03
両親が出張するにあたって僕と妹を一番困らせたのは食事である。
僕も妹も料理なんかほとんど出来やしないのに、ウチの母親は父と一緒に関西に飛んで行ってしまった。どうせ出張は数カ月だけだから、たいした問題も起こらないだろうと楽観視したのだろう。いや、1か月過ぎてもたいした問題は起こってないが。
ちなみに妹は僕と違ってそんなに面倒くさがり屋ではない。そのため料理をしても構わないと言っていたが、対して僕は料理する気力はかけらもなかった。妹曰く、
「私が作っても良いケド、お兄ちゃんが一切料理をしないんなら、なんかしたくない」
との事だ。もちろん俺は妹が丹精込めて作ってくれた料理であれば、文句なんか言わず(多分)感謝して食べるだろう。しかし自分で作ることはしたくなかった。
さてそんなこんなで僕と妹が取った選択は……弁当と外食である。もはやそうなることは自明の理ではあったが。
もちろん今日も例にもれず弁当である。スーパーで割引シールが付いた弁当を一つ手に取ると、レジへ直行。親がくれたカードには二人分の食費が入っていたので、お金は余るほど有る。割引を買わなくても良かったかもしれない。
(すぐに家に帰って飯を食って遊ぼう、時間はたっぷりある)
明日は平日だけど学校は休みである。それは夏休みと言う学生生活で一番楽しい時期が来るからだ。
(さて夏休みはどうやって過ごそうか)
漫画、ゲーム、テレビ、ネット。遊ぼうと思えばくらだって遊べる。それに親も妹もいないし徹夜で騒いでもかまわない。ただ家事が少し面倒なだけだ。
よし、これから本気でゴロゴロしようと、決意を新たにしつつ家に向かっている最中だった。
ソレを見つけたのは。
(うわ、最悪だよ……)
俺は路地裏の奥を見つめ大きなため息をつく。
それは宙に浮かぶ漆黒の球体だった。吸い込まれそうなほど真っ黒で、禍々しいその球体の付近にはこれまた漆黒の狼みたいな生物が徘徊している。また黒い球体の周りには不気味なモヤみたいなものがまとわりついていて、その球体の不気味さを引き立てている。
俺は横目で辺りを見回す。
(やっぱ誰も気が付いていないか)
俺は足を止めスマホを操作するふりをしながら、壁際による。そして画面を見るふりをしながら、ちらりと狼を見つめた。
(はぁ、これじゃぁ柿原に、超能力なんてない。だなんて言えないよな)
俺自身が変な物を見ることが出来る不思議な能力があるのだから、完全に否定なんか出来るわけがない。
(なんで誰もこれが見えないのだろう?)
物ごころついた時から疑問だった。俺が指を差してアレは何と聞いても、どれの事? と何も見えていないかのように返答された。それから何度か親や友人に聞いてみたりしたけど、それは小学生になって少ししてからは聞くこと止めた。
(そもそもアレは何なのだろうか。生物なのか? 狼の方はそうだとしても球体は生物に見えないが)
俺はスマホに視線を向け、カレンダーを開く。そして今日の日付にチェックマークを入れメモに狼と記入した。
(今日は狼か、先週は、蜘蛛だったか? うん、蜘蛛だな。はぁ、なんで俺だけこんなのが見えるんだか……)
辺りの人はやはり何も見えていないようで、足を止めることは無い。
その俺にしか見えない生物は、何かを探すように辺りを徘徊しながらこちらに歩いてくる。俺は近づくそれから逃げようと思い、スマホをポケットに入れ歩き去ろうとした時だった。すごく見覚えのある一人の女性と、ある意味有名な学園の制服を着た二人の女性が、路地裏に入っていくのが見えた。
(あの銀髪はウチの生徒会長だよな……それで、後ろの二人は……他学校の生徒? それにしてもなんだこんな路地裏に)
俺は彼女達が気になり、歩き出そうとする足を止めた。そして建物の陰に隠れながら、そっと様子をうかがう。
どうやら彼女達は一直線に奥へ向かって歩いているようだった。
(なんだ、カツアゲか? いやそんな雰囲気じゃないし。でも、だったらなんでこん……)
「っっっ!」
思わず右手で口を抑える。
彼女達は徘徊している狼の前に立つ。そして三人で頷きあうと、一番身長の低い女性がすっと右手を上げた。するとどうしたことか、彼女達の周りに白い靄のような物が浮かび上がった。
(なんだよ、あの靄は……黒い球体と同じ? ちょとまて、なんでおんなじのをアイツは出せるんだよ。つか、もしかしてあいつらはあの球体や狼が見えてる!?)
