入学初日1
── あぁ、だりぃ……
しんっと静まりかえった講堂で、神条真人は心の底からこの下らない時間が過ぎ去ってくれる事を願っていた。
季節は桜の花びらが舞う麗らかな春。
この講堂に集まった約1000人は、ほぼ真人と同じ年の15歳である。と、なれば、今がどのような状況なのかは簡単に予想出来る。
そう、今は高校の入学式のまっただ中なのだ。
期待の度合いは個人差があれど、真人のように陰鬱な気持ちの者が大半を占める入学式は滅多にないだろう。それほどまでに、この場の空気は沈みきっていた。
特殊学校法人「社来学園」。
ここは普通の高校ではない。約50年前に起こった厄災で、その存在が明らかになった能力者達が集まる学校である。そして、完全能力至上主義の士官学校…しかも、能力を持つ者は必ず入学させられるというオマケ付きだ。
高い能力を持つ者なら成り上がるという夢を持つ事が出来る。また、希望者のみを集うならこれほど意気消沈する理由がない。
実力主義であるが故に高いモチベを持つ者は10人程度なのであった。
── ったく、こんなもんで人の価値を決めんなよ。
首にぶら下がった一枚の白いプレートをぐっと握りしめる。
このプレートこそ、この学園では自分の格と身分を証明するものだった。
真人のプレートは白く傷一つない長方形である。これは、真人の序列が1年の中で100位から199位である事を表していた。
説明すれば、プレートは全部で三種類ある。
序列1位から9位までのプレートには二本の溝が掘られている。同じ様に10位から99位までは一本の溝がある。となれば、後は説明の必要はないかもしれないが、100位から1000位までは溝は掘られていない。
溝二本のプレートを序列一桁の板。溝一本を序列二桁、溝無しを序列三桁と呼称し、持つプレートによって学内の扱いが変わってくるのだ。
また、色によってより細かい順位が分かる。
最も理解しやすいように一桁の板で説明すれば、1位は白、2位は黒… 以下、赤、青、黄、緑、紫、橙、灰となるのだ。つまり、二桁の板緑を持つ者なら60位から69位の序列になる。
当然の事ながら、序列は日々の努力で上がりもすれば下がりもする…だが、この能力というヤツは努力だけで超えるには高すぎる壁があるのだ。
その壁は100位以下なら100をキリ番に、10位以下なら10単位である。3年間の間にハンプレ持ちがテンプレ持ちになる事は稀に起こる奇跡と言われている。
これは誰もが知る周知であり、プレートは入学式前に配布される…受け取った者がプレートを見て入学式に望めば一桁の板以外がモチベを無くすのも当たり前の事なのだった。
更に言えば入学式が始まってから、ここまで延々と壇上に立つ男がこの説明をしているのも、皆のテンションを下げる一因になっている。それはまるで生徒に夢や希望を持たせない為に、わざと振る舞っているように見えた。
── 後何分続くんだろな…
理解していると思い込んでいる話を聞くのは苦痛でしかない。しかし、壇上の男のテンションは一定でまだまだ終わる様子はなかった。
辟易しながら、耐える事二時間… ようやく地獄の時間が終った。
「ふへぇ… 何か人生の貴重な時間を無駄にした感ぱねぇな」
殆どの生徒が会場を出ていっている中、真人の腰は重く椅子から離れようとはしなかった。
「何ジジ臭い事、ぼやいてるのよ… 」
「あ? 余計なお世話だ」
「あんたは… このまま三年間ここで過ごすつもりなのかな? 」
「んな訳ねぇだろ。大体、何でお前まで残ってるんだ? 瑞穂」
背中越しに聞こえた声だが真人は迷う事なく、その声の主を当てる。
声の主は、結城瑞穂。真人の幼なじみにしてその付き合いは10年以上に及ぶ… これだけ付き合っていれば、流石に間違えようがない。
「ふふん、ちょっとね… って、ちょっと真人。いい加減こっちを見なさいよっ! 」
セミロングの髪を払い、瑞穂は真人の頭をグイと後ろに引く。
