17
現在俺は数学と言う思い出したくもない地獄が終わって、机に突っ伏している。先生に指名されて恥を掻いた……と言わけでは無い。しかし今の自分の現実と、今後待ちうけるであろう未来を想像するに地獄の勉強週間を組まなければ留年は余裕だということに気が付いてしまった。
幸いに次はお昼と言う現実逃避の出来る時間帯だ。適当に購買に行って何かを買って英気を養おう、そう思っていた時だった。悩みの種となる彼女が現れたのは。
「あの、湊君?」
彼女はクラスメイトで確か……須藤さんと言っただろうか。3年ぶりで名前が合っているかわからないがそんな感じだったと思う。
「えと、生徒会長がよんでるよ?」
余りの事に思わず立ち上がる。そしてすこしして頭を抱えて力なく着席した。
(なんで教室に来るんだよ!? 今は昼休みだぞ……人がまだたくさん教室に残っているんだぞ?)
別に会って話をする事に何ら問題は無いし、別に構わない事ではある。だけどそれは時と場合による。
そもそも生徒会長である瑛華先輩は非常に美人だ。元がエルフとあって、正確無比の均一な顔、芸術品のように美しいプロポーション、そして100歳を超えているとは思えないほどハリツヤのある白い肌。圧倒的美人だ。
さて、そんな美人で生徒会長と言う肩書きを持つ彼女は非常に目立つし、ファンが多い。それと同時に先輩を狙っている男性も多い。
「音吉はいるだろうか?」
皆の目線が先輩から俺に映る。ふと横を見て見れば柿原がまるで『あっちゃぁ』とでもいいそうな顔で苦笑いを浮かべていた。
「せ、細流先輩、どうされたんですか?」
「なんだ、私の事は瑛華でいいと言っているだろう? それよりも早く生徒会室へ行くぞ?」
(は? せいとかいしつ? なんで?)
「なんだ今始めて聞いたみたいな顔をして……ふむ、さては始業式サボったな? まぁいい。弁当があるならさっさと持て」
「いや、弁当は無いですけど」
「ならば早く行くぞ。何だかとても目立っているようだしな」
(目立っているのはあなたのせいです。そんなのは自明の理でしょう?)
俺は急いで荷物を片づけると、引っ張られるようにして連れて行かれる。ついでに周りの目線も引っ張りながらだが。
「さて今日はなぜ始業式に出なかったんだ?」
教室を出てすぐに先輩は俺にそう言った。
「あ、いえ、思った以上に疲れていたみたいで、朝目が覚めたら学校が始まってる時間に……」
「ははっ、なるほどな。確かに私も朝起きるのが少し辛かった」
言われて俺はふと思い出す。そういえば面倒事を先輩に押し付けてしまったのは俺だ。捜索願の解除だったり、ギルドの説明だったり、今後の行動指針だったり。
「ああ、昨日はいきなり電話してスイマセン。捜索願が出されていたなんて……」
「いや、それは私の落ち度だ。君が気にする事ではない。普通に考えれば地球では数か月間居なくなることはありえないからな」
まるでヴォーアでは良くあることだ、とでも言っているかのように聞こえるが、確かに冒険者と言う職業になればそれは普通だ。むしろ年単位で帰ってこれないこともあると、村を通った冒険者が言う世界だし。妻とは別れそうだなんて笑っていたあの冒険者は今どうなっているんだろうか。
(今思えばヴォーア出身の瑛華先輩が、地球に慣れ親しんでいる方がおかしかったのかもしれないな)
先輩がパッと捜索願の事を考え付かなかったのもそれ原因かもしれない。先輩の基本的な常識はヴォーアで植えつけられたのであって、日本での常識が後付けなのだ。
(先輩が躊躇いなく人殺したりしたらイメージ的にやだな……だけどそれもあり得るのか)
「さて……弁当を持って来なかったようだが、君は昼ごはんはどうしているんだ?」
「母が家に居れば稀に弁当ですが、基本は購買です」
購買に行くのが遅くなるといい商品はたいていなくなっているため、今日はもしかしたら散々な食事になるかもしれない。まぁ1、2食抜くことはヴォーアでよくあったので、別に無くてもかまわないが。
「なら出前でも良いか? 私も基本は用意していなくてな」
「では、それでお願いします」
