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「信じられないかもしれませんが本当の事なんです!」
思わずため息をつく。
「……あのね、幽霊なんているわけないでしょう?」
幽霊だとか居るわけがない。幻覚を見たか幻聴でも聞いたのだろう。そもそも私は自分の目で見たことないものは基本的に信用していないのだ。魔法使いや異世界人は居るだなんて力説する人を稀に見かけるが、そんなのはいない。
「まぁまぁ、葵さん。そう言わず話を詳しく聞いてみましょう。それで。何があって幽霊となったんですか?」
三人はたがいに目を合わせ頷く。話し始めたのは縁の無い眼鏡をかけたショートカットの2年生だった。
昨日の事です。
私が生徒会室に行く途中に、ピアノの音が聞こえて足を止めたんです。音の発生源は第三音楽室からでした。
私は誰か居るのかなと思って、ドアに手をかけて引いたんですが、びくともしません。そのためドアの窓から中を覗いて見たんですが、中にはグランドピアノがあるだけで誰もいません。
私はドア横に隠れているんではないかと思って、体をずらして部屋全体を見渡したんです。ですが。
「中には誰もいなかったということね」
桂花様の言葉に2年生は神妙な顔で頷く。
「そうです。恐くなった私はすぐに生徒会室に行って用を済ませ、帰宅しようとこの教室の前を通ったのですが……音は止まっていました」
「幻聴ではないんですか?」
誰もいないのにピアノがなるわけがない。
「私だけならそうだったかもしれません。なぜなら聞こえた音楽が、最近合唱で練習しているものでしたから。練習のしすぎで幻聴が聞こえてしまったのかと……最近ずっと聞いていて耳から離れない時がありました。ですが」
ですが、と言うことは。
「つい先ほどこちらにいらっしゃった用務員さんに言われたんです『朝6時ごろにピアノの音が聞こえたが、朝早くから練習でもしていたのか』と。それでその話を皆としていたんですが……今日は朝練習などしていないのです。それによくよく話してみればその現象が起こっていたのは今日だけではないんです」
「今日だけではないですって? では以前にもあったとでもいうの」
桂花様が身を乗り出しながら眼鏡ショートの子にそう問うた。私は桂花様の服を少し引いて、ジェスチャーで座るようにお願いした。
桂花様に真面目な顔で急に身を乗り出されてしまえば、眼鏡ショートの子が怯えてしまうことは仕方がないだろう。プリンシパルシスター桂花様だよ。桂花様はそのことに気が付いたのか、すぐに席に深く腰掛け失礼しました、と言った。
「話して頂けますか?」
私がそう言うと眼鏡ショートの子は頷いた。
「え、ええ。私以外にも聞いたことがある人がいるんです。彼女がそうです」
そう言って眼鏡ショートの子はお下げの子を見つめる。皆の注目が集まったお下げの子は小さくうなづいた。
「先ほどはその話をしていて……その恐くなってしまって」
「なるほど、あんな大声になってしまったと」
「ええ。淑女にあるまじき振る舞いでした。深く反省しております」
なるほど……。恐くなって大きな声になってしまったと。
「なるほど、状況はおおむね解りました。それにしても不思議。誰も居ない音楽室から音が聞こえるなんて、まるで学校の怪談に有りそうなお話ね」
確かに桂花様の言うとおり、学校の怪談やら七不思議なんかには定番としてありそうだ。多分、動く人体模型とか、増える階段だとかがそこに名を連ねているだろう。
さて、私の後輩に当たるこの子たちが、幽霊とか言うありえないモノに怯えているようだ。自分の身に起こった事ならであるならば簡単に忘れてしまっていそうなことではあるが、彼女達は心から不安がっているようなので、この謎(とも言えないであろう現象)を解き明かすとしましょう。それに桂花様もこの状況を楽しんでいるようだし。
「幾つか確認したい事があるんですがよろしいですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「まず、朝に用務員さんが聞いたという時、音楽室に鍵はかかっていたのですか?」
「えと、多分ですが、かかっていたと思います。用務員さんは別に音楽室に用があったわけではないようでして……通過するときにピアノの音が聞こえたと申しておりました」
今度は少し長めの髪をサイドテールにしている二年生が口を開く。