彼女の生み出した靄は、あの漆黒の球体が纏っていた靄と非常に酷似していた。違いがあるとすればそれは色だけだ。そしてその光が一際強く輝いたかと思うと、彼女達の足元に白く発光する幾何学模様が浮かび上がった。
俺は一旦視線を外し大きく深呼吸すると、もう一度あの幾何学模様を見つめる。
(いや、ちょっと待て、なんだあの足元に浮かぶ幾何学模様は!?)
「はーい。人払いの魔法と幻覚魔法はかけ終えたわよ。面倒だしさっさと終わらせましょ」
その言葉を聞いて俺は辺りを見回す。そしてその異常性に気が付いた。
(あ、あれ? 俺の周りに人がいない?)
いやそれだけじゃない。今の俺は口を抑えて腰を低くした挙動不審の怪しい人間なのに、なぜか誰からも注目されていない。ちらりとこちらを見ることすら無い。まるでここが世界から隔絶されているかのように、誰も反応を示さない。
(おちつけ、おちつけ)
俺は唾を飲み込み、震える足を右手で押さえ、ゆっくり息を吐く。そしてちらりと彼女達の姿を見つめる。
(あの他校の女子は、確か人払いと幻覚の魔法と言っていた。魔法? 魔法って何だ? 魔法ってあれか、超能力みたいなものか? ならば俺の目も……目? 俺の目は何なんだよ?)
不意に生徒会長が右手を上げる。その手には杖みたいなものが握られていて、その杖と彼女の体からは今度は青白い靄が漂い始める。
手を振りおろした瞬間、俺は言葉を発さないようにするだけで精一杯だった。
(な、なんなんだよ、あれは!)
なんと生徒会長の目の前に幾何学模様が浮かび上がり、そこに靄が集まりだしたのだ。そして有る程度の靄が幾何学模様に集まると、その幾何学模様は大きく光り輝いた。
驚いたことに彼女の周りに幾つかの細長い水晶みたいなものが出現する。それら水晶の両端は鋭く尖っていて、一本一本が成人男性くらいの大きさだった。生徒会長はその鋭利な切っ先を漆黒の球体と狼に向ける。
(まさか串刺しにするのか?)
結果を言えば、俺の予想は当たっていた。生徒会長は手を振り下ろすとその鋭利な水晶は勢いよく射出され、目標に向かって直進する。狼や球体は避けようともしなかった。彼らはふらふらとそこを浮遊、もしくは歩いていたが水晶は奴らを串刺しにした。
「ガ■△×GRぅオオ……」
狼は甲高い女性の声と、犬の遠吠えと、ガラスを引っ掻いたような音を混ぜた不協和音を漏らす。そして黒煙のような何かが体からあふれ、やがて大気と混じり合ったのか消えてしまった。
ソレを見ていた俺は、なぜか寒気を感じて体をブルりと震わせる。
(やけに寒いな…………。ってまて、寒いって? おいおい、明日から夏休みだっての。今は真夏だぞ!? なんで寒いんだよ!?)
なんでだよと思わず呟きそうになるのを堪え、じっと路地裏を見つめる。
先ほどの魔法のようなもので狼は消えてしまったが、黒い球体は健在だった。その漆黒の球体は鋭利な水晶を体に突き刺したまま、相も変わらずその場でふわふわと浮遊する。
(くそっ、意味がわからない。狼も意味分からないが、あの漆黒の球体は更に意味が分からない……何なんだ?)
すると今度は生徒会長では無く、横に立っていた女性が動き始める。その人は175センチある俺と同じくらいの身長で、つやのある黒髪を背中に流していた。
彼女は黒い球体の前に立つと、手を真上につきあげる。
(何してんだよ、アイツは……ってなんだ、また光の粒子が……)
彼女の手に白い小さな光の粒が集まった、ように見えた。なぜならソレはほんの1秒にも満たない時間だけ発光したからだ。瞬きしたら気が付かなかったかもしれない、それくらいに。
(ん、なんだアレは? 日本刀?)
気が付けば腕を突き出した彼女の手には、一本の日本刀が握られていた。
(っておいおい、まてよ。どこから取り出したんだよ!? あの刀、1メートル以上はあるぞ。そんなのさっきは持っていなかったじゃないか!)
彼女はその刀を持つ手に力を込めると、そのまま黒い球体に向かって振り下ろす。
(あの球体が真っ二つ。……さっきの狼と同じように消えていく)
球体が気化するのと同時に彼女は振り返る。俺は、驚きながらも体を彼女達の死角に隠した。
「む?」
「どうした、花香」
俺は顔を引いて息を止める。緊張のせいでドクドクと自分の心臓が大きく跳ねあがり、背中には冷や汗が伝う。
(ば、バレたか?)
