときは、穏便に済ませようとあらゆる危機をないものとする。

 ある国では反政府勢力が暴動を起こし、それなのに、僕らはのんびりと茶の間で世間話にいそしむんだ。 ある国では毎日何千人という人間が形をなくし、それなのに、その間僕らは畑から野菜をすっぽん、すっぽんと引っこ抜いている。子どもらが混じって無邪気に笑う。

 ある国ではひどい日照りが続きたくさんの生命が死んで、それだっていうのに、僕らはたまーに飼育しているニワトリのなかからなるべく肉付きの良いものを選んで首をきゅって絞めてちょんぎり腹に収めたりする。 


 目が覚めたら畑を見に行く。帽子を脱いだ郵便屋さんが僕らに手を振る。子どもたちと畑のぬかるみ土を投げ合ってはしゃぎ回る。ときには彼らの道化になってあげたりする。空模様で一喜一憂。畑を肥やし、水や養分をあげる。炊事をする。気持ち良い風吹く午後の下、彼と一緒に笑う……


  なんて、平和でのんきで幸せなんだろ。

  ずうっとずうっと死ぬときまで

  つまんなくて楽しい同じ(おんな)日々の

  繰り返しなのかしら。

 

……いきが、息が苦しいよ。他愛のない世間話、害虫と戦う僕ら。毎回毎回やってくるたび、不安そうに顔色を窺ってくる両親。

 きっと世界がぐるんと一回転、この太陽系から堕ちていってしまっても、最後のその瞬間までゆるやかな日常。なにも楽しいことなんかない。

  

  なんにも。

  

 ……そう、そうだった。なんにも……

 胸を掻きむしりたい。もうのどがつまってしまって仕方がないよ。ああ、このまま、少しずつ少しずつのどを絞める手に力を込めて離さないでいたら? どうなる? どうなる?

 どくどくどくどく、脈打つ僕の血管たち。まるで、これから絶たれるのを嫌がるだだ子のように。いや、もっとリズミカルに。暴れてダンス。ふふふ。

 

 だけど、じわじわ死の恐怖が生まれ襲ってくるんだ。死にたい気持ちがしぼんでいってラクになりたくって手を離す。――僕のいくじなし、臆病者、意志の弱い奴め。

 

 そうやって死のうとしては思いとどまる。彼の留守中はしょっちゅうなのだ。

 彼は、帰ったらただいまのことばも口にせず玄関を上がっていって、無言で僕を見つめるのだ。まるで僕が何をしていたのかその目を通じてよく見ようとするように。

 顔を歪めて声を震わせむせび泣く彼の頭を見ながら、僕は、ちょっぴり申し訳なく思う。彼を置いて行っちゃダメなのだ。僕は、僕は……死んではいけない。

 

 彼が帰ったらすぐご飯にできるようにコトコト晩飯作って待っている。なかなか彼は戻らない。


 そんなとき、僕は包丁を手に取りじっくりと眺めるのだ。その鋭い刃先をこの僕の首元にすっかり沈める。

 きっと痛いだろう。血がぶわああって噴き出して、その温かな血が僕の立つ、この台所の床を赤く染め上げる。痛いのに、かゆくてたまらないから、僕はその柄をもってぐりぐりと血肉をえぐってしまう。切り裂きたくって仕方がないんだ。

 でも、やっぱりそうしない。

  

  僕はホントに情けない奴なんだ。


 そうやって想像しているうちは、全身がかああ、と熱くなって、歯の根っこの神経がうずいて、僕らのあの部分もうずうずしてきて、痛いけれども気持ちよくってたまらなくなる。

 ポタポタ……白く濁った液体が僕の肢を伝い落ちる。僕はその跡を息を乱して見つめる。しんせんな、感覚。

 彼は帰ったらまず僕の目を見る。次いで僕のしたに注目する。そっと触れてきて、まぎれもなく濡れていることを感じた彼は目尻に涙を浮かべる。だけど僕はちいさく微笑む。ごめんね。空想の世界に飛んじゃったんだ。僕の死ぬトコを。


  ……本当に嫌な奴だな。僕は。


 郵便の赤い肩かけ提げて、若い青年が自転車に乗ってやってくる。そろそろ戸口を開けた僕はかすかに会釈。きっと社会に出てきたばかりなんだな。いきいきしてる。朝のひんやりした空気に包まれ、頬が桃色に蒸気している。きらきら。若木のいのちの輝き。

  

  この命を奪ったらきらきらも消えてなくなるの。青年はどんな表情を、魅せてくれる……? 