「うがっ! 」
「可愛い幼なじみが話掛けてるのに、失礼でしょうが」
反り返った頭の上を除き込みながら瑞穂が言う。真人の視線上に映る瑞穂の顔は間違いなく可愛い部類に分別される。だがしかし、この可愛いさに騙されてはいけない。真人は長年の付き合いから骨身に染みている。
瑞穂は、トラブル大好きっ娘なのだ。
自ら望んでトラブルに顔を出し、その度に真人を巻き込んできた。
「親しき仲にも礼儀あり… お前の行動の方が礼儀がねぇな。で、今回は何を考えてやがる? 」
「あれれ… アンタにしては察しが悪いわね。これから何が起こるか聞いているんでしょ。だったらやる事は一つじゃない」
「は? 何言ってやがる。これからなんて寮に帰って、ルームメイトに挨拶するぐらいだろうか… 」
「えっ、ルームメイト…… って、アンタ! プレートを見せなさいっ! 」
真人の首を更に引っ張り、首筋に掛かったプレートを引っ張り出そうとする瑞穂。当然、瑞穂の体は前のめりになり胸が真人の顔に当たるが、当人は気付いていないのか気にする様子はなかった。
「いてて… やめい… い、否、やっぱ止めるな。こりは中々… ぐはっ!」
柔らかな感触に身を任せようとした瞬間だった。天国は一瞬で過ぎ去り、次は窒息という地獄に突入する。
真人から抜き取ったプレートを凝視する為に、体を離してプレートを引っ張った。そして、そうなれば首に巻き付くチェーンか真人の気道を締め付けるのは当たり前の事だった。
「ちょっと! 何でよっ! 」
苦しさで悶えている真人を気にも止めず、瑞穂はプレートを更に引っ張る。
「ぎ、ぎぶっ… 」
パンパンと瑞穂の腕を叩きギブアップアピールをするが…
「落ちるなら、答えてからにしてっ! 」
「己は悪魔かっ!いーからプレート放せよ」
真人の顔色から、あまり余裕がないと判断してようやくプレートを放した。
「げふっ、げふっ… はぁはぁ… ふぅ… 死ぬかと思った」
一瞬とは云え、気道を押さえられると焦りから、人はパニックを起こす。真人の言葉は決して大袈裟なものではない。しかし、
「チッ、根性なしが」
「お前な… 」
「で、何でアンタが三桁の板な訳? 簡潔に分かりやすく答えて」
「… 知るか、運営サイドに聞け… で、どうだ? 」
実際、真人が何かした訳ではない。確かに入学前の能力検定でやる気もなく適当に流しはしたが、潜在能力も評価対象になると謳っているのだから、学園が下した評価がこれなのだ。
「そんな訳ないでしょ! 私だってコレなのよ」
そう言って瑞穂が出したプレートは、溝二本の橙であった。
「序列8位か… 流石だな」
「流石じゃないっ! 私より強いアンタが何で私より低い評価なのよ。しかも三桁の板って、何かの間違いとしか… 」
「いや、お前に勝った事ないだろ」
「試合ならの話でしょ。それにしたってほぼ互角… いいわ、予定変更。真人、今から直訴に行くわよ」
何が気に入らないのか、瑞穂の無茶な思い付きに真人は思わず口をパクパクさせていたが、やっと言葉が口から飛び出した。
「アホか… 直訴してどうなるもんじゃないだろうが」
「明らかなミスを放置してどうするのよ」
「ミスじゃないかもしれんだろうがっ! それに序列は上がるんだぜ… 実力があるなら、間違いだって問題ねぇはずだ」
真人の言葉は、恐らくだが直訴した所で返ってくる答えだ。全く以て正論である以上、こう言われれば返す言葉もない。
「ぐぅ… 」
「ぐぅの音は出るってか。分かったんなら、直訴なんて面倒な事に労力を使うんじゃねぇよ」
正論を持ち出されて反論出来ない瑞穂。
これにて収束とホッと胸を撫で下ろす真人。
だが、真人は分かっていなかった。何故、瑞穂が会場に残り真人の元に来たのか… 分かっていれば、よほど直訴に行って無下に追い返された方が楽だっただろう。
入学式を終えた今、真人達の学園生活は始まった。しかし、真人の厄日はまだ始まっていなかった。