「ん、気のせいのようです。すみません、これで仕事は終わりでしょうか?」
「いや、『穴』を塞がなければならない」
ため息をつきながら、聞き耳を立てる。これは多分生徒会長の声だろう。記憶が確かならこんな声だった気がする。
「ええー『穴』探しぃ? 超メンドーなんだけど。そこらへん諜報部にやらせればいいじゃない。なんでもかんでも実行部だけじゃあたしらだって休みもらえないしぃー」
このやる気なさげな声のを出すのは、人払いの魔法だか超能力だかを使った背の低い子だろうか。
「確か『穴』をふさげる人が今居ないときいたな。一応諜報部が見回ってるらしいが、『穴』が見つかったら結局呼ばれる。ならば私たちも動いて『穴』を閉じる方が面倒が少ないと思う」
「うへー。なら帰っても呼ばれそうジャン、やんなきゃだめなの? かったるいなあ」
と二人が反している中にもう一つの声が混ざる。それは先ほど漆黒の球体を真っ二つにした、長身の女性だろう。
「柳原先輩、細流先輩、ならば迅速に対応致しましょう。誰かに『穴』を発見されては、処理に困ります」
「そうだな、皐?」
「はいはい。分かりましたぁ。あーあ、今回は誰も見てないと良いんだけど」
「以前は戦闘を目撃されたな、確かに面倒だった」
「アレはマジ勘弁して欲しいわ、しょーじき消すのも面倒なのよね」
(ッ!?)
「……ぁぁん?」
「皐先輩……? どうかされたんですか」
気付かれてしまったのだろうか? 俺は少しだけかがんで走り出す準備をする。
「なんか音聞こえね?」
「それは多分私のスマホの音だ……、諜報部からだな。でるぞ」
「あん、あんたスマホ使えるようになったのかよ?」
「電話だけだがな……細流です。ええ」
(しめた、今が此処から立ち去る絶好のタイミングだ。生徒会長が通話しているうちに離れよう)
背の低い女性はこう言った『しょーじき消すのも面倒なのよね』と。消すって何だ? 普通に考えれば存在とか、記憶だろうか。
(どちらを消されるのも勘弁だぞ)
俺は音をたてないようにゆっくりと歩き出す。一歩二歩。隔絶されたこの路地裏付近から、あの人通りのある道へ。
(よし、いそいで家に帰ろう!)
何とか人ごみの中に紛れ込むと、俺は早歩きで前へ前へと進む。そして人が減って、道に隙間が出来た時、俺は脱兎のごとく走り出した。
「キャ」
途中女性とぶつかってしまったのか、後ろから小さな悲鳴が聞こえる。だけど俺は立ち止って謝る余裕もなかった。心の中で謝りつつも家に向かって全職力で駆ける。
数百メートル走っただろうか。商店建ち並ぶ駅前から、住宅地まで走った俺だったが、違和感を感じて足を止める。
走ったせいか、消されるのを恐れている所為か、跳ねる心臓を何とか落ち着かせようと深呼吸する。そしてどこかの家の塀に手を当て、体を休ませながら辺りを見渡した。
「おかしい……絶対におかしい。何故、誰もいないんだ……?」
深夜と言う時間帯ではない。今は仕事帰りのサラリーマンや、買い物帰りの主婦、帰宅中の学生をちらほら見かける時間帯だ。ふだんなら此処に立っていれば目の前を2、3人は通りすぎているだろう。
(住宅地に入ってから、誰ともすれ違っていない!)
それだけじゃない。車も自転車も、はたまたカラスもみていない。まるで世界から隔絶されたような……。
この感覚は覚えがあった。それもつい先ほど感じたものだ。
「っ、急ごう」
俺は足に力を入れて地面をける。そして10メートルほど走った時、奇妙な浮遊感に襲われた。
(あれ、地面ががない?)
右足が一向に地面に付かない。それどころか、体全体が地面に沈んでいく。下を見ればそこにはコンクリートではなく漆黒が広がっていた。
(落ちる)
そう思って右手を伸ばし何かにつかまろうとするも、その手は空を切る。左手にもっていた今日の夕飯の入ったビニール袋をほおり投げ、何かにつかまろうとするもそれも無駄だった。
何とかできないかと手足をばたつかせ必死にあがく俺だったが、何ら意味はなくその暗闇に落ちていった。