たわいもない話をしながら歩くこと約数分、生徒会室についた俺達を出迎えてくれたのは一人の男子学生と一人の年配女性だった。
「失礼します」
その年配女性は、俺の記憶が正しければこの学校の校長。そして男性の方は……生徒会の人かな? 名前は知らない。校長については入学当初は名前を覚えていたかもしれないが、3年の歳月は長いもので自分の頭には断片すら出てこない。むしろ校長だと分かったことを褒めたやりたい気分だ。
「いらっしゃい。とりあえずかけて頂戴」
「はい」
俺は瑛華先輩に案内され、一つの椅子に腰かける。対面には校長先生が、そして生徒会長と書かれたプレートが立っている少し豪華な席には瑛華先輩がすわった。
(あれ、校長が一番いい席に座らないのか? あ、いや。ここは多分魔法ギルドに関係している人だけが集められているだけで、この中で一番地位が高いのが先輩なんだ)
それに良く考えてみれば、校長が一般的な人間なのだとしたら、一番の高齢者はエルフである先輩である。魔法使いで有れば見た目よりも年齢が高いことはままあるけれど、校長先生の魔力を見るに100歳は超えてないんじゃないだろうか。
「校長、とりあえず出前を取ってもらっていいか? 私と音吉の分だ。音吉、寿司でいいか?」
(寿司っておい……)
「いえ、そんなにお金ないので」
「それはかまわん、私がおごろう。祭、吟選か特上でたのむ」
「はい、すぐに注文します。それと細流さん? そのあたりは経費で落ちるのでお金はそちらからだします」
(年齢は明らかに上なのは分かってるんだけど、なんか見た目が若いせいでギャップが凄いな……)
年配の女性が女子高生に使われる図はとてつもなくシュールだ。校長先生がスマホを取り出し連絡をしていると不意に横からお茶が差し出された。
「ありがとうございます」
その人はやせ形、顔の彫りが深い男性で、カッコいいかと問われればカッコいいと10人中7人くらいが言いそうな男性だ。もちろん俺よりも数十倍はカッコいい。
彼は先輩と先生にもお茶を置くと、電話を終えて席に付いた先生の隣に座った。
「さて、自己紹介と行こうか。私はもうすんでいるから……」
そう言って校長先生を見つめる。校長先生は先輩を見て小さくうなづくと、俺に向き直りニコッと笑う。
「もしかしたら知っていると思いますが祭花です。諜報部に所属しています」
続けて隣の男性も名をなのる。
「私は2年で副生徒会長をしている斎藤真。校長先生と同じく諜報部に所属している」
(祭先生に斎藤先輩ね……)
「よろしくお願いします、湊音吉です。一応3年ほどヴォーアに居まして、最近帰ってきました」
「うむ。では自己紹介も終わったことだし、今後について話したいと思う。さて何から話そうか。とりあえず昨日の被害の報告を貰えるか?」
昨日と言うと鬼蜘蛛のことだろうか。
「昨日出現した『穴』からBランク魔物が出現。そして暴れたことによって、死者0、重軽傷者29名。関係者の記憶は既に操作済みで、削除に成功。表向きは地震によるガス爆発ということで話は通っています」
「そうか、死者が0だったのは不幸中の幸いだな。音吉、君のおかげだ。ありがとう」
「あ、いえ、気にしないでください。そんな大したことをしていないですし」
「なに、謙遜するな。ちなみにあのレベルの魔物とはよく戦っていたのか?」
「そうですね。あれくらいの魔物なら村の周りには比較的よく出現していたので……今回出現したのがオスで本当に良かったです」
現れた蜘蛛がメスで更に孕んでいたら最悪だっただろう。
「メスだったら何か悪い事でもあったのでしょうか?」
そう言うのは校長先生だ。
孕んだ蜘蛛を潰した事がある人なら想像できると思うのだが、彼女はそう言った経験は無いのだろう。ことわざにも『蜘蛛の子を散らす』が有るから知っている人は多そうではあるが。
「孕んでいたメスだった場合に、腹を切りつけた時に沢山の子蜘蛛がわらわらと出てくるんですよね。それらの消滅させるのがおっくうだし、見た目がその……グロいんです」
それに出てきた蜘蛛達は母体を食べることもある。はっきり言って気持ち悪い。あの時は俺とナズナと梅次郎の三人が、食事に夢中になっているあいつらを全力の火遁で焼き殺した。地球では周りの被害を考えるに出来ない芸当だ。