「私が用務員さんにあんな朝早くから練習なんて感心するな、と言われたんです。ですが先も申し上げました通り、朝練習などしておりません。ピアノの音が聞こえることがおかしいのです。それに鍵の使用履歴も確認したのですが、昨日の夕方には鍵が返却された後から朝6時に至るまで鍵を使用した形跡がないのです。私たちが普通に登校する時間にようやく鍵が使われたのです」
なるほど、用務員さんが見周りした朝6時頃までは誰も入っていないと。
「じゃぁ皆が登校し始める時間に音楽室が開いたのが最初なのですね?」
「ええ、その通りです」
「そうですか。それでは続いてですが流れていた音楽は、現在合唱部さんで練習していた曲と言うことで間違いないですか?」
その問いに眼鏡の子は頷く。
「私はしっかりそれを聞きました。間違いありません」
であれば合唱部としては知らない人のいない曲なのだろう。まさかその曲を知らずに歌おうだなんて出来るわけがない。じゃぁ、
「ちなみにその曲は皆が引けるのかな?」
私の問いに眼鏡の子は首を振る。
「ピアノで引ける人は半分に満たないでしょう。ヴァイオリンやフルート等の他楽器を含めて良いのならあれば8割くらいにはなるでしょうが……」
ヴァイオリンやフルートなんて私は触ったこともないんだけど……桂花様は弾けるのかな? まぁそれは置いておこう。
「それでは朝に流れたピアノの曲は、貴方が聞いたのと同じ曲ですか?」
サイドテールの子は小さく首を振る。
「えと、そこまでは分かりません。用務員さんはピアノの音と言っていましたから……」
夕方流れた曲と、朝に流れた曲は一致しないかもしれない。
「では、グランドピアノの屋根は開いていましたか?」
眼鏡ショートの子は目を閉じ、顎の所に手を持っていく。すこしして何か思い出したのか小さく口を開いた。
「あっ……そう言えば、突上棒が無かったのでしまっていました。前屋根は確か開いていたと思いますけど」
ピアノには前屋根と大屋根と呼ばれる部位がある。開き方によって音色と響きが変わるので、場所や曲に合わせた開き方をするのがふつうだ。確かお兄ちゃんは鍵盤の上に有る蓋(鍵盤蓋)を屋根だと勘違いしており、突上棒なんかなくても蓋って支えられないんじゃないか? と言ってしまい、大恥をかいたとかなんとか。
「普段練習するときも前屋根だけ開くの?」
「普段は半開ですね。でも稀に大屋根は開かず前屋根だけ開くこともあります」
そう言うのはサイドテールの女子だ。
さて、練習時は半開の屋根。だが音が鳴っていた時は閉じていた、と。実は合唱部員の誰かが居てピアノをひいていたというわけではなそうだ。
「ふぅ……」
隣で小さく息をつく音が聞こえ、私はそちらに視線をうつす。
「ケイオ……でそんなのいたかしら? 確か音を真似る特殊な個体が……。消え……だとしたら無体……? でも何度も出現するなんてことは……いえ、ケ……スには解明されてないことは……」
そこにいた桂花様は何だかよくわからないことを呟いているようだった。
「や、やはり誰も音楽室に居た様子はありませんよね……これは幽霊でしょうか?」
桂花様は何といって良いか分からず困っているようだった。
だから私が代わりに、はっきりと答えてあげた。
「いいえ、幽霊ではありません。そんなものは存在しません」
「で、ですが、先ほどの話を聞いていらっしゃいましたよね……音楽室には誰もいない筈なんです! だからこれは幽霊の仕業じゃないかって!」
お下げの女の子の言葉に桂花様は頷く。
「そうですね。聞く限りでは彼女の言うとおり誰も音楽室には居なかった。でしたら第三者もしくは霊やら宇宙人やら異世界人を想像してもおかしくは無いです」
またまた、桂花様は何を仰っているんですか。そんなのはいないんです。それに今回の状況は滅多にないかもしれないけど、あることはあるでしょう。
「そうなんです! では何なのでしょうか、私たちは何かいるんじゃないかと不安で……」
私は何かを言いかけたお下げの彼女を手で制止させる。
「まあまあ、落ち着いてください。確かに誰もいませんでした。私も誰もいなかったと思います」
「じゃぁ……」
何かを言おうとする眼鏡さんの言葉の上に、私は言葉をかぶせる。
「ですが、誰もいなくてもピアノの音が聞こえるとい言うことは、あり得るではありませんか。それに今日みたいな状況なんて、条件さえそろえば今の生徒会室だって起こりえることですよ?」