  幸い、彼は今朝から今晩まで留守なのだ! さて、どうしてやろう?


 青年の首元に何かが突き刺さった。僕が研いでおいた包丁。青年は何が起こったのかとんとわからずきょとんと僕を見る。


  ほら、そこそこ。刺さっちゃってるよ。


 僕が言うまで気づかないなんて、今までとっても幸せだったんだね。苦労なんか何一つなかったんでしょ。そら、一拍遅れで青ざめた顔だ。

 僕は、にっこり笑っていのちの柄を深くまで押し込んでやった。

 きらきらはやっぱり消えた。だらり、身体が奇妙に傾いで崩れ落ちる。あんなに美しかった肌はみるみる土気色に変わってしまう。青年は、最後に冷たい人になった。

 つっついても、耳元でわめいても、口を大きく開けて驚愕に目を見開いて沈黙してる。


  死んだんだ。僕はさつじんをした。

  牢に入れられるだろう。でもさ、どのくらいかなあ。

  どうせすぐ出られちゃうんだろう?

  償う心を持たない奴はどんなに悪辣な環境でだって

  ぶち込まれて中傷浴びようが終身刑だろうが死ぬまでけろりとしてるもんだ。

  終身刑? 雨風しのげてちょうどいいね。死刑? ああ、いいとも。

  ……なんて、いうんだろうさ。僕はそこまで肯定的生き方をしてないけどさ。

  

 足りない。

 まだだ。

 まだ足りないんだ。

 ころすこと。

 どんな表情して人は死ぬんだ。肉の感触。血の匂い。断末魔の叫びを僕は聞いてないぞ。

 

 近所の子どもたちが、今日は郵便がこないんだあ、と口にした。お兄さん見かけなかった? それはまたも僕の心をざわつかせる。無垢なる目が僕を見つめる。

 今まで、彼も僕も子どもらにハグやキッスなんてしなかったわけだけど、今日は違うんだ。してやろう。いいともさ。嫌がる顔を見てみたいもんだ。

 僕は彼らをそっと抱きしめ、頬に軽くキスした。それだけでも普段しないことだから、彼らはびくりと肩を震わせている。みんな泣きそうになってそれを必死にこらえているみたいだ。誰か家の外に助けを求めて叫ぶ者があってもいいはずなのに、それはなかった。そんなことをしたら僕らに嫌われてしまうとでも考えたんだろうか。


  つまらない。


 蔵の中に突っ込んで鍵をかけた。初めはしーんとして不気味なくらいの静かさだったのに、今ではもう戸を叩いて泣き叫んで声がかすれてしまっている。耳障りな声。仕方がない。僕は……黙らせに行った。


 殺せば殺すほど僕のあたたかな部分こころが失われてゆく。冷たくマヒする感覚すらあった。でもそれでよかった。どんどんそんな気持ちが消えていって狂ってしまえれば、いいな。ここがどこで、自分が何か、どんなに平和に生きていたことか、……そういうものを全部全部忘れられたらいい。

 ああ、神さま。僕はもうずいぶんと声明を握りつぶしてしまったみたいなんだ。それでも、貴方は僕を許すの? それとも罰してくれるの?

 いろいろめちゃくちゃだな、と笑いながら思った。こんなことをしてもなお、僕は狂えないんだ。壊れちゃいたいのに、死んでしまいたいのに。たくさんたくさん殺して殺して僕は笑ったんだ。笑って笑っておかしくもないのに笑っていたから、疲れてきちゃった。

 だから僕は一休みで家の縁側で横になり、そのまま寝てしまった。



 目が覚めたら、ちょうど良く彼が帰ってきた。僕は彼に向ってほぼ一直線に走って抱きついた。唇を重ね合わせて。

 ずっといつもなら、こうしていられるのに、彼は今日はどうしてかすぐに僕をひっぺはがした。何で?

