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プロローグ

 今から三年前、世界の三都市〈東京・ケンタッキー・ロンドン〉で形容すればバランスボールを一回り大きくしたような物が突然現れた。

 バランスボールは各都市で、空中をプカプカ漂っていたという。それ故、不可解であったが現場に居た者で危険を感じた者は殆ど居なかった。

 だが、人は気付くべきだった。

 その日を境に、動物や虫が居なくなった事、また飼われている動物が落ち着きを無くしている事に「何故」という気付きがあれば、少しは変わった未来があったかもしれなかった。


 バランスボールが現れてから三日間で検査が行われて、取り敢えず無害であると発表されると封鎖区画は縮小され、半径5Mを残し通行許可が降りる。

 そうなれば人はもうバランスボールが危険な物と云う考えには辿り着けない。

 ある者は珍しい物見たさで態々足を延ばし近付いてみたり、酷い者になるとバランスボールに触れよと封鎖境界線を越えようとする。

 これは完全に危機感の欠如だ。

 人間にも本来危険を察知する能力は備わっている。しかし永い時間、霊長類の頂点にいた驕りが人からこの能力を奪ったのだ。そして、それを嘲笑うかのように世界は人に牙を剥いた。

 バランスボールが現れてから一週間、この日から世界最大の厄災が始まったのだった。



……………………………………………………



「ここで間違いない── みたいだな」


 ただ広いだけの草原にその男は立っていた。

 年の頃は二十代前半かもっと若いかといったところで、精悍な顔立ちをしている。


 男の後ろ20Mに車が止まっているのが確認出来るが、それ以外に何も確認する事は出来ない。だが、ねっとりとその身に纏わりつくような風は、これから起こる事に警鐘を鳴らしている。


「良い風は吹かぬか。全く以て厄介な事だ」


 ── さて、と。やっとお出ましか。


 その男は表舞台に立つ存在ではない。しかし、紛れもなく人間の希望であり、最後の砦となりうる存在だった。そして、今その男が待つ存在は、三年前に現れたバランスボールより生まれし二つの厄災―― 人はそれを「魔物」と呼んだ。

 バランスボールが生んだのは二匹の獣だった。その獣は外観から犬型・猿型と云われているが、動物が持つ愛くるしさなど皆無の存在だった。そして、その脅威的な攻撃力は普通の獣なら有り得ないほどの殺傷力を持ち、この三年で莫大な被害を出した。また、人が持つ叡智では傷一つ付ける事が出来ず、神出鬼没な行動パターンを科学というカテゴリーでは読み解く事は叶わなかった。


 だが今、男の目の前に人間の天敵と云える魔物がいた。魔物の行動を先に読んでいたのだ。


「ルゥゥゥ~」


 猿型が男を見据え、不快とばかりに鳴く。その目には確かな知性が見える。


「言霊か…… 」


 猿型が不快と感じている以上に、男の体には不快感が纏わりついていた。もし、男が普通の人間ならこの鳴き声を聞いただけでその命を奪われていた事だろう。だが、男は笑みを浮かべながら猿型が放つ言霊の魔力を受け流している。そして、


「僭越ながら汝らの力、試させて頂くっ! 」


 溜めた力を解放するかの如く、その足に力を籠めると弾丸並みの速度で跳んだ。


「ギギっ! 」


 明らかにこれまでの人間とは違う── そう判断した猿型はとっさに後方へ退きながら、犬型へ警戒を送る。


「がっ! 」


 指示を受けた犬型が短く鳴き、男の前に立ち塞がった。


「お前が相手をする、と」


 猿型に退かれ、行き場を無くした拳を再び男は握り締めて── 笑った。


「接触を伴う役目は汝のようだな。だったら丁度良い、私もそちらが専門── いや、得意なのだ。

 改めてお相手願おう」


 そう云いながら、男は全身から殺気を周囲に撒き散らしたのだった。


「グガっ! 」


 普通の獣であったなら、男が放つ殺気に気圧され戦意を失っている所だろう。しかし、その存在は戦意を失うどころか、男に対抗しうる殺気を発散させた。


「退かぬか── 愚かなと云いたいところだが、云わせて貰えないみたいだな。ならば」


 パンっと両手を合わせると、男の周りの空気が収束する。


「遠慮はせんぞ、消滅したのならそこまでの存在という事だ」


 殺気から闘気への変貌を顕著に具現化させ、男は地を掛ける。

 その速度は初撃を上回り、神速にして苛烈、雷とまごうばかりのスピードで犬型との距離を瞬く間に詰める。そして、男との視線が交わった瞬間に犬型の視界は、男の掌によって完全に封じられた。


風牙烈斬(ウインドブラッシュ)


 ニヤリと薄ら笑いを浮かべながら、産み出された無数の風の牙が犬型の体に突き刺さり、更には切り裂いていく。まともな生物なら絶命必死な男の一撃に、犬型は驚き後ずさる。

 だが、それだけだった。

 男が放った術は、確かに科学が産み出した武器では届かなかった魔物の体を引き裂いた。しかし、退いた先での犬型の体には傷一つなく、突き刺った牙も切り裂いたはずの牙もまるでなかったもののようになっていた。