「想像したくないですね……」
「あれは二度と見たくない光景です……」
俺と祭校長は苦笑いを浮かべ頷きあう。
「ふむ、とりあえず昨日の事はなんとか処理できたみたいだな」
そう言って頷く瑛華先輩に俺は心の中でツッコミを入れる。
(俺は処理しきれてるとは思えないけどね……)
あの事件後は地震とガス爆発にしては明らかに不自然だ。蜘蛛の足で突き破った壁、粉々に砕かれた石の塀、溶けた地面。不審に思う人はたくさんいると思う。
(まぁ先輩が重く受け止めていないから別にいいのか)
「それでは今後の行動指針について話し合おうか。とりあえず音吉が私のチームに入ることが確定し、4人となった。であるから前々から上がっていた増員の件はこれで終了だ」
「そうですね、今後あのレベルの魔物やケイオスの軍勢が出現したら大変ですし……音吉君。よろしくお願いしますね」
「あ、はい。分かりました」
「細流先輩。では夜の見回りはどうされるのですか?」
「ああ、それは音吉も混ぜることになるな。とりあえず斎藤はもう回ることが無いだろう。お疲れだった」
そう言うと斎藤副会長は苦虫をかみつぶしたような表情で俺を見つめてきた。
(あれ。俺、何もしていないよね?)
「そういうことで音吉は私と花香と皐の四人でローテションを組みながら町の見回りをする事になる。よろしく頼む」
「はぁ。別に町の見回りは構わないんですけど、町の見回りに意味はあるんですか? 穴ってランダムに開きますよね?」
「確かに穴はいつ開くかは分からない。昼だったり、夜だったり。ただ、空きやすい時間帯と言うのが存在してな。その時間帯に軽く見周りをするのだ」
「湊君は夜に多い見周りのアルバイトをすると考えてくれれば良いわ。戦う事なんてめったにない。ケイオスなんて月に数回しか出ないのだし、ましてや魔物なんてもっと頻度が低い。最近は少し多いのですけどね」
(それだと体なまりそうだな……またヴォーアに行くことを考えて、なまりたくないと言うか、むしろ強くなりたいのだが)
「そういえば音吉のギルドカードが出来たそうだ。今日は魔法ギルドに行くぞ。花香達もそこに来る予定だからローテーションの順番を決めてしまおう」
「分かりました。それと瑛華先輩――」
瑛華……と名前で呼んだ瞬間、斎藤副会長が驚いた表情を浮かべていたが気にせず話を続ける。
「その、体がなまらないように魔法の訓練をしたいんですけど、どこですればいいんでしょうか?」
「ああ。魔法についての制限を教えていなかったな。基本的には魔法は使用禁止だ。もちろん魔物やケイオスが出た場合には許可される。それで練習場所だがな、一番近いのは……花香のとこかな?」
「花香のとこですか?」
「ああ、花香の祖父が魔法耐性のある練習場やら道場を幾つか持っていてな、そこを借りて使うといいだろう。私も借りている。そこは花香と詳しく話してくれ」
「分かりました」
先輩は頷くとスマホを見つめる。
「ふむ、そろそろ寿司も届くだろうし、とりあえずはこんなものか。では一旦解散だ。音吉は此処でご飯を食べろ」
(たしかに出前の寿司を教室で堂々と食べる勇気は無いな……)
先輩がそう言うと校長先生と斎藤先輩は席を立ち教室から出ていく。ご飯を食べに行くのだろう。
「では音吉。これから魔法ギルドも生徒会もよろしく頼むぞ」
俺はなぜか先輩の言葉が頭が引っかかる。そのためもう一度言葉を頭の中で反芻させた。そして違和感をみつけ思わず声に出てしまった。
「は、生徒会?」
「む? ああ、そうか君は寝坊したんだったんだな。さっきの始業式で連絡したんだよ」
先輩は立ち上がると俺の横に立ち肩を叩く。
「君は生徒会庶務に任命された。きびきび働くんだぞ、はっはっは。さあ、寿司を取りに行こうか。職員室に届くからな」
なるほど、クラスメイトに注目されていたことと、柿原が血相を変えて俺に聞いてきたのはこれのせいだったんだろう。余計なことをしてくれやがって。
ちなみに届いていた吟選の寿司は、筆舌に尽くしがたいくらい美味しかった。