 彼は息をのんで、目を泳がせる。あっちにこっちに、ぐるぐると。


  ねえ、何で彼は僕を突き放したんだ……。


 おもむろに僕の目をのぞき込み、視線を逸らす、そして僕の目をまた見つめる。そうだ、僕はもう彼と目なんて合わせられやしなかった。怖い。バレてしまうから。もう愛してはくれないと思うから。

 でもどうだろう。彼はそれでも僕のことを許すんじゃないのか。いつもそうやって彼は無言で僕を抱きしめてくれる。だからきっと、今回もそう。

  そうでしょ?

 僕の手を包んで震える声で彼が言う。

  ――ねえ、どうしてそんなことしたの?

 確かにそう言った。おかしい。おかしくないか。ほら、あれだ……だってさ、ほら、目を合わせたなら僕らは通じ合えるはずだったんだ。「どうして」、て? 「そんなこと」? 君はそんなことも分からないの。分かってくれるんじゃなかったの。目は合わせている。それでも合ってはいないって? いいや、分かるでしょう。

  ――どうしてそんなに君は死にたがるんだ。

 彼がそう言った。あ……彼は僕をまるで解ってないみたいだ。解ったようなふりで僕といたの。なんで、何てヒドイ。


  こんなの、愛じゃない。

  僕の恋人でも何でもない。

  彼らしくないし、ふさわしくもない。

  悲しい。


 悲しかった。彼は僕をてんで分かってなんかいなかったから。そうとも知らず、ずっと思い続けていたなんて僕のがよっぽどみじめだ。僕は理解してくれる人が欲しかったんだ。口なんて信用してなんかなかったのに。死にたくても僕を愛する人がいたから思いとどまれたこの日々を、こんな褪せたものにかえるなんて、一体予想もできなかったろうよ。理解が欲しかった。愛が欲しかった。日常の中で生き耐えうる術が欲しかった。たったそれだけなのに。僕の求めるものなんて。


 それなのに、彼は、彼は、彼は。


 もう、おわりだ。


 彼の耳元、僕はささやく。永遠とも思えるくらいのとっても長い口づけに、彼はもがき苦しんで暴れる。そんな彼を感じられることが僕にはたまらなく、気分が高揚すらしてくるのだった。そのまま首に手をかけて、愛しかったあの人の生命をこの手でつかみ取る。


 ――ああ、もう、からっぽだね。彼の目は僕の目をそう生き生きとは映し出さなくなった。僕の気持ちを一生分かりはしない。僕の名を呼んでもくれない。

  その口元は、もう僕をむいて笑うことがない。

 かなしい、くるしい、そんな感情がないまぜに、僕はそれでも笑うことができた。これで彼は永遠に僕のものになったに違いないのだ。いついかなるときでさえも彼の姿を見つめられる。しかしそれでいて、僕のやることなすこと、すべてに文句をつけることがないのだ。


 ――……僕は彼を抱き、彼の名を呼んだ。目尻から何かが頬を伝い降りて彼のシャツにしみをつくった。

 これは、涙……なのだろうか。あんなにどんなときでさえも笑っていた僕の目から生まれたものなのだろうか。


 あさっては、きっと子供たちに構って遊んでやろう。

 あさっては、彼と仲直りをしてやろう。

 だけどそのあさっては、やってくることがない。二度とそんなことは起こり得ない。

 あすは……くるのだろうか。

 あすがくるなら、それは青い青い大空にましろな雲が揺蕩い、日が強く照りつけるはずだ。僕はその光の下でいつ目覚めるともしれぬ彼を抱いていよう。

 世界が終わる、その日まで。

 僕の世界が終わる、そのときまで。 



 ――僕は彼をみつめた。だけど彼は僕の視線に気づいて顔を上げることは、もうない。

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