「ほう、これは…… 」


 男は驚嘆し、犬型に向かい合う姿勢を硬化させる。

 今放った一撃は、自分の持ち駒の中では中程の威力でしかないが、宣言通り手加減無しで放ったものだ。それが犬型には驚かす程度の花火でしかないのだ。


「全力を以て倒せるかどうかのレベルと云う訳か。これは── 」


 これまで積み上げてきた経験から、もっとも良策を導き出すと答えは一つしか出てこない。


「戦略的撤退だな」


 語感は良いがはっきり云ってただの敗走である。しかし、現実問題として犬型を倒したとしても猿型がいる。そして何よりも一つの戦いに全力を尽くす事など、男の美学が許さない。

 固い言動からは想像出来ないが、男の座右の銘は「日々是手抜」なのだ。だから、余力の残らない戦いは敗走の屈辱を味わったとしても行う気はない。


「うっ、うぅぅぅ〜」


 男が撤退態勢に入った所で、犬型が低く唸りを上げる。


「生意気に逃がさんとでも云いたいのか? だが── ぬっ! 」


 犬型に気を取られ過ぎていたのか、それとも空間移動が可能なのか、気がついた時には猿型が男の右腕に噛み付いていた。


「ぐっ! 貴様っ!」


 呪詛が右手から拡がろうとしているのを感じる。


「…… なるほどな。先程の威嚇は自分に注意を向けさせる為のものか、やってくれたな。── だがっ! 」


 残った左腕で猿型の頭をがっちりと掴む。


「腕の一本程度はくれてやる。この場の勝ちも持って行け。それでもこの命取れると思うなよ」


 牙がその身を削るのも関係なく、男は猿型を無理矢理引き離す。そして、そのまま犬型に向かって投げ付ける。


「我が風を纏わせた。犬よ、避ければ汝が主、傷つくぞ」


 男の言葉が通じたのか、犬型は避けずに猿型を受け止める。その瞬間に男は術を発動させた。


爆炎風(バーストウインド)


 猿型を基点に纏わせた風が強烈な爆風を生み出す。猿型も犬型もその爆風に煽られ左右に吹き飛んだ。


「汝らと顔を合わせる事はもうないじゃろ。じゃがな、我等が同胞が必ず立ち塞がる。覚えておくが良いぞ」


 捨て台詞を残し、男はその場を去っていく。


「グッガッ! 」


 強烈な爆風を浴びてもダメージは無かった犬型は、追撃を仕掛けようとするが、猿型は鋭く鳴きそれを制止させた。

 分かっているのだ。

 噛み付いた時に男が隠している力を感じ、戦闘を続ければ互いに無事では済まない事を── ならば、御敵がこのまま去ってくれるならそれに越した事はない。そして、このまま交わらなければそれで良い。

 猿型の鳴き声からは、確かにその意図が感じられたのだった。



 ……………………………………………………




「手酷くやられましたわね」


 男が車に戻り、後部座席に腰を下ろすと運転席で待っていた女が開口一番で蔑むようにそう言った。


「命からがら帰ってきた者に対して、労いの言葉はないのかね。静香君」


「長である貴方がそんな体たらくでは示がつかないと言ってるんですよ、信司さん」


 静香は顔を信司に向ける事なく、前だけを見ている。


「とは言え、一応の目的は果たせたみたいですね。御苦労様でした」


「労う気持ちはないみたいだね…… 」


「あら、そんな事はないですよ。その証拠にほら腕を出して下さいな」


 そこで初めて振り返る。ただクールな眼差しで信司を見つめ心配している様子はない。


「ったく、そんな事だから、未だに男の一人も出来ないんだよ。折角の美人が勿体無い」


「彼女一人作れない人が言える事じゃないでしょう」


 ホレ、腕出せ── とばかりにチョイチョイと指を曲げて要求すると、信司は渋々と腕を差し出した。


水流回帰(アクアヒーリング)


 静香の手が澄みきった水に包まれ、その水を信司の傷口に充てると、みるみる傷が治っていく。


「でも、私は兎も角貴方がそんな事じゃ困るんですよ。何の為にこの傷を負ったのか今一度よく考えて下さいね」


「君が嫁に来てくれれば話が早いんだかな」


「それはないですわ」


「私と孫と君の孫か── つまらん神託もあったもんだ」


 だが、今は踊らされるように、神託に添った行動をしている。そして、つまらんと罵った神託は信司達にとってマイナスにはならないのだ。


「私達には選択の余地はありませんよ」


「分かっている。多分このまま神託の通りに進んでいくんだろうな。まだ見ぬ子に孫に土下座したい気分だよ」


 苦虫を噛み砕いたような顔で信司は呟く。そして、静香もまた同じような表情を浮かべた。

 その後、二人は無言となり傷が治るや否や、静香は車を走らせると闇夜に混じり合うように車は闇に消えて行った。


 そして、時は流